④ interview – SideC(佐々木水面/南方侑太郎/森富太一)

 ヤギリプロモーションに所属する練習生の入れ替わりは激しい。

 競争社会であり情報社会である芸能界、その中でも新鮮さが重要なアイドル業界でのことだから当然だろう。三年もいれば長い方、大体は五年以内にデビューしていく。つまり四年目というのは難しい時期だ、と佐々木水面ささきみなもは考えていた。自身にとっても、同じく四年目を迎えている周りにとっても。


「シクラアクシスプロダクションってどういうとこなんですか?」


 面談三日目。二日目の翌日に行われた面談のトップバッターは水面だった。彼は席につくなりいきなり難波真利夏なんばまりかへそう問い掛ける。難波はその質問に対し、二の句が継げずにいた。無意味に口を開閉させようやく出た言葉は、否、声は何とも情けない声量である。


「ひ、き抜きにでもあいましたか……?」

「え? ……や、違う、違います! ぼくはヤギリの人間ですよ⁉」

「ずっと?」

「こ、金輪際!」


 変なやり取り過ぎる、勢いでヤギリにずっといることを誓ってしまった水面であった。まあ移籍する伝手もつもりもないのだけど。

難波は「取り乱しました」と呟いて居住まいを正した。首を小刻みに横に振り、視線を安定させる。


「シクラアクシスは、あ、いいですか? 話しても」

「すいません、大丈夫です、どうぞ」

「では改めて──シクラアクシスは業界的にも老舗に近い、中堅の事務所ですね。業績は安定していますが、所属しているアイドルはむしろ挑戦的なコンセプトが多いイメージです。あと良い人が多いですよ、穏やかと言いますか」

「そう、なんですね……」

「安心しました?」


 難波の一言に水面は顔を凍り付かせる。顔を上げて発言者の方を向けば、彼女は涼しい顔のまま心得たと言わんばかりに頷いた。同じ会社だから知っていてもおかしくはないが、いやそれよりも先程まで勘違いして取り乱していたはずなのに。喋っているうちに思い当たったということか、恐ろしい胆力である。


「鳥海くんですよね。今月付けで退社される予定の」

「え、ええ……知ってるんですか? かい、鳥海のこと……」

「優秀な練習生の顔と名前は大体分かりますよ。鳥海くんは特に有望株でしたから」


 有望株、というくらいならこのプロジェクトに入れてやれば良かったのに。

 ふとそんな感想がよぎって、水面は奥歯を噛み締めた。

 違う、そうじゃない。第一に難波さんは何も悪くない、プロデューサーとして公平な判断をしているはずだ。彼女に選別されて自分がここにいるということ自体、何も特別なことではない。自分が選ばれたことだって『運が良い』に過ぎない。それなのになんだよ、今の、上から目線な考えは。


「鳥海くんは、」


 難波は唐突に話し始める。水面の険しい表情を緩めるために語り出したのだ。


「ヤギリだと少し難しかったかも知れません。やりたいことの方向性、という意味で。このままいても芽が出ないと思ってご自身で判断されたのならば、シクラアクシスという『次』は最適解であり最善策ですよ」


 私にはない判断力です、と嘯く難波にそれは嘘だと水面は斜に構えた。難波ならば鳥海──鳥海魁斗とりうみかいとと同様の決断を下すだろう。どちらも自分の指針をよく理解している人間だ。しかし難波の次の言葉に、流石の水面も絶句した。そういう意味でそう言ったのだと、思いもしなかったのだ。


「私はそこまでアイドルに執着できませんから」



「おれ辞めるんだー、ヤギリ。三月で」


 そう水面が鳥海から切り出されたのは三月の初め、引っ越しが終わり集団生活に身を投じた実感が湧いてきた頃だった。日課となっているダンスの自主練の時間に鳥海と一緒にいた。ものにはよるがひとりよりふたりで練習した方が、客観性が加わってより効果的になる。そのため水面はよく鳥海と練習していた。

 今日もその流れで誘い、なんてこともなく衝撃的なことを言われた訳だが。水面はたっぷり十秒ほどフリーズして、口を片手で塞いだ。何も言えなかった。


「何も言わんのかい」

「えっ、ちょっと衝撃的で……ねえ、え、辞めんの……?」

「ヤギリはな」


 鳥海は全頭ピンクの頭をわしゃわしゃとかきむしりつつ、どこに置いたか不明となっていた自分のキャップ帽を探し始める。椅子の上にあるよ、と水面が言えばその方向へふらふらと歩いて行った。


「シクラアクシスに行くんだ」


 キャップ──その昔、水面が誕生日プレゼントであげたそれをかぶりながら、鳥海は毅然と言い放つ。その発言の力強さに圧倒されてまたしても絶句してしまった水面、いや最早言うべき言葉は何も持っていなかったのかも知れない。引き止めなんて無駄なことはできない、もう彼は分かっていたのだ、このままだとデビューなんて夢のまた夢であるということを。


「シクラアクシスって、うんと、『HAVE/THEM』のとこだっけ?」

「男の方だとそうだな。女の方だと『SHeCRUise』とか」

「……わりとゴリゴリなイメージ……?」

「っていうか、挑戦的? こういうこともやりたい、ああいうこともやりたい、アイドルだけどアイドルだからってやらないのは変だろ! みたいな。楽しくね?」


 にや、と笑った鳥海に水面は頷く。久し振りに楽しそうだ、と思った瞬間、ああ彼はずっと楽しくなかったんだなということに気が付いた。気付いた上で無視をしていた自分を今理解した。とても惨いことをしていたのだ。

 しかしそんな心情はおくびにも出さない。演技は得意なのである。


「いいね~、魁斗に似合うわ」

「だろ? おれはおれの道を切り拓くタイプの人間だから」

「舗装された道を迂回するタイプだもんね」

「それはただのばかじゃん?」


 おれだって綺麗な道を歩きてえよう、と鳥海は泣き真似をしつつ水面に擦り寄った。はいはい、と冗談めかしつつ宥める水面だったがその気持ちはよく分かってしまう。できれば未舗装の道、獣道なんて歩きたくない、色んな人間の手が加わった華々しい道をエスコートされながら歩きたい。だけどその考えは甘過ぎる、鳥海が好きないちごみるく以上に甘い。


「あーあ、デビューしてえな」


 ごろん、とリノリウムの床に鳥海が寝転がる。それにつられて水面も体を床に離した。リノリウムが暖房のせいでぬるく、気持ちが悪い。


「デビューしたいね~」

「『したい』じゃなくて『する』って言わないとだめか」

「確かに、言霊は大事だ。デビューするぞ!」

「だな、おれもデビューする! 絶対できる!」


 場所は違っても絶対頑張ろうな、と鳥海は水面に掌を差し出す。水面は体を捻り、その手と同じ方の手を差し出した。小気味の良い音が鳴る。互いに笑い合えば目映い青春の一ページ、青春の美しさとは青春の終わりによって最も高められるのである。

 夢のおかげできらめいた青春を手にし、夢のためにそれを自ら葬るのだ。人間って傲慢だなと水面は思った。今日だってこんなに素敵なのに、これじゃあ満足できないだなんて。


※   ※   ※   ※   ※


「難波さんがアイドルを目指したきっかけってなんですか?」


 森富太一もりとみたいちがそう尋ねたのは話の流れによるものだった。難波から問われたアイドルを志したきっかけ、森富の場合は目の前の彼女が所属していた『Dream Eraドリームエラ』というグループを心底敬愛した故の行動だ。

 ステージに立つ彼女たちがあまりにも輝かしくて、華やかで、どうやったらああいう風になれるのか、俺だってドリエラみたいになりたい! と思案した結果が現状である。

 そんな森富の真っ直ぐな言葉に「面映ゆいですね」とまったく面映ゆくなさそうな顔で件のプロデューサーは呟き、一瞬黙った。そして森富は次の質問との間を狙って逆質問をしてみたのだ。雑誌やテレビで幾度と聞いてきた『アイドルを目指したきっかけ』であるが、事実を本人の口から聞いてみたいとずっと思っていた。だって難波真利夏の性質上、メディアに向けた答えは『メディア向けの言葉』に過ぎないだろうから。


「……森富くんも私のことを大分理解してきましたね。良いことじゃないですね」

「まあ元々ファンですから! それで、その、きっかけは……」

「あんまり良い話じゃないんです。もっと現実的な話なので、そうですね、今度みなさんがいる前で話しましょうか」

「え」


 現実的な話、良い話じゃない、だけどみんなの前で話すとはこれいかに。

 きょとんとしている森富に対し難波は若干気まずそうに眉をひそめ、一対一で話すと要らぬ誤解を招きそうなので、などと宣う。実際は(森富はそんなことしないだろうと当然信頼はしているのだが)又聞きによる曲解を防ぐためだ。込み入った話であるため、少しのニュアンスの捉え間違いで大事故になりかねない。そこを防ぐための事前策である。


「すみません、リスクヘッジが癖になってるんです」

「流石トップアイドル……!」

「『元』ですが。いえ『元』をつけるのも烏滸がましいですね、すみません」

「……こっちこそ。すいません、はしゃぎ過ぎました」

「年相応で良いと思いますよ。最近の練習生はみんな老成していますからね、やけに大人びていて少しぞっとします」


 『read i Fineリーディファイン』のメンバーやその他の練習生を見ていて、自分が練習生だった時分を度々思い出す。もう十年以上前のことだ。あの頃の自分は、性格的なところはまったく変わっていないけれど、もっと年相応に無責任でひねくれていたように思う。

 いくら笑顔で接してきても腹の底では何を考えているか分からない、そんなに誰彼構わず愛敬を振り撒いて楽しい訳がない、と色んな人間に対して思っていた。分かりやすく人間不信だったと思う。でもヤギリでそういう人種は稀だ。


「他人には尊敬を、自身には謙虚さを。まさに『恭倹』な人が多いですね」

「ヤギリって人間性が大事にされてるみたいですからね」

「『応援したくなる人間への審美眼は業界一』とのことです。──ああそういえば、聞きましたよ、野々宮さんから」


 はい? と首を傾げる森富に、難波が含み笑いの表情を浮かべる。


「メンバー全員から『いじめられたら俺に言え』って言われたらしいじゃないですか。流石ですね、最強末っ子は」

「いやいやいやいや⁉ 最強末っ子ってなんですか⁉」

「またまたご謙遜を」

「謙遜も何も、言葉の意味がよく分かんないです……」


 そう言われたのは確かだが、森富にとっては優しい先輩がいっぱいで良かった、としか思えなかった事象だ。自分が最強と言われてもピンとこない。困ったと言わんばかりに口をすぼめていると、難波が「そういう顔になっちゃいますよ」と軽くたしなめた。


「全員に言われるということがすごいんですよ。一部の面倒見の良いメンバーではなくて、全員。南方くんにも言わせた、ということでしょう?」

「言わせた、って……ん? なんで侑太郎くんを名指しで……?」

「彼、少し難しい人種じゃないですか」


 難しい人種、という難波の一言にああ、と森富は納得した。納得、できてしまった。

 納得してすぐさま難波から質問が飛ぶ、なにか最近ありましたか? と。直接森富が関与していることばかりではないが、あったと言えばあった。


「侑太郎くんって、その、スキンシップがあんまり得意じゃないみたいで」

「はい、そうらしいですね」

「だからか、あの、みんながわいわいしててもあんまり入って来ない、というか。ちょっと離れたとこにいて、なんか、良いのかなあと思います……」

「森富くんは、」


 一拍置いて、言葉を探す。見つかった言葉をそのまま差し出した。


「南方くんのことは嫌いですか?」

「き、らいじゃないです! 全然! ……ただ、遠慮されてるとちょっと、こっちもどうしたら良いのかなって思って、動けなくなっちゃうんで……」

「そうでしたか」


 優しい子だなあと難波はしみじみした。まだ十五歳だ、それなのにどういうことだろう、この視野の広さと思慮深さは。やはり些か大人び過ぎている。親元から引き離した身なので何も言えないが、この子は誰かに甘えられているのか心配になってしまう程だ。

 ……いや、森富自身は甘えられているのだろう。そうでなければ、他人のことまで目は届かない。他人が甘えられない姿や助けてもらえていない姿を見て、そういうものだとして無視していない時点で色々と察する。逆説的に南方のことも見えてきた。


「南方くんはきっと年下の子には積極的に甘えられないタイプだと思いますので」

「……俺とか、亜樹くんとか透くんとか、あと永介くんもそうですよね、年下」


 森富は南方の二つ年下、土屋・高梁・桐生は一つ年下だ。幼なじみの御堂は同い年、月島は一つ年上、佐々木兄弟は二つ年上なので甘えるとしたらこのラインだが──。


「むずかしそう……」

「奇遇ですね、私もそう思います」

「甘えれば良いのに」


 難しいことが難しいですね、と森富はトートロジーじみたことを呟く。


「私が言ったところで事態は悪化しそうなので現状黙っていますが」

「……もうちょっと、俺らで頑張ってみます。それで大丈夫ですか?」

「なんか、」


 すみません、と難波は眉を八の字に寄せた。末っ子に何かしらがあったら、と思い探りを入れてみたのだがその結果末っ子を当事者にしてしまった。あまり良い流れではないがここで「やっぱりいいです」とは言えない、それは森富を傷つけかねない。


「謝らないでください! もちろん、俺だけじゃどうもできないんで、そのお兄さん方に相談して何とかやってみます。難波さんも忙しいでしょうし、野々宮さんも俺らのために駆けずり回っている、とか……、……それ本当なんですか?」

「気にしなくて良い、とは言いませんがあんまり心配するようなことでもないです。お仕事なので」

「本当なんだ……、最近会えてなくて寂しいねーって透くんと話してたんですよ……」

「それはそれは……」


 マネージャーこと野々宮睦月ののみやむつきが聞いたら泣いて喜びそうだ。今日は帰社予定なので帰ってきたら教えてあげよう。


「次会えたら直接言ってあげてください。きっと喜びます」

「はい! ──あ、じゃあ俺ちょっと時間が……」

「ああ、そうでしたね。頑張ってください」

「はいっ、難波さんもご飯食べてくださいね」

「ちゃんと食べますよ」


 ここ数日十秒チャージが主食となっていることは秘密である。久し振りに社食にでも行くか……。元気にダンスレッスンへと向かう森富の背中を見送り、難波は逆方向へ歩き出した。歩きながら腕時計を覗く。そろそろ、野々宮の『大一番』の時間だった。


※   ※   ※   ※   ※


「すみません、わたくしヤギリプロモーションの野々宮という者ですが──」


 都心近くにあるビル、数年前に出来上がったばかりでガラス張りのエントランスは陽光が差し心地よい。こんなところで働いていたら眠ってしまいそうだ、とか考えつつ野々宮は受付でぼんやりと待つ。受付カウンター内でどこかしらに電話している女性は、しばらくして電話を切り腰を上げた。


「野々宮様、大変お待たせ致しました。恐れ入りますがあちらエレベーターで十二階まであがっていただき、右手側にございます応接室にお入りください。日浦は前のスケジュールが少々長引いているとのことで……」

「あっ承知しました。ありがとうございます」


 深々とした一礼を背に受け、野々宮はタイミング良く到着したエレベーターに乗り込んだ。十二階、右手側、応接室。反芻をしながら七階で一瞬降りかけて、ようやく十二階に辿り着く。

 絨毯が敷かれた床は革靴だと微妙に歩きづらい。さながら高級ホテルのような建物だ。至るところに花瓶が置かれ、生花が活けてある。これだけでも日々の経費はばかにならないだろう。しかもセンスが良い気がする、花のことは何も分からないが少なくともスーパーで売っているものとはモノが違う。

 辿り着いた応接室も豪奢な造り、かと思えば至ってシンプルで調度品も質は良いがそこまで凝った装飾は施されていない。しっかりとした座り心地のソファに腰掛け数分、扉が開きひとりの人物が入ってきた。


「ごめんなさい~、本当にごめんなさい~、スケジュール管理がばがばでした~」


 本当に申し訳なさそうに入ってきたのは中年の男性だ。年の頃はヤギリの芹澤常務と変わらないだろうが、常務より細身で鋭い雰囲気を持っている。黒のタートルネックに黒のジャケット、黒のスキニーパンツに黒のエンジニアブーツ。かけている眼鏡も黒縁だ。その代わりというか、髪は赤茶色に染まっている。

 立ち上がって挨拶をしようとした野々宮を手で制し、滑り込むように自身も椅子に腰掛けた。その間もギャグのように「ごめんね、ごめんなさい~」と口遊んでいる。もうそろそろ謝罪は充分だ。


「いえ、お時間を作っていただいたのはこちらなので……!」

「大丈夫だと思ったから時間を作ったんですよ~。っていうか、話し始めないとそれこそ時間の無駄ですね。とりま名刺渡しときます」

「ああ~っ、恐れ入ります~……」


 中腰で丁寧に差し出した名刺を、同じく中腰で丁重に受け取りながら野々宮は自身の名刺も差し出す。受け取った名刺には『フレア・ネーション 総合プロデューサー』の肩書が煌々と光っていた。目映い、名刺入れに入れたとて目映い。

 一度呼吸を落ち着かせ、野々宮は自己紹介を始めた。


「改めまして、ヤギリプロモーションから参りました、タレントマネジメント事業部タレント育成推進課の野々宮と申します。本日はお忙しい中お時間作っていただき、ありがとうございます」

「はい、内容はざっくりとですけど難波から聞いてますよ」


 笑うと可愛らしくなる典型のような笑顔だった。目の前の男性は、追随するように己の身分を明かした。


MCエムシーエンターテインメント、『フレア・ネーション』プロジェクト総合プロデューサーの日浦紀佳ひうらのりよしです。野々宮さん、今日はよろしくお願いしますね」


 かつての難波真利夏の恩師、もとい『Dream Era』のプロデューサーたるその人。

 業界でも随一と言える知名度を誇る人物を目の前に、野々宮は背筋を正した。


※   ※   ※   ※   ※


「南方くんは、どうでしょう、宿舎は楽しいですか?」

「楽しい、というか……」


 楽しいって必要なのか、と言わんばかりの困惑顔に難波は予想通りと心中頷く。

 面談最終日、最後の人物は南方侑太郎みなかたゆうたろうだ。今までの全員に訊いてきた質問をし、それに対しての回答(ほぼ模範解答だった)は得られた。これからの残った時間は南方の実態調査にあてる。


「楽しい、は大事だと思いますが。これから否が応でも一緒にいるメンバーですし、辛い・苦しいよりも楽しいが多い方が良いでしょう」

「……言ってることは分かります、けど」


 けど、と来たか。


「最優先事項は『デビューすること』『デビューするための実績を得る』『実績を得るためのスキルを身につける』じゃないんですか。楽しさとかは、あんまり関係ないと思います。才能があるなら、兎も角」

「うん?」


 うん、と言ってしまった。難波は口に手を当て、失礼、と軽く頭を下げる。

 今までの南方の論調は理解できる。デビューをすることが目的で集められたメンバーで仲良しこよしをすることに意味があるのか、という問いは遥か昔のアイドル界隈から見られる時を越えた難問だ。

 個人的に難波はこの問い、『仲良しこよしをすることに意味があるのか』という点に関しては『No』、つまり否定側の人間である。その理由は簡単で、仲良くなっても実績やスキルレベル等の問題でぎくしゃくすることが嫌だからだ。少ないパイの取り合いになることが確定している状態で、同レベルの人材同士で友達になろうとすることは意味がないと思っている。ただ、『仲間』なら話は別だが。

 それよりも引っ掛かるのは最後の「才能」がどうの、という発言である。少しでいいから掘り下げたい。


「南方くんは、才能がある方だと思いますよ」

「二元論で話せないんですか、それって。『有無』だけで」

「言えないでしょう。人間はグラデーションですから」


 発達障害等でよく見る言説だが、それ以外でも人間はそうだと思っている。難波の持論だ。天才も凡才もグラデーション、抜きん出た部分の色が明るければ光に照らされやすいだけのこと。だからこそ、才能は『有無』ではなく大なり小なりで示されるべきなのではないだろうか。

 難波の発言を耳にして黙っていた南方はしばらくして、こんなこと言うと怒られそうなんですが、と前置きをして口を開いた。


「難波さんは才能が『ある』からそう言えるんじゃないですか?」

「怒りました」

「沸点が低い……。思った以上に沸点が低い……」

「咄嗟に言い返す力は社会人になると必須なので。というか、あるのは才能ではなく運ですよ。そして俗に『運も実力のうち』なので、私には実力があるということです」

「見事な三段論法で……」

「まあ冗談は置いといて」


 運も実力のうち、というのは相手に気を遣わせないための方便な気がする。現役時代によく言われた言葉だ、実力がないと言われているようでムカついて滅茶苦茶頑張ったのでそれを言ってきた人間に対しては逆に感謝しているほどだ。嘘、不幸になれば良いのにと思っている。


「そもそも南方くんはひとつ思い違いをしています」

「はい?」

「デビューするためのスキルがない、訳ないでしょう。選抜された時点で屈指の実力者ですよ、ヤギリのアイドルラッパーの道はあなたにかかっていると言っても過言ではない」

「そ、そうなんですか?」

「ただ、


 言っている意味は分かりますか。伺いではなく圧力、生き馬の目を抜いて生きてきた女性は目の前の少年を射抜くように見つめた。射抜かれた側は閉口し、睨み返すこともままならない。

 楽しいかどうか、それにどれほどの意味が隠されているのか。南方は少し気になりだした、それがどういうものなのか、どのような意味を内包しているのか。



「あれ、」

「南方だ、どうしたん」


 面談が行われた会議室から出てエレベーターで上に。辿り着いたレッスン室のフロア、そこの自動販売機スペースに見知った顔──月島滉太つきしまこうたが佇んでいた。


「面談が終わったから、練習しようと」

「予約してはる? 今いっぱいやで」

「え、マジ?」


 平日だしいけるだろうと踏んでいたが、自分もそうだが大概の学校は春休みに入っている。とすれば、大半が学生であるヤギリの練習生はこぞってレッスン室の確保やトレーナー陣の予約に向かうのだ。月島の言う通り、スケジューラーを確認すると最終時間までレッスン室はいっぱいだった。これは仕方がない、自分の確認不足だ。

 帰って勉強でもするか、そう踵を返そうとした瞬間月島から「オレんとこ使う?」と声を掛けられる。顔を上げた南方に、なんちゅう顔やねん、と月島は明るく笑った。


「今三時やろ、七時まで取ってあるから。物足りんかもやけど」

「いや、全然……三時間くらいで帰ろうとしてたから、勉強もしなきゃだし」

「えっらいなあ~お前。オレなんて大学どうして入ったんやろ、って呆然としとるで毎日」


 月島は今月高校を卒業したばかりだ。しかしその進路について、南方が耳にしたのは今日が初めてだった。


「受験してたんだ……」

「AOやで。なんかの保険にならんかな、って受験したけど無駄でしたわ。こんなことになるんなら高卒で良かったわ、ほんまあほらしい」


 親にも申し訳ないわ、と喉で笑う月島に南方はきょとんとしていた。


「ん? どした?」

「別に、あほらしくはないでしょ。ちゃんと将来を見据えての行動だし、このプロジェクトだって絶対デビューできるとも限らないし……」

「せやけど、ここでデビューできんかったらオレは二度とデビューできんよ。絶対」


 ぐ、と喉が詰まる感覚がした。南方は無意識に自身の喉に手を当て、先程の難波と対峙した瞬間を思い出す。

圧がすごい、言葉の力と言うべきか、どうしてここまで重みが出るだろう。自分が発している言葉も責任を持って言っているつもりなのに、明らかに質が違う。責任感が主ではないのか、もっと濃い、それこそ血や肉といったものを言葉に変換しているような匂いがする。


「今は『read i Fine』に集中したい。全人生このために生きてたって、そういう気持ちで生きてんねん。だからオレ的には大学に行くってのがびみょいんよ……ああ、南方が受験頑張ってはることとは別問題やから。そこはめっちゃ応援する、オレにはできんし」


 たまには弱音吐いてくれてもええねんで、と月島はガッツポーズを作る。その姿に、弱音は吐かないけども、と思いつつ南方は頷いた。頷いて「あのさ」なんて、らしくもなく話を切り出す。


「このあと帰る? 帰ったらなんかする?」

「お前がレッスン室使うんなら帰るけど、なんもせえへんよ、予定ないし」

「じゃあ、さ」


 こんなことを言うのは初めてだな、土屋はどうやって連れ出したんだったか。


「作詞とか、興味ない?」


※   ※   ※   ※   ※


「またね鳥海、一緒に色々できて楽しかった。ご飯行こうね」

「おお、のでさんありがと。ご飯行こうな、頑張れよー、り、りーでぃ?」

「『read i Fine』。長いよね」

「最近のグループ名長めのいんしょー。なんか略称あるといいかも」

「また考えとくよ。お前のグループは名前が短いと良いな」


 じゃあね、と佐々木日出は鳥海と抱擁を交わす。水面ほどではないが日出も鳥海とは浅からぬ仲だ。同じ舞台にも立ったし、同じMVに出演したことも、また月次考課でグループとして出た関係でもある。普通に友達だ。

 日出の隣には月島もいる。どうやら見送り組はこのふたりだけのようだ。他の練習生とは違う日に別れの挨拶をした、トレーナー陣やマネジメント陣もそう。ただ最後の最後に来てくれたのがこの二人、というだけのことで。──それくらい、仲の良かった人物が減ってしまった、ということでもあるが。


「つっきーも元気でね、また遊ぼ」

「カイトくんも元気でな~。色々教えてもらったこと、役立てるわ」

「お、それで有名になったら『鳥海先輩に教えてもらいました』って言うんだぞ」

「また歌番組とかで共演したらそんなやり取りもできるやろうし、楽しみにしとります」


 月島とは握手で締めくくり、いよいよ社屋を出ようとしたその時。


「おおぅ、来ないかと思った」

「……普通に、お兄ちゃん前にして別れの挨拶するのが恥ずかしかっただけ」

「ああ~」


 目の前に現れた水面は、鳥海の背後にいる日出を見遣って顔を曇らせた。自分が水面と同じ立場だったらきっと恥ずかしかった、共感できる。

 日出はというと、月島に連れられてエレベーターの方へ向かって行った。ナイス月島である、そうして鳥海は水面とふたりきりになる。とは言えそんなに話すことはないのだけど、今日に至るまでに話さないといけないことは話し尽くしてしまった。あとは益体のない話だけだ、いつでもできるような、そんなくだらない話。

 あ、でも、そっか。

 もう、いつでも、ではなくなるのか。そりゃ連絡先は知ってるけど、顔を合わせて馬鹿話するのにも互いにスケジュールを調整しないといけなくなる。大人になるっていうのはこういうことなのかも、気兼ねない友達と気兼ねなく会えなくなること、それが大人になるということ?


「魁斗」

「うん?」


 水面は、ひし、と鳥海を抱き締めた。いきなりのことで鳥海は面食らう。第一に水面はこういうタイプだったっけ。こんな、直情的というか、もっとクールな印象だったけれど。


「ぼくは、」

は?」

「お前は、ヤギリ以外だったらどこでもデビューできると思ってる」


 突然の告白に鳥海は息を詰まらせる。上手く言葉が紡げない状態で、水面はするりと体を離した。彼の目が潤んでいる気がする、気のせいだと思う。


「先に行ってる、だから、追い着いてこい」

「……追い越す、絶対に」

「それはやだ。ぼくの背中見て走ってろ」

「お前が背中見て追いすがるんだろ、逆だよ」

「なんでそういう発想になんの?」

「お前こそ」


 互いにしかめ面をして、最後は笑い合った。鳥海が選別に貰ったのは、シルバーに薄い青の石がついている指輪だった。


「予約?」

「エンゲージじゃないし。トパーズだよ、なんか、転職に最適らしい」

「転職! 職は変わってないはずなんだけどなあ」

「あとたまに月光浴させるといいらしい、お前夜行性だからいいでしょ」

「お前だって夜行性じゃん」


 同室に迷惑かけんなよ、と笑って鳥海は手を振った。

 またね、という約束。叶うかは分からない、叶わないことの方が常だ。この世界はそんなに優しくない。でも、希望がない訳でもないのだ。


「──絶対にデビューしないといけなくなった」


 水面は目元を拭い、強く、呟いた。

 三月末日。この日を境にヤギリプロモーションを退所した練習生は三名。内二名は成績不振による退所、芸能活動は廃業にする方針だ。内一人は他事務所からの引き抜きによる退所、移籍をしたあとも練習生として活動する予定である。

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