第三十二話 助けに
突如、腹が唐突に熱くなる。その次に襲い来るのは、激しい痛み、そして。冷たい何かが自分の何かに入ってくるような、違和感。
「ああああああああ……!!」
最初は何が起きたか、全く理解できなかった。
未知の感覚に対し、思考がストップしてしまう。だがその瞬間、雪穂は己の身に何か起きたのか、理解する。いや、させられてしまう。
「……何、やってんの……!!」
双葉が自分に馬乗りになり、ナイフを腹に刺しているということを。
「え、えへへ…これでお姉ちゃんも、私のこと、わかってくれるよね……?」
そう言いながら雪穂を見下ろす双葉の目は、既に焦点が合っておらず、どこを見ているのか、誰に向かって話しているのかすら、何もわからない状態だ。
一体そんなものをどこで手に入れたのか。
命の危機が迫りそうな状況なのに、雪穂の思考は自分で嫌というほど余計な方向に向かっていた。
流れ出る血液が、床を赤黒く染めていた。
当の雪穂はというと、抵抗しようとしても手足が全く動かず、されるがままだ。
悪魔に憑かれたことで身体能力が上がっているのか、双葉がその身体のどこから出ているのかという程の力で彼女を床に縫い留めているのだ。
「……かはっ」
赤黒い血が口からも出てくる。
景色が霞む。このままいけば自分は…自分は死んでしまうだろうと、雪穂は確信する。
もうすぐ死が迫っているというのに、自分の心はひどく冷静で、まるでこうなってしまうのを諦めているかのようで、
バチン、と何かが弾けるような感覚が、頭の中に流れ込む。
自分が死ぬということは、それ以上に。
『双葉を殺人犯にしてしまうということじゃないか』。
別に自分がどうなろうといいわけじゃない。
自分だって死にたくはない。
だが、それ以上に雪穂の頭の中で、それがとても許せなかった。
それがもし自分の力不足であるのならば。
それが自分のせいだというのであれば。
「……何、何が起きてんの!?」
雪穂と双葉の戦闘の場に合流した一華は、そこで突如雪穂が立ち上がったのを目にする。
「…はぁ。これはあたしと双葉ちゃんの問題だから、あんま介入しないでほしかったんだけどな」
やれやれといった様子でこちらを見る雪穂の目は。
真っ黒に、染まっていた。
本来、白目があるべき場所が、まるで反転したかのように、黒く染まっていたのだ。
それに呼応するかのように、その下には不気味な紋様が浮かんでいた。
「雪穂ちゃん、それ何!?」
「説明は後。とりあえず、状況だけ説明すると。双葉ちゃんが悪魔に憑かれた。戦おうと思ってたんだけどダメだわ。正直、想定よりずっと強くて」
「そんなことよりまずその目!目どうしたわけ!?」
「それについても説明は後にさせて。とりあえず……双葉ちゃんを……」
雪穂が一瞬近くに目をやると、あることに気が付く。
双葉の姿がないのだ。
「み、見失った……!追いかけなきゃ!!」
「待って」
「何!?」
「お腹の傷。その状態じゃ走れないでしょ。それに今のそれについても、説明してもらわなきゃいけないから」
「…………わかった」
少し黙った後、雪穂はしぶしぶ了承する。
「ちょっとお腹、見せてね。失礼するよ」
一華が雪穂の服をまくり上げて確認すると、どういうわけなのか、傷はたちどころに消えていた。
「……マジ?」
「あたしも正直意外なんですけど。そういや道理で身体軽いなって思って」
「ねえ雪穂ちゃん、もしかしてなんだけどさ」
軽くおどけようとする雪穂に対し、一華はあくまで真剣な顔で、その顔をじっと見る。
「…そんな見つめられたら困るんですけど」
「憑いてる悪魔の力、表に出始めてない?」
「…ごめん。やっぱ一華さんには正直に話します。誤魔化してもしょうがないですし」
「うん。聞かせてみて。お姉さん何でも応えてあげるから」
「あたしにもよくわからないんですけど、一華さんの予想通りです。多分、なんか。頭が急速に冷えて、自分の感情がマヒするみたいな、そんな感覚があるんです」
落ち着いてもみれば、そんな感覚に恐怖もしてしまうが、しかし同時に、御堂と名乗るあの悪魔の男に勝利したのは、その力あってのことなのは間違いなく、雪穂はその事実に、頭が痛くなりそうになる。
「気を付けた方がいいかもね。完全に悪魔が剥がれなくなっちゃったら、それこそ雪穂ちゃんを野放しには出来ないし」
「…ですね。そのへんはほんと気を付けとかないと。どう気を付ければいいのかもよくわかんないですけど」
「実はさ、最初雪穂ちゃんみたいな子をこういう戦いの場に巻き込むの、アタシは嫌だったんだよね」
人波の中を歩きながら、一華が話を切り出し始める。
「そうなんですか?」
「キミってまだ高校生でしょ?だからさ、キミってまだそうやって守られる存在なわけじゃん?ほんとはイオリンや夜空ちゃんが戦うのだって嫌。だけどさ、何でアタシはそれ受け入れたと思う?」
「さっぱりわかんないです」
まだ自分が子供だということは、雪穂自身はあまり認めたくない事実だ。
まだ、自分には一華の立場が、まるで理解できないのである。
「雪穂ちゃんがあそこにいるのって、監視の目的もあるんだってさ。黒崎さんにこう言われたんだよ。
『もし、彼女が悪魔として暴走した場合、それは彼女が誰かに危害を加える存在になるということ。そうなれば彼女の立場はより苦しくなります。ここで監視をするというのは、何よりも彼女を守ることになるんです』だってさ。
…すっごい理屈だなって思ったけど、同時に納得したんだよ。だからアタシは今、雪穂ちゃんを守るために戦おうって思うの」
ああ、そうか。
雪穂は心の中で、ある一つの納得のようなものを、得ていた。
「双葉ちゃんに対するあたしの気持ちと、多分同じなんだと思います、それ」
「…わかってくれた?」
「完全にわかったわけじゃないと思いますけど、でも。一華さんが何考えてるのかまでは、わかったんで。あたしも腹括りました」
「…うん」
「双葉ちゃん、『助けに』行きます」
そう決意した雪穂の白目は、いつもの白く綺麗な色に、戻っていた。
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