Ep4.×T.A.Takahashi

 薄いグリーンの壁に北欧調の家具類が置かれた、インテリアショップの一区画にあるモデルルームのような部屋にて。

 真ん中に置かれたローテーブルを挟み、青年ふたりが距離を取ろうとしたり近付いたりしようとしていた。


「いやいやいや絶対怪我するってマジで」

「大丈夫ですよー……、痛いことしないですよー……」

「こわい!!!」


 恐怖に叫びつつもげらげらと笑う女顔・女声の青年──御堂斎みどういつき、その向かいにいる元気いっぱいな満面の笑みを浮かべる高梁透たかはしとおるアレクサンドル。このふたりは、この狭い中で鬼ごっこをしているそうだった。


「てか、なんでいきなり鬼ごっこ?」

「私が追いかけたら、斎くんがにげたので」

「野生動物かお前」


 御堂は水色のシャツの上に羽織った、グレーの変形カーディガンをはためかせてソファに座る。その横に高梁も滑り込んだ。高梁はオーバーサイズの、Vネックの明るい色をしたニットとウィンドウペンのパンツを履いている。

 高梁は御堂を横から抱き締めた。


「つーかまえたっ」

「あー、捕まえられちゃったー」

「一生はなしませんからね……?」

「最近ちょっとヤンデレ気味なのなんで?」

「やんでれ?」


 高梁が体ごと首を大きく傾げる。

 どうやら『ヤンデレ』という言葉を知らないようだ。ただ「メンヘラはわかりますよ!」と宣っていた、なぜだ、と御堂はアイスティー片手に真顔になる。


「亜樹くんがメンヘラでしょ?」

「ぶっっっ」

「わあぁ!? 斎くんきたないですよ!」

「ごめんごめん……」


 口の端から溢れるアイスティーをペーパーで拭きつつ、御堂はひらひらと反対の手を振った。


「意味分かって言ってんのかなあ、と思いましてね……」

「わかってるつもりですよ? 精神的に、ふあんてー、ですよね?」

「あ、うん、そうです。お前でもあきさまは精神的に不安定って思うんだね」

「ここで変に否定しても本人のタメにはなりませんから」


 案外シビアな考え方をするが、これこそが高梁透アレクサンドルである。環境的に過酷な地域で育ったせいか、現実主義者としての言動が色濃い。そしてそのまま、彼はこう続けるのだ。


「斎くんと真逆です。斎くんは、精神的に、ちょーあんてー、してるので」

「超安定か、してるかな?」

「してますよ。というより、ふあんてーのときの原因をリカイしてます。『なんだかわからないけど調子が悪い』みたいなことがないです、だから真逆」


 不調の分析と解明、そしてリカバリーが上手いと高梁は言いたいようだった。それに関しては身に覚えがある、と御堂が頷く。ある種のルーティーンみたいなものだ。


「よく分かんないけど元気ない、って嫌じゃない?」

「それは思いませんけど」

「あらそう」

「そういうときもあるでしょう、人間ですから。メンヘラも悪口じゃないです。そういう人ってだけです。大事なのは立て直し方です」


 崩れた積み木を組み立てて、高い建物を作るようなジェスチャーをする高梁。気付けば立ち上がっていた彼に「そんな高いと崩れたとき大変だよ」と御堂は囁く。


「自尊心は高い方がいいんじゃないですか?」

「それは、どうなんだろう」

「私は高くありたい。斎くんはどう?」


 どうやらこれが、最初のテーマになりそうだった。


※   ※   ※   ※   ※


「私、初めのころ、ずっと斎くんのレッスン見学してたんですよ。知ってました?」

「知ってた知ってた、だってお前目立つもん」


 高梁透アレクサンドルはロシア人と日本人のクォーターである。ロシアの血が3/4を占めているため、外見に日本人的要素はほとんどない。

 また生まれ育ったのもロシアで日本にやってきたのは入社の一年前、ということで練習生時代は日本語もかなり不得手だった。


「個人レッスン受けるときに、見学者入れてもいい? ってトレーナーさんに訊かれて、いいよって言って入ってきたのがお前だった。それめっちゃ覚えてる」

「おー! 初対面! どうでした?」

「どうって、……練習熱心な子がいるんだなあ、みたいな」


 普通、デビューもしていない先輩のレッスンを見ようとする練習生はそういない。なぜならその時間を自分の練習時間に当てた方が良いからである。

 しかし高梁は入社してからというものの、頻繁に御堂の個人レッスンを見学しに来ていた。本人もかなり踊れる部類であるにも関わらず、である。


「そういや訊いたことなかったね。僕のレッスンを見学して、得られるものはあったのかい?」

「……ひとまず、このレベルじゃないと上がっていけないのかー、っていうのはわかりました」

「なるほど。大事なことだ」


 高梁が入社した時点で、御堂は練習生でもトップのダンススキルを持っていた。流石全米大会連覇、世界大会優勝、国内の大会では数々の受賞、そして受賞記録を簒奪し『大会荒し』と呼ばれていただけはある。


「斎くんのダンスってすごいんですよー。明確、くっきり、何が言いたいのかすごくわかる」

「『何が言いたいのかすごくわかる』は初めて言われたかも」

「そうなんです?」

「ほら僕、表情管理は乏しい方じゃん」


 御堂のダンスは実際技術力は図抜けているが、表情の細かい部分においてはむしろアイドルにしては手数が少ない方である。read i Fineリーディファインならば水面みなも森富もりとみ、そして高梁がその分野では手数多く、高精度にやっているイメージがあった。


「表情管理と何が言いたいかわかる、はちがくないですか?」

「そういうもん?」

「ボディランゲージ的な意味ですごいんですよ、斎くんは。同じテンポの同じステップでも、楽しい曲と暗い曲では全然ちがいます。楽しいときははじけて、暗い曲はひきずってます」

「あー、それは、そういうのは確かにあるかも」


 意識してるんですね! という高梁の嬉々とした声音に、まあ、と御堂は曖昧に頷いた。半分本当で半分嘘だ。曲が変わるとスイッチも切り替わる、意識的にやっている部分と無意識的にやっている部分がグラデーションなのだ。どちらがより優れている、ということはないらしいが。


「目で見て『わかる』のがアイドル、と言われてきたのでなるほどこれは、ってなりました」

「そう言われると嬉しいな」

「大事なものを教わったと思います」


 なぜか胸を張る高梁。お前がえばるなよ、御堂がにやにや笑いながら指摘をすると高梁は照れたように小首を傾げた。


「でも、驚いたのは斎くんって、あんまり自分のすごいところを周りに言わないんですよね」

「えっ、普通言わなくない?」

「アピールは大事ですよ? 自分がどういう人間か知ってもらう、なにができてなにができないのかをわかってもらう、これ大事じゃん?」

「大事、だけど」

「斎くんの自尊心の低さとも関係してそー」


 高梁はじとりと御堂を見つめる。そしてそのじとっとした目のままカメラに視線を移した。


「斎くんってすごいんですよ」

「つっきーのときもそういうこと言ってたよね」

「みんなすごいですよ! すごいところがちがうだけで!」

「そうだね、みんなのすごいところはそれぞれちがう」

「で、斎くんのすごいとこなんですけどね」


 高梁は嬉しそうにカメラへ語りかけた。


「まずダンスが上手、教えるのも上手」

「ありがとー」

「言われなれてる感じすごいですね! あと料理も上手、家事も得意です」

「まあこれくらいは……、やってればできることだし」

「それとメンタルが強くてかたい」

「強くて固い!?」

「あんてーしてるんです、土台からやっぱりガッチリしてるんです。ブレない、ゆるがない、自分のやるべきことをリカイして、淡々とやっていく。その精神性はマネしたくてもできないです」

「そう、なのかな、どうもね、ありがとうね」

「あとー」

「まだあんの!?」


 高梁の口が止まるところを知らない、そんな様子に御堂が驚愕した。まだ話し足りないといった表情の高梁だったが、御堂の若干引き気味な視線に観念して口を閉ざしたようだ。

 口を閉ざした高梁がようやく口を開ける、溜め息をこぼすために。


「はあ……」

「や、なんか、ごめんね?」

「あやまらなくていいですよ。ちょっと呆れてるだけなんで」

「ああ……うん、わかるけどそれは……」

「自尊心、高めた方がいいですよー?」


 高梁からの再三の忠告に、御堂はただ苦笑を返すばかりだった。


※   ※   ※   ※   ※


「斎くんって大会に出てたじゃないですか、ダンスの」

「え、うん」


 先述の通り、全米大会連覇、世界大会制覇、国内大会を荒らし回っていた御堂である。先程の微妙な空気のまま、高梁は更に質問を重ねる。


「どういうメンタルで出てたんですか?」

「メンタルというと……」

「絶対勝ちたい、とかそういう感じの……まあ、」


 なさそーですねー、と高梁がジト目で宣えば御堂は気まずそうに俯いた。別に気まずくならなくてもいいのだが、ただ『気まずくならないといけない』とは思っているのか。高梁はその点に多少びっくりしていた。


「勝ち負けにこだわらないのに、ユーレツを決めたがるの、ちょっとなぞです」

「僕もわりと謎……、そこを突かれるのすごく困る……」

「めずらしく元気がないですね」

「お前がこんな質問するからでしょーが……」


 日頃から動揺なんて言葉からは最も程遠い、泰然自若とした様子の御堂がここまで狼狽えるとは。よく見ると顔色も若干悪い。本当に触られたくないところだったんだな、と高梁は瞠目していた。


「斎くんは、ダンスが好きじゃないですか。ダンスする人はみんな兄弟、broみたいな感じですし」

「そう、だね、うん……」

「それで、楽しくやれたら良いって感じですよね。メンタルとしてはエンジョイ勢、技術がガチなだけで」

「そう……、わかるよ、言いたいことは」

「じゃあ、どうして?」

「……ダンスを、みんなに好きになってもらいたくて」


 単純に競技? 人口の話として、そう御堂は口ごもりながら呟いた。


「スターがいたら、その競技に目が向くじゃん? 世界に通用するような強い選手がいたら絶対話題になるし」

「それになりたくて?」

「っていうかそうなったら良いよ、って師匠に言われた」


 師匠というと、世界的ダンサー“RUITACルイタク”のことか。あの人なら言いそうなことではある。話したことはないがインタビュー記事などで高梁はその人柄に、表面上だけは触れてきていた。


「勧められただけで、実際に出たのは僕の判断だし、師匠が責められるようなことは一ミリもないので」

「どっちも責めませんよ。納得しました」

「納得、できた?」

「はい。ショウガイのなぞがとけた感じです、早くわかってよかったです」

「それならいいんだけど」


 高梁は疑問に思っていただけなのだ。どうしてこのダンスエンジョイガチ勢が数々の名誉を持つことになったのか。それは彼の精神性においては不要なほど重たいものなのではないか、と。

 しかし御堂はそれを抱えたまま今日日軽々と舞っている。さながらその重しはしょうがないものと割り切っているかのように。そこの疑問が今日、解消された。


「好きなんですよね、おどること」

「うん。愛してる」


 なんて真っ直ぐな言葉だろうか。

 仮に自分に言われた言葉だとしたら、すべてを擲ってでも信じてしまうような硬度と密度。

 御堂斎にとってのダンスは、手段でなければ技能のひとつでもない。常にある、目的なのだ。


「……なんだか、ヤキモチやいちゃいますねー」

「ヤキモチ? なんで? なにに?」

「ダンスとアイドルどっちが大切なのよ! ってやつですよ」

「……そのふたつはある面において依存関係にあるから、切り離して考えることは難しくない?」

「正論すぎます」


 歌って踊れる、というのがアイドルの基本条件。ダンスを大切にしてもアイドルという職業で以上はプラスにしかならないし、アイドルを大切にするならダンスもレベルアップしていかないと話にならない。


「ダンスとアイドルならその質問は微妙だけど」

「?」

「メンバーとダンスなら、メンバーの方が大切だよ。当然だけど」

「ずきゅん」


 高梁は自身の左胸を押さえて目を見開いた。はっきりと御堂の姿を捉える。


「最後の最後でそれは、それはずるいですよー! 私も好きですあいしてます!」

「そこまでは言ってない」

「いいえ言ったも同然です! 言ってないだなんて言わせません!」

「ええ……」


 いきり立つ高梁にドン引きしながらも、御堂はこんなに喜んでくれるならたまには言うかな、と考えを改めるのであった。


※   ※   ※   ※   ※


「斎くんのプレゼント、めちゃくちゃなやみました。なにあげても意味なさそうで」

「意味ないってどういうこと? プレゼント無効化は怖すぎない?」

「ですので意味ありそうなものを持ってきました。あげます!」

「おっも……えー、……皿? パスタ皿?」

「十枚あります」

「これで全員分の飯を作れと。いやでもお洒落なお皿だー、高かったでしょ」

「まあネダンのことは気にせず」

「そうですね、ありがとうね」

「いずれ宿舎がカイサンしても、みんなで斎くんの家に遊びに行きますから。そのときのためきも、ひっこしのときは絶対持っていってくださいね?」

「圧強っ、わ、わかった、持ってくよ、がんばって振る舞わさせていただくから」

「わーい! で、早速斎くんのパスタが食べたいです!」

「……後日ね、後日必ず」

「はい! 楽しみにしてます!」

「これじゃどっちがプレゼント貰ったんだかわからないなあ……」

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