④ interview – SideB(佐々木日出/土屋亜樹/桐生永介)

「おはよ~っす」


 そう言いながら扉を押し開ける。しかし部屋の中には誰もいない、入ってきた人物は部屋を軽く一瞥して中に進んだ。

 目鼻立ちの整ったやや瞼の重い顔立ちの男性だ。上背があるわりに頭の大きさがアンバランスに小さく、八頭身は確実にあるだろう。グリーンのキャップの下に隠れた栗色の髪には寝癖がついたまま、起きてすぐなのか、それにしては一切むくんでおらず反面目の下のクマが色濃く滲んでいる。

 どこかの限定モデルであるスニーカーを引きずるようにして歩き、彼が所定の位置としているソファの上へどっかり座り込んだ。


「朝起きただけで疲れる……」


 キャップを脱ぎつつ、背負っていたリュックサックを下ろしつつ、社畜社会人のようなこと彼は呟いた。まあある意味『社畜』ではあるのだが。

 出社してすぐに社内のコンビニで買った水を開けていると、今さっき閉まった扉が再度動く。元々の、この部屋の主が帰ってきたようだ。


「……、なんでいんの?」

「はじめちゃんおはよ~。あのさ、昨日言ってたイントロの編曲なんだけど」

「仕事の話始めんの早すぎ。つか俺の作業部屋なんだけど」


 部屋の主こと『はじめちゃん』と呼ばれた人物は天然パーマの黒髪を雑にひとつでまとめ、無精ひげを生やした眼鏡の男性だった。部屋に入っていった栗毛の彼とそこまで背は変わらないが、ガタイは眼鏡の男性の方が良い。というか、栗毛の男性の方が痩せすぎているのだ。


「お前の作業部屋なのは知ってるよ。はじめちゃんに用があってきた訳だし」

「そこじゃねえよ、不満なのは……。俺さ会社に泊まってんのよ、で仮眠から起きてシャワー浴びてコンビニで朝飯買ってきたんだよ、言いたいこと分かる?」

「え~あとででいいじゃん? おれ、あと四十分で会社出ないとだし……」

「お前の分の朝飯もあるんだよ」


 どうせ食ってねえと思ってさ、と『はじめちゃん』はにやりと笑う。レジ袋の中には明らかでコンビニで売られたおにぎりが六つほど入っていた。


「……三分で食べるから。はじめちゃんも大概おれの扱いに慣れてきたよね」

「まあ参加させてもらったのが十二年の夏だから──五年もいりゃ慣れるか、最初はまさかこんな図々しい奴だとは思わなかったけどな。あの、嵐山旬哉あらしやましゅんやが」


 嵐山旬哉──ヤギリプロモーション所属四人組、現在は一人脱退し三人組となった男性アイドルグループ『2dot.ツードット』のメンバーのひとり。そして、毎夏行われる舞台公演『夏嵐なつあらし』の総合演出・プロデュースを務めている。

 そんな嵐山は栗毛についた寝癖を手櫛で直しつつ、もそもそとしゃけおにぎりを頬張っていた。


「はじめちゃん、あと二分十五秒」

「タイトすぎだろ」

「来月頭の演出会議で曲全部完成させときたくてさ」


 付き合ってくれるよね? とあくまで伺いの体だが、拒否をされるなんて考えは頭からないような──そんな高圧的な物言いだった。

『はじめちゃん』は大きく溜息をつく。


「付き合うのは良いけど、ちゃんと寝られるようにしとけよ」


※   ※   ※   ※   ※


 一日目より日は空いたが、面談二日目が開始された。

 今回のトップバッターは佐々木日出ささきひのでだ。御堂斎みどういつきのように「行きたくない」と駄々を捏ねるようなことはなく定刻までに会社へ向かい、そしてプロデューサーの難波真利夏なんばまりかからの質問に的確に答えていた。


「日出くんのロールモデルは『STeLLataステラータ』の尾藤びとうさんということは、ヤギリでは周知の事実なんですね」

「お恥ずかしい限りで……、や、恥ずかしくはないですね」

「ええ、ちっとも恥ずかしくないです」


 日出の憧れの人、という質問を練習生に投げかけたら恐らく2015年以前に所属した人間であれば誰でも答えられるだろう。つまり、『read i Fineリーディファイン』のメンバーなら誰でも答えられるということだ。実際、難波も日出のロールモデルについては質問する以前より理解していた。

 ヤギリプロモーション所属、四人組女性アイドルグループ『STeLLata』。その名を知らない人間は芸能界ではモグリ、そもそも現状ヤギリ所属のアイドルの中で最も『国民的アイドル』に近い存在だ。

 当時のヤギリ練習生のアベンジャーズグループを前身とし、歌もダンスもビジュアルもどれも特上というエリート四人組。デビュー曲は想定より売り上げが伸びず今後の苦戦を予想されたが、コンセプトを変更した三作目の1stEPで大きく売り上げを伸ばしそれ以降は同程度の水準で売れ続けている。ここ三年でアジアツアーが決まったり、ゴールデンタイムの冠番組が始まったり、主演のミュージカル舞台が決まったり、映画の新人女優賞を獲ったりとあらゆる方面で活動の幅を広げていった。

 そんな彼女たちに憧れてヤギリの門戸を叩く練習生は少なくない、むしろ昨年のオーディション参加者の女性の約八割はSTeLLataに憧れて参加した、というデータが確認されている。

 そしてあえて言うことではないかも知れないが、男性でも彼女たちに憧れているという人間は決して少なくないのだ。この、佐々木日出のように。


「コンセプトがやっぱり素敵なんですよ。よく合っているというか、1stEPでああいう風に舵を切れたのはメンバー全員の強い意志があってこそだと思いますし」

「デビュー時のコンセプトとは大分違いますからね。デビュー時は『恋心を夜空にばらまく乙女』みたいな感じでしたし」

「……今思うと謎コンセプトですよね」

「ちょっと古めかしさも感じます」


 尚、今のコンセプトは『騎士でも姫でもなりたければなっちゃえばいいじゃん系女子』である。多様性を謳われ、ガールクラッシュが持て囃された時代の少し先を行くコンセプトだ。当時にしてはかなり新しかったのではないかと難波は思った。


「ですと、より頑張らないとですね」

「はい、……え、と、何にですか……?」

「ここで言うつもりはなかったんですけど」


 少なくとも四月に入ってから情報解禁しようと思っていたのだが、ここまで熱心なSTeLLataファンがいるなら先に教えておくのも悪くはないと思ったのだ。

 難波は自身のクリアファイルから一枚の紙を取り出す。そして細かく印刷されたゴシック体から、オレンジのマーカーで塗られた部分を指差した。


「『夏嵐』において、『read i Fine』のみが出演する演目を設けていただきました。そこでやる曲というのが──」

「……STeLLata先輩の、『Tricolorトリコロール』……⁉」


 普段はポーカーフェイスな双子の兄が、分かりやすく動揺していた。

 そう、この『Tricolor』こそ先程話に上がった1stEP『Colofulityカラフリティ』のタイトル曲なのだ。


※   ※   ※   ※   ※


「え、Tricolorやるんすか⁉」


 日出に続いて面談に訪れた土屋亜樹つちやあきは、一通り質問に答えたあとにその事実を告げられて分かりやすく驚いていた。数々のヒットを出しているSTeLLataとは言え、その中でも『Tricolor』という曲は別格なのだ。知名度もそうだが、その難易度も。


「今の状態でできるとは流石の私も思っていませんよ」

「ですよねー……」


 第一に、STeLLataというグループがヤギリのアベンジャーズグループであるということに留意してもらいたい。彼女たちは練習生時代から常に月次考課トップクラス、センターである尾藤に至っては十二ヶ月連続で一位を獲得した前代未聞の記録を持つほどだ。

 メンバー全員練習生を二年以上経験しているが、それでも「長すぎる」とファンや業界人には言われ続けてきた。そんな人たちが「結構難しかった」と漏らす『Tricolor』という曲を、三年目にようやく箸か棒かに引っ掛かった自分が満足にできるかと問われれば答えは「NO」である。


「『夏嵐』の稽古期間については例年のものしか知らないんでアレですけど、Tricolorはそれよりも前からやらないとかなり難しいと思います……」


 確か二ヶ月半でしたよね、と土屋は難波に問う。『夏嵐』の稽古期間は例年二ヶ月半、大体八月中旬が初日なので六月頭から稽古が始まるのだ。


「稽古期間は変わっていません。そしてTricolorの認識もそれで概ね間違っていません、プラスひと月は欲しいくらいですね」

「だったらいっそ、月次考課でやるのも手じゃないですか?」


 デビュープロジェクトへの参加のため月次考課はなくなるという話であったが、評価してもらえる場がなくなるのは厳しい。今自分たちに必要なのは第三者の目だ。ただでさえ場数がないというのに、そんな状態で大舞台に上がりしかも高難易度のパフォーマンスを披露するのは無茶極まりない。

 土屋は難波の様子を伺う。相変わらず何を考えているか分からない眼差しだ。しかし、決して無味乾燥としている訳ではない。感情が読み取り辛いだけで、感情がない訳ではないのだ。

 同じグループの佐々木日出も似たタイプだなあ、あっちの方が大分意味わかんないけど、土屋が内心笑っていると唐突に難波が「分かりました」と口を開く。いきなりでびっくりした。


「やってみましょうか、月次考課で」

「……良いんですか?」

「やってはいけない、ということでは決してありませんから。それに場数の足りていない今、できる限り多くの人間の目に慣れるということは最優先事項だと判断しました」


 なんだかんだ人の目に緊張しますからね、と百戦錬磨の元アイドルは昔を懐かしむように目を細めた。



「って感じでお前もそういう風に話されると思うから」

「今聞かされて良かったのか、悪かったのか……」

「良かったよ、だって突然言われたら頭真っ白になるじゃん?」

「まあ俺なら頭真っ白、次の言葉何も入ってきません~ってなるけどさ……」


 土屋の面談後は桐生永介きりゅうえいすけの面談予定が入っていたのだが昼休憩を挟むということで、土屋と桐生のふたりは食堂に来ていた。昼時とは言え人はまばらで、昼休憩を告げた難波ですらこの場にはいない。他にも休憩スペースはあるし、マネジメントスタッフだと自分の机で食事をとる人の方が多いそうだ。

 土屋は日替わりの具沢山ミネストローネのランチセットを、桐生は真っ赤な丼ものを食べていた。え、なにそれ。


「裏メニューの激辛麻婆豆腐丼だけど」

「裏メニューなんてあんの⁉ 三年くらい通ってるけど初めて聞いたわ……」

「食堂のスタッフさんに『激辛ないですか?』って訊いたら教えてくれたんだ。裏メニュー作ったはいいけど、激辛欲しいって言う人が滅多にいなくて闇に葬られかけてたらしく」


 でもちゃんと美味しいからすごい、と桐生は目を爛々と輝かせて麻婆豆腐丼の美味しさを語り出した。土屋は一口で『辛さ』ではなく『痛み』を覚えるレベルの激辛だったのだが、桐生はその奥の『うまみ』まで感じ取っている。加えて汗ひとつかいていない。とんでもない耐性だ。


「俺もそこそこ強いつもりだったけど、永介に比べれば全然だったな……」

「亜樹も強いと思うけど。北極とか食べに行くじゃん」

「……確かに辛いもの食べたい~ってならない人間は行かないか、北極」


 それよりもだ、と桐生は一旦レンゲを置いてペーパーで口を拭いた。


「できるかなあ……Tricolor……」

「できるかな、じゃなくて、やれと言われてるからやるんだよ」

「ぐ、ごもっとも……」

「とりま見る? ダンスプラクティス」


 土屋も一旦カトラリーを置いて、自身のスマートフォンを操作して動画投稿サイト『Now Tubeナウチューブ』のアプリを立ち上げた。慣れた様子で目的の動画に辿り着く。

 ダンスプラクティスとは文字通り『ダンスの練習動画』のことだ。パフォーマンスプラクティスと呼ばれることもある。MVとは違い、撮影場所はリハ室で各々レッスン着に身を包み、普段の練習風景さながらでダンスの全容を見せてくれる動画コンテンツなのだ。


「ちょっと音上げて」

「おっけ、こんなもんでいい?」

「うん、ありがと」


 感謝の言葉を述べるが、既に桐生の視線は液晶に集中している。

 画面の中には四人の女性、適当なジャージを着ており、またキャップやニット帽をかぶった人もいる。そんな彼女たちは音楽が始まると同時に、別人へと変貌した。


「……ゴリゴリだあ」

「ジャズっぽい綺麗目な曲調だしコレオもジャズ土台にしてるけど、ところどころクランプも入ってるよな。ダンスブレイクなんて特に──ほらここ!」


 楽曲も中盤に入り、曲調が一変する。小気味の良いストリングスから金属的な、歪めたようなギターサウンドに移ろい、ダンスも激しさを増した。

 しなやかに広げた腕を、叩きつけるように降ろす。

 ステップというより、床を踏みつける、と言った方が相応しい荒々しさ。

 しかし曲線的な美しさは崩さず、胸のヒット、肩のアイソレーションは女性らしく蠱惑的だ。どういったバランスで構成を組み立てているのか、理解することが難しい。


「……これさ、」


 動画が終わり、放心状態という風な桐生が土屋に投げかける。


「俺らがやっても女性らしさは出なくない?」

「初見でそこに気付けるだけすげえよ、永介」


 素晴らしい、と土屋が拍手するのを気まずそうに桐生は見つめていた。


「だって骨格からして違うじゃん」

「女性アイドル曲踊る時の難しさってそこだよな。んで、そこが凝縮してんのがこの曲」


 とても厄介、土屋は忌々しそうに残ったミネストローネを一気に飲み干した。



「でも、桐生くんなら歌えるでしょう?」


 伺いの体だが断言だ。難波の物言いに、桐生は苦笑を浮かべる余裕もなく顔を引き攣らせる。そんなことないです、と言ったら怒られそうな、いや、そんなこと言うつもりはないのだけど。事実、歌えるし。


「踊りながら歌うのは難しいとは思いますが」

「……踊らなければ誰より上手く歌えますよ」

「誰よりも?」

「STeLLata先輩よりも、──っていうのはかなり烏滸がましいですけど、まあ」


 事務所にいる男性の中では、と桐生は囁く。難波は相も変わらず測り知れない表情で桐生を見つめていた。

 だってしょうがない、自分の存在価値は『そこ』にしかないのだ現状。できないことに目を向けるよりも、自分が自信を持ってやれることをアピールした方が良いに決まっている。特に目の前にいるのは、恐らくこの事務所の中で自分の強みも弱みも最も理解している人物だ。ならば、できないことにつられて控え目になる意味なんてない──。


「──いきなり与えられた課題の難易度に覚悟が決まりましたか?」

「毎回こんな感じなんです……⁉」

「いえ今回みたいなことはあまりないはずです」


 プロデューサーの言にほっとしたのも束の間「今後はもっと難題をぶつけられると思いますので」という言葉が耳に入り、桐生は青褪めた。俺の安堵を返せ。


「できたばかりのグループという点に考慮してもらって、大分早めに楽曲を教えてもらえたんですよ。次回以降はこんな風にいかないでしょう、というか次回以降はむしろあなたたちが決めるようになるんじゃないですか?」

「な、なにがですか、っていうか次回以降……とは……」

「私は、」


 桐生の質問に答える気のない、話の切り替え方。難波は真っ直ぐと自身の前に座る少年に視線を向けた。


「パフォーマンスはお客様に見てもらわないと意味がないと思っています」

「はい?」

「だってそうでしょう? どれだけトレーナーや鏡の前で練習したとしても、真価はお客様の前一発勝負でしか測れない。それがアイドルという職業の最もヘヴィな部分だと思います」


 勿論、ファンのみんなに会いたいと思う気持ちは嘘ではない。

 ライブだったりオフイベントだったり、『今日』という日を楽しみに辛い現実世界を生きてくれて、美容院に行って人によってはネイルサロンに行って、新しい洋服や一張羅を着て会いに来てくれる──自分のためにこんな労力もお金もかけてくれている、そのことに感謝しない訳がない。

 ありがとう、あなたたちのおかげで私がいます。チープな言葉だと思う、ありがちだ、ありがちだけど、ありがちだからといって本当にそう思っていない証左にはならない。

 だがそれと相反する気持ちも存在するのだ。


「もしかすると、桐生くんもいつか『歌いたくない』と思う日が来るのかも知れません」

「来ます、か?」

「分かりませんが。私にはありました、そういう日が」


 一回座り込んだら二度と立てなくなるような体調の日が、人生で一回はあると思う。

 それと似た感じだ。一回姿をくらましたら、二度と人前に立てなくなると思った。そんなライブの当日の朝が、かつて難波真利夏にもあったのだ。


「難波さんは、その時、あの、……どうやって乗り切ったんですか、ステージにどうやって立てたんですか」

「案外とシンプルです。ステージに立つのは私だけではないということを理解して、色んな人が自分たちを守ってくれていると認識して、ファンのみんなは本当に私たちのことが大好きなんだと思い知っただけです」


 そんなことがあっても結果は『引退』なのだからファンには申し訳なく思っている。

 しかし難波はあのメンバーじゃなければステージに立ちたくなかった。それだけが引退の理由ではないけれど、それもかなり大きな理由だ。


「メンバーに助けてもらってください、そのためのグループです」


 難波は笑う。かつての戦友を、今の親友たちを思い浮かべて。


※   ※   ※   ※   ※


「助けて、滉太」

「いきなりどしたん。最年長らしからぬ顔して」

「実家では次男だし四番目だよ。甘やかしてよ」

「なんでやねん、こちとら一人っ子やぞ」


 甘やかされ度に関してはオレのが絶対上や、と月島滉太つきしまこうたは居丈高に叫ぶが何を競っているのか意味が分からない。

 面談のあと、ダンストレーナーやボーカルトレーナーなどに捕まりまくり、その挙句自主練を行ってへとへとになった日出は帰るや否やリビングにいた月島に飛び掛かるようにしてもたれかかった。そして散々と泣き言を連ねる。日出が泣き言を述べる図はレアだ。


「つまり、Tricolorやることになってそのプレッシャーに押し潰されそうだと」

「他人事みたいに言ってるけど、お前もやるんだからな」

「分かっとるけど……、日出がパニクってはるおかげでめちゃ冷静やねんな」

「なんだそれ。一緒に喚けよ」

「マジで意味分からんすぎやろ⁉ パニックホラーの導入でも撮影する気なん⁉」


 だってさあ~、ともごもご言いつつ日出はじわり月島の方に体重をかける。こういうところ、水面みなもと兄弟だなあと思う。抵抗するのも面倒な月島はそのままソファに寝転んだ。仰向けになって自身の胸に目をやれば、乗っかった日出の綺麗な顔が見える。綺麗な下目遣い。


「美人さんやね、……そんな顔せんといて。折角綺麗な顔してはるのに」

「年下の男に『美人』って言われたらこんな顔にもなるだろ……」

「あくまで生年同じやけど?」

「うるせえわ。……お前とくだらない話してたらやっとお腹空いてきた、なんかある?」

「いっちゃんが作っといてくれた肉じゃがあるで。あと味噌汁も、んで鮭焼けとか言うてた……、え、食ってへんの? もしや」

「流石に自主練前に十秒チャージしたけど」

「あれは飯やない」


 見事な否定だった。

 不貞腐れた日出を横目で見つつ、月島はキッチンへ向かう。食欲が出てきたことは喜ばしいが、十秒チャージもといウィダーインゼリーだけでスケジュールをこなすには一日が長い。到底持たないだろう、情緒が不安定なのもそのせいかも知れない。

 コンロのグリルに鮭の切り身を置いて、御堂の指示通りの設定で焼く。そして味噌汁を温めていると腰に手を回される。ぴったりとくっついてきたのは案の定、日出であった。


「火使っとるから危ないやろ」

「だいじょうぶ、多分お前が守ってくれる」

「……流石に対火やったら逃げ出すと思うわ」

「だよな。っていうかなんでやってくれてんの、晩御飯の準備」

「疲れとるからなあ」

「……ふーん」


 ふーんってなんやねん、と月島がおたまを持っていない方の手で日出の頭をわしゃわしゃと撫でた。いつもなら「やめろ」と手を叩き落とすのだが、今日ばっかりは享受している。

 そういえば肉じゃがも温めないと、ということに気付いたとほぼ同時に、南方侑太郎みなかたゆうたろうがキッチンにやってきた。やってきて早々、顔を凍り付かせる。未だに日出は月島をバックハグしたままだった。


「あー……、お邪魔しました……?」

「してへんよ? 何の邪魔したと思ったん?」

「なんか、イチャイチャタイム?」

「侑太郎もイチャイチャしよ」


 切れ味の悪い言葉遣いの南方に、潔く日出が提案する。手繋いで、と甘えたモード全開の最年長は二歳年下の男に手を差し出した。……それが握られることはなかったが。


「や、お茶飲みにきただけだから……もうちょっと勉強しないとだし」

「あ、そう」

「みなもんどう? うるさくない? うるさかったらオレ、しばらく部屋帰らんし使ってもええけど」

「ありがと、大丈夫、水面くんずっと鉛筆削ってるから。逆に集中できるっていうか」

「一定の雑音は集中できるよな」

「本当に。じゃあね、おやすみ、でいいのか」


 ええんやない? と月島は南方に手を振り、日出も南方に「おやすみ」と言って手を振った。南方は振り返さない。自室に戻る、その足音が遠ざかるのを耳にしつつ日出は月島に話しかける。


「明日って南方、面談だよな?」

「せやね。日が詰まっとるから、明日やな」

「……俺、正直あいつがいちばん心配なんだよな」


 日出の吐露。それに月島は表情を変えないまま、コンロの火を消した。


「オレもおんなじ気持ち。あいつ、心配よな」


 繋がれなかった手、振り返されなかった手、それらが意味を持つというのは考えすぎか。

 ちょっとの違和でも敏感に察知しないといけない。まだ集まって一か月のメンバーだが、一か月だからこそ考慮しなければいけない点は沢山ある。

九人分で作ってある味噌汁の残りが少し多い気がするのは、考えすぎだと思いたいが。

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