②Moving - after <chapter1>

「蕎麦を食べに行きましょう」


 掃除が終わり、難波真利夏なんばまりかは平然と提案した。現在時刻は十七時を少し過ぎたばかり、ドキュメンタリーチームが来るのは十九時半とのことだったので時間ならまだある。しかし何故蕎麦、と首を傾げかけた月島滉太つきしまこうたは気付いた。引っ越したあとだからか。


「普通はご近所さんに食べてもらうやつやないですか? 長いお付き合いになりますように、って」

「ある意味ご近所さんでしょう、メンバーは」

「めっちゃ広義の意味ですね……」


 南方侑太郎みなかたゆうたろうが呆れ笑いを浮かべながら呟く。確かに広い意味ではご近所さんかも知れないが、的確に言い表すならば同居人だろう。まったく意味が異なる。

 由来や意義に関しては納得いかない部分も多かれ少なかれ、だが奢ってもらえる食事を断るほど貧していない訳ではない。ただでさえ食べ盛り、実家からの仕送りやら会社からの補助やらあるがそれでも美味しいものを沢山食べられるのなら、そこそこの不条理も飲み込んでなんぼだ。

 結局全員で近所の蕎麦屋に向かうこととなった。宿舎自体が本社の近くにあり、また本社は所謂ビジネス街にビルを構えている。食事処は近所に相当数あるのだ。蕎麦屋もそのうちのひとつである。


「あ! 『くまなし』じゃないですか。夜入るの初めてです」

「昼と夜で値段帯変わらないんですよ、ここ。リーズナブルでおすすめです。遅くまでやってますし」

「本当ですねえ。ええ、今度から夜も来ようかな……」


 いかにもな店構えの『くまなし』という蕎麦屋は、どうやら難波、野々宮睦月ののみやむつきといった社員組にはお馴染みの店だそうだ。本社のほぼ斜向かいに構えているため確実に行き来はしやすい。『read i Fine』のメンバーも外から店を見たことはあった、だが入るのは今日が初めてである。

 難波が引き戸を開けると夜の時間帯が始まったばかりというのもあり、座席はぽつぽつと埋まっている程度だ。十一人ですが入れますか? と難波が訊けば、年齢不詳の白頭巾の女性が「奥のお座敷どうぞ~」と案内をした。机をふたつ繋げて何とか十一人席の完成だ。


「難波さん、上座どうぞ」

「あら、いいんですか?」

「年功序列です。隣は野々宮さん、どうぞ」

「じゃあ失礼して……」


 佐々木日出ささきひのでがてきぱきと采配をし、社員組を上座に座らせる。その他メンバーへは年功序列と言いつつ奥へ詰めさせ、最後いちばん入口に近い座布団に自分で座る。その一連の流れを見て桐生永介きりゅうえいすけは何とも言えない気持ちになった。


「なに桐生、その顔」

「え、っと、日出さんって気遣いの鬼ですね……」

「んー、や、気儘に生きてるよ」

「どこがだよ」


 入口に最も近い席の斜向かいに座った御堂斎みどういつきがジト目で日出を見遣る。


「どこ? 二の腕当たり?」

「そんな局所的に気儘なのあんた。どういう人体構造してらっしゃる?」

「冗談よ、ほら俺って冗談しか言わないとこあるから」

「んな訳あるかい」


 変な人だろ、と御堂に指を差される日出。同意を求められた桐生は曖昧に笑って「少し」と頷いた。本当はとても変な人だと言いたいけれど、ほぼ初対面でそのいじり方は流石にできない。ただでさえ年上で入社歴も長いというのに。


「ほら、少しだけだってさ」

「気を遣われてるんですよ。こんな若い子に気遣わせて……」

「わ、若いって、日出さんそんな年上じゃないでしょう……?」

「桐生いくつだっけ」


 急に年齢を問われ、年齢で言うべきか学年で言うべきか悩み「次、高校二年です」と答えた。それに対し日出は、普通に若いわ、とやる気のなさそうな声を発する。


「俺、次もう大学二年だから。三つ違いだ」

「三つってさ、中高一切かぶらない年齢差だから意外とでかく感じるよね」

「え、でも、水面みなもさんは大学一年生……」

「浪人してるからあいつ。ご苦労なことよ」


 視線だけで日出は水面を示す。御堂の隣の隣に座る彼は南方と森富太一もりとみたいちに絡みつつ、大学受験の話をしていた。気安い顔をしているが、東央藝術大学という日本最高峰の芸術大学に進学した彼の努力は計り知れない。その努力をいちばん身近で見てきたのは、今桐生の目の前にいる人物だ。


「……それより何食べよう」


 早速というには出遅れた風にお品書きをめくる日出。その言葉の間に何かしらを感じ取ったが、桐生には上手く言語化ができなかった。

 三人でひとつのお品書きを、頭突きつけ合って見ているとふと桐生の袖に力が加わっている感覚が生じた。端的に言えばくい、くいと引っ張られている。誰だと隣を見れば土屋亜樹つちやあきだ。動作でなく声で呼んで欲しい。


「いや話してたから、邪魔かと」

「思う訳ないじゃん……。それよりどうした?」

「それがさあ……メニュー見てもよく分かんねえの」

「うん?」


 桐生が首を傾げると土屋は視線で自分の正面を見ろ、と誘導する。そこには高梁透たかはしとおるアレクサンドルが、顔を真っ青にしてお品書きを捲っている光景があった。ああ、そうか。得心がいった桐生は「ちゃんと言えば良いのに」と呟いた。


「え、だって恥ずかしいじゃん……」

「恥ずかしいこたないでしょ。二人揃って海外暮らしが長いんだから、メニュー読んだだけじゃどんな料理か想像できないのは普通のことだ。俺だってメキシコ料理のメニュー渡されたら絶対分からんまま頼むし」

「何故メキシコ?」

「思いついただけです……深く考えんといて……」


 自分の軽口を掘り下げられ顔を赤くした桐生だった。

 土屋は幼少期から中学生になるまで東南アジアやイギリスにいたそうだし、高梁は生まれも育ちもロシアの上の方だ。土屋は母語が日本語だからまだ良いが、高梁に至っては読み書き聞く話す──すべて勉強中の身である。和食のお品書きなんて読める訳がない。


「気になるものあったら訊いて、ほら高梁も」

「はい⁉ え、ごめんなさい、なにか話してましたか……?」

「メニューが分からないなら教えるよ」

「本当ですか!」


 緑色の眼を宝石のように輝かせ、高梁は手元にあったお品書きを机の上に広げる。そして桐生に対しふたりは怒涛の質問攻めを繰り広げはじめた。これはなんだ、どういう意味か、どういう食べ物なのか、自分が食べた物に似たものはあるか──最後の質問は正直に「知らない」と言ってしまった桐生だったけれど。

 きっと他のメンバーは既に料理を決め終わっていただろうに、土屋と高梁が納得するまで頼まずに待っていてくれていた。知らない振りして談笑を続けるのも気力がいるはずだ、ひとまず隣にいた日出に目を向けると何故か目を逸らされる。なんでだ。


「いきなり見つめられると照れるから」

「嘘でしょ、それは」

「お、こんな短時間で俺の扱い方を覚えたか。流石桐生」

「自分で『扱い方』と言っていいんすか⁉」


 片頬を上げて笑う日出を捉えつつ、視界の端では御堂が高梁に何を食べるのか訊いていた。この人もこの人で気遣いの鬼だ。桐生から教えてもらった情報を高梁が一生懸命話すのを、御堂は真剣に頷きながら聞いている。とっくに知っている情報のはずなのに。


「グループって助け合いだから」


 ぽつりと発された日出の言葉は非常に本質的だった。そうだと思います、と桐生は呟き気付けば店員を呼んで注文を始めていた御堂に、自分が食べたいものを伝えようとした。

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