②Moving - after <chapter2>

 『ゆうづつの湯』はヤギリプロモーション所属練習生御用達で有名な銭湯だ。というのも本社や宿舎から歩いて五分もかからない場所にあるため、そしてヤギリの社員証を見せると通常料金が無料で利用できるためである。

 ただマンションタイプの宿舎には各部屋にシャワールームがあるため、余程湯船に恋焦がれている者でないと『ゆうづつの湯』を利用はしない。そのため月島滉太つきしまこうた御堂斎みどういつき南方侑太郎みなかたゆうたろう土屋亜樹つちやあき高梁透たかはしとおるアレクサンドルといった入社からの宿舎組もここに訪れるのは初めてだった。


「大勢で風呂なんて公演帯同とかじゃないとあんまなくない~?」


 引き戸の入り口すぐにある靴箱に靴を入れながら、佐々木水面ささきみなもは月島に話し掛けた。蕎麦を食べて撮影をし、時刻は二十一時半を回ったところだ。全員未成年であるため二十三時以降の外出は条例で禁じられている、よって全員どことなく焦ったように行動していた。

 この、水面を除いては。


「そやなあ、昼夜公演やと大体一回はみんなで風呂入るもんな。てかみなもん、急げ、湯舟にゆっくり浸かれんくなるで」

「いやなんか、雰囲気が良くてまったりしちゃうわ」

「気持ちは分かるんやけど……」


 既に佐々木日出ささきひので、御堂はフロントを抜けて脱衣所に向かっている。後を追うのは南方、森富太一もりとみたいち。多少ゆっくりしているのは桐生永介きりゅうえいすけと土屋と高梁の同級生トリオだが、どうやら桐生が靴箱について説明をしているようだ。つまり、ただ駄弁っているのは水面と月島のみである。これはいただけない。


「ゆーかみなもん、風呂長い方やなかった? ますますあかんやん、早く早く」

「えーん、待ってよ~。なんかめっちゃ疲れてるんだよ~」

「オレもめっちゃ疲れとるから汲んでやりたいけど、条例違反で補導はごめんやでマジで」


 そんなことになったらデビューも怪しくなる。嫌過ぎる、折角引っ越してきたばかりだというのに。

 水面の尻を叩きつつフロントで社員証を見せれば、流れ作業の如く脱衣所に通される。そしてふたりがようやく他のメンバーに追い着いた瞬間、「ぬああ⁉」という奇妙な叫び声が耳に届いた。


「ど、どしたん? てか他の人の迷惑やろ」

「いや俺ら以外いないっぽいんすけど……森富が、ちょっと」

「森富?」


 土屋が気まずそうに呟いた内容に月島が瞠目する。

そして奥にいた森富は、何故か御堂の胸を背後から鷲掴んでいた。


「いや、どういう状況⁉」

「ちょっと、つっきーうるさあい……」

「あ、すまんみなもん……え、でもどういう状況⁉」


 月島のごもっともなツッコミに森富、御堂以外のメンバーは苦笑を浮かべる。あの日出ですら「お手上げ」と言いたげな笑みを浮かべているのだからよっぽどだ。

 よく見ると森富の手つきはしっかりと御堂の胸を堪能している。ふざけて触っている風ではなく、何かを確認するような手つきなのだ。より意味が分からない。大きく首を傾げている月島、そんな彼に南方が手招きをした。どうやら南方が一部始終をすべて見ていたらしい。


「筋肉にびっくりしたんですって」

「きんにく?」

「ほら、斎ってめっちゃ鍛えてるじゃないですか」

「すんごい着痩せしてません? 御堂くんって」


 土屋がそう相槌を入れるがそれは正確ではない、と南方は思った。本人がオーバーサイズの服を好んでいるだけであって、別に着瘦せしている訳でもないのだ。体のラインに合わせた服を着れば、分厚い胴回りや筋肉質な太腿が分かりやすくなる。女性と見紛う顔に見合わない体格なのだ。無論、本人が好きで鍛えた体なのだが。


「森富がどうやらそんな斎の体に感銘を受けたらしく……」

「──森富ぃ、もういい? 僕、風呂入りたいんだけど……」


 今までされるがままだった御堂がようやく口を開いた。とっくに日出、桐生、高梁は風呂へ向かっている。時間的にもそろそろ解放されないと帰りが危ない。そんな中で御堂は柔らかい──否、すべてを諦めたかのような声音で森富に問うた。


「じ、」

「じ?」

「直で触っちゃだめですか……?」

「駄目です」

「それは駄目だろ……」


 御堂の食い気味な反論に南方が同意していた。というか現時点でもかなりやばい絵面である。メンバーが見てもぎょっとしたのに、メンバー以外が見たら確実に驚く。最悪御堂の顔だけ見て通報もあり得る。


「じゃあ……じゃあ! 今度太腿も触らしてください!」

「どういう妥協⁉ やだよ⁉」

「だ、だってえ……こんな素敵な筋肉……」

「褒められて悪い気はしないけど、それとこれとは話が違う」


 正論で制する御堂に、森富は肩を落とした。背後に「しゅん」という書き文字も見えるレベルだ。そんな森富の様子に御堂はたじろいだ。メンバー内で高身長の部類であるとは言えまだ中学を卒業したばかりの末っ子、そんな彼の切なげな顔を見て面倒見の良い御堂が甘やかしたくならない訳がない。


「……気が向いたら」

「え!」

「気が向いたら、だから! はい、風呂、さっさと風呂入ろ。で、さっさと帰って寝よ」

「やった! 御堂くん、大好きです!」

「お前ってマジ……」


 人たらしというか先輩たらしというか。

 ようやく話がまとまったようで胸を撫で下ろした月島だったが、隣で水面と土屋が「いいなあ……」「俺も大好きって言われたい」と呟いていて、何だか面倒臭そうな気配を察知してしまったなあと溜息をついた。

 思えばこれがリーダーとしての受難の幕開け、だったのかも知れない。

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