③Training - 1703β
「なんで腕掴むんですか?」
「掴むっていうか、組む?」
「変わんないですよ」
不服そうな表情を浮かべる
彼が言わんとしている、否、既に言っているのだが、そのことについては理解ができる。同じ宿舎で生活を初めて二週間弱、どうやら南方は他のメンバーに比べて身体接触が苦手なようだ。自分からスキンシップすることは稀だし、他人に(一部例外はいるが)触らせようともしない。だからこそ佐々木兄弟──今は日出が、仕掛ける訳なのだが。
「お前が嫌なのは分かるよ。スキンシップ、得意じゃないんだろ」
「それが分かってるんなら、すぐやめてくれたって良いんじゃないですか?」
「それは嫌だ」
「は⁉」
「さあ行くぞ、今日は研修二回目だ、遅刻したら怒られる」
「いやいやいや、あんたもなかなか話聞かないな⁉」
「弟よりはマシだよ」
日出がそう断言すると一瞬納得したように息を呑む南方。しかしすぐに「あれと比べちゃ駄目でしょ」と反駁する。ひとの弟を『あれ』呼ばわりするな、言いたくなる気持ちはよく分かるけど。
※ ※ ※ ※ ※
日出と南方が事前に通達のあった会議室に入ると、既に他のメンバーは集まっていた。南方は日出の腕を振り払い、空いていた
「どうしたん」
御堂がスマートフォンをいじりながら、不穏な雰囲気を醸し出している幼なじみに問い掛ける。深刻さの欠片もない軽い口調だ、南方は溜息をつきながら話し始めた。
「日出くんってどういう人?」
「逆質問かよ。どういう人もああいう人だよ、僕の中では《ああいう人》」
「具体的なキーワードが欲しい。ちゃんとあとで俺に何があったのかも話すから」
「それで取引しようとしてくるところがお前らしいなあ」
御堂はスマートフォンを伏せ、片頬を上げて笑う。全然気付かなかったが今日は眼鏡だ、いつもより数割増しでギークな雰囲気がある。
「本人の前で話すことじゃないけど、面倒見が良くてストイックでお茶目な理不尽さがある人だよ。みなもんと性格的にはあんまり変わんないんじゃない?」
「
「ネコ科! 言い得て妙、確かにねこちゃんだよなあ」
で何があったん? と御堂は再度伺う。ここまで話させて自分の話題を提供しない訳にもいかない、南方はくだらないと思いつつも自分の話は始める。スキンシップが異様に多い、というどうでもいい話を。だが御堂の反応は、南方が思っていたようなものとは違っていた。
「あー、そういうことね」
「……なんで納得してんの?」
「するよ。つかそれ以外でぎすぎすしてたらどうしようかな、って逆に考えてたよ」
「……俺は納得いかない」
「でしょうよ。ま、頑張れ? 頑張れは違うか」
「頑張れじゃないの? いっちゃんはどっちの味方なんだよ」
「味方も何もないよ。お前は被害こうむってると思ってるかもだけど、頑張らなきゃいけないのはのでさんの方だし」
「意味分からん────」
南方が更に言葉を紡ごうとしたところでプロデューサー、
「『
先日行った、初回の研修で用いたプリントを全員取り出す。そこの三ページ目に月次考課について記されているのだ。
『月次考課』とは。ヤギリプロモーション所属の練習生に毎月課された評価制度である。歌・ダンス・ラップなどのパフォーマンスを毎月自分たちで演出をし、レッスン講師陣に披露をして評価を得る。評価が良ければデビューに近付くし、加えて給料も良くなるのだ。
「先月までは個人で、または練習生内で声を掛け合ってグループを作り考課を受けたと思いますが、デビュープロジェクト期間内は免除になります」
おお、と会議室内がどよめいた。日々の仕事にも追われつつ月次考課の準備をするだけで相当精神的にも、肉体的にも擦り減っていたのだ。デビュープロジェクト中も月次考課があると考えるだけでその気の重さたるや、ノイローゼ寸前のメンバーも数人いたくらいだ。
ほっと胸を撫で下ろす面々の中で、
「あの、それじゃあ『YP』とかはどうなるんですか?」
「今から説明します。次のページの下の方を見てもらえますか」
プリントをめくり、下の方を一斉に覗き込む。
『YP』というのはヤギリの練習生が貰える給料の一部である。通常練習生は固定給制ではなく、その月の仕事量に応じて給料が出る出来高制をとっている。たとえば練習生になったばかりの
勿論いくら仕事量が多くてもデビューするための努力を怠ってはいけない、ということで月次考課に対しても少なからずインセンティブがつく。それが『ヤギリポイント』、通称『YP』なのである。
このポイントは社内のコンビニ、社員食堂、社で運営している日用品配送サービスで使うことができる。宿舎暮らしの練習生にとっては給料以上に不可欠な命綱なのだ。
「この『YP』ですが、この下記部分に『デビュープロジェクト参加時の対応』が読ませる気のない文字のサイズで書かれています。ここを読んでいただくと分かるように、デビュープロジェクト参加時は一律五万ポイントの支給となるようです」
「月で?」
「月で。これはマックスの数字のはずですが」
「マックスですねえ……」
月島が感嘆したような声を漏らした。五万YPなどここにいるメンバーは誰も拝んだことがない。というかあくまで理論値であって、通常そんなYPを得られる練習生などいないのだ。あ、いや、と御堂は考えつつふとある人物を脳裏に浮かべた。
あいつも流石に五万はなかったかな、と。彼がそこまで評価する人物はもうデビューしていた。歌もダンスも華やかで、何よりアイドルへの理想が鬼のように強かった男だ。考えている内に気付けば違う話になっていたので慌てて思考を切り替える。今度電話して訊いてみようと心に決めてから。
「ですがデビュープロジェクトが決まってから本撮影までしばらくありますので、その間何もしないというのは問題になります。という訳で予定していましたMT撮影に加えて、来月もひとつ動画コンテンツの撮影を企画しています」
「MT撮影はコンテンツなんですか?」
高梁の言葉に難波は首を傾げ「言ってませんでしたっけ?」といつぞやの再放送みたいなことを言い出した。その場にいる難波以外が、聞いてないです、知りませんでした、初耳です、と口々に言い出す。初日の再放送になってしまった。
「失礼致しました……。このMTは動画配信プラットフォーム『
「それと、もうひとつ何らかの撮影をするってことですね~」
水面の言葉に、その通りです、と難波が頷く。
「どっちにしても公開は初回放送八月十五日以降になりますが、五月から『
MTの日程に関しては後日、忘れないように、伝えてくれるそうだ。大丈夫かなあ、とメンバーが訝しんでいると、そういえば、と桐生が口を開いた。
「最近、野々宮さんを見てないんですけど……何かありましたか?」
「野々宮さんですね。彼は今、みなさんのために駆けずり回っています」
「え」
「……私、人聞きの悪いこと言いましたね? もしかして」
「もしかしなくてもですよ……」
森富が苦笑以上の苦々しい笑みで難波を見遣る。他のメンバーもそれに準ずる表情で、唯一日本語があまり分かっていなかった高梁のみきょとんとしていた。
「野々宮さんに関しましては、何をしているか決まり次第ご連絡させていただきます。大丈夫です、みなさんにとっては良いことにしかなりませんし」
「逆に不安になってきた……」
日出の発言が尤も過ぎる。『良いことにしかならない』なんて悪徳詐欺師のようなことを言われたら誰だって不安になる。どんよりとした空気になりかけたところで、難波は眉間に皺を寄せて唸り出した。言うべきか、言わざるべきか、というところの話なのだろう。
唸り終わった難波は全員の方を向き「やっぱり言いません」と断ってくる。
「確定情報ではないので、言えないんです。決まったらすぐにお教えします、絶対忘れずに」
「……せやったら、しゃあないわな」
な、な、月島が周囲に首を動かして同意を迫ってくる。実際どうしようもない、仕方のないことだ。もし仮に良いことだったとしても、本決まりでない内に言われてぬか喜びする可能性も少なくはない。それを回避しようとしただけで、充分誠実と言えるのではないか。
「まあ前日に『実はこんな仕事でした~』って言われて、八時間で全曲振り入れとかじゃなければ良いですよね、うん」
「斎くんってどんな仕事してきたんですか……今まで……」
「わりと修羅場を潜ってきたタイプの練習生なんですよ?」
げんなりした様子の桐生に、御堂は自分の顎に両手のグーを当てぶりっ子ポーズで応答した。ぶっちゃけると八時間で振り入れなんてまだ甘い、最悪だったのは当日場当たりなし振り入れのみのほぼぶっつけ本番で舞台に上がった時だった。誰かのアンダーだったんだよなあ、とその誰かは思い出せないままである。
「出たよ、いっちゃんの美少女仕草」
「斎くんかわいいですね、ちゅーしたいです」
「ちゅーはちょっと困る」
「えー」
本当に不満たっぷりと言ったように頬を膨らませる高梁に、お前も可愛いよ、と桐生の合いの手が入った。それに対して右手を差し出し、握手を求める高梁。生憎遠すぎて手は届かなかった。
というか何だろう、この雰囲気。南方は眉をひそめる。ほぼ二週間前に知り合ったばかりというのに、関係性が出来上がり過ぎていないだろうか。そんなもう何年来の付き合いみたいな顔して、──不安になり御堂の方へ顔を向けた。視線に気付いた彼は首を傾げつつも南方と目を合わせる。その目を見て、少し落ち着いた。
※ ※ ※ ※ ※
話はひと月前に遡る。
「実入りは良くなくても結構ですので、分かりやすいお仕事を紹介してもらえませんでしょうか」
「……難波さん、あなたなかなか肝が据わってるね……?」
「ありがとうございます」
そう言って深々と難波は頭を下げた。それとほぼと同時に
ヤギリプロモーションのタレントマネジメント事業部には三つの課がある。第一課、第二課、そして新設されたタレント育成推進課だ。難波と野々宮は三番目のタレント育成推進課──通称『タ成進』に所属している。
そしてこの三つの課をまとめ上げる統括部長こそ、難波をヤギリに引き抜いた
そんな訳で難波は芹澤にお願いをしていたのだ。何をお願いしていたのかと言うと、
「『夏嵐』を『read i Fine』の起点にしていただけることは光栄です。ですが、彼らがメインの舞台も設けてほしいと思い、お願いに上がりました」
「……まあちょっと、座って」
何やら思わし気な表情で難波と野々宮をソファに腰掛けさせる芹澤。通常部長クラスだと個室は与えられないのだが、常務も兼任しているとなると流石に与えざるを得ない。タレントマネジメント事業部があるフロアの最深部に、芹澤部長の個室はあるのだ。
「その件に関しては僕も思うところがあったんだよ。ヤギリとして名前を出すタイミングは『夏嵐』で完璧だ、でも彼らの単独の場所も作ってあげなければいけないと」
「! でしたら、」
「ただねえ……やっぱり実績という点で見ると厳しい」
「……でしょうね」
八月から始まる『夏嵐』の公演がお披露目となる『read i Fine』、これ自体にはインパクトがあるが逆に言えばそれを見てからでないと選択肢に入らないのである。
現状『read i Fine』は噂の存在に過ぎない。実体のないものにオファーをかける人間などいない。もしいるとするなら、余程困っている団体なのだろう。そんなところにうちの子を行かせられない、と難波は強く思っていた。
「なくはない、んだけど。ねじ込めそうなところはある」
「そうなんですか? だったら、」
「すみません、……芹澤常務のお顔が浮かないのが気になりますが」
身を乗り出した野々宮を制するように難波が口を挟む。明らかに表情が曇っている様子を見て、諸手を上げて喜べはしない。難波と芹澤はしばらく視線を合わせ、そしてやれやれと言ったように彼はタブレットを取り出した。見せられた内容には日本で行われるファッションショーのステージについて記されていた。そのファッションショーというのも、
「『TスタイルコレクションAW』⁉ 日本最大規模じゃないですか!」
すごーい! と純真な声を上げる野々宮を横目に、どんどん顔が曇っていく芹澤が対照的だ。
『Tスタイルコレクション』というのは東京で年二回開催される、日本最大規模のファッションショーである。有名ファッションモデル、その年に流行した女優やタレント、お笑い芸人などのランウェイから、新進気鋭アイドルのライブも付帯させたファッションだけに留まらない大型イベントだ。AWとあるので、九月開催の秋冬コレクションである。
普通ならば野々宮のような反応が正しい。出られることを喜ぶべきイベント、しかし芹澤がこんな暗い表情をするとは──不可思議に思った難波だったが要項の一部分を見て納得した。これは、確かにこういう顔にもなる。
「ヤギリから毎年一組は出してるんだけど、今年は悩んでてね」
「……スキャンダルの火消しに使われそうだから、ですか?」
「え、それってどういう」
野々宮が困惑するのも無理はない。とんでもないタイミングだ、と思いつつ難波は要項の例の一部分を指差した。
「ここにある、『スペシャルゲスト』の欄にいる方、ご存知ですか?」
「え、ええ……、先日のベルリン国際映画祭にも出た、銀熊賞を受賞した方ですよね? 知らない人は多分いないですけど、それが一体」
「十中八九スキャンダルですっぱ抜かれます」
「はい⁉」
「そうなんだよなあ……しかも恐らく六月終わりから七月頭だと思うんだよ。微妙だよね、時期が」
「嫌な時期ですね」
依然戸惑った様子の野々宮だが、この俳優のスキャンダルは業界内ではそこそこ有名なのだ。尻尾を出さないから表に上がってこないだけで、少なくとも難波の現役時代には既に話には上がっていた。
「ダブル不倫で、しかも相手はサッカーの日本代表、ですって」
「うそでしょ……」
「あれはクロだよ……。六月に日本で親善試合やるからさ、多分その時に帰国したらほぼアウト。相手が怪我でもして、海外に留まってればスキャンダルにはならずに済むかもだけど」
「相手の怪我を祈るような真似はしたくないですね、切実に」
業界人以前にひととして駄目なことだ。
しかしどうしたものか、と難波は溜息をつく。恐らく運営側も今からスキャンダルを予測して降板させるという真似はしたくないはず、問題が起これば運営が違約金を貰える可能性はあるが現状だと違約金を払わなければいけないのは運営側だ。まあスキャンダルでの損失と天秤にかけたらどうなるかは分からないが。
『read i Fine』にとって是非とも欲しいチャンスである。しかしこうも火種がちらついていると無暗に身を投じられない。難波ひとりであったら余裕で身投げしていたかも知れないが、今はまだ誰の手垢もついていない宝物のような子が九人もいてそこの即決は無謀と言わざるを得ない。
『夏嵐』との日程調整も考えると、今月いっぱいには決めなければいけないが──せめて火消しという役割をどこかへ持っていける、否、押し付けることができたなら……、あ、
「なるほど、そういうことですか」
「……難波さん?」
急に独り言を漏らした難波を、心配そうに野々宮が窺った。
簡単な話だ。とても簡単な話だった。
「芹澤さん、この話、『read i Fine』でお受けしても構いませんか?」
「それは別に構わないけど、え、逆に訊くけど、良いんですか?」
「構いません。ある『手』を思い付いたので」
手垢の付いていないあの子たちを守るためなら、なんて言い方は芝居かかり過ぎていて好きではない。もっと合理的に、『read i Fine』というグループの価値を落とさないためにできることをするだけ。それがプロデューサーというものではないだろうか。
「野々宮さん、申し訳ないですがしばらく忙しくなりそうです」
「むしろそれを待ち望んでましたよ、自分は!」
「ええ、どんな手? 内容によっては反対するけど」
「反対させませんよ」
そう告げて難波は言葉を紡ぐ。何をしようとしているのか、どのようなことになるのか、事細かく話した後芹澤は瞠目して大きく二回、瞬きをした。
「それで良いの?」
「良いに決まっています。むしろそう使うべきでしょう」
「……本当に肝が据わってる」
先方には話しとくよ、良い感じに、と告げて芹澤は席から立つ。それにならって難波も野々宮も席を立った。問題は山積みだが、不思議と高揚感がある。余りそれに身を任せてはいけないが、この感覚は懐かしい。自分にしかどうにもできない、ヒリついた感覚。
「野々宮さん」
「はい!」
「正念場です、頑張りましょう」
「……はい! まずは作戦会議からですね」
「そうですね。必要な関係者の洗い出しからですか」
難波は自身が持つ名刺ホルダーを広げた。アイドル時代の人脈が生きるなんて想像もしなかったが、最早これは運命だと思いたい。それくらい、彼女にとって『read i Fine』という存在は大きなものになっていた。
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