待人来たり .1

乾泰全いぬいたいぜんは魔術師であった。


魔術師としては遅咲きだ。そもそも、最初に魔術のことを認識したのは、既に成人した後だった。だから、卑弥呼をはじめとした委員会の世界システムを知った時には、驚きよりも納得の方が大きかった。


なぜ、世の中の大多数の人間は、魔術の存在に気付かないのか。現代社会は、監視社会だ。いたるところに防犯カメラがあるし、SNSなども隆盛を極めている。


答えは簡単で、現在の魔術師のほとんどは普通の人間として暮らしている。いや、そうせざるを得ない。


卑弥呼をはじめとした巨大な結界が、この地球上の陸地の99%(ちなみに、海洋も大部分)を覆っている。事実上、魔術は使えないのだ。


日本国内では、卑弥呼の結界により、魔術の利用は著しく制限を受ける。魔術を使うというのは「魔力を行使すること」と同義だが、卑弥呼はその魔力を減殺する。魔力を働かせても、常に等量で逆向きのベクトルが課せられる。


昔はこうではなかったらしい。委員会以前は、魔術師は自由だった。もっとも、いつの時代にも悪い奴はいて、魔術による犯罪や大量虐殺が間々あったようだ。委員会、正式には、委員会は、事態を打開するために、徐々に世界に魔術を封じる結界を敷いていった。それによって、世界は安全にはなった。しかし、少し面白味に欠ける場所になったとも言える。


一人でぼんやりとそんなことを考えていると、携帯電話が鳴った。乾は思考を中断して、電話に出る。


「はい、乾」


「波佐見です。状況はどうですか?」


「当初の目的は達したが、まだ金沢だ。幾つか宿題があってな。終わり次第、戻ると伝えてくれ」


「何かトラブルでも?」波佐見が電話口で心配そうな声を出す。本当に彼はお人よしだ。自分たちの仲間でいるのが、不思議なくらいだが、彼は乾よりも以前から計画に参加している。いわば、古参である。


「いや、そうじゃない。仕事は問題ない。というか、回路への侵入自体は想像よりも簡単だった」


「流石は乾さんですね」賞賛の言葉は嬉しいが、そのまま受け取ることは出来そうもない。


「どうだ、と胸を張りたいところだが、俺の実力じゃないね。阿久津の婆さんには、最初から回路の乱れがあった。一部のセキュリティが既に破壊されていたのさ」


肩透かし、とはこのことだ。回路への侵入の腕を買われて、仲間になったのに、肝心の卑弥呼への侵入は容易に済んでしまった。


下見するつもりで、早朝に施設の外から攻撃を試みたが、思いのほか上手くいった。上手く行きすぎて、多少予定が狂ったほどだ。


というのも、偵察のはずが、思いのほか、深く侵入しすぎて、卑弥呼のセーフティが機能してしまった。結果として、そのまま阿久津は深い眠りに落ちた。


阿久津の卑弥呼の回路はVer.が古いため、しばしばメンテに入る。だから、そのまま見過ごされる可能性も大いにある。しかし、手落ちといえば手落ちだ。無意識に力んでいた、と言われても仕方がない。


また、卑弥呼のセキュリティに瑕疵かしがあったのも気に掛かる。罠である、との可能性もある。結果、すぐに大攻勢を仕掛けるのは、憚られた。


そのまま様子を見ることになり、夕刻になってから、委員会から派遣されていた監視者の夫妻宅に忍び込んだ。そして、帰宅してきた二人を拘束、偵察から攻略に目標を切り替え、回路を蹂躙していたところで、またもや仰天することになる。自分以外の何者かがこようとしている。


最初は、委員会の人間がアクセスしてきた、と思った。しかし、よくよく考えると、いくら何でも早すぎる。


委員会の本部がある欧州ならばいざ知らず、日本の、しかも金沢という田舎で、卑弥呼へのアクセス権限を持つ人間は皆無だ。


東京もしくは、監獄ホスピタルのある名古屋から人を呼ぶにしても、それなりに手続きというものがある。いくらなんでも、あの鈍重な委員会が動くにしては、反撃が早すぎる。


となると、委員会の意向を平気で無視する人間が、金沢にいて、そいつが土足で踏み込んできた、と考えるのが自然だ。


卑弥呼への侵入は、委員会が定めた罰則のうちで、同族殺しの次に峻烈だ。自分以外に、そんなことをする魔術師がいることに、乾は大いに興味をそそられた。


インターホンに血踏みを施したのは、そのためだ。きっとそいつは、監視者夫妻の奇妙な静観ぶりを不審がるに違いない。そうなれば、必ず部屋を訪ねるはずだ、という確信を持った。


案の定、乾が部屋を出て、すぐに血踏みが完成した。部屋に魔術師が訪ねてきたのである。しかし、意外にも、訪問者はどこにでもいるような凡庸な術者だった。回路はスカスカで、魔力の充実は微塵も感じられない。


(ほんとに...こいつが?)


がっかりすると同時に、そんな訳がない、という思いが拭い切れない。きっと、自分と同等に、熟達した、洗練された魔術師であって欲しい、いや、そうに違いない、と乾は考えていた。





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