Ep7.×E.Kiryu

 薄いグリーンの壁に、北欧調の家具が並んださながらインテリアショップにある一区画のモデルルームのような部屋は既に賑やかだった。

 アイボリーの布が掛けられたソファには水色のシャツにグレーの変形カーディガンを着た御堂斎みどういつきと、ブーツカットの白いパンツにくすんだラベンダーのタートルネック、その上からローゲージニットのベストを着用した桐生永介きりゅうえいすけが座り、談笑をしていたのだ。


「潔癖ってほど潔癖でもないのに、なんでそんなこと言われるんだろうね?」

「それだよいっちゃん。これが偏向報道ってやつなの?」

「身内でしか広まってない話で偏向報道とは言わんでしょ、普通……。流言蜚語? も大袈裟だしなあ、人の噂も七十五日、もわりと大衆に向けた言葉だし」

「いっちゃんは沢山言葉を知ってるなあ」

「お前が知らなすぎなのでは?」


 映画を観なさい、わりと文学的なやつか社会的なやつ、と御堂は注文をつけるが桐生は曖昧に笑うだけだった。見る気がないときの顔である。


「だって2時間も3時間も座って集中して観られないし……逆に訊くけど、なんであんなに集中できるの? 休みの日とか、5時間くらいアニメ観てない?」

「……永介だって、音楽のフェス配信とか8時間くらいぶっ通しで観てるじゃん」

「音楽は耳だけでいいし」

「スポーツ観戦もしてるのに」

「集中してずっと、って訳じゃないから。そもそもいっちゃんもスポーツは観る人じゃん?」

「マアネー」


 お互いのあまりかぶらない趣味のひとつに『スポーツ観戦』があるふたりだ。運動神経抜群な桐生は兎も角、ダンスだけできる運動音痴の御堂もスポーツ観戦だけは好きなのである。


「漫画やアニメで題材に選ばれたものは実際に観たくなるくない? これあのシーンと似てる! とかやりたくなる」

「ふーん……」

「そういうのは分かんないのね」

「ごめんね……素養がなく……」

「小さい頃からアニメも漫画もほぼほぼ通ってない、ってかなりレアだと思うんだけどなあ」


 なんかあるでしょ、という御堂の意見に、そう言われましても、という表情を浮かべる桐生だ。

 元々暮らしていた国が異なる高梁透たかはしとおるアレクサンドルや、幼少期から海外を行き来していた土屋亜樹つちやあきなら兎も角、生まれも育ちも日本の桐生がかなり無知であることに衝撃を覚えずにはいられない。オタクではない、だけではない、知らないのだ。


「学校で流行ってたでしょ、ポケモンなど」

「ポケモンはー、あれだよね、ボール当てて捕まえるやつ」

「そこをフィーチャーすんのかい、お前は」

「アニメが最初なのあれ」

「ゲームが最初です」


 リアルで無知である。この話はしていても何も産み出さない、と理解した桐生は「そんなことよりも」と話を打ち切った。


「お誕生日おめでとうございます」

「おっ、ありがとう。21歳になりました」

「……大きくなったね?」

「その感想はおかしい。元々お前より大きい」


 一年程度だが御堂は桐生より年上である。

 しかし桐生は、そういうことではなく、と首を振り力こぶを見せつける。


「ここの太さが」

「上腕二頭筋のこと言ってんの!? えー、まあ、大きくなったというか大きくしたというか……」

「広背筋も素敵よ」

「それはありがとう……なんかすごく、照れちゃう……」


 思わず両手で顔を覆い隠した御堂の隣で、桐生は満足そうに笑っていた。


※   ※   ※   ※   ※


「いっちゃんの成長したとこ? 歌でしょ歌、やっぱ歌」

「そんなに言う?」

「プロジェクト再定義始まった頃とは全然ちがうもん、すごいよ」


 唐突に始まった桐生の主張。御堂斎の成長したところについての語りである。read i Fineリーディファインメインダンサーの御堂斎はグループの権威象徴であるが、同時にメインボーカルたる桐生永介も権威象徴。受賞歴は数知れない、だからこそボーカル面で御堂を指摘できるという訳だ。


「いっちゃんの難点って声域がそもそも男性の一般的な歌唱曲と合わない、ってとこなんだよ。むしろ女性歌唱曲の方がしっくりくる」

「ボイトレしてるときに散々言われてきたよそれ。大体mid1FからhiCくらいなのかな」

「ちょい低めだね」

「女声ハスキー系統、らしい。女性声優さんのやられている少年ボイス、みたいな」

「ふーん……?」

「ごめん、分からんかったら大丈夫です」

「こっちこそごめん……」


 知識に偏りがあるせいで話が若干噛み合わないふたりである。それは兎も角、実際御堂の声はそのまま低めの女声。電話だとより性別が分からなくなるのである、まあ顔も女顔なので顔が見えていても性別を断定できないのだが。


「となると低い声が出ないんだよな、俺らが出してるような」

「そうそう。最低音が多分お前らの高めくらいだから、マジで最初の方の月次考課げつじこうかはボーカルぼこぼこだった」

「それは酷い……低評価っていうよりカテゴリーエラーなのになあ……」


 練習生時代に毎月行われていた実力評価の場、月次考課での御堂のボーカル成績はある時期を境に跳ね上がっていた。そのきっかけ、というのが、


「男性ボーカル曲を歌うのをやめた」

「だろうね!」

「女性ボーカル曲オンリーにしたら、恐ろしいくらい成績良くなったからやっぱ声域大事なんだなあと」

「……つまり楽曲制作隊は天才?」

「それだ」


 現在read i Fineの楽曲は南方侑太郎みなかたゆうたろう、土屋亜樹、月島滉太つきしまこうたの三人──通称・楽曲制作隊が主となって作っている。つまりこの三人がメンバーの声の特徴、出せる音域、歌い方などを考慮して曲を作って歌割りを決めているのだ。

 これについては、天才と言わざるを得ないだろう。


「ただ最近歌ってるポップスカバーとかも、いっちゃんはかなり上手になったと思うので。普通に努力の成果だよなあと」

「て、照れるなあ……」

「そもそも声域広がってると思う。昔より高い声も低い声も出るようになったし、安定感がちがうよね。素晴らしい」


 もったいぶった様子で拍手をする桐生に、御堂は恐縮と言いたげなお辞儀を繰り返していた。歌を苦手としていた御堂にとって、真っ直ぐな賛辞は賛辞以上の意味を持つ。それが桐生からのものなら尚更だ。

 桐生からのアドバイスを、御堂はいくつもらったか正直覚えていない。数えきれないくらいの助言を貰ったのだ。


「まあでも、えいちゃんが教えてくれたからこその成果だし……」

「それはいっちゃんが俺に対してダンスを真剣以上に教えてくれたからじゃん? 俺だってあんなに熱心以上に教えてくれなかったら、あそこまでちゃんとアドバイスしなかっただろうし。自分の善行が返ってきてるだけだよ」

「僕はえいちゃんにダンスを好きになってもらいたかった一心で、」

「俺もいっちゃんに歌を好きになってもらいたかった一心だった」


 ダンスバカとボーカルバカ、それが御堂と桐生がメンバーからよく言われる褒め言葉である。性格は違うが、根本は似た者同士なのだろう。自分が好きなものの力を信じ、そのために最大限の努力を惜しまない。


「俺はいっちゃんをリスペクトしてます」

「僕もえいちゃんをリスペクトしてるよ。本当に、心底尊敬してる」

「いやいやいや」

「まあまあまあ」


 ふたりは固く握手をし、そのまま互いに謙遜をし合って笑い合った。根底に存在している尊敬を認め合うかのように。


※   ※   ※   ※   ※


「これは苦情なんだけどさ」

「えっなにそれこわい」


 話題は一変、桐生は御堂へ不穏な言葉をぶつける。恐れ自身の体を抱き締める御堂に、桐生はその勢いのまま言葉を続けた。


「なんでそんなにファッションに頓着がない訳……? そんなに素材がいいのに……」

「おっと、話の方向性が思ってたのと違うぞ」

「いっちゃんは確かに骨格とか、筋肉量とかの影響で一枚着るだけで様になるけど、その、ちがうじゃん! そうじゃないじゃん!」

「どうしたどうした、落ち着け落ち着け」


 これが落ち着けるかー! どーんがーんばりーん! と自らの発声でSEまで吐き捨てた桐生は御堂の衣服への興味のなさへ大層お怒りのようだ。

 桐生は確かにファッションや美容について詳しい。read i Fineでは南方、森富を超えるファッション好きだし、美容番長としてのキャラも定着している。だからこそ御堂の素材を生かさない、どうでも良さそうな格好が悔しくて仕方ないのだ。


「アンバサダーやってるブランドさえ着てれば良いと思いやがって……!」

「それは別にいいでしょ。アンバサダーに選ばれた理由ってそこだし、普段着として着ることによってそれ自体が宣伝となり……」

「それはそうだけど、折角あんな素敵なデザインが沢山あるブランドで、ブランドロゴだけ入ったトレーナーとかTシャツとか着てるのは意味分かんないから」

「……ぐうの音も出ない」

「着りゃあ良いってもんじゃない」


 実際御堂の私服についてプロデューサーやマネージャーから指導が入ったことも少なくない。ダンスが好きなのは分かるけどせめてスポーツブランド以外も着てくれ、とか、なんで黒のジャージばっかり着てるの? とか。“&YOUエンジュー(read i Fineのファンネーム)”からもネタにされるし、気を付けなければいけないと本人も思っていたところだった。

 対して桐生はというと、アンバサダーをやっているブランドのウィメンズ・メンズ問わず着ているため“&YOU”からの評価が滅茶苦茶高い。元々ユニセックスな服装が得意、女性ものでも着こなせる骨格ということもあり、やはりブランドからの信用もかなり高いのだ。


「ねね、今度一緒に買い物行こうよ。ずっと断られてたけど、流石にいい加減考え直した方がいいし、あれなら俺が出資するからクローゼットの整理しようぜ……!」

「こんなボコボコに言われたらやむを得ない……クローゼットに関しては空きがあるから大丈夫、出資は大丈夫なので……申し訳なさすぎ……」

「いっちゃん物持ち良すぎだもんね……中学のジャージまだ着てるし」

「胸元に御堂って書かれてるやつね」


 厳密に言うと名字の刺繍が入っているタイプの体操着だ。御堂は中学を卒業してからずっとそれを着ている。多少色褪せてはいるしくたびれてきたが変な匂いも汚れもない、至って綺麗な状態を維持し続けていた。


「まあ体操着はね、全然真面目に体育やってなかったから綺麗に決まってんですよ」

「俺、泥汚れが落ちなかったから結局もう一着買った気がするよ、体操着」

「え!? なにしたの!?」

「雨の次の日の体育でサッカーやったら、見落とされてたぬかるみに滑って体ごと泥に突っ込んだ」

「こっわ。怪我とか大丈夫だった?」

「うん。人とぶつかった訳じゃないから。いっちゃんは優しいなあ……中学時代のことなのに」


 やさしい、うれしい、すてき、と桐生は御堂の手を取ってぶんぶんと振り回す。御堂はその手の揺れに合わせて体ごと振り回されるが、決して嫌そうではなかった。


「ひぃい、いっちゃんが軟体動物みたいになってるぅ、こわいぃ」

「骨抜きにされました」

「……意味ちがくない?」

「それは分かるんだな」


 桐生の言葉の知らなさを逆手にとった言葉遊びだったが、逆手にとられたのは御堂であった。まあこれくらいは分かって当然か。


「……まあだから、その、いっちゃんがもし俺の苦情を押し付けがましいと思ってるなら、それはちゃんと言ってほしい。あなたは優しいから」

「え、うん、いいけど、押し付けがましいと思ったことはないわよ?」

「本当? ガチ?」

「ガチ。押し付けがましかったら、直接言わずにしれっとフェードアウトしてるから」

「それはそれでどうなんだ……人間として……」


 御堂なりの処世術である。面倒なことに口を挟みたくない、というか。


「うちのメンバーはみんな優しいから、押し付けがましいなんて思ったことは一度もない」

「なるほど……確かに」

「実際押し付けがましくても、それはそういうフリというか、ロールプレイっていうか、天丼みたいなもんだから」

「その感覚分かるなあ」

「じゃれてるだけなんだよね。本当に心配ならガチで話すし」


 有り難い限りですよ、と御堂は穏やかに微笑んでいた。


※   ※   ※   ※   ※


「誕生日プレゼントだけど、さっき話してたファッションについてのことで、フライングさせていただきました」

「お洋服? ……わーお、これは」

「シャツワンピース、かな、一応。俺でオーバーサイズだからいっちゃんでも肩幅そこまでぎっちりならないだろうし」

「どうやって着るの?」

「中にTシャツとか着て前開けて羽織ってもいいし、前閉めるんなら上から大きめのニット着てもいいし、ニットベスト着てもいいし」

「なるほど、オーバーサイズのニットは持ってないなあ……」

「じゃあそれを今度買いに行こう。まあいっちゃんの体格で何が似合うかは俺、よく分かんないけど」

「僕も分かんないねそれ」

「それも一緒に探そうか。何が似合って何が似合わないか」

「うん。なんかね、ビビッドな色は似合わないってよく言われる」

「あー、肌の色というか、目力が強すぎて怖くなるんだよね……俺もわりとそれになりがち……」

「お互い苦労するね」

「ね」

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