①Preparation - main

 二週間と五日後、難波は野々宮に「これでどうでしょう」と新たなメンバー案を提出した。当初はひと月欲しかったと苦々しく思っていたが、やろうと思えば案外できるものだ。ただこの働き方を多用はできない。確実に体を壊す。現にこの二週間ちょっとの間、ストレス故か安眠を求めて故か酒量は増えていた。

 野々宮は受け取った資料を慇懃に受け取り、中身をパラパラと読み始める。さてどのような反応が返ってくるか。難波の予想としては本命:懐疑的、次点:褒めてくる、大穴:拒絶して振り出しに戻る──だったのだが、意外にも野々宮は真顔で「良いと思います」と吐き出しただけだった。

 真顔というのが、それなりに不気味であった。


「あの、難波さん、すみませんが」

「はい」

「どうしてこの九人に行き当たったのか、教えていただいてもよろしいですか?」


 真顔のまま、野々宮は資料に目を落としたまま、難波に向かってそう願い出た。

 ああ、なるほど。

 悔しく思っているのか、このメンバーを選び出せなかった事実に対して。


   〇   〇   〇   〇   〇


「……どないしよかなあ」


 明るい色の髪を短く揃えた、涼し気な顔をした少年は会議室を目の前にして途方に暮れていた。

時刻は昼の二時十五分前。前の仕事が早く終わったため本社に直行したところ、自分が一番乗りになってしまったのだ。一番乗りというものは好きじゃない、自分の行動で他人の行動を変えてしまう恐れがある、そんなポジションにわざわざ身を置きたいと少年は思わなかった。

 それに会議室を前にして、身動きが取れなくなった理由はもうひとつある。


「つっきー早い~」


 後ろから呼び掛けられ、少年は勢いよく振り返る。手を振りながら近付いてくる男は、先程の現場でも一緒だった青年だ。オレンジの髪をストレートにし、左耳にはピアスをしている。よく見ると彼の後ろからもう一人、青年が歩いてくる。黒髪を品良く且つ柔らかく七三に分けたその人は、オレンジ髪の彼とまったく同じ顔立ちをしていた。

 なるほど、と少年は理解した。


「なんやみなもん、一緒に来おへんかと思うたらお兄ちゃんと一緒やったん?」

「俺は一人でも大丈夫って言ったんだけどな」

「ぼくが独りじゃだめだったの! お兄ちゃんと一緒に呼ばれるなんてあんまないしね」

「一緒に呼ばれるのはあんまない、はそうだけど、だからと言って一緒に来る理由とは」


 双子の弟と思わしき青年の発言に、双子の兄らしき青年はわざとらしく大きな溜息をついた。そのまま二、三度わざとらしい溜息をつくと流石に弟もイラついたようで「そういうとこがマジ弟気質」と吐き捨てた。


「弟でもあるからな。っていうか月島、入らないのか」

「あー、入ろうかと思ったんやけど、中見てみ」

「うん? ……カメラがある」

「カメラ? え? ハンディでもゴープロでもなく、ましてやスマホのカメラでもなく、カメラって……テレビ入ってるの?」

「しかもNBCエヌビーシーやで」

「赤坂の⁉ えー……なんで、え、お兄ちゃん知ってる?」

「実は何も知らない」

「そこで『実は』という枕詞を使うなあ、何も分からんくなるやろお」


 つっきーナイスツッコミ、と双子の弟がサムズアップをする。つっきー、こと月島滉太つきしまこうたは軽く礼を言ってから再度カメラを凝視した。


「オレらを撮る、しかないよなあ……あのカメラの存在意義って」


※   ※   ※   ※   ※


「私にしてみれば、どうして月島がデビューできていないのか謎なんですよ」


 言いつつ難波は自身が作成した資料と、履歴書、活動履歴、月次考課の評価フィードバック──そして、月島が合格したオーディションの採点内訳をすべて机の上に広げる。

また展開はされていないが彼女が持ってきた段ボールには、月島滉太という練習生が活動をしてきた痕跡がほとんど詰め込まれていた。練習生公演の映像データ、掲載された雑誌、そして彼がMCを務める衛星放送番組のDVDなど。

 二週間強でどうしてここまで集められるのか、野々宮はただ唖然とするしかなかった。


「聞いてます?」

「あっはい! すみません!」

「聞いてるなら大丈夫です。オーディションの採点内訳を見ても、彼が非常に求心力のある人物だということが分かります。加えて、彼が合格したのは東京で行われた公開オーディション『Lock On!ロックオン!』ですが、不合格となった大阪の『Take Off!テイクオフ!』からの成長が著しい」


 たった一年で、です。難波はそこを特に、力を込めて言った。

 一年で成果を出すということは、努力の仕方を知っているということだ。どんな分野にもいても努力をどうやってするのか、そこへの理解が深い人間は強い。月島はその点を熟知していることが数字からもよく分かる。


「『Take Off!』では一般投票十三位が、『Lock On!』では一般投票一位。知名度の高い子が他にいたにも関わらずこれは異常です。ヤギリの公開オーディションファンがいる、というのも無視できない事実ですが……そう言えば『Never betterネバーベター』には呼ばれなかったんですよね」

「『Never better』は、そうですね。一応その頃、ツアー帯同が立て続いていたみたいですけど……どうなんでしょうねこれ」

「あんまり嗅ぎ回ると良くないかも知れません」


 難波は腕を組んで眉間に皺を寄せた。『Never better』というのは一昨年の秋頃に放映されたサバイバル番組である。ヤギリプロモーションとサクラテレビ合同で企画されてかなりの好評を博した。そして昨年、そのサバイバル番組より五人組男性アイドルグループ『Nbエヌビー』がデビューしたのである。

 華々しいデビューではあったが、会社内では色々な噂が流れている。噂が流れやすい原因は確実に、社長の肝入りで始まった企画、というところだろう。権力が少し見えるだけで邪推する大人は多い。必死に努力してきた子供たちが可哀想だ、と難波は憂うがやはり少し疑心にかられる点がある。月島の件もその一つだ。


「真っ当な努力ができる人間を干すことはあってはならない、しかも他人の目を気にすることができるアイドル向きの人間ですよ。彼は入れるべきだと思いました」

「そうなんですよ、名前見た時に『盲点だった!』と思ったんです」

「こんな人間が盲点で良い訳ないですよ、人の心を動かせる人間なんです」


 彼は早急にデビューさせるべきです、と難波は語気をはっきりと強めた。


   〇   〇   〇   〇   〇


「入らないんですか?」


 月島と双子が会議室前で立ち尽くしていると、背後から更に呼び掛けられる。

女性の声、というところが虚を衝かれたのか三人揃って驚いてしまった。恐る恐る振り向くと、そこにいたのはグレーのパンツスーツに身を包んだ二十代ほどのキャリアウーマン然とした女性だった。明るい茶髪をセンター分けにし、細いフレームの眼鏡をかけている。

この人がメールを送ってきた難波さん? 三人共そう考え、そしてそれは正解であった。


「……ああ、」


 難波と思わしき彼女──難波真利夏その人なのだが──は会議室を一瞥し、納得したように呼気を漏らした。カメラに委縮していると理解したのである。彼女は三人の方へ目を向けた。この状況に説明をくれるのでは、と三人が期待したのも束の間、彼女は淡泊に言い放ったのだ。


「カメラは気にせず、好きなところに座ってください」

「気に、しなくて良いんですか」


 難波の言葉に反応したのは双子の兄の方だった。ころころと表情が変わる弟とは真逆で、一切顔色もパーツ配置も変わっていない。真顔過ぎる真顔のまま、動揺を内に秘めた声音で彼女の言葉を反芻する。


「しなくて良いです。ただの置物だと思ってください、佐々木日出ささきひのでさん」

「置物……分かりました」

「分かったんかい!」

「お兄ちゃん、流石にそこは食い下がるとこだよ? なんで納得しちゃうの」

「そういうものかと思って」

「素直ですね」


 難波は感心したように双子の兄、日出へ言葉を掛ける。本当に感心していた。


「正直さは欠点ですが、素直さは美徳です。特にこの業界においては」


 さあ中へ、そう彼女に促されて月島と弟の方は納得し切れない顔で適当に座る。長机が二つ向き合い、並べてある椅子十二脚。月島は奥側の扉から一番遠い席、弟の方はその向かい。

日出はすべてを飲み込んだ大河のような、悠然とした姿勢を崩さず弟の隣に着席する。

 カメラがまず捉えたのは難波と日出のやり取りだった。


※   ※   ※   ※   ※


「佐々木兄弟をまとめて入れる、というのも意外と言いますか」

「まあ、きょうだいを同じグループに入れることはそうないでしょう。それこそ、きょうだいでやりたいと志願してこの業界に入ってくる人間以外は」


 ただし成功する例はそこまで多くない。血が繋がっているとは言え所詮は他人だ、考え方も違えば得意分野も異なる場合が多い。

以前ヤギリプロモーションでもきょうだいアイドルがいたなあ、と難波は回顧する。一度だけ歌番組で共演したことがあった。程なくして解散し、今や別ジャンルで互いに活躍しているのだからヤギリの目は確かではあった、ということだろう。兄はシンガーソングライターと俳優、妹は声優として前線で活躍しているとか。


「ここがネックになる可能性は充分にあります」

「ここから綻ぶ可能性、ということですか」

「ゼロとは言い切れません。正直、一番の『賭け』要素かも知れませんね」


 話題性は充分であり、且つ昨今メンバーの関係性に『エモさ』を求める層も厚くなりつつある。双子でアイドルというのは『エモい』のではないか、と難波は己の浅はかさを自嘲しながらこの二人を『きょうだい』として選出した。

 そう『きょうだい』としては上記のような浅はかさ故だが、『個人』としてはもっと具体的な勝算を以て選んだのである。


「練習生公演を見ましたが、佐々木日出ほど舞台度胸のある人間、なかなかいないでしょう」

「『染彩せんさいな日々』ですか? もしかして」

「デビューはしていないとは言え、代表作として挙げても遜色ないでしょう。あれはすごかった、特にラストの畳み掛けるような独唱と声色だけの表現力。普通に泣きました」

「どこまで把握してるんですか……」


 野々宮が引き攣った笑みを浮かべる。練習生公演というものは不定期(と言いつつも毎年大体やる時期が決まっている)で行われる練習生のみの実力披露会だ。日出が出演したものはミュージカルであったが、ダンスパフォーマンスやアカペラ歌唱など練習生の個性に合わせて催しが変わるのだ。

 佐々木日出をめがけて『染彩な日々』を観た、というならまだ分かるが、練習生のことを知るために練習生公演を観るということはタイムパフォーマンスが悪い。

この人、二週間強で一体何時間しか寝ていないのだろう。化粧に隠されている、色濃いくまの残滓が見えるような気がした。


「生の舞台に強い人間は最低でも一人は欲しいです。佐々木日出は『この人が大丈夫だと言えば大丈夫』とメンバーが思えるような人間ですよ」


 彼の場合は、まだ取られてなくて良かった、と思いました。そう難波は言って何度も頷く。本人にとっては苦しかった現実かも知れないが、難波にとっては幸運の兆しでしかなかった。


   〇   〇   〇   〇   〇


「おー、いっちゃんだ! いっちゃんも呼ばれたの?」


 双子の弟の方が目ざとく会議室に入ってきた人間に声を掛ける。いっちゃんと呼ばれたその人は、男性ながらに女性と言われても通用する顔立ちをしていた。「そうだよお」と発したその声も女性さながらで、本当に男性なのか疑ってしまうほどだ。

 彼は月島の隣へ腰掛けた。


「のでさんとつっきーもお疲れ様」

「いっちゃん、またバックやったん? 売れっ子過ぎへん?」

「今日は歌番組一個だから早く終わったよ。売れっ子なら早く見つけてくれないかなあ、僕のこと」


 ずっと待ってるんだけど? と言いたげな目付きに月島がややたじろぐ。

 その様を双子の弟が持参していたのか、クロッキー帳で描き始める。A4サイズほどのページに、かなり柔らかい鉛筆でスケッチをしていた。先程までの柔らかい表情とは打って変わっての真剣な表情、日出が思わず声を掛けた。


「何描いてるんだ?」

「ん~? いっちゃんの眼圧? が綺麗だったから描いておこうかと」

「みなもん、眼圧は眼科で目に空気をぷしゅっとされて測るやつだよ。高い緑内障の疑いをもたれるやつだから、目力って言いたいのかな」

「うちのじいちゃんが高いって言われとったやつやん」

「それはつっきーのおじいちゃんが大丈夫なの?」


 薬飲めば抑えられるんやって、という月島の言葉を聞いているのかいないのか、双子の弟は真摯に鉛筆を動かす。その間、兄である日出はずっと弟の方を向いていた。しばらくすると鉛筆がクロッキーを擦る音が止み、いそいそと弟は道具一式を仕舞い出した。

 モデルにすらそのスケッチを見せようとしない。完全に自己満足であると割り切っているのだ。鋭さを持った表情は画材を鞄に入れた瞬間、会議室に来た時と同様な柔らかさに変容する。


「っていうか全員で何人呼ばれたんだっけ?」

「分かんない、四人集まった時点で始まらないってことは五人以上じゃない?」

「そうかそうか、なるほど~」

水面みなも


 日出が弟を呼ぶ。水面、と呼ばれた弟は視線だけ兄の方へ向けた。


「右手の横の部分、真っ黒だけど」

「えっうわほんとだ! うえぇ~、ウェットティッシュ、ウェットティッシュ~」

「ほら、俺の使っていいから」

「お兄ちゃんありがと~持つべきものは佐々木日出~」

「なんでフルネームなん?」


※   ※   ※   ※   ※


「ちなみにですが、弟を入れたのは兄しか入れなかった場合の感情を考えたら、という訳ではありませんので。悪しからず」

「そりゃそうでしょう……。難波さんが感情を考えられるとは思いませんから」

「うん? 貶されました?」

「そんなことは!」


 自信たっぷりに否定する野々宮をじとっとした目で三秒ほど見つめ、難波は分かりましたと溜息をついた。


「素質自体なら佐々木日出より佐々木水面の方が上でしょうね」

「そうなんですか? あ、スカウト組でしたっけ、水面の方は」

「そうですね。どこでスカウトしたのか場所が書かれていないので何とも言えませんが、ヤギリのスカウトマンの目に留まったということは何かを感じたのでしょう」

「『何か』とは確証のない……」

「果たしてそうでしょうか」


 意外にも難波は野々宮の疑心を否定する。いや、疑心を更に疑ったという方が正しい。


「歩いているだけで呼び留めたくなる何かがある、ということは人間の本質に関わる部分で魅力があるということです。それはその人本来の良さ、ということでもあります。勿論、運もありますがこれは実力の内に入りますからね」


 立っているだけ、歩いているだけ、座っているだけ、普通に生活しているだけで「この人は何かを成し遂げてくれそう」と感じる──スカウトされるというのはそういうことなのだ。水面にはスカウトマンにそう感じさせる雰囲気があるということだろう。


「実際、雰囲気のある子です。独特と言いますか、兄と同じ顔をしているのにここまで雰囲気が異なるのも面白い。彼を見ていると、色々やりたいことが浮かび上がってきます」

「その観点で見たことはなかったですね……! ダンスも申し分なし、元々歌が得意な子でバラエティのMCもできるオールラウンダーというイメージはあったんですけど」

「技能という側面で見ればその通りです。悪くない着眼点、ですが」


 難波はある雑誌を取り出す。一年前に発売された情報誌、生活にまつわることも書かれているがどちらかと言えばビジネス誌に近い媒体のものだ。表紙に乗っているのはヤギリプロモーション所属男性アイドル『2dot.』のメンバーで、特集のひとつに佐々木水面が取り上げられていたものだ。


「彼は今、一浪して東央藝術大学とうおうげいじゅつだいがくへ受験の準備を進めています」


 難波が見せたページには『現代に生きる“創造”』というキャッチコピーが書かれている。

 写真は当然だが佐々木水面。鬱蒼とした雨の森の中でビニール傘を差し佇んでいる姿が全身写真として載っている。奇抜な蛍光色の服が、映えている。


「やりたいことに対し真摯、そういう人物は得てして周りに良い影響を与えるものです」


 月次考課のフィードバックには「独創性が強く、ソロ向き」と書かれていたが、そうじゃない。その観方は誤りではないが、正解ではない。

 グループとしてデビューさせることが彼にとって最善だった。そう周囲に言わせたいと難波は密かに、心に誓った。


   〇   〇   〇   〇   〇


 次に入ってきたのは長身の青年だった。呼ばれたメンバーで唯一眼鏡を掛けている。少し居心地の悪そうに周りを見遣っている最中に、「いっちゃん」と呼ばれた彼に「ゆう!」と呼ばれて彼の下へ駆け寄った。


「お疲れ、いっちゃん」

「お疲れ様。お前も呼ばれたんだ」

「実は。あ、お疲れ様です」

「お疲れさん、あんま固くならんといて?」


 月島に言われるが眼鏡の彼はぎこちなく笑みを浮かべるだけだった。傍目に見ても緊張していることが伝わってくる。


「そんな緊張しなくてもなあ~、ねえ日出」

「先輩だからというよりか、あんまり絡みがないからだろ。違う?」

「あ、えっと日出くんが正しいです……」

「えっそんななかったっけ⁉」


 腕を組み、首を傾げる水面を横目に、月島が「番組で二回やろ……」と会った回数を指折り数えていた。同じ会社にいるとは言え、入った時期が違えばまったく異なる仕事を与えられる。この場合は逆に「いっちゃん」の彼の顔が広すぎるだけなのだが。


「大体の先輩のバックには入ったからね」

「どこ行──ってもいっちゃんいる時期あったよね~、一時期」

「最近もそんな感じですよ? っていうか、ずっとそんな感じ?」

「代役に呼ばれまくってるんですよ」

「ああ、怪我のアンダーか」


 日出は納得する。どの現場にいるかは分からないが、どの現場であっても多かれ少なかれ怪我や体調不良はあるものだ。それを押して出演することもできるが、基本的に会社はそれを容認していない。こういうところはまともな会社だ、と日出は思っていた。


「まあダンスはいつきには敵わないので……」

「敵わないって。やめろよ、その言い方」

「そうだよ~、技術よりも大事なものはいっぱいあるよ~?」


 水面の発言にも眼鏡の青年は納得し切れていないようだ、曖昧な笑みを浮かべている。対する引き合いに出された斎は一瞬呆れた雰囲気を出しながらも、軽く息を吐き出しながら「そうは言っても、よ」と一変して砕けた口調で話を続ける。


「デビューできなきゃ意味ないから」


※   ※   ※   ※   ※


御堂みどうが残ってて本当に良かった……! と私は思わず叫びました」

「叫んだんです⁉」


 野々宮は至極真っ当に驚いた。このアンドロイドも同然な人間が、まさか喜びのあまり叫んでしまうなんて想像ができない。それよりも彼女をそこまで喜ばせた御堂斎という人物の方に驚くべきか。

 女性のような外見、声、そのため扱い辛く逆にダンスの実力は練習生屈指でバックダンサーとして引っ張りだこ──という話は野々宮も当然知っていた。ただ難波は少し様子が違う。


「正直、ヤギリに来る前から知っていたんですよ。彼のことは」

「……やっぱりダンサーとして思うところが?」

「『元』ですが、そうではなく、同じダンスコンクールに出たことがあるんですよ。現役時代に」

「え⁉」


 難波がまだアイドルで『Dream Era』のセンターだった頃、武者修行企画ということで彼女たちはアメリカの有名なダンスコンテストに出場したのだ。その名も『MustGoOnマストゴーオン』、全世界から腕に自信しかない猛者が集う世界で最も有名なダンスコンテストのひとつである。


「私たちはグループとして出ましたが、彼はアンダー十五歳の部門のソロで踊っていました。たまたま時間が合ったので見ていましたが、圧巻でしたよ」

「バックで踊っている時も鬼気迫るものを感じますが、それとは全然?」

「違いますね。彼はセンターで踊るべき人間です」


 煌々と照らされたスポットライトの下、己の汗も装飾のように瞬かせ、振り乱した髪も靡いた衣装も演出のように一緒に『舞う』あの姿はそう簡単に忘れられるものではない。難波も夢に見たくらいだ、恐ろしくて。


「恐ろしい……?」

「今は怖くないです。ただ現役時代は、あれが今後表舞台に上がってくるのだと思うと恐ろしくて仕方がなかったんです。自分の後ろをとんでもない才能が、猛追してくる。しばらく眠れませんでしたよ」

「そんな子がグループに入ってくれるなら有り難いですね」

「ええ、良い意味でも悪い意味でも波乱を起こしてくれそうです」

「はい?」


 先程の人間味溢れる風情はいずこへ、難波はすっかりと機械じみた真顔に戻っていた。自分の思い出話をしていたことすら忘れたような、仕事しかしていないような顔だ。


「彼らのデビューの経緯は放映されるんですよ。TVショーには波乱のひとつやふたつ、なくてはだめじゃないですか」


   〇   〇   〇   〇   〇


「デビュー、ね……そうね……」


 いきなりお通夜のようになってしまった会議室。当然後から入ってきたものがその異様な雰囲気に驚き、二の足を踏むのは致し方のないことである。その少年は長い髪をひとつに束ね、薄っすらと化粧をしていた。最近男性でも日常的に化粧をする人はいるというが、この年代ではまだ珍しいのではないだろうか。主に校則等を理由に。


「あ、すまんすまん、入ってきて大丈夫やで。雰囲気アレやけど、樹海風やけど」

「じゅ、樹海、ですか?」

「ちょっと、誰が敷地はほぼ正方形ですって?」

「のでさん、そのツッコミは誰も分からない。っていうかそうなの?」

「らしいよ」


 日出の豆知識にその場の全員が感嘆の声を上げる。覚えたところでクイズ番組に使えるかギリギリなラインの蘊蓄だ。

 長髪の少年はこの部屋に顔見知りがいないのか、少し視線をうろつかせたあと日出の隣を一席空けて着席した。かなり委縮しているようだ。見向きもしないなあと水面、月島がほぼ同時に思い始めた頃「あ」と御堂が素っ頓狂な声を上げた。


「いっちゃん何事?」

「や、そういえば同じ高校だよね、君。見たことある」

「あ、はい、そうです……」

「いっちゃんとこっていうと、スト学?」

「うん」


 スト学こと私立ストレリチア学院高校、ヤギリプロモーションが業務提携を結んでいる高校のひとつであり、芸能科にはヤギリを始め様々な事務所の練習生やデビューしたアイドル、俳優、モデルなどが在籍する。御堂のクラスメイトには声優もいるそうだ。


「御堂くん、すごい記憶力ですね……」

「なんかかわいい子いるなあって」

「ぎゃ⁉ え、か、かわいいですか?」

「ぎゃ? うん、かわいい……かわいくない? どうよ、侑太郎ゆうたろう

「ええ俺に振る……?」


 眼鏡の青年もとい侑太郎はじっと長髪の少年を見つめる。御堂の言う「かわいい」の意味は多様性が込められているため、イマイチどの部分を抽出した感想なのか理解し難い。だが御堂に率直に褒められて照れるその様──両頬に両手を当てて笑う様なんかは、確かにかわいい仕草だ。

 思わず侑太郎も真似してみる。それを見て周りから冷やかしとも歓声ともつかぬ、生温い声が響いてきた。


「あざと、南方みなかたあざとい」

「……見なかったことにしてください」

「嫌です拡散します」

「やめてくださいよ⁉」


 機械音声よろしく早口かつ棒読みで宣う日出に過剰な反応を示す侑太郎。先程までお通夜同然だった場の空気が少しだけ和らいだ。


※   ※   ※   ※   ※


「頭の良い子はひとりくらい欲しいですね。勿論勉学で、という意味ですが」

「最近そういうアイドルも増えてきましたよね。インテリ系と言いますか、高学歴と言いますか。うちでいうと『2dot.』の門脇がそうですね」

「門脇さんの存在は大変有難いのですが、逆にハードルが上がってしまった感じも否めません。時代の流れということなのでしょうが」


 南方侑太郎に関しては、何故か難波は通知表の内容まで手に入れていた。どこのコネクションを使えばそんなものが手に入るのか、「どんな資料が出てきても何も驚かないぞ」と先程心に決めていた野々宮だったがその決心は数分足らずで打ち砕かれていた。


「中学はすずな、高校は都文とぶんなので紛れもない秀才です。来年受験期というところがネックですが、今の練習生で一番学業優秀なのは彼でしょうね。頭が下がります」

「……勉強するよりレッスンに励んだら、とか思わないんですか?」

「思いませんね」


 野々宮の遠慮がちだがストレートな質問を難波は袈裟斬りで迎え撃つ。


「馬鹿は痛い目を見ますから。それに学校は案外大事なことを教えてくれます」

「たとえば?」

「人の話をその通りに聴く、その通りに他の誰かに話す、殴り合いではなく話し合いで決着をつける、などなど」

「普通のことじゃないですか!」

「これを普通だと思っている時点で相当恵まれている、もしくは頭が良いということですよ。野々宮さん」


 東大でしたっけ、という難波の言葉に、ええまあ、と野々宮は普段のクソでかボイスはどこへやら大して嬉しくもなさそうに返事をした。東大を出たから何だと言うのだ、という雰囲気で満ち満ちている。それを感じつつ難波は、まったく気持ちが分からない、と心で断じた。生憎、高学歴ではないので。


「前提として勉学に励んでいるだけではだめですけど」

「南方の実力は自分も分かっています。作詞作曲できる練習生もあまりいませんし、月次考課をラップで行うのも珍しいですから結構目立ってますよ」

「なかなか良いリリックを書くんですよね、いくつか拝読しましたがどれも素敵です。かっこいい」


 デモももらいました、聴きますか? と難波にUSBを差し出された野々宮は、挙動不審になりながらもそれを受け取る。こんなもの、本人に突撃しない限り手に入らないのではないだろうか。


「困難を目の前にした時、知識に頼れることができると安定感が違います。彼にはこのグループの安定感を担ってもらいたいものです」


   〇   〇   〇   〇   〇


「なあ桐生きりゅう、なんで隣に座らないんだ」

「え、なんで、と言われましても……」


 日出は自分の隣をひとつ空けて座った長髪の少年こと桐生に詰め寄っていた。完璧な表情管理がされたその顔から得られる情報は何もない。怒っているのか、悲しんでいるのかの判別もつかない。発された言葉のトーンは少し悲し気であったが……。


「遠慮してるなら俺が詰める」

「ええ⁉」

「日出くん……積極的ですね……」

「後輩に怖がられたくないんだ」

「そういう言動は逆に怖いと思うんやけど……」


 日出が一席詰めれば月島も一席詰めた。水面の正面に人がいない形となったが、水面は気にしていないようだった。御堂と何かしら込み入った話をしているようで、南方は視線を一瞬彼らに寄越しすぐさま桐生の方へ戻した。


「見た通り悪い人ではまったくないから、安心して」

「は、はい……」

「なんか悪化してない? そんなに怖い? 俺」

「せやから言うたやろ……逆に怖い言動やて」

「や、怖い、じゃなくて、なんでしょうか」


 桐生は視線をうろつかせる。何を言えば良いのか考えている表情、何を言いあぐねているのか自分でも不明瞭な視線の彷徨い方だ。

 この時点で南方は何となく桐生の言いたいことが分かった気がした。無論推測である。彼が置かれた状況を鑑みると自然であるが、ここにいる人々に察知はし難いだろうなと南方は納得した。端的に言えば、「居辛い」のだろう。そしてその推測は正解だった。


「自分がこの場にいても良いのかな、と……」

「うん?」

「お疲れ様でーす。遅かったですか?」


 それなりの声量で挨拶をしつつ入室してきた人間に目を奪われ、桐生の回答はうやむやになってしまった。

 入ってきた人物はふたりで、挨拶をしそびれた方は控え目だが悪びれもせず「お疲れ様です」と言って頭を下げた。その様子を受けて難波が口を開いた。


「学校だったのでしょう。大丈夫です」

「それは良かったです。あと森富もりとみなんですけど、さっきあそこの陰で笹森さんに捕まってたんで少し遅れそうです」

「ありがとうございます、承知しました」


 先頭で挨拶をした少年は難波に整った東洋人の顔立ちに青い目というエキゾチックな顔立ちをしている。対して背後にいたもう一人の少年は分かりやすく西洋人の顔立ち──ダークブロンドの髪に緑色の目──をしていた。

 またも目立つ二人が来たものだ、と水面は並んで南方の隣に座る姿を見て漠然と思った。

 最低でもあと一人来る。そのあと人数が増えるかは分からないが、こんなに練習生を揃えて何をしようと言うのだろうか。

 水面の思考には『期待』という言葉がなくなって久しかった。


   ※    ※   ※   ※   ※


 そう言えば全員で何人のグループになるのだろう、と野々宮はふと思った。それを読み取ったのか難波は平然と「九人です、九人でデビューを目指してもらいます」と言う。この人、テレパシーも体得しているのか。


「デビュー、というとサバイバルではないんですか?」

「はい。上から直々に『Nb』との差別化を指示されたので、ドキュメンタリーにする予定です」

「……ますますきな臭いですね」

「そもそもこの話自体が全体的にきな臭いですが。色々邪推はできます、できますがそれはデビューを目指す練習生には関係がありませんし、私にも関係がありません」


 関係がないからこそ任されたのだろう、ということまで理解ができる。

 これはあくまで難波の推察だが、芹澤常務が新規アイドルグループのプロジェクト立ち上げを指示されたのは難波に出会うよりも前の話だろう。通常このようなプロジェクトが一朝一夕で決まる訳がない、きっと何年も温められた企画のはずだ。それこそ『Nb』は昨年デビューと言え、実際の構想には五年近く要したように。

 ただ芹澤常務がその企画を進めなかった、恐らくだが止めていたのだ。下手な派閥争いに繋がることを危惧し、誰にも任せないまま宙に浮いた状態にしていた。社外でも有名だったヤギリの『御家騒動』は社内にいれば否応でも耳に入ってくる。普通の中途採用には任せ切れない案件であることは間違いがない、プロパーなら尚のこと、そこで目をつけられたのが自分だった──というのはあまりにも洋画チックか。


「で、五人目は桐生永介えいすけです。一番の不安要素です」

「不安、ですね……確かに」

「ダンス未経験で入ってきて、基礎ダンスをすべて習得しバックダンサーに入ったのが昨年中頃から。経験値は足りませんが、ボーカルメンバーとしての実力を買いました」

「歌は、……月次考課でも評価が凄まじいですね。なんだこれ……」


 ここで月次考課について説明をしよう。ヤギリプロモーションには『月次考課』という制度がある、分かりやすく言えば毎月ある技能テストだ。歌・ダンス等パフォーマンスを自分で演出し、それをレッスン講師陣に披露する。評価が悪くてやめさせられる、ということはないが評価が良くなければデビューには至れない。練習生が最も恐れる評価制度だ。

 桐生の月次考課フィードバックは極端な値を示していた。総合評価はDだが歌のみ講師陣満場一致のS。歌の評価のみ、入社して以来変動がない。


「やはりダンスの値が低いんですよ、普通ならばデビュープロジェクトに加入できないくらいには」

「デビュープロジェクトに参加するために必要なのは総合評価B+以上ですからね。歌はSですがその他がこれでは……」

「そこは本人の頑張り次第、ということで宜しくお願いします」


 難波は冷静に言い放つが、桐生の心情を考えると複雑極まりないということは理解していた。デビュープロジェクトに参加するということは彼にとって、いきなり高いレベルに放り出されるということを意味する。

 それでもヤギリに入社してくる以上、越えなければならない壁ではあるはずだ。本人のためを思っても、何よりこのプロジェクトを成功させるためにも彼の歌声は必要不可欠だった。逆にあれが埋もれる方が損失だろう。

 この業界で大事なのは、いかに自分を正当化できるかだ。錦の旗は御手元にあるぞ、と胸を張ることが肝心。しかし桐生のことはよく見ておこう、と難波は決心していた。今はまだ鈍いが、次第に燦然と輝く才能とまみえることになるはずだ。

 それまで大事にしていかないといけない。大事にすることと、過保護にすることはノットイコールであるけれど。


   〇   〇   〇   〇   〇


「すみません! 遅くなりました!」


 結局最後の一人、となった森富は慌ただしく会議室へ駆け込んでくる。来週からツアー帯同するグループの演出担当に捕まっていたようだった。頭を何度も下げながら桐生の隣に座る。どうやら顔見知りのようで、桐生はようやく笑顔を浮かべていた。


「ではこれで全員ですね」


 難波はそう言い放ち、彼らが座る机にレジュメを置く。そして一部ずつ机を滑らせて彼ら元にそれを送った。


「こちら資料です、全員手元に行き届きましたか?」

「……『プロジェクト:再定義』?」


 南方がぼそっと呟く。レジュメの表題には聞き慣れない文言が並べられていた。


「単刀直入に申し上げます。あなたたち九人には、このヤギリプロモーションでデビューを目指していただきます」


 難波は唐突に口火を切った。『デビュー』という言葉が各人の耳に届く。

 御堂は不敵に笑うが、桐生や森富は唖然としていた。水面、日出などは少し疑うような視線を向けている。月島もどうリアクションをすれば分からないようで、首を傾げていた。南方は言葉を聴いてすぐに資料の読み込みに入る。

 彼女の次に口を開いたのは、青目の少年、土屋亜樹つちやあきだった。


「デビューを目指すということは、デビューできる確証はないってことですか?」

「はい。確定ではありません」


※   ※   ※   ※   ※


「ラッパーも二人欲しかったので、ここは土屋亜樹を入れました」

「ビジュアルラインのバランスとしても良いですね……そうかあ……」

「正統派は一人いるだけで大分違いますからね、見栄えも、集客も」


 難波は彼の練習生写真を一瞥する。整った顔立ちは中性的だが日本人らしい、しかし黒髪に浮かぶ青い目は神秘的で思わず目が惹かれてしまう。


「なんかビジュアルが良いからすぐデビューできそう、とか言われてそうですね。彼」

「それって屈辱的じゃないんですか?」

「だからこそのラッパー路線なんだと思いますよ」


 月次考課のフィードバックを見るに、ダンスと歌の実力も申し分ない。だがあくまでメインがラップというところに、本人のこだわりというかプライドの高さが透けて見える。負けん気の強い人間は嫌いではない、むしろこの業界で必要な素養の内のひとつだ。


「南方と技能面では似ています。曲が作れるラッパー、ただしグループ内での立ち位置はまったく異なるでしょうね」

「それがグループの良いところだと思います。要素だけ書き出すと似てるけど、実際に見て見れば全然違うじゃん、っていう」

「そこが楽しいところです、それを象徴する人物となってくれると嬉しいです」


 ちなみに土屋の曲はYouTubeで大体聴けます、と難波は野々宮に説明する。だからどうしてそういうことを知っているのだ、といい加減口を挟みそうになったが堪えた。訊いたところで具体的な返答はなさそうだからだ。


「たまにいるんですよ。入ってきた瞬間にもう『できあがっている子』が」

「土屋はそのタイプなんですか?」

「少なくとも、既にデビューしている面々の中でも彼よりビジョンが確定できていない子はいるでしょうね」


 雑誌の取材、月次考課の方向性、どれをとってもどういうアイドルになりたいかが明確過ぎる。明確な目標を据えて努力をしているのだから、血肉になるスピードも当然速い。メンバーにとっても良い刺激になる人材であることは間違いない。


「懸念点、というと海外暮らしが長いということと御実家でしょうか」

「スキャンダルの種でもあるんですか?」

「見ようによってはそうかも知れませんが、この件は深く考えてもしょうがないです。あくまで噂レベルですし」


 でもきっと事実なのだろう、と難波はどこかで確信していた。

 日本で名前を知らぬ者がいない大企業の隠し子──それが土屋亜樹である、だなんて。荒唐無稽だが、わりとあるのではないだろうか。本人のままで勝負させてあげたい、という気持ちしか湧き上がってこないけれど。


   〇   〇   〇   〇   〇


 あくまで彼らはデビューできるチャンスを与えられたに過ぎない。

その部分は丁寧に説明しなければならないところだ、テレビ的にはカットされるだろうが難波はその部分を慎重に紐解いていく。


「まず資料二ページ目を開いてください。一ページ目はコンセプト等が書かれていますが、ここは各位読み込んでいただければと思います」


 ばさばさと紙が捲れる音が会議室に響く。二ページ目の見出しには【今後の流れ】と書かれており、今後のスケジュールがざっとだが記されていた。


「今後ですが、まず三月から四月にかけて『宿舎の引っ越し』『MT』『個人面談』を行います。最優先事項は宿舎の引っ越しです、これだけは三月中に終わらせないといけません」

「何故でしょう?」


 今度質問を飛ばしたのは緑目の少年、高梁透たかはしとおるアレクサンドルだ。


「宿舎なら今住んでいるところでも」

「三月からここにいるメンバーで共同生活を行ってもらいます」

「まさかの⁉」


 反応したのは月島だ。ちなみにヤギリプロモーションには遠方から来た練習生のための宿舎があるが、決して全員の入居が必須となっていない。日出、水面の佐々木兄弟や桐生のように実家から通っている者もいるのが現状だ。

 だがデビュープロジェクトに参加すると宿舎での共同生活が必須となる。デビュー組に選ばれること、すなわちメンバーとの共同生活を行う。デビューできるかも知れない、その実感がじわじわと月島の胸の内にせり上がっていった。


「あの、ちなみに『MT』というのは……」


 恐る恐る森富が手を挙げた。それに答えたのは難波ではなく南方だ。


「『Membership Training』の略だね。学校の野外学習みたいな?」

「その通りです。友好を深めていただこうかと」

「えっと会社の予算で遊びに行けるのですか?」


 率直な物言いをした高梁に南方が渋い顔をする、その隣の御堂は噴き出していたが難波は何も気にせず「そう思っていただければ」と回答した。


※   ※   ※   ※   ※


「高梁透アレクサンドルは、言語的な問題で大丈夫なんですか?」

「意思疎通が難しいかも知れない、というのはありますね。ただそれを加味しても入れるメリットはあると思います。見栄えがまず良いですし」

「見栄えの良さは確かに大事ですけど……」

「バレエを主軸としたダンスセンスは図抜けています。元々はモデルとしてスカウトしてきたらしいですが、面談の末にアイドル路線へ切り替えたそうですよ」


 よくある話なんですか、と野々宮が尋ねてくるのを難波は首を横に振って応える。逆はあるかも知れない、アイドルとしてスカウトしたがモデル路線へ変更、もしくはモデルとしての競争率を見かねてアイドルもといタレント路線への変更──もっとも、後者は苦肉の策でしかないが。

 費用対効果を考えると、パリコレモデルを育てるよりバラエティアイドルを育てる方が割が良いのは確実だ。ただこれも比較したらの話でしかないし、小さい事務所には『育てる』土壌すらないのが現実である。「面談の末にアイドル路線へ」と舵を切れたのも、スカウトしたのがヤギリプロモーションだからこそ。


「本人が大変意欲的なのが好感触です。なんだかんだ、みんなやる気のある人間の方が好きですし。一生懸命な人間と言い換えても差支えはありません」

「一生懸命な人間は自分も大好きですけど! ……意思疎通が困難なのも、メンバーの助けでどうにかなると信じるしか、ない? んですかね」

「ようやく分かってきましたね、野々宮さん」


 難波は大きく頷いてからきょとんとする野々宮と目を合わせた。


「応援してもらえるような人間になる、そういうチームになるというのはアイドル自身の自助努力が不可欠です。割合で言うなら自助努力のみでほぼ百パー、我々が手出しできる領域ではないんです」

「はあ」

「では我々が何をするのか、というと簡潔です。売れるように根回しをすることです」

「……事務所の力で売れた、とか言われませんかそれ」

「事務所の力だろうが何だろうが、売れたら正義です。そしてそう言われないために、本人たちは自助努力をしなければならないんです」


 事務所が大手だから、とか、事務所の業界への力が強いから、とかそんな話が飛び交うのは当然なのである。どの世界も三人集まれば派閥ができる、芸能界だけがそうではないという話は決してない。むしろ金に直結する案件が多い分、派閥はどの業界よりも色濃いのではないだろうか。

 生き馬の目を抜くと言っても過言ではない世界で生き残るためには、使えるものはなんでも使う図太さが必須だ。事務所の力然り、大御所の力然り。しかしそれだけではやっかむ輩が出てくる、どうしようもないことだししょうがないことだとも言える。

そいつらの口を塞ぐのに必要なのが『実力』だ。


「実力さえあればアンチの発言はただの極端な好き嫌いですよ。許されざることではありますが、気にするようなことではなくなります」

「な、なるほど」

「メンバーが高梁とどう接するのか分かりませんが、彼との意思疎通が成り立たなくなった時点でデビューの話が『終わり』になる可能性も否めない。今後の彼らの絆に、乞うご期待ですね」

「てぃ、TVショーだ……」


   〇   〇   〇   〇   〇


「そして五月からなのですが、みなさんには『夏嵐なつあらし』へ参加してもらいます」

「『夏嵐』……⁉」


 全員がどよめく──否、日出と月島、御堂だけは平然としていた。理由は明確、彼らは入社してから毎年参加しているからだ。

 『夏嵐』というのはヤギリプロモーション所属三人組男性アイドルグループ『2dot.ツードット』のメンバー、嵐山旬哉あらしやましゅんやが主演・総合演出を担当する舞台だ。通常夏から秋にかけて行われる公演で、今年も例年通り五月から稽古が始まるらしい。難波はそこをこの新グループのお披露目の場にねじ込んだのだ。

 平然とする三人のほか、久し振りの参加になる水面は顔を顰めており南方もほぼ同じ顔をしている。未参加だった土屋、高梁は真剣な表情を浮かべるが、同じ未参加でも桐生と森富は青褪めている。つまり、そういうことだ。


「そして八月なのですが、会議室に入ってきた時より後ろのカメラが気になっていたのではありませんか?」

「そりゃあ、勿論」


 御堂が大きく頷く。スタッフは少数だが腕章には『NBC』の三文字が輝く。赤坂にある全国ネットのテレビ局だ、この日本でテレビを観ていない者で知らない者は恐らくいない。


「みなさんのデビューまでの様子は、配信サイト『Choiceチョイス』内で放映されます。初回配信日は八月十五日。それ以降は毎週一話ずつ配信される形で、ひとまず十一月頃に一区切りという感じですね」

「十一月というのは?」

「配信の編成、制作側の事情ですね。悪しからず」


 質問した水面は納得したのか曖昧に頷いた。

 配信サイト『Choice』はNBCテレビが提携を結んでいる配信サービスだ。そこで配信されるならば、制作側がNBCテレビなのも納得がいく。

 

「という訳でみなさんにこれからドキュメンタリーに携わっていただく、NBCテレビの方々をご紹介致します。すみません、自己紹介、お名前だけ頂戴しても構いませんか?」


 あ、はい、と難波に促され、カメラの横に立っていた中肉中背の男性が一歩前に出た。それに合わせて、デビュープロジェクトに選ばれた九人が起立する。

 ひとりずつ名前と自身の役割を口にするたび、彼らは「お願いします」と頭を下げ拍手をした。ディレクター、AD、カメラ、音声、照明と少数精鋭だが姿勢からは誠実さを感じる。


「ありがとうございます、では最後に」

「あの、その前にあなたの名前を改めて伺ってもいいですか?」


 日出に言われ、難波は動きを止めた。


「言ってませんでしたっけ?」

「聞いてません」「分かんないです」「知らないです」「まったくの初耳です」

「あらまあ、それは失礼いたしました」


 恭しく頭を下げ、難波は自分の名前と経歴を口に出した。


「元MCエンターテインメント所属『Dream Era』というグループでアイドルをしていました、現在はヤギリプロモーション、タレント育成推進課プロデューサー職、難波真利夏と申します。宜しくお願い致します」


 そして最後に、と難波は改めて口を開いた。


「グループ名は『read i Fineリーディファイン』です。みなさん、絶対にデビューしましょう」


※   ※   ※   ※   ※


「森富太一たいちって末っ子なんですか、グループでは」

「大きいですよね、この子。歌を聴きましたが、聞き惚れてしまうほどしっかりとした低音ボイスでした。威圧感が凄まじいですが、存在感がひとつ頭抜けていますね」


 あとモデル体型です、と難波が差し出したのは男性ファッション誌。森富の年齢にしては少し大人向けの雑誌だが、彼は堂々と衣装を着こなしカメラに向かっていた。こなれ感よりかは真摯さを感じる視線だ。


「運動神経が良くてダンスも、体が大きく手足が長いわりには俊敏に動ける。……気を付けるとするなら怪我、ですかね。ダンスで使う筋肉と運動で使う筋肉は違うので」

「鍛えても無理なんですか?」

「というより、踊ることでしか鍛えられない筋肉があるんです。それはもう数をこなすしかないですからね」


 元アイドルグループのメインダンサーが言うだけあって説得力はある。やはりダンスに対しては強い思い入れがあるのか、と野々宮がそれとなく探りを入れてみたが難波は「アイドルは歌えてなんぼですよ」と真逆のことを言い放った。

 これは難波の、というより彼女が所属していたMCエンターテインメントのモットーだ。アイドルとは『歌って』『踊る』者であり、『踊って』『歌う』者ではない。実際彼女も現役時代はボイストレーニング、歌唱レッスンで相当絞られたクチらしい。


「天性的に歌が上手い人間への嫉妬心は未だにありますよ、自分を正当化する訳ではありませんが嫉妬自体は悪いことだと思いませんし」

「それが活力になることだってありますもんね」

「……実は、森富以外のメンバーは秘密裏に情報を集めていたんですが、森富とは一回だけ会話したんですよね」

「え⁉」


 難波は話し始める。あれは一週間ほど前、いちばん大きなリハーサル室前で情報を集めていた時のことだった。

ゆっくりとリハ室の扉が開いたと思いきや、いきなりひとりの練習生と思わしき少年が駆け出していったのだ。流石に状況が分からなさ過ぎたので追い駆けもせず目で追っていたのだが、トイレに消え数分後で頭が水浸しの状態で少年は出てきた──それが森富太一だったそうだ。


「風邪引きそう……」

「私も同じことを思ったので慌てて駆け寄りました。たまたま大きめのスポーツタオルを持っていて良かったです」

「それで、森富はなんだったんです? なんで水浸し?」

「どうやらダンスで躓いていたそうで」


 その時のリハ室では春から行われる『Seventh Edge』のツアーコンサートのリハが行われていたらしい。森富はそのバックとして帯同する予定なのだが、他のスケジュールとの兼ね合いもありダンスレッスンが満足に出来ていなかったとのこと。


「自分で自分に腹が立ったらしく、クールダウンするために水をかぶったらしいです」

「あー気持ちは分かります! 自分もよく同じことしますし!」

「しそうですね、野々宮さんなら。──森富はこう言ってました、できていないのは自分のせいなのに周りが羨ましく思えるのは良くないから頭を冷やしました、と」

「できた子ですね」

「考え方がアスリートなんですよね。ああ、この子良いな、と思いました」


 一番大きな理由がそこですね、と難波は自分の思考に納得したように呟く。

 彼らを招集するのはもう少し先になるが、招集後にはひとりずつ話す機会を設けよう。やはり直接会って話すことは大事だ。見える範囲が広がっていくし、色んな事が分かっていく。生きている人間の情報量は凄まじいのだ。


   〇   〇   〇   〇   〇


「あの、っ!」


 解散と言われた直後、森富は立ち上がり帰り支度をしているメンバーに声を掛けた。いきなり呼び掛けられ驚いた面々は声の方向、森富太一の方へ一斉に目を向ける。その視線に一瞬慄きつつも、森富は踏ん張って口を開いた。


「俺……あ、森富なんですけど」

「知ってるよ?」


 土屋からヤジが飛び、他のメンバーがくすくすと笑い出す。少し空気が柔らかくなったのを感じ、森富は再度言葉を紡いだ。


「みなさんと同じグループになれて、その、今までグループとか入ったことがなかったんでこれが初なんですけど、初めてがみなさんで楽しみです。すいません、何が言いたいんだろ……、えっと、よろしくお願いします! 足引っ張らないように頑張ります!」

「え、なにこの子、かわいい」


 九十度を超えるお辞儀をした最年少を見て、御堂がぼつりと呟いた。かわいいねえ、と隣にいる南方に同意を求める。南方も頷き「かわいい」とはっきりと言った。


「一生懸命でかわいい」

「うん、かわいい、よろしくね~! がんばろ!」

「お、俺、かわいいですか?」

「かわいい」

「えっ⁉」


水面に詰め寄られ怯えた風の森富に、食い気味に日出が言葉をかぶせた。それにより森富がより一層怯える。


「かわええなあ……」

「森富がかわいいのは俺が一番よく知ってるんで」

「土屋のそれはどのポジションからの発言なの……?」


 俺が育てたと言わんばかりの土屋の発言に、桐生は眉根を寄せて苦言を呈した。


「とみーかわいいですね! ライオンの赤ちゃんみたいです!」


 かわいいイコールライオンの赤ちゃんという高梁の謎発言に、部屋の中の時間が一瞬止まる。

 こうして『read i Fine』は結成された。初日にして和やかな空気が流れている、と八月十五日に配信された第一話でナレーターが紹介していた。

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