Ep5.×Y.Minakata

「遅い」


 インテリアショップの一区画にある、モデルルームのような部屋でカメラが回り始める。そのソファに鎮座するのはハイゲージニットの中に綿のシャツ、コーデュロイのパンツを着用した眼鏡をかけた青年。

 そんな彼を見て、淡い色合いのローゲージニットに淡い色のデニムを履いている月島滉太つきしまこうたが大股で近付いてくる。


「なんでオレより早く来てんねん!」

「別に主賓が先にいないといけないって訳じゃないじゃん。遅刻したからって怒るのやめてよ」

「くっそ、このクレーマーめ……」

「クレーマー言うな。正当な見解でしょ」


 さあ座って、と眼鏡をかけている青年──南方侑太郎みなかたゆうたろうが月島を促す。誕生日企画なのにこの扱いは何ぞ、月島はむすくれたままソファに腰かけた。


「それでは改めて、お誕生日おめでとー」

「ありがとー、めっちゃ複雑な気持ちやけど」

「なんで?」

「なんで、ってお前……」

「いやうそうそ、そりゃ自分メインの企画で我が物顔されたら嫌だよね。俺のせいだけど、そんな顔しないでー」

「うっさいわ! あと顔掴むな!」


 南方に片手で頬をわし掴まれた月島は、その手から逃れようと首を大きく振った。これではどちらが年上か分かったものではない。


「こんなん言いたくないんやけどさ」

「うん」

「もっと敬ったらどうなん?」

「尊敬はしてる、『尊敬』は」

「ほんまかあ……?」

「ほんまですよ、『尊敬』はしてる」

「……嫌な言い方やあ」


 不穏な空気が漂う幕開けとなった。


   ※   ※   ※   ※   ※


「オレを楽曲製作隊に入れたんは侑太郎やろ?」

「そうだね。そうだねっていうか、直接誘ったじゃん」

「あんなんで入れるとは思わんやろ」


 read i Fineリーディファインというグループは、楽曲製作隊、ボーカル隊、ダンス隊の三つのセクションがある。楽曲製作隊はそのままラップ隊とも言い換えられるが、基本はread i Fineの楽曲プロデュースをするセクションだ。

 そのリーダーを南方が務めており、月島もそのセクションに属している。


「俺が『作詞に興味ない?』って訊いて『うん、ある!』って答えてくれたその瞬間からつっきーは楽曲製作隊です」

「興味あるだけで実績もなんもなかったで? お前やあきさまみたいに、実際に曲を作っとった訳やないし」

「でも入れて正解だったと思ってるよ」


 そう言って、南方はアイスティーを啜った。


「つっきーはさ、音楽に素養がない~ってよく嘆いてるじゃん」

「お前らみたく、ちっさい頃から楽器とかやっとった訳やないしな。楽譜も読めんし」

「楽譜読めるってそんな重要かね」


 かね? と月島は南方の謎めいた語尾に喉だけで笑う。南方も再度、かね、と呟いて、にやりと笑った。


永介えいすけだってキーもコードも分かるけど、楽譜が読める訳じゃないし。その人の音楽的な素養と、有してる音楽知識ってそこまで相関性があるかなとは思う。あのー、オーケストラの楽譜書いたり、ポップスを吹奏楽用に編曲したりするのはまた違う話だろうけど」

「読めんくても大丈夫なもんかね」

「かねかね。つっきーはその代わりって言っちゃなんだけど、めっちゃ音楽は聴いてきたじゃん。同居されてるお祖父さんの趣味がカラオケだったし、お父さんもバンド文化に傾倒してたって」

「せやな。ゆーてうちのおとん、普通に学生時代バンドマンやってたしな。なんで落語家になったんやろ」


 月島が祖父に連れられてよく行ったカラオケで聴いていたのは70年代、80年代のポップス。また月島が父の影響でよく聴いていたのは、80年代、90年代のバンド楽曲。そして極めつけは祖母と母の趣味だ。


「お母さんとお祖母さんが、めちゃくちゃアイドルの追っかけされてたって聞いたよ」

「だからオレが今こういうことしてて許されとるんよ」

「えっ、ちなみにどなたが好きなの?」

「……あかんかったら、切ってな」


 そう月島はカメラへ目配せをする。ということは、ヤギリプロモーションのアイドルではないのか。


「ばあちゃんは『銀河ぎんが4フォー』の八熊やくまさんの大ファンでな、アイドル引退してからも舞台観に行ってたりディナーショー行ったりしはったんよ。んで、母さんは色々推しが変わる人やったから最初は『茜色少年団あかねいろしょうねんだん』の古里こざとさん、次が『プレイラバー』の仙崎せんざきさん、それでいちばん長いのが『D.momentディーモーメント』のあずまさん」

「お母さんが“Theaterシアター(D.momentのファンネーム)”だからヤギリなの?」

「親の意向で事務所選んだ訳やないよ。いちばん応援してくれたのばあちゃんやし、それやったらシクラアクシスになるやろ?」

「八熊さんってシクラアクシスの代表だもんね」


 現在はアイドルの第一線こそ退いているが、他ジャンルや経営・プロデュースにおいては現役アイドル時代以上の活躍を見せている大先輩について、ふたりは楽しそうに語っていた。


「っていうか、つっきーのお母さんのリファインの推しって、確かのでさんだよね」

「せやな。息子のことを応援するのとは別に、日出ひので推しとして活動してはるけど」

「古里さん、仙崎さん、東さんときて、のでさんはわかりみが強すぎない?」

「せやねん、系統同じすぎなんよ」


 閑話休題。


「兎も角、音楽的素養は有する音楽知識ではなく、どんな曲を聴いてきたかってところの方が大事だと思うんだよ」

「幅広う聴いてきた、とは思うで。好き嫌い関係なしに詰め込まれた部分はあるし」

「詰め込み教育も、一概に悪とは断定できないよ。あれは向き不向きの問題だから」

「やろうな、詰め込まれても出ていく気配がせぇへんもん。そのままオレん中で蓄積しとる」

「その蓄積が、会話の要所要所で出てくる。俺は、それが光って聞こえたんだよ」


 南方の言うことに月島は、大袈裟、と思わなくはなかったがだからと言って否定する気持ちにもならない。南方がこういうことを言うときは極めて冷静で、且つ真剣なのだ。


「語彙のセンスがシャープで的確なんだけど、何故か詩的なのがすごく良いなと思った。ディレクションやってるときもそうで、指示は的を射てるんだけど感覚的にしか掴めないことを『分かりやすく』『感覚で』話してるのがすごいなあと」

「褒めすぎ褒めすぎ」

「だってこれは、先天的なものであって、後天的には獲得ができない。俺がどんなに逆立ちして頑張っても手に入れられないものを褒めて何が悪いの? ねえ、悪い?」

「出たなこのクレーマー……」

「クレーマーじゃねえわ!」


   ※   ※   ※   ※   ※


 アイスティーが入ったグラスが結露にまみれていた。それを躊躇なく掴み、南方はストローを咥える。


「つっきーのポジティブさに憧れるんですよ」


 南方が敬語を使うとき、それは言葉を選んでいる最中ということだ。


「メンタル強いとかポジティブとかよぉ言われるんやけど、その源ってなんやと思う?」

「は? 知るか」

「当たり強すぎやろ! なんやねん!」

「だってそんな、『パンがなければお菓子』みたいなこと言われたらキレるでしょ」

「そういうつもりで言うたのとちゃうよ?」


 分かるけど、と南方は大きく溜め息をついた。


「俺みたいな人間にとっての『ポジティブさの根源』ってマジで未知の領域だから」

「そんなことないやろ……」

「ネガティブなつもりもないよ、ないけど! 別にポジティブな訳ではないから、そこら辺マジで分かんない。メンタルの強さとかはもっと分からない」

「侑太郎もメンタルは強いやろ」

「前向きな強さではない。後ろ向きな強さだから」


 たとえるならば月島は『北風と太陽』の『太陽』で、南方は『北風』だ。己の熱で旅人の服を脱がせた太陽と、己の風で旅人の服を吹き飛ばせなかった北風ではその差は雲泥だろう。


「そんな分かりやすいもんとちゃうやろ」

「と言うと?」

「人間は複雑な生きもんやから、どっちも必要やし。あとオレに北風要素がない訳でも、侑に太陽要素がない訳でもないと思うで」

「そうですかねえ」

「ディレクションのときとかは、むしろお前のが太陽やなあと思う。あんな褒めて伸ばして、気持ちよくディレクションしてくれはる人おらへんよ。オレはその点、厳しいしてまうし」


 楽曲ディレクションの月島は、確かに比較的厳しめだ。指摘が『分かりやすく』『感覚的』だからこそ、その歌に足りていないものがはっきりと浮き彫りになる。


「でもうちのメンバーは厳しくされるのバッチコイ! みたいな奴らばっかだからなあ」

「それで調子乗ったらあかんのよ。人はすぐに壊れてまうからなあ」

「……壊した経験が、もしや、」

「ないないないないない! 残念ながら、な人を見たことがあるだけ! どんな発想やねん!!!」

「だって変に分かったようなこと言うから……」


 話を戻そう、と南方は見えない箱を移動させるジェスチャーをした。


「つっきーは太陽寄り、俺は北風寄り。それぞれの要素も内包している。だけど、それぞれの要素の内容は違うものなんじゃない?」

「オレの太陽の中身と、お前の太陽の中身が違うと。まーそれはあるやろ」

「だよね。たとえばなんだけど、オレがディレクションをやるときに褒めるのは、歌ってるメンバーに変な緊張をもたらせたくないっていうのが強い。声に伸びがなくなるし、挑戦意欲も薄れるから」

「ほんほん」

「でもつっきーの『太陽』は、もっと普段の生活で発揮されるものじゃん? 嫌な気持ちにしない、っていう部分では俺のディレクションと結果は同じだけど、日頃から『緊張させないようにする』っていうのはなんか変だなと思って」

「『緊張させないようにする』はそうなんやけど、まあ、昔の意義やなそれは」


 結成当初の意義が『緊張させないようにする』ということだった。それはというのも、read i Fineは上の世代と下の世代にグラデーションが少なく、はっきりと割れていたからである。


「『すごい人だ』『先輩だ』って思わせないように振る舞っとったのが最初、そっから次第に変化していって、今は『全員が穏やかに過ごせるように』って振る舞っとる」

「仕事のためじゃなくて、プライベートのために?」

「うん。オレらはアイドル、起きている時間のほとんどをアイドルとして費やしとるけど、稀にアイドルやない時間もあるやろ?」

「そうだね、稀にあるね」

「その時間になった瞬間、義務感みたいな幸福を捨てて不幸な気分になってまうときがあってな。それはあかんな~と思ってたら、こういう感じになっとった」

「なるほどな……」

「別にアイドルを義務だとは思ってへんけど。義務言うか、責務やな」


 仕事をする上で必ず生じる責任。その大きさは職種や業種、立場によって様々だ。しかしことアイドルにおいてその責任の大きさたるや、計り知れないと感じることも月島にはままあった。


「アイドルと言う職業は日々を美しく彩っとるし、日々を愉快なものにもしとる。そんなアイドルの日常も彩りと愉快に溢れてないと『許さない』みたいな人たちがおるやろ。でもこれ、決して悪い意味やなくて、純粋に『こんなに楽しませてくれた人たちの生活が幸せでないのは間違っている』って言うてくれる人もおる訳で」

「脅迫じゃなくて、願いとか祈りの部類なんだろうね、とは思うよ」

「オレはたまにすごく有り難いと感じる。そのおかげで、日々穏やかであろうと思えるからな」

「変な刺激を求めないようにしよう、って思うことは確かに多いね」

「せやろ? そりゃまあ年相応でありたい気持ちもあるけど、オレの幸せはメンバーと穏やかに生活し続けることやから」


 どれほど輝かしい栄光を手に掴もうが、花道だけを歩もうが、月島の幸せはそこに集約される。


「……ねえつっきー、宿舎解散になっても一緒に住まない?」

「ぶっっっ。え、ええけど、えいちゃんも一緒やで?」

「えー、先約が永介なの? じゃあこっちも先約のいっちゃん呼ぶわ」

「お前も先約おるんかい!」

「いるよ。てか、つっきーの先約って日出くんじゃないんだ」

「日出とそういう話は一回もしたことない、けど、したら即答しそうやね」

「あーあ、これじゃ宿舎解散した意味がないよ」

「まあまだまだ先の話やけどな」


   ※   ※   ※   ※   ※


「俺から渡しますのは、つっきーが以前欲しがってた良い感じのボディバッグです」

「え!!!! 覚えててくれはったん!?」

「ワンチャンもう買ってるかも、と思ったけど宿舎で買った宣言聞いてないからこれはいけるなって思って」

「今使っとるやつに不吉なこと起こったら買い換えようかと思っててん」

「やめぇな、そういう買い換えの仕方」

「……侑が方言使っとんの聞くと、変な気分になる」

「ならせんならせん」

「なっとるなっとる、めっちゃなっとる」

「まあ方言と言ったら俺よりいっちゃんか、印象として」

「そやなあ。あの子はちょいちょい出とるわ」

「アメリカに短期留学しとったし、お父さん関西の人らしいけど、結構名古屋弁残っとるもんで」

「お父さんそうなん⁉ そしてやっぱ変な気分なるわあ……」

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