③Training - 1703α

「全員資料は手元に行き渡りましたでしょうか?」

「難波さん、一部足りないです」

「これは失礼しました。回してください」


 三月某日、ヤギリプロモーション本社内の会議室にて。

 新規プロジェクトである『プロジェクト:再定義』の発表が行われた会議室とはまた異なる場所に集められた『read i Fineリーディファイン』のメンバーは、初めて来た会議室に視線を右往左往させつつ好きな席に着いた。


「こんなに会議室あってどうするんだろ」


 ぼつりと吐き出した佐々木水面ささきみなもの言葉に、隣の席だった土屋亜樹つちやあきが「どういうことすか?」と首を傾げる。だってさ~と軽い調子で水面は話し始める。


「物理的に全部埋まることはない訳じゃん? こんなにあったらさ」

「……まあ全社会議とかでもない限りは無理っぽいですよね」

「全社会議なんて絶対ないし、じゃあこんなにあっても意味なくない? っていう」

「『絶対ない』は──」


 言い過ぎだ、もしかするとあるかも知れない、と土屋は言おうとしてもしあった場合のことを想定し口を閉ざした。もしあった場合、それはヤギリの存続に繋がる大きな会議になるのではないだろうか。それは、とても縁起の悪い発想だ。


「どした~?」

「や、悪いこと考えたんで『そんな大きな会議は絶対ない』派に俺もなります」

「ん? なに考えたの? ……まあいいけどお」


 深くは追及せずに水面は前を向いた。

 縦長の部屋に楕円のテーブルが置かれたその会議室は、入口とは逆方向にスクリーンが降ろされている。プロジェクターを使ったプレゼン等を行うためだろう。尚、平時は大きな窓から近所の街並みを見ることができるが、プロジェクターを使用する関係で分厚く地味な色合いのカーテンで自然光は遮られていた。


「本日はお忙しい中、ご参加いただきありがとうございます」


 難波真利夏なんばまりかが声を出し、ひそひそ声がすっと止まった。

 パンツスーツに眼鏡という普段の出で立ちである彼女、もといプロデューサーは席に座る『read i Fine』のメンバー全員を見回し、再度口を開く。


「メールでもお知らせしました通り、本日は企業研修を行う予定ですがその前に──みなさん、宿舎での生活はどうですか?」

「楽しいです!」


 難波からの問い掛けに、大きな声と勢いのある挙手で応えたのは高梁透たかはしとおるアレクサンドルだ。あまりの勢いの良さにびっくりした森富太一もりとみたいち(高梁の隣の席だ)は胸を抑え、不規則に高鳴ってしまった心臓を落ち着けようとしている。

 高梁の言葉に「それは良かったです」と難波は頷く。


「他のみなさんはどうでしょう」

「慣れないです」


 次に声を上げたのは佐々木水面の双子の兄、日出ひのでだった。何故か隣の席にいる南方侑太郎みなかたゆうたろうの腕をとって抱き締めている。南方自身は相当居心地が悪そうな表情をしていた。


「慣れない、でしょうね。今まで宿舎で生活していたメンバーにとっても、グループのメンバーとの共同生活は負担が大きく、ストレスも溜まっていることだと思います」


 しかし、とそこで難波は一度話を切って、紡ぐ。


「慣れるよう、努力は怠らないでください。あなた方はこのグループで活動していく、それはつまり今後は家族や仲の良い友達以上に濃い時間を共有していくことになります。良いことも悪いことも、悔しさも楽しさもグループで味わった時間はすべて共有されます。そのことを忘れないでください」


 真っ直ぐと放たれたその言葉は、元アイドルでありかつて時代を牽引した『Dream Eraドリームエラ』の一員だったからこその説得力で満ちている。気付けば『read i Fine』のメンバーは真摯な表情でその言葉を受け止めていた。


「では早速本題に入ります。今日はアイドルとして、よりも重要な、このヤギリプロモーションに属する人間として大事なことをお話しさせていただきます」


 暗くてすみませんがお配りした資料の一ページ目をご覧ください、という難波の指示と共に全員の目の前にあるスクリーンにあるものが映し出された。


※   ※   ※   ※   ※


「こちらの資料はヤギリプロモーションの新入社員研修で用いられるものです。新入社員というのはみなさんのような練習生ではなく、我々のようなスタッフ、裏方のことですね。マネジメントであろうが、法務であろうがまずこの資料を見ることになります」


 スクリーンには薄い紫色の文字で『ヤギリプロモーションとは』とゴシック体で大きく書かれている。薄い紫色──藤色がいちばん近いだろうか──はヤギリの企業としてのイメージカラーだ。社章も、社旗も、社のロゴマークもすべてこの色で統一されている。


「まず社としての来歴なのですが、これは割愛します」

「割愛ですか⁉」


 桐生永介きりゅうえいすけが声を上げる。結構通る声だったので隣にいた日出が彼の顔を覗き込みながら「そんなに聞きたかったのか……?」と問うていた。そういう訳ではないけれども。


「ここら辺は各々ウィキペディアで確認してください」

「まさかのウィキ」

「正直なところ、そっちの方が細かいところまで分かりますので。初代社長がどんな風に設立したのかとか、株式にしてからの御家騒動とか、読み応えはあります。真偽は微妙な部分がいくつもありますけれど」

「グランドピアノ事件とかです?」

「そうですね、御堂くん詳しいですね。まああれは本当ですが」

「え⁉」

「生き証人が知り合いにいるんです」


 まじかーと顔を覆って驚く御堂斎みどういつきに、事態を飲み込めていないメンバーが何事? と詰め寄る。後で話す、とだけ言ってあしらい再び難波の声に耳を傾けた。ちなみに詳しい内容は割愛するが、『グランドピアノ事件』はヤギリの前身会社時代にあった、当時のヤギリ所属のアーティストが歌番組で使用するはずだったグランドピアノが全壊させられた騒動のことである。


「話を続けましょう。来歴ではなく、大事なのは社訓の部分です。みなさん、資料一ページ目の下の方をご覧ください」


 プロジェクターが映し出す画面が切り替わり、社訓と大きく書かれた下に、もっと大きな字で三つの二字熟語が並ぶ。ひとつは馴染みがなく、ひとつは見たことがあるが違和感もあり、ひとつはよく見る語彙だった。高梁だけが「なにも分からない」と顔に書いていたが。


「『恭倹きょうけん』『正大せいだい』『奮励ふんれい』です。ひとつずつ説明していきます」


 難波は視線を落とす。メンバーもならって資料に視線を落とした。南方と月島滉太つきしまこうた、森富の三人は筆記具を取り出している。


「『恭倹』、意味としては『人に対してはうやうやしく、自分自身は慎み深く振る舞うこと』ですね。要するに尊敬と謙虚を忘れない、ということです」


 色んな人と関わる上で最も大事なことですね、と難波は語った。


「芸能界広し、いつどこで擦れ違っただけの人と仕事をするかも分からない世界です。こっちが一方的に知っている人と共演することもあれば、向こうから一方的に知られていた人とコラボすることだってあります。どんな人と仕事をすることになっても大丈夫なように、常に人に対しては尊敬の念を忘れずに接してくださいということです」

「でも苦手な人もいますよね、人付き合いする上でこの人はどうしてもそりが合わないというか、接するのが難しいというか」


 南方が唐突に飛ばした意見に難波は「そういうことはままありますね」と同意の姿勢を見せた。


「いくら偉い人でも、有名な人でも、実績のある人でも人間同士ですから、相性というものは当然あります」

「ですよね」

「ですが、相性が悪いということを露骨に出す必要はどこにもないでしょう?」


 確かに、と月島が呟く。隣の森富も頷いていた。


「相手も、もしかすると嫌だなあ、合わないなあと思いながら接してくれているかも知れません。合わないなりに良い仕事をしたくて、自分なりにコミュニケーションをとってくれているかも知れません。そう考えると、自分が合わないと思ったから、という理由で切り捨てるのは早計ですし幼稚です」

「幼稚……」

「勿論、先方が幼稚なことだって往々にしてあります。自分がこんなに大人な対応をしているのに、どうして分かってくれないんだろうと苛立つことも当然あるでしょう」


 私も覚えがあります、という難波の声には深海より深く、また重みがあった。


「でも同時に、私がしてきた無礼を笑顔で許してくれる人もいた、という事実があります。どうしても自分が大人になりきれない時に、それをいいよ、大丈夫だよと慰めてくれた人もいます。こういう風に、立場や役割は回っていくのだと私は考えています。あくまで私の考えです」


 『あくまで私の考えです』の部分を力強く断言した難波に対し、南方は「分かりました、ありがとうございます」とだけ言い頭を下げる。不和が薄く滲んだ雰囲気になりかけたが、一瞬にして元の空気に戻った。


「謙虚な姿勢を貫くというのも、人に尊敬を抱くということとほぼ同義ですね。大事なのは謙虚であることと自己肯定感の低さを同列に考えないことです」

「全然違うことですもんね」

「本当に。謙虚であることは自分の今の力を踏まえた上で向上、克己の心を持つことです。自己肯定が低いというのは、自分のできていないことをおざなりにして自身に期待をしないということです。アイドルはそうであってはいけない」


 できない人は性格を変えてください、と難波はシニカルに笑った。メンバーも乾いた笑みを浮かべる。月島だけは堅い表情で難波をじっと見ていた。


「上を見て悔しがることは悪いことではありません。それを踏まえて『自分なんてまだまだです』と言える人間になってください、満足、しないように」


※   ※   ※   ※   ※


「サーシャ、サーシャ」


 土屋が隣にいる御堂を追い越して、高梁の声をかける。高梁は前のめりになって土屋の言葉を傾聴した。


「あとで、内容教えるから。大丈夫」

「あ、ありがとうございます……」

「よく分かってないだろ」

「しょうじきなところ……」

「そっか。ごめん、僕なんも気付いてなかった……」

「いつきくん悪くないです。大丈夫」


 申し訳なさそうに顔を歪めた御堂の頬を、人差し指で突っつく高梁。その対応に御堂は土屋へ「こいつ、やばいな」と耳打ちをした。「でしょ?」と土屋は応える。スキンシップが自然過ぎて、かつ的確で人の懐に入るのが上手過ぎる。


「惚れちゃう、勘違いしちゃう」

「人たらし過ぎるんですよね……天性のですよ」

「良いなあ、僕絶対できないやつだ」


 羨望の目を向ける御堂に高梁はきょとんとした笑みを浮かべていた。御堂も頑張ればできるのでは、と思った土屋であったがグループが人たらしばっかりになったら他者へ求めるものの理想が高くなってしまいそうだ。


「次に『正大』ですが四字熟語の方が馴染み深いですよね」

「公明正大ってやつですね」

「今月島くんが言ってくれた四字熟語を思い浮かべた方は多いと思います。『正大』だけの意味としては『態度や言動などが正しく、堂々としているさま』ですね」


 まあ絶対的な正しさとかないんですが、と難波はやれやれと言いたげに呟いた。


「ですが『正しくあろう』とすることは間違いではありません。綺麗事を言い続けてこそのアイドルという側面もありますし」

「でも綺麗事だけじゃだめなんじゃないですか……?」


 森富が恐る恐ると言った風に手を挙げた。まさか森富からそんな言葉が出るとは、とメンバーが驚いていると質問を投げ掛けられた難波もびっくりしたようで、少し視線をうろつかせてから「そうですね」とだけ相槌を打つ。


「綺麗事じゃどうにでもできない部分はあります。それをどうにかするのは、我々の仕事です。決してみなさんに直接的な何かをやってもらうということはございません。というか、やらないでください。何かを持ち掛けられても絶対に一度は『持ち帰って検討します』と言う癖をつけて、その上で私なりマネージャーの野々宮さんなりに相談してください。独断は決してしないように。守れるものも、守れなくなってしまうので」


 そもそもその場で決めろなんていうのは詐欺の常套手段であるし、年端もいかない社会経験もない新人アイドルにそれを言ってくる時点で『悪い大人』確定だ。ただこの自己責任論蔓延る世の中で、逃げ方を知らないということは致命的である。

 嫌な世の中だなあ、と心中難波は溜息をついた。心が貧しい人間が増えていく、情操教育上まったくよろしくない。


「話を戻しましょう。綺麗事を言ってそれを体現していくことが『アイドル』ではないかと私は考えます。そのため持っていてほしい考え方は『自分が正しい』ではなく、『自分は正しいことをしたい』です。ヒーローになるつもりで、そしてそれを『現実的じゃない』と笑われても貫いてください。自己の堕落を許した人間の言うことは、聞いてはいけません」


 いいですね? と難波が問い掛けると、森富が大きく「はい!」と返事をした。元気があってよろしいですね、という難波の発言で我に返った彼は恥ずかしそうに頭を抱えてしまった。それを他のメンバーがいじり始める。


「基本的にここまでは自分の心持ちの話です。他者を尊び、自己を慎み、己が正しくあろうとし、そのことを堂々と行う。次の『奮励』は実践の話です」


 恐らくこの『奮励』という言葉は、メンバー(ひとりを除く)にとってもっとも耳馴染みがある言葉だろう。『気力をふるい起こして、努め励むこと』──言葉の意味はそれだけだが、彼らはそれ以上の意味合いも理解しているはずだ。


「基本的にあらゆることにおいて、頑張っているだけでは駄目なんですが、頑張っていないとそもそものスタートラインに立てません。加えて頑張らなくてもできてしまう人、というのは世の中にちらほらいますが、その人たちは自分の頑張りを頑張りだと認めていないか、もしくは他の何かで徹底的に努力していないと日常生活すら送れない人かのどちらかです。大体そうです、経験上」

「経験ですか……」

「まだ二十六ですが人生経験豊富ですよ、私」

「二十六なんですか⁉」

「そこまで驚かれるとさすがに傷付きますよ……高梁くん……」


 難波は十五歳でデビューをし、十年程アイドルとして活動していた。とは言え、知らない人は知らなくて当然だとも思う。特にアイドル志望では元々なかった桐生と、生まれてからほとんどの時間を異国の地で過ごしてきた土屋と高梁に関してはどうしようもないと思っている。

 いくら『国民的』と謳われても解散したら忘れ去られるなんてザラ。グループは存続していても、全盛期以上の成績が出せず『凋落』と言われる事案も多い。過去の栄光と比較されて揶揄されるくらいなら、すっぱりと辞めていて良かったとすら難波は思っていた。


「あの、すみません、ちょっとその件で……」

「なんでしょうか、森富くん」


 森富? と桐生が心配そうに森富を見遣る。彼の表情は、何かの決心がついたかのような険しいもので、その緊迫感に思わず難波も息を呑んだ。というか、この話の流れで何を言い出すのかちっとも分からない。自然と構えてしまう。


「難波さんは、MCエムシーエンターテイメント所属だった『Dream Era』のメインダンサーだったんですよね……」

「そうです。もう解散して丸二年になりますが」


 淡々と事実を述べる難波。森富は頷き、大きく息を吸ってから口を開けた。


「……ファンです!」

「はい?」

「え? そうなん?」

「とみーそうなの、意外だわ~」

「実は、最初に好きになったアイドルが『Dream Era』なんです……」


 尻すぼみに声が小さくなっていくが、言っている内容は難波の耳にしっかりと入った。

 森富太一のアイドルとして、初めて好きになったグループが『Dream Era』なのだと。


「てかそもそも太一って、ドリエラのダンスをどっかSNSにあげたのをキッカケでヤギリのオーディションに呼ばれたんじゃなかった?」

「そうなんですよ! 亜樹くんよく覚えてる! ドリエラの『Finger Doll』って曲を」

「ゴリゴリのダンス曲じゃん」


 御堂が首を縦に動かしつつ相槌を打つ。そういえば彼、経歴を調べていた時に驚いたが他事務所のステージにもバックについていたのだ。ドリエラのバックにもついたことがあるらしい。

 というか聞いていた話と違うことに、まず難波は驚いていた。仔細詳しく聞いていくと、なんとこの森富、オーディションに呼ばれてその会場前でスカウトをされたのだという。どんなスター性だというのだ、スカウトマンは良い仕事をし過ぎだが。


「だからその、難波さんがプロデューサーって初めて知った時同姓同名の別人だと思ってて……でも本人だったからずっとテンパってて……」

「それは、……悪いことをしましたね」

「謝らないでください! 俺が悪いんです!」

「いや……森富も悪くないだろ……?」


 南方の言う通りである。別に森富も悪くない。


「……ちなみに森富くん、好きな曲は?」

「えっ本人の前で言うんですか⁉」

「私の前で言って欲しいです、できれば」

「せやったら、もう年功序列に言ってく? みんな知っとるやろ、ドリエラ」

「いやいや、月島くんそれは……」


 みんな知っている、訳ないのだ。たかが十年活動したアイドル、アジアやヨーロッパ、南米までライブツアーはしたが全世界的に人気だったとは口が裂けても言えない。所詮その程度のアイドルなのに。


「俺から? えーと『太陽と月』『ハイ・ベリー』『Sky lanternスカイランタン』かな」

「ぼくも『Sky lantern』好きだな~ドラマの主題歌だったよね。あと『レッド・ショコラ』『帰り路かえりじ』も好き」

「代表作中の代表作やけど『Star Artsスターアーツ』、あと『花氷はなごおり』は名曲やでマジで」

「バックで踊った曲しか覚えてなくてごめんなさいだけど、中でも楽しかったのは『レッド・ショコラ』かな。それと『スワンレイクサイド』」

「『スワンレイクサイド』の高音ハモリパート綺麗すぎて憧れるんだよな。『Mystic Loverミスティックラバー』はイントロが綺麗すぎる、どうなってんのあれ」

「『太陽と月』と『帰り路』はカラオケで歌うかな……原曲キーで歌って毎回死にかける」

「学習しろよ……? 俺も全然詳しくないけど一時期『lucky dipラッキーディップ』の英語版を死ぬほど聴いてた。あとこれも英語版だけど『Thinking Tankシンキングタンク』」

「私はあきくんに教えてもらいました、『All Soul‘s Dayオールソウルデイ』のENverEnglish versionがすきです」

「好きな曲数え切れないんですよね……! 何なら俺の作った最強のセットリストがあるくらいなんで……!」

「あとで提出してくれませんか?」


 え、と森富が目を見開く。彼の視線の先では当事者たる難波がいつもの無表情のまま、目を爛々と輝かせていた。


「て、提出って」

「メールで良いですよ。共有メッセージでも」

「そ、そんなド素人が考えたセトリを……」

「もう素人じゃないですから」


 難波の一言に、今度は森富が息を呑む番だった。


「あなたはもうデビューを目指す練習生であり、デビューに手が届きそうになっているプロアイドルの卵です。私はプロデューサーとして、あなたのセットリストに対する哲学を知りたいんです」


 半分は本音、もう半分はが忘れられていない証拠を手元に置きたいというだけのこと。エゴだと思う。先程まで所詮十年しか活動していないアイドル──と言っていたが、予防線を貼ってしまっていたが、こんな十歳近く年の離れた子たちにぽんぽん好きな曲名を挙げられて嬉しくない訳がない。欲が出ない、訳がないのだ。


「でしたら……送ります! 恥ずかしいですけど!」

「私も恥ずかしいです。いきなり自分が歌った曲の中で好きなものを、プロデュースしている子たちに口々に言われて」

「それはほんますんませんでした……」


 角度九十度の謝罪を見せる月島を確認し、「でも嬉しかったです」と難波は漏らす。


「頑張ってきて良かったです。こういうことがあるから、頑張ることはやめられないんですよ」


 いつかも分からない未来に、唐突に報われることがある。

 アイドル時代に身に染みて思い知っていたことだが、アイドルを辞めたあとでもこんなことが起こるだなんて思いもしなかった。のやってきたことは歴史となっていて、誰かの血肉になっていることを今になって理解できるだなんて。


「こういうことがあるから頑張れる、の代表例を見た気がします、俺」


 桐生が突然そう呟いた。そうだった、社訓について説明していたのだ。しかも『奮励』という言葉について。


「今の俺は全然頑張ってないと思いました、もっと頑張らなきゃいけない」

「……しばらくはコンテンツの撮影ばかりだと思いますが、気を抜かないように。ですが同時に体も壊さないように気を付けてください」


 会議室の予約時間が過ぎたため、今日はこれにて解散となった。各々、宿舎に戻ったりレッスンに向かったり仕事に行ったりと忙しなく動き出す。

 その夜、二十一時過ぎ、本社で依然業務中であった難波のPCに森富からメールが届く。言っていたセットリストかと思い、彼女は画像ファイルを開いて──盛大に噴き出した。


「な、難波さん? どうしました?」

「す、すみません野々宮さん……、ちょっとびっくりしてしまい」

「難波さんも驚くことがあるんですね……」


 そりゃある。現にこの画像がそうだ。


「これは、セットリストじゃなくて、タイムテーブルですね……」


 間に挟まるムービーやMCの時間まで細かく決められたそれは、どこで勉強したのか綺麗なタイムテーブルの体裁を保っている。これを読解するのには時間がかかるぞ、と今後増える自分の業務量に苦笑しつつもそのファイルをデスクトップに置いた。

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