プロジェクト:再定義

“read i Fine” - intro

「単刀直入に申し上げます。あなたたち九人には、このヤギリプロモーションでデビューを目指していただきます」


 そう言い放った女性は自分の目の前にあるカメラ、ではなく目の前に座る九人の青少年を見つめる。発された言葉に唖然とする少年、冷静に資料へ目を落とす青年、期待したように頷くまだあどけなさの残る青年、九人もいれば反応は九通りだ。

 事務所ビル内にある会議室A、すべてはここから始まった──と言いたいところだが、本当の始まりはこれよりちょっと前に遡る。

梅が百花に先駆けて開花した二月より半年近く前、夏の香りが色濃く残る九月の初旬。日差しと蒸し暑さが秋を感じさせてくれない季節に、第一歩が踏み出されたのだった。


※   ※   ※   ※   ※


 女、難波真利夏なんばまりかは疲れ果てていた。時刻は昼の一時近く、天井を見上げるだけの昼休みを迎えていた。尚、出勤初日である。初日なのにこの有様。

 出勤初日『だから』この有様、と言う方が世間的には正しいかも知れないが、彼女の場合はまごうことなき出勤初日『なのに』この有様、午前中は荷物の整理と挨拶回りしかしていないというのにもう既に帰宅し風呂に入って一杯やりたいという気分になっていた。

 疲れすぎて胃も動かない。食べなきゃ午後に響くことは分かり切っていたが。どうしてこんなに疲れ果ててしまったのか、確実に挨拶回りのせいだった。


「──ほら、あの人」


 難波の耳に密やかな声が届いた。自意識過剰かも知れないが前々職の職業柄、こういった言葉には取り敢えず反応してしまう。休憩室に置かれたソファにもたれながら視線だけ声の方向へ向けると「あ、こっち見た」と女性二人の甲高い、しかし極限まで音量がセーブされた声が更に届けられる。


「やっぱり顔小さい~かわいい~」

「全然現役時代と変わんないよね! なんで辞めちゃったんだろ」


 アイドル、と呟いたのを聞き終えてから、てめえらを億倍過激にしたファンに嫌気が差したからだよ、と言ったらどうなるだろうなんて難波は考えた。コンビニのレジ袋を持って休憩室をうろつく(恐らく)他部署の女性二人に、難波は心中で精いっぱいの悪態をつく。

悪態をつく、というか思考実験に近い。こういう発言をしたらどうなるだろう、どういう雰囲気になるだろう、複数考えてルート分岐させて、その中の最善を選び取ることが癖になっていた。

 アイドル時代の癖、というより、家庭環境によるものだと自覚している。

 小さい頃から他人の気持ちは推し量れないのに、他人の機微には敏い人間だった。


「あ、難波さん! こんなところに!」


 幼少期のあれそれに思考を飛ばしそうになった瞬間、勢いよく名前を呼ばれて自我が引き戻される。そしての声量のでかさ故、周囲の人間が一気にこちらを注目した。慣れているとは言え一般人に戻った身には堪える視線の量、視線の質だ。

午前中の挨拶回りで疲労困憊となったのは、どこに行ってもこの視線が付きまとってきたからに他ならない。視線だけなら兎も角、極めつけは全員に台本でも配ったのか? と疑いたくなるレベルでの「現役時代ファンでした~」「ずっと好きでした~」の連打。耳がタコになるというか、耳の原型がなくなったのではないかと危惧するほど言われた。

有り難いことなんだろうけど、かつての私はどうか忘れて欲しい。

 頭を振って正気に戻し、溜息をつきながら難波は姿勢を正した。多量の目に晒されたままだらけるのはメンタルがしんどい。視線を上げて、くそでかボイスで名前を呼んできた男性を捉えた。

 いかにも『好青年』風な男性だ。年齢はそう変わらないだろう。体格の良さから学生時代はスポーツマンだったことが何となく伺える。ひとまず肩幅に合わせて既製品のスーツを買ったことは丸分かりだ、萌え袖になってしまっている。スーツの萌え袖はだらしなく見えるから、せめてパターンオーダーで作ってもらった方が良いだろうに。面長なのにまろみを帯びた品の良い、そして鼻根が高くて賢そうな顔立ち。ザ・犬系の顔立ちだ。柴犬みたいな感じ。

 つか、誰だ。


「すみません、まだ名前を覚え切れておらず……」


 先程挨拶した中にいただろうか、と探りつつ難波が口を開けば「あ、初対面です。すみません自己紹介まだで!」とカラッと言われた。何となく『すみません』を消費した気分になる。残機がある訳でもないのに。


「難波さんと同じく、マネジメント事業部タレント育成推進課に所属しております、野々宮睦月ののみやむつきと申します。野となれ山となれ、の『野』が重なって、宮本武蔵の『宮』、『睦月』は旧暦一月です! よろしくお願いします!」

「ああ、ご丁寧にありがとうございます。大阪地名の『難波』、『真夏』の間に得の意味の『利』を差し込んで『真利夏』です。よろしくお願いします」

「めっちゃ頭が良い自己紹介ですね! 参考にさせていただきます!」

「しなくていいです」


 あなたの自己紹介に合わせただけです、と難波は言いかけてやめた。ただの嫌味だからだ。


「いやあ嬉しいです、嬉しいし光栄です!」

「はあ……」

「あの伝説のアイドル『Dream Era』のセンターでありメインダンサーの難波さんと一緒にアイドルのマネジメントができるなんて! 徳を積んだ甲斐がありました!」

「昔の話ですよ、それと」


 私がするのはプロデュースです、と難波は毅然と言い放った。

 難波真利夏、元・MCエムシーエンターテインメント所属アイドル。伝説的と称され、惜しまれつつ解散した五人組女性アイドルグループ『Dream Eraドリームエラ』のセンター兼メインダンサー。

 解散と同時に芸能界を引退し音響会社に勤めた後、ヤギリプロモーションにプロデューサー職で採用される。現在二十六歳。

 アイドルとまた関わることになるとは、人生色々なことがあるものだ、と現実逃避のように思った。

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