Ep3.×H.Sasaki
薄いグリーンの壁に北欧調の家具が並ぶ、さながらインテリアショップの一区画にあるモデルルームのような部屋、にある棚を開けたり閉めたりする青年がふたり。
「何も入ってないね」
「作り込みが甘い」
袈裟斬りのごとく痛烈な一言を吐き捨てた青年、
対してそんな日出に「めんどくさいこと言わないでよ」と漏らした
御堂の言葉に日出は鷹揚に頷いて、手前にあるソファーへ腰掛けた。
「なんの頷きだ、それ」
「いや確かにめんどくさかったなあ、と」
「気にしてる……!」
「若干の喜び勇みが入ってるのなんで?」
日出の言うところの「若干の喜び勇み」を纏わせた御堂が日出の隣に勢いよく着席した。
「ひとに言われたこと気にする日出かわいいから、好き」
「よせやい」
無表情で、鼻の下を指で擦る日出に御堂は笑い出す。それやってる人初めて見た! と。だろうな、と日出は彼に視線を送った。
「なかなか変なフェチだよな、ひとに言われたこと気にする俺が好きとか」
「じゃあ日出は僕のどういうとこ好き?」
「あ、それ訊くための計算?」
「そんな訳ない。たまたま、偶然ですよ」
どういうとこが好き? と御堂は小首を傾げて日出を問い詰める。圧がすごい。日出は顔をしかめつつ、御堂の胸をがっしりと掴んだ。
「ぎゃー!!!」
「胸筋が好き」
「どういうとこって部位じゃねんだよ!」
御堂は勢いよく日出の手を振り払うが、日出はまた別の部分へ手を伸ばす。
「あと大腿四頭筋」
「触るな! 触り方がやらしい!」
「それと僧帽筋、三角筋、背中が広くていい」
「……ねえこれ触らないと駄目なの?」
「あと腹筋がなくて実はぽよぽよしてるとこ」
「それは言うな、あとマジで触らないと駄目なの!? ねえ!?」
手当たり次第に筋肉を触る日出、御堂は彼への抵抗を諦め完全に脱力していた。そもそも御堂のパーソナルスペースはかなり狭い、狭くてもストレスを感じないのでスキンシップも特段嫌だと思わないのだ。
今の日出の行動に関しては、触られるのが嫌で、というより、個人としての好きを訊いたはずなのに筋肉が好きだと言われたことに腹を立てている状態である。
数分もすれば御堂は完全にぶすくれていた。
「のでさんなんて嫌いだ」
「ごめんごめん、ちょっとからかおうと思ったら普通にからかってしまった」
「からかい下手な佐々木さん」
「なんかそういうのあったな? あとそれ言うと水面もからかい下手になるよ」
「あの子もあの子で下手だしなあ、からかうの」
日出は度が過ぎてしまうが、双子の弟である
「それは兎も角として、いっちゃんの好きなとこでしょ」
「言ってご覧なさい、それでチャラにしたげるから」
「自分が優位に立ったときの女王様感好きだよ」
「エムなの?」
「ちがう。少なくとも俺は」
じゃあ誰がエムなんだ、御堂が疑念に囚われかけた瞬間日出は「誕生日おめでとう」と発した。このタイミングかよ。
「変なタイミングだなあ」
「言ってなかったのを今思い出しただけだよ、あんまり大きな意図はない」
「だろうねえ」
ありがと、と御堂は呟く。さて、本編開始だ。
※ ※ ※ ※ ※
「いっちゃんっていうと、やっぱり天才」
「やめてよ!」
「うちのグループの権威的象徴」
「もっとやめて!!!」
「ありがたいことですよ?」
「それは恐れ入りますけど……」
御堂と言えば
「ダンス踊ってる以上みんな平等なのに、なんか線引かれてる感じがしてすごく嫌」
「ダンス踊ってる以上は確かに平等だけど、ならば何故コンクールや大会があるという話なんだよ」
「ビジネスだろ。あとしょうにんよっきゅう……」
「声ちっさ」
不徳の致すところ、と言わんばかりの御堂の縮こまりように日出はにやにや笑っていた。別に承認欲求を抱くことは悪いことではないし、面白がるようなことでもない。
日出が面白がっているのは、御堂のような無欲かつ泰然とした人間がかつて承認欲求を抱いていて、尚且つ現在はそれを恥ずかしがっている、ということだ。
「恥ずかしがらないでも」
「黒歴史なんだよある意味」
「でもその黒歴史がなかったら俺らきっと出会えてなかったし」
「まあね、ご尤もですね……」
でもねえ、と御堂は項垂れる。
ヤバイ、面白い、と日出は口を押さえた。噴き出したら怒りではなく軽蔑を買うからである。すると御堂は視線だけ日出に向ける。
「笑ってんのバレとるよ」
「……ごめんなさい」
「いいけど。今更怒ったりとかないし、日出に怒っても意味ないしむしろ笑ってくれて有り難いし」
どうやら軽蔑もされなかったようだ。日出は内心ほっとしていた。
「ひとの評価気にする日出が好きなので」
「伏線回収じゃん」
「綺麗にできました。で、だ」
話を戻そう。御堂が箱をよそへ置くジェスチャーをする。
「承認欲求って悪くないんだよ。ただ承認欲求を元に大会に出ちゃったのが個人的にあんま、あんましな部分で……」
「あんまあんましなんだ」
「これなら言われるがままに出てました、の方が良かったのかなあとか」
「それはない」
痛快な袈裟斬りだ。日出はさながら居合でもやるかのように、一閃で御堂の言葉を封じ込める。
「どれだけ恥ずかしい理由だとしても、自分で決断して行ったことは尊い。言われるがままの方が上、なんてことはないんだから。しかも斎は結果的に成功しているんだ、余計そういうことは言うべきじゃない」
「……だね、その通りだ」
日出の厳しくも愛のある言葉に、御堂は首を持ち上げて姿勢を正した。その様子を見た日出は鷹揚に頷く。
「なんか、そういうところが天才だなあ、と俺は感じるのだ」
「急に話変えすぎじゃない? コーナーで差を付けられた?」
「本当だと人生賭けてもおかしくないことを普通のノリでやって、しかも『承認欲求』を黒歴史にして落ち込むなんて感覚が違い過ぎる。承認欲求なんてなければ、そんな大きな大会に進まないだろ。スポーツであれ何であれ」
「スルーかい。……ダンスに関しては常に人生乗っけてるから、別に世界大会出たとて全米大会出たとてそのことを特別視なんてしたりしないよ」
放った御堂の回答に、流石の日出も顔を凍りつかせる。「今日は降水確率80%なんだから傘を持ってこない訳ないでしょ」みたいなテンションでなんてことを言うのだろうか、この男は。
「ダンスが人生?」
「人生がダンス? いや分かんないけど、少なくとも僕は初めてダンススタジオ行った日から踊らない生活を考えたことはないし、足腰が弱ったよぼよぼのじいちゃんになっても、どうにかして踊ることに関わり続けようとしてるだろうから。最早同化してるんだよね、ダンスと人生が」
「歯を磨くよりも、服を畳むよりも身近なんだな」
「朝起きるとかご飯食べるとかと同列だよ」
やはり凄まじいことを言っている。「エビとカニは甲殻類だよね」のようなことに聞こえるが、実際は別種。それどころか、強烈な違和感さえ覚える。
天才というのは、自分が異端であることを自覚していないんだなあ、と日出は心中理解した。
「承認欲求が恥ずかしいのって、普通だと思ってるからなんだ」
「……どういうこと?」
「いやいい、俺の中の納得だから、斎はそのまま知らずにいてくれ」
「なんだよそれー」
ダンスは朝起きたりご飯食べたりするレベルで普通のこと、それを周りの人間にわざわざ「こういうことできるんだよ、すごいでしょ」と見せたりはしない。そんな認識だから、御堂は恥ずかしがったのだ。承認欲求を抱いて、かつて大会に挑んだ自分が。
※ ※ ※ ※ ※
そろそろ持ってきているアイスティーが氷だけになりそうだ。ふたりの話は動画に収まりきらないくらいの長話と化していた。
「いっちゃんは喧嘩下手だよなあ」
「なにを突然。自覚してるけど」
「お兄ちゃんと喧嘩しなかったのか」
「お兄ちゃんもわりと僕みたいなタイプだから」
「それじゃ喧嘩にならないなあ……」
御堂は男ばかり三人兄弟の末っ子だ。末っ子と言って納得されたりされなかったりするが、日出は『納得していない』側の人間である。
「
「ひとりっ子っぽい、ってこと?」
「妹がいる長男」
「それは僕の幼なじみなんだよ」
御堂の幼なじみ、南方は妹のいる兄だ。日出は、彼も彼で兄らしくはない、と呟きかけて撤回した。意外とそうでもないことに思い至ったのだ。
「年下の世話はめちゃくちゃしてるもんな、南方は。亜樹とか、太一とか、
「僕は年上の世話をする方だからね」
「確かに。世話されてる」
「自覚あんのかーい」
呆れ笑いの御堂に、日出は「とても有り難く思ってます」と微笑みながら会釈をした。優雅な仕草だが、内容は世話への感謝である。正直どうかと思う。
「年下の世話は、しにくい? とか?」
「しにくくはないよ。自分がやってほしいことやるだけ、年上の世話はやってあげてたことやるだけ。簡単簡単」
「それはできるのにひとの気持ちは分からないのか……」
「分からない訳ではない。起伏の乏しかった時期が長いから、感覚が戻らないだけで」
心がかじかんでるの、という御堂の表現は詩的だが、詩的で素敵と思うのはどうだろうかと日出は険しい顔をしている。
「詩的で素敵、ライム刻んでるね」
「駄洒落も全部リリックにしてくれるからこのグループ大好き」
「駄洒落のつもりだったの?」
「そういう訳じゃないです」
結局はぐらかされてしまったが、御堂と感情で衝突しても手応えがあまり感じられないのは、例の「心がかじかんでいる」という部分が大きく作用しているのだと日出は確信した。
「悲しいことでしか泣かない」と明言しつつも、ほとんど泣いたところを見せたことがない御堂斎という男は、いつどこで自分の感情を発散させているのか。
「踊ってるとき、アニメ見てるとき、漫画読んでるとき、小説読んでるとき、音楽聴いてるとき、など」
「……インプットとアウトプットが発散に繋がる感じなのか」
「多分。誰かの感情に乗っかることで、上手く自分の感情を吐露できるっていうか。そもそも人って誰かに言われたり、誰かから聞いたりした言葉しか言えないらしい」
「へえ」
そうなんだ、日出が相槌を打てば、わかることない? と御堂が小首を傾げる。
「自分の感情にしっくり合う言葉はもう既に生まれていて、それを探す行為を常にしてるんだよ、人類は。で、しっくり来ないときは、僕は言葉にせず踊るようにしてる。好き勝手に、四、五時間くらい」
「長っ」
「ボディランゲージは伝えるのに時間がかかるものですから」
わざわざ明文化しなくてもいいというの大変気楽である。御堂はどこぞの文豪のような語り口で結論付けた。
それに日出は少し口ごもりつつ、自分の考えを述べる。
「でもさ、斎」
「うん」
「辛かったり苦しかったりしたときは、すぐに言ってくれないと困る」
「……うん」
「お前は自己解決できるかも知れないけど、自己解決に至るまで、同じ家で生活してる俺らには心配をかけてるってこと、分かるよね」
「心配を、かけないように」
「ではなく」
袈裟斬りの再来だ。鋭い発声である。
「心配をかけていることさえ自覚してくれたらそれでいい。そのことに遠慮は要らないし、配慮もしなくていい。俺らは普通に過ごす。別に泣きついてきても、我儘言ってきてもいいけど、勿論しなくてもいい。ただ悩んでるとき、メンバーはちゃんと『あ、斎悩んでるな』って分かっちゃってることだけは自覚しておいてほしい」
「……分かった」
「いつでも味方だから、それも覚えておいて」
そう言って、日出は御堂の背中を二、三回、優しく叩いた。
※ ※ ※ ※ ※
「お前って物欲ないからさ」
「だからっていつも飲んでるプロテインのお徳用は流石にプレゼント感なくない?」
「でも貰っても困らないものだろ? あとここ、プレゼント仕様としてリボンのシール貼っておいたから」
「リボンシールちっさ! 言われないと気付かないんだけど、色もほぼ同化してるし」
「貼った瞬間、水面に相談すれば良かったなあ、って思ったよ」
「貼る前に相談しなよ……」
「お兄ちゃんはそう簡単に弟のことは頼れないのです。まあ程よく鍛えてください」
「はい……ありがとうございます……」
「そして腹筋をそのうち見せてね」
「言いながら腹をぷよぷよ触んないで」
「なんで腹筋つかないの? 腹筋、やってない訳じゃないでしょ?」
「やってない訳じゃないけど、割ることに意義を感じないんだよ」
「ほーん」
「あんま興味ない話題っぽいじゃん……」
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