Ep6.×M.Sasaki

 薄いグリーンの壁に北欧調の家具が並んだ、さながらインテリアショップの一画にあるモデルルームのような部屋。

 その中心に置かれた、アイボリーのカバーが掛けられたソファに座っているのは土屋亜樹つちやあき──緑のタートルネックに白いフリース、濃いグレーのカーゴパンツを履いている──だ。

 そんな彼は背後から髪の毛を触られていた。

 首元までファスナーを上げた白とネイビーのトラックジャケットに、デニムを履いた佐々木水面ささきみなもである。


「お客さ~ん、今日いかがいたします?」

「黄緑に染めてください」

「きみっ!? えーと、三回くらいブリーチかけることになるんですけど、そうなるとダメージが気になりますね~……」

「どうしても黄緑にしたいんです」

「……あきさま、ガチ?」

「ガチな訳あるか。ブリーチのくだり、妙にリアルで面白かった」


 唐突な美容院ごっこである。子供じゃないんだから、と思っていても振られたらやめられないのがごっこ遊びだ。今回の発端は分かりやすく水面の方である。


「でもハイトーンのあきさま、見てみたい」

「去年一回やったよね? バングカラー」

「あれ一部だけじゃん。前髪だけ金髪のやつでしょ~? 全頭金髪が見たいな~」

「まあそのうちね」

「絶対やらないやつだ、ぼく知ってる」


 ぼくは知ってるぞ! と叫ぶ水面の声に思わず耳を塞ぐ土屋であった。兄弟揃ってよく通る声だ、日出ひのでの方が肺活量があるので被害は甚大だが。


「うちのハイトーン担当が暗くしてきたらやってあげてもいいよ」

「うちのハイトーン担当? っていうと、サーシャと、ぼくと、」

「いっちゃん、つっきー、でしょ?」

「つっきーそういえば定期的にブリーチしてるわ。あの髪色、全然地毛でもなんでもないんだった」

「そりゃそうでしょ……」


 日本人なのだから基本黒髪黒目だ。土屋は母親がイギリス人とのハーフなのだが、何故か茶髪と青目が遺伝している。サーシャもとい高梁透たかはしとおるアレクサンドルは日本の血が1/4入ったロシア人で緑目だが、元の髪色はブルネットであるため金髪にするためにはブリーチは必須なのだ。


「日本人は明るいブロンド好きだけど、日本国外だと『軽薄な人』に見られがちだからあんま好まれてないんだって」

「え、髪の色で誠実さはかってんの?」

「そう言われるとなかなか笑えるな、なんで髪の色ではかるんだ?」


 不思議だねえ、とふたり揃って首を傾げる。これがルッキズムというやつなのだろう。その渦中にいて、色々と気にしているはずなのに妙に他人事な雰囲気が醸し出される。


「そういえばあきさま、お誕生日おめでとうございます~」

「ありがとうございます~、……『そういえば』ってなに?」

「おいくつになりました?」

二十歳ハタチです、二十歳ハタチ

「ええ!? 大きくなったね!?」

「親戚のおじさんみたいなこと言いよる」


 read i Fineリーディファインの年上メンバーはみんなこの調子だ。土屋は若干不思議そうだった、どうしてこう口々に「大きくなったね」なんて言うのか。水面なら兎も角、御堂斎みどういつき南方侑太郎みなかたゆうたろうなんて一年しか年齢が変わらないというのに。


「最初のイメージがこびりついてるからじゃない?」

「最初のイメージっていうと、初対面の」

「そうそう。なかなかね、その当時の印象から脱却することは難しいんだよ~」


 水面の発言は、土屋の心に微妙な陰を落とした。そうか、あそこから脱却はできないのか、と。

 もちろん水面は、落ち込ませようとして言った訳ではないのだが、それでも土屋が抱いている悩みごとに悪い意味で覿面な言葉だったのだ。


※   ※   ※   ※   ※


「で、あきさまはなんでいきなり落ち込んでんの?」


 一発で言い当てられ、立つ瀬のない土屋だ。ポーカーフェイスが本当にできない自分を呪いつつ、大したことないですと答えたら太股を水面に叩かれた。良い音がする。


「いっ、たくない! 痛くない! なにすんの!?」

「痛くないなら良いじゃん」

「なんも良くないし質問に答えてもらってない……」


 どうして叩いたのかについて答えてほしかった、唇を尖らせる土屋に水面は「大したことじゃなさそうじゃなかったから」と素直に答えた。


「お前の地雷分かりづらいから、多分踏んだんだろうなって自覚しかない」

「……その自覚があるだけマシだよ」

「嫌味ぃ~???」

「マジマジ、ない人は本当にないんだよ」


 無遠慮に傷つけられることはそう多くないが(知り合いが少ないため)、稀に笑いたくない場面で笑わざるを得ないことがある。土屋の脳内に浮かんでいたのは、そういうときに『笑わせようとする』人物像だった。


「コミュニケーションが苦手な人って一定数いるからな~、可愛がりといじめの区別つかない人だっているし」

「どうにかなんないのかなあ、ああいうの」

「もっとぼくらに見せるように怒れば?」


 今みたいに、と水面は平然と宣う。今のは別に怒っている訳ではないのだが、それを言うとまたややこしくなりそうなので土屋は閉口した。


「なんか今、めんどくさいと思って口閉じたでしょ」

「あー、分かります?」

「分かります~! その態度がぼくをなんとも言えない気持ちにさせる」

「嫌とか怒りとかじゃないんだ」

「ではないですね」


 だってしょうがないじゃんね~。そんな水面の発言に土屋は瞠目した。なにがしょうがない? 普通の人だと普通にやってるのに、なんで?


「できることもできないこともあるじゃん、人間なんだから。やりたいこととやりたくないこともある、だけどやらなきゃいけない。ただやらなくていいと思った場所に、ぼくらを選んでくれたのはサンキューじゃん?」

「……要約してもらっても?」

「亜樹が自然体でいられるのが、うちのグループ内だったら嬉しいなあって」


 屈託のない笑顔で言われてしまえば土屋に言い返す術はない。むしろ自分の無駄なプライドや打算がひどくダサいものに見える。またこれの繰り返しか、いや繰り返しにならないように正しく伝えるべきだ。

 そうしてようやく土屋は口を開いた。


「最初の、『出会った当時の印象から脱却することは難しい』って言葉に落ち込んでた」

「え、なんで?」

「……あの頃の自分が好きじゃない、から」

「いやそこじゃなくて」


 水面は手を振って否定する。状況が掴めていない土屋は首を傾げた。


「ファーストインプレッションが悪いもの、ってなんで決めつけるの?」


 お前そんなひどい人間じゃないよ、と平然と断言した水面。まさかそうくるとは、予想だにしていなかった発言だった。これは今までとはちがう、新しい視点での考え方だ。


「もしかして誰かに言われた?」

「言われてはない、というか、自己申告に対して同意を貰ったみたいな……」

「まあ亜樹が自己申告したならみんな同意するよね~、そりゃね~」

「気を遣われている?」

「どちらかというと『はい』」

「俺の機嫌アキネーターみんなやってんの?」


 いきなりインターネットの魔神みたいなポーズを取り始めた土屋に、水面は失笑を漏らす。それにつられて土屋も笑った。初めて空気感が和やかになった瞬間だった。


「機嫌じゃなくて気分? テンション?」

「どっちにしろめんどくせえ奴じゃん、俺」

「めんどくせー奴と、ひどい奴は全然ちがうよ。あきさまは特に、なんだか可哀想になってくるというか」

「……同情か?」

「そうやってあんま良い言葉に変化されないとことかね~」


 気持ちは分かるんだけどさ、なんて水面は歌うように呟いた。


「社会に対してトゲトゲなんだよ」

「トゲトゲしてて何が悪い」

「あっれ開き直った!? いや悪くない、悪くないんだよ。だってクリエイターってトゲトゲしてることめっちゃ大事じゃん!?」


 ここで水面は久方振りに芯を食った考えを発露する。クリエイター同士としての会話がようやく、始まった。


※   ※   ※   ※   ※


「あきさまのしんどいところは、クリエイター由来って感じがするからあんま他人事だと思えなくてね~」


 クリエイター由来、そう言われたのは初めてだったのか土屋は訝しげに目を細めた。


「あ、逆か。しんどいからクリエイティブなのかも」

「……それよく言われるやつだけど、なにか根拠とかあるの?」

「単純に世界の解像度の問題だと思うけど。見えすぎる、聞こえすぎる、分かりすぎる、閾値を超えるとすべて利点ではなく欠点になってしまう」


 しんどいね~と水面は笑っているが笑い事ではない。これでは性格どうこうという話ではなく、生まれたときの性質の話になってしまう。


「つまり治らないし、マシにすらならない、ってこと……?」

「マシにすらしたいのか、ぼくには謎ですけどね」


 楽しそうな顔つきから一転、今度の水面は冷淡な発言をした。緩急と温度差に体がついていかない、四肢がバラバラになって風邪を引いてしまう。大惨事だ。


「だってそうじゃん。芸術に身を捧げることを選んだんだろ?」

「……うん、好きで選んだ」

「なら自分の不都合なデコボコも愛さないといけない、っていうか本当は好きでしょ?」


 袈裟斬りどころではない、空間ごと切られたかのような感覚。土屋は丁度アイスティーを口に含んでいたところだったため、変な飲み込み方をしてしまい噎せてしまった。


「あぃやー、噴き出さなかったのはえらかった」

「ん゛ん゛ん゛、のどがへん゛なかん゛じする……」

「ちょっと落ち着こうね~」


 土屋が項垂れた姿勢になれば、水面が背中をさする。このまましばらく、映像には残っていないが五分程度休んでいたそうだ。


「……ありがと、もう大丈夫」

「本当に? おっけ?」


 大丈夫? としきりに尋ねる水面にオーケーサインを出す土屋、声は元に戻ったようだった。


「さて元の話に戻るけど」

「こっから元の話に戻すの鬼畜過ぎない?」

「でも、押さえておかないといけない話題じゃん?」

「そんなことはないよ、ない、と思うけど、」


 デコボコな自分が本当は好き、そう言われて図星だと思った気がした。土屋は未だに自分の気持ちが分かっていない、自分の性格が嫌で変えたいと思っていたことは事実で、ちょっとずつ変わっている今が嬉しいのも本当で、残念ながちょっとずつしか変わっていないのも現実だと受け止めている。ここに来て変なことを言われたから、動揺してしまったのか。


「あのね~これは持論なんだけどさ、」

「うん?」

「芸術表現できる人は、自己愛も自己嫌悪もどっちもある人じゃない?」


 どっちかしかない人は根本的に芸術表現には向いてないよ、と言う水面は優しい眼差しをしていた。


「自分の感情を大事にできるから表現できて、自分が嫌だから芸術に走るんじゃないかな? 知らんけど」

「……それっぽいこと言うなあ」

「お兄ちゃんもそうだけど、それっぽいこと言うの得意なの」

「感動を返しておくれ」


 先輩ってすごいな流石だなと思った俺の純粋な感動を返せ、土屋が水面に迫るが水面はどこ吹く風だ。兎も角、と迫られていた水面は顔を背けて改めて口を開く。


「そういうもんだとみんな思ってるから、気にする必要なし」

「そ、そんな、今までの俺の努力は」

「努力も大事だけどさ。というか努力してった部分はちゃんと直ってるよ、直るって言い方正しいか分かんないけど、直ってる」


 集団に溶け込めるようになったし、他人と自分の考え方がちがうと認められるようにもなった。腹を割って話すことの重要性、『可愛がり』『いじり』といったいっそ乱雑とも言った方が良いコミュニケーションの程度も把握できているし、何より素直に自分のことを話せるようになった。

 これが努力の成果と言わず、なにと言うべきなのか?


「頑張ってるよ~、でも頑張らないといけないところは全部直ってるんだよ~」

「……あとは、どうすれば」

「あとは自分を好きになって、欠点もチャームポイントって言えるくらいになればいんじゃね?」


 それさえできれば申し分ないんじゃね? 水面が畳み掛ける。土屋は飲み込むのに時間がかかっているようだが、ようやっと「分かった」と頷いた。


「前向きに検討します」

「即答で『無理』『やだ』って出なくなったのえらいね~」

「その褒め方めっちゃムカつく……」

「ごめんて! 顔が怖い!」


※   ※   ※   ※   ※


「プレゼントを持ってきました~!」

「その後ろにある謎のオブジェだったら許さないけど……」

「あっこれは、なんかいい感じに作れたから一緒に写真撮ろうかと」

「作ったの!?」

「まあそれは良いんだよ。はいプレゼント~」

「……スープのパウチ? あ、有名なとこのだ」

「本社に給湯室あるし、作業部屋に置いといてお腹空いたら食べなね」

「ありがとう……お腹空いてきた」

「写真撮ったらお昼、外に食べに行こうか」

「……! うん! ……しっかしオブジェ、赤いな……」

「発色良すぎた、今後の参考にしよう」

「量産するつもりですか???」

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