Season1

①Preparation - sub

「『ヤギリなくして日本のテレビなし』なんてもう二十年以上も前のことだよ」


 その人はウイスキーグラスを弄びながら、心底うんざりしたように漏らした。

 こんなことゴシップ記者に聞かれでもしたら、と難波は一瞬心配になったが業界人御用達のこのバーは機密性が高く、どんな内緒話でも絶対に外に漏れないという折り紙つきだった。その触れ込みで先輩にここを教えてもらい、後日その先輩が違うバーですっぱ抜かれたのは笑える(笑えない)思い出だ。

 それ以来、芸能界を引退した後でも一人で酒を飲むならこのバーと決めていた。業界人御用達というだけで、業界人以外が通ってはいけない道理はない。当然だけど。

 その日は大きな仕事が終わって、しかも次の日が十日ぶりの休みということで浮かれていたのだ。どうしても家呑みでは満足できなくて、わざわざ家とは反対方向の電車に乗ってここまで来た。来た甲斐はあった、お酒が美味しいし料理も美味しい、程よく酔っぱらってきたので足元が確かな内に帰ろうと席を立ちかけた瞬間「もし」と話し掛けられたのだ。

 それが冒頭の言葉を漏らしたその人、ヤギリプロモーション取締役常務であり、マネジメント事業部統括部長を務める芹澤温であった。

 この芹澤との出会いをきっかけに、難波は再びアイドルと関わることになるなんて、この時は思いもしなかった。現に今でも信じられていない。


※   ※   ※   ※   ※


「これが一応こちらで決めたメンバーです」

「ありがとうございます。……全部一から決め直す、っていうのはありなんですか?」

「ありですよ。……マジですか」

「わりとマジにしようとしています」


 地獄の挨拶回りアット午前が終了し本当に休むだけとなった昼休み後、難波は早速タレント育成推進課へ戻り業務を進めることにした。

 野々宮から渡された資料を流し見つつ、難波は疑問を口に出していく。矢継ぎ早に疑問が出る自分ってなかなかだなと思ったが、それよりもその疑問を的確に答えていく野々宮の方が凄まじい。声はでかいが優秀な人材だと思った、声はでかいが。


「このメンバーの選考基準は?」

「練習生は基本個々で活動していますが、ある程度仕事の傾向は偏るんです。たとえばこの先輩のバックが多いとか、この定期公演の端役としてよく出るとか、そうしてユニットという程ではありませんがグループの『前段階』みたいなものができていく。その『前段階』でデビューさせても遜色のない実力のあるところを選出しました」

「『Seventh Edgeセブンスエッジ』は確かその形でしたよね。デビュー前は『ハレルヤ組』とか呼ばれてませんでした?」

「よくご存知で! 流石です!」


 『Seventh Edge』とはヤギリプロモーションで現在最も活発なグループだ。七人組男性アイドルグループ、ロックテイストで攻撃的なパフォーマンスと、半数以上を関西人で占めるメンバーの笑いに全振りした掛け合いのギャップがウケている。

 かつて『Seventh Edge』のメンバーは全員『学園喫茶ハレルヤ』というドラマに出演していた。元々バックダンサー等で一緒になることが多かったメンバーだそうだが、このドラマで知名度が一気に上がり七人でのデビューに至ったという。業界どころかファンにとっても有名な話だ。


「完成型アイドルが主流になりつつあったアイドル業界において、『Seventh Edge』が成長型アイドルの代表格として挙げられるようになったのは芹澤せりざわ統括の手腕故、ですけどね!」

「芹澤さん、本当にすごい人ですよね」


 難波がヤギリプロモーションへ行くことを決めたのは、そんな芹澤から誘いを受けたからだ。

 「新時代のアイドルを作ってみないか──」という、芹澤ゆたかという業界屈指のパイオニアでないと到底信じられない言葉を掛けられ、難波は二つ返事でここに来た。正直な話、酔って気が大きくなっていたというのもある。勿論、それだけではない。


「『前段階』でのグループは嫌でした?」

「というか、個人を知らないので何とも言えないんですよね」


 選出されたメンバーの情報は入社時に提出される履歴書、社内の活動履歴、そして練習生月次考課の評価フィードバックくらいだ。確かにどのような活動をし、どのような技能を持っているかは判然としている。ただ、そこには『性格』という重要な情報が欠落していた。


「時間を貰えませんか。デビュー相応の練習生の人となりについて、知る時間が欲しいです」

「……人となり、ってそんなに大事ですか?」


 野々宮は不思議そうな顔で首を傾げた。良い質問ですね、と難波は言いたくなった。

 実力主義且つ作られた美徳が優先されるこの業界における人となり、それが一体どういう役割を担うのか。いくつか理由はあるが端的に一つ目は、リスクヘッジである。


「スキャンダルの防止です。今や一度の失態を死ぬまで言われ続ける世の中ですから、性格を知っておけばどこを抑えれば良いのかが把握しやすいです」

「つまり?」

「異性関係に難ありなら先にそこを釘差しておけばいいし、気が大きくなりやすい性格ならマネジメント側の言動で制御できます。長く息をしてもらうためにやれることはすべてやるべきかと」


 強いては本人のためでもある。デビューした以上、できる限り長く活動をしてもらいたい。それは社が今までしてきた投資、そして社の利益のためでもあるが、アイドルになるために人生のほとんどを捧げてきた彼女ら彼らの未来を守ることにも繋がる。

 そう、二つ目が守るためだ。


「忙しい内が華だからと言って仕事が沢山あると喜ぶ人、忙しくてメンタルを壊してしまう人、技能からこの判別はつかないでしょう」

「確かに……イメージも良くありませんし」

「本人も更に生き辛くなりますしね。社会復帰できたら御の字、できなかったら地獄です」


 そうなってしまった同僚が何人かいた。彼ら彼女らはどうしているだろうか、と難波は一瞬遠い目をする。ひとまずそれは置いといて、業務中なので。


「三つ目は、愛される人間を作るのは面倒臭いからです」

「……面倒臭い、んですか?」

「はい。人格の矯正ですから、一番面倒だし厄介です」


 これは体験談だ。そもそもアイドルという人種は二種類いる。選ばれしアイドルの民と、作られしアイドルの民だ。難波は自身が後者である自覚がはっきりとある。そして人格を矯正している最中は、普通に地獄だった。引退した後も接客業だけは死んでもやらない、と決意したほどであった。それくらい、元の性格は大事なのである。


「作られしアイドルの民も尊いですけどね。プロデュース側としては選ばれしの方が楽です、が」

「が?」

「まあ、バランスです。選ばれしと作られし半々くらいが理想ですね」


 全員作られしだとプロデュースも本人たちも大変だ、全員選ばれしだと面白みに欠ける。何よりも人工物が好きな人も世間には少なくない。


「目指すべきは完成型と成長型のいいとこどり、なんでしょうね。できるんですかね、そんなこと」

「自分に訊かれましても……まあ、できると思います!」

「根拠なさそうで大変素敵だと思います。それを踏まえて人となりは大事ですし、それを知るための時間をください。上限は設けてもらって大丈夫なので」

「……三週間でどうですか?」

「……、……頑張ります」


 せめて一か月は欲しかった、と難波は心中呻いた。

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