Ep5.×E.Kiryu

 薄いグリーンの壁に北欧調の家具が並ぶ部屋、さながらインテリアショップの一画にあるモデルルームのよう部屋でいつものように撮影が始まる。


「そろそろ壁の色とか変わってもよくない?」


 そう発したのはクリーム色のパーカーにエメラルドグリーンのスカジャン、デニムのワイドパンツを履いた桐生永介きりゅうえいすけだ。そんな彼の気儘な発言に、緑のタートルネックに白いフリース、濃いグレーのカーゴパンツを履いている土屋亜樹つちやあきが険しい顔をする。


「あんまりそういうこと気軽に言わない方が良いと思うけど」

「最早お馴染みの部屋になっちゃったからそろそろ新しい風が欲しい」

「って言っても、俺の次も結構日にちが詰まってるからさあ」

「あー、それもそうかあ」


 土屋の次の誕生日となると日出と水面の佐々木兄弟だ。1月1日が誕生日となるため、一ヶ月も猶予がない。箱推しの“&YOUエンジュー(read i Fineリーディファインのファンネーム)”が忙しそうにしている様を思い起こされる。


「じゃあ透のときからにしよう、ピンクがいい」

「えらくかわいい色じゃん。っていうか、しようじゃないんだよ、こういうのは、……え? 良いんです?」

「やったね! 案が通ったぞ!」

「案っていうか我儘だろお前それ」


 カメラの向こう側にいるスタッフが丸を出したらしく、分かりやすく喜ぶ桐生に渋い視線を送る土屋だ。こういうことを気軽に言える桐生への羨望も多少含まれている、味わい深い視線だった。


「……お前って思ったことぽんぽん言うの、すごいよな」

「なんも考えてないだけだけど?」

「自分で言うか!? ……なんも考えてないっていうより、考え方がシンプルなだけだと思う」

「……それは、なんも考えてない、ってことでは?」

「いや! いや! そうじゃない!」


 そうじゃないんだちがうんだ、と慌てふためく土屋を見て桐生はけらけらと笑った。重ねてトドメを刺してくるような男ではないことは、短くない共同生活で桐生も理解していた。ただ少々言葉が迂闊なだけなのだ、それには桐生もただ笑うだけである。


「俺がどうしたらいいんだろう、ってごねごね考えてることも、お前なら先ずかいより始めよ的な発想で発言できるからってだけであって」

「まず、なに? 貝? バーベキュー?」

「食べる方の貝じゃない」


 故事成語である。『先ず隗より始めよ』、意味を簡単に説明すると『物事はまず手近なところから行うべき』ということ。つまりこの状況的に、最も分かりやすいたとえだった。


「へー、亜樹もよく言葉が知ってるなあ。ラッパーだから?」

「学校で習わんかった?」

「勉学に関する記憶がほぼない」

「義務教育からやり直せ、マジで」


 御年二十歳ハタチ同士のやり取りとは思えない、さながら中学生の口論だ。

 鋭い顔つきであるが、実は勉強が不得手な桐生である。対する土屋はイギリス英語をマスターしている秀才だ。こんなふたりが友達になるなんて、アイドルを志しグループを共にしない限りあり得ない話だったかも知れない。


「亜樹、誕生日おめでとう。あと友達になってくれてありがとう」

「な、なんだよいきなり」

「え、照れてる? かわいいな?」

「やめろやめろ」


 押し退けるような動きをする土屋に、桐生は更に大きく笑った。


※   ※   ※   ※   ※


 同い年、同級生、そしてメンバー内でも音楽的素養がかなり高く才能溢れるふたりが揃えば、必然的に音楽の話に転がっていく。


「永介って楽譜読めないだろ?」

「うん。コードとキーは分かるけど、楽譜はさっぱりピーマンだな」

「さっぱりピーマン?」

「ワケワカメ。なんも分からないな」

「うん……?」


 同年代とはいえ、暮らしてきた環境故に若干話が通じないふたりだった。


「亜樹は楽器弾けるだろ? 俺弾けないもん」

「歌のみ?」

「歌オンリー。カラオケの音程バーと友達」

「あれと友達になれるのすごいな」

「コツがあるんです、結構素直で良い子だよ。っていうか、亜樹って何の楽器やってたんだっけ」

「ギターとピアノ」


 二個できるのかっこいいなー! と声を上げた桐生。そんな彼の様子に「何回か見せたことあるじゃん……」と言いつつも土屋は照れ臭そうにしていた。


「作曲もそれでやってんだっけ」

「まあ。ピアノでメロディ作ったり、ギターでメロディ作ったり。それを録音してからパソコンに取り込んでるかな」

「最初はアナログなんだ」

「アナログといえばアナログかも」

「だからなのかな、歌いやすい」


 桐生の言葉は真っ直ぐ土屋に響いた。

 read i Fineもうひとりのコンポーザーである南方侑太郎みなかたゆうたろうは、トラック作りが得意で最初から楽曲制作ソフトで作成していることが多い(バンド楽曲などでは自らギターの主旋律を弾くこともあるが)。そこの違い、なのだろうか。


「亜樹の曲歌いやすくて、俺好きだよ」

「えへ、えへへへ」

「ラップは激難しいけど……」

「そのうちお前にもラップパート歌わせるから」

「マジかー」


 南方の作るラップは言葉の抑揚に気を付けないと歌えないが、土屋の作るラップは言葉の発音に気を付けないと歌えない、と言われている。

 簡単に言えば多言語ラップなのだ。容赦なく日本語以外の語彙が入ってくるため、発音に気を付けないとその意味で聞こえてこない。


「発音は大丈夫だろ、お前耳良いし」

「でも学がないから」

「発音するだけなら要らないし、っていうか永介、地味に英語とか中国語とか得意だから何とかなるだろ」

「亜樹が教えてくれたから何とかなってるだけだよあれ」


 現状read i Fineでは土屋以上に『生きた英語』を話せる人材はいない。次点でアメリカに短期留学していた御堂斎みどういつきがかなり話せる方だが、それでも土屋にはやっぱり敵わない。

 ただ教える方がすごくても、教えられる方の素養であったりやる気も重要になってくると土屋は考えていた。歌詞では何とか歌えるが会話はさっぱりな最年長ふたりを思い出し、目の前の男の勤勉さに泣きそうになる。


「どうした!? ごめん、なんか悪いこと言った!?」

「や、永介はなんだかんだ真面目だなあ……って」

「亜樹も大変なんだな。いや大変なのは知ってるんだけど、……よしよし」


 桐生は大きな手で土屋の小さい頭を撫で回す。桐生は同学年三人組(桐生、土屋、そして高梁透たかはしとおるアレクサンドルである)でいちばん入社歴は短いが、年齢は他ふたりと半年以上の差があるのだ。自ずと兄的なポジションに回りがちである。


「亜樹、本当に顔ちっさい」

「それ褒めてんの?」

「顔小さいからスタイルいいんだろ?」

「あ、それはそうか……」

「……大丈夫? お腹撫でようか?」

「お腹は流石にちょっと、“&YOU”に見せられない姿だし……」


 一体日頃、どのような格好でお腹を撫でられている土屋なのだろう。後日談だが、彼の不用意な発言でSNSでは『お腹を撫でる』というワードがトレンドに上がっていた。


「じゃあ今日も一緒に寝る?」

「あ、一緒に寝るで思い出した。お前らさ、なんで俺を真ん中にする訳?」

「……三人で寝るときの話?」

「そうそう」


 三人、とは同学年三人組のことだ。桐生、土屋、高梁、この三人はよく狭いところで並んで寝ている姿が晒されている。メンバーからもだし、スタッフからも。


「お前らに挟まれると圧迫感がすごいんだよ」

「えー、安心するだろそれ」

「安心については置いとくけど、若干体が変になるから」

「ギシギシ?」

「というよりガタガタ? この年でガタガタとか言いたくなさすぎなんだけど」


 まだ二十歳なのに、と土屋はぶすくれてしまう。どうやら三人で寝ているとき、端にいる桐生と高梁がどんどん真ん中に寄ってしまうそうなのだ。すると、真ん中で寝ている土屋はほぼ抱き枕状態となってしまうらしく、寝返りひとつ打てないのだという。


「じゃあ端で寝る?」

「……えぇ~」

「嫌なんかい。それは嫌なんかい」


※   ※   ※   ※   ※


「亜樹って昔からこんな甘えただっけ?」

「知らないけど、そもそもお前は昔の俺を知らんでしょ」

「まあ知らないんですけど」


 高梁や森富太一もりとみたいちなどとちがい、桐生が土屋と出会ったのはread i Fineが結成されてからだ。つまり桐生はread i Fineになる前の土屋がどういう人間なのか知らない、伝聞でしかその様子を伺えないのだ。


「めっちゃ尖ってた、みたいなのはよく聞く」

「誰だ!? そんな話してる奴!」

「言ったら命がないので黙秘するけど、まあわりと大体の人間が言ってるから全員処したら?」

「……お前、わっるい奴だな」

「死なば諸共なので」


 グループ全員を人身御供に差し出しているにも関わらず、自らは逃れようとしない辺り桐生の潔さか出ているというか。

 しかし土屋が『尖っていた』という話は概ね正解なので、土屋自身そう強く出ることもできない。佐々木日出ささきひのでに肯定された鋭さだが、自分では未だ認められないのだ。


「いやあその頃知り合ってなくて良かった! 多分仲悪くなってたし!」

「……永介のそういうところにめちゃ救われる」

「え、どういうところ?」

「気遣ってくれないところ」


 それはクレームではと一瞬顔がかげった桐生だったが冒頭で見かけた「ちがう! そうじゃない!」の顔を土屋がしていたため、ポジティブな意味かと考えを改める。


「まあ亜樹に気ぃ遣いすぎても互いにボロボロになるだけだろうし」

「よくお分かりで……」

「あと他のメンバーも別に、お前に気を遣ってる訳じゃないと思うけど」


 桐生の言葉に首を傾げる土屋。あれが気を遣っていない、とするなら何なのか、と言いたげな顔だ。その純粋なきょとん顔に、桐生が笑い混じりの溜め息を吐き出す。


「あれは『心配してる』んだって」

「……そんな、心配されるほど俺ってアレ?」

「事実アレではあるけど、でも、心配ってそんな、されたら絶対駄目なものじゃないじゃん?」

「確かに……いや、アレつった?」

「アレだけど、アレだけではない」

「もう何の話してんのか分かんないわ……」


 お前やっぱ実は頭良いだろ、土屋が非難するように桐生を睨みつけるが桐生はただ笑っているだけだった。その笑みは上から目線でもなければ、挑発的でもない、非常に牧歌的なものだ。


「まあ亜樹は、きっとこれからも性格はそうそう変わらないことでしょう」

「いきなりどうした? 呪い?」

「どっちかってーと福音。お前が嫌だあ、無理だあ、変えたあい、と思ってるような性格でも好きになってくれる物好きはいるんだよっていう」

「……お前みたいな?」

「俺はそんな好きじゃないけど」

「はあ!?」

「性格は好きじゃないけど、亜樹は好き」


 そんな人たらし全開みたいなことを言われた土屋は、無言で桐生に握り拳を当てるくらいしかできることがなかった。

 素直にありがとう、とは到底言えなかったのだ。言ったら泣きそうだった。


「今度遊びに行こうよ、遊園地とか」

「男ふたりで?」

「サーシャも連れて行こう、つか連れて行かないとあいつぶちギレてすべてのものを破壊しようとするから」

「悲しきモンスターか何かだと思ってる? まあ概ね同意だけど」

「年相応にちゃんと遊んでさ、ちゃんと情緒発達させていけば、亜樹もそのうち自分で自分のことが認められるようになる」


 唐突に、真面目な方向へ舵を切られて土屋は唖然とした。こいつ全部分かってたんだな、という驚きも含まれる。


「……これこそ呪い?」

「お前の理想を叶えるための呪い」


 結局土屋の最も根深いところは、自己肯定感の希薄さだろう。才能や技能は優れていると自覚しているくせに、その部分が発揮されない場所での自分は容認できない。

 それが良くないことだと自覚はしている。自覚はしていても、どうにもできなかったのに。


「時間が解決することもあるさー」

「呑気だな」

「人生長いんだから、多少は呑気でいないと疲れるよ」


 あとこれから60年、と具体的な数字を出されて土屋はげんなりした。こんな自分とあと半世紀以上も付き合わなければいけないのか、と。

 しかし裏を返せば、それはメンバーと一緒にいられる期間でもある。流石に半世紀だと顔を見るのも嫌になっているだろうか、いや、それはどうだろう。

 どうしよう、案外悪くないんじゃないか、と思えてきてしまった。我ながら恥ずかしく感じた土屋は顔を覆い、桐生から不思議な目で見つめられたのだった。


※   ※   ※   ※   ※


「亜樹が好きそうなものをあげるとボロクソ言われそうなので」

「そんなことするか! 俺を何だと思ってるんだよ!」

「あまり見たことないけど似合うだろうなあ、と思って帽子を贈らせていただきます」

「……こ、れは、ニット帽? ベレー帽?」

「ニットベレーだな」

「あっどっちもなんだ。かぶってみていい?」

「どうぞどうぞ」

「……あったかい」

「カシミア混だからそりゃあったかいと思う。洗うときだけ気をつけてもらえれば」

「そうか……帽子をかぶると耳があったかいのか……20年生きてきて新事実……」

「すごいレベルの低い真実すぎない?」

「うっせーな……。……ありがとね、かぶります」

「是非かぶってあげてください。あと思ったより似合ってたので、スタイリストさんに進言しときます」

「何を!?」

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