金沢にて .14
「しかも、まだ新しい。完全に乾ききっていない」
「でも、どうして?そうだ!瀬谷さんの手も見せて下さい」
加納に促され、衛も掌を開いて加納に見せる。人差し指はもちろん、両方の五指のどこにも血痕らしきものは見当たらない。
「私の手には見受けられませんね。となると、加納さんだけ血痕に触れて、それが指に付着した。そうなりますね」
「インターホンだ」加納が合点がいった様子で口走る。「それしかないですよ」
確かに衛はインターホンには触れていない。加納の言葉通り、衛が問題の部屋の前まで行って確認すると、インターホンのボタンのところに僅かに血痕が残っていた。加納の人差し指の血は、これが元で出来たようだ。
「でも、これ誰の血でしょうか?」加納がインターホンに顔を近づけながら言う。「直近の訪問者が出血していた、ということですかね」
「あれ?」衛はまたもや違和感に襲われる。直感が働くとき、それはしばしば経験という蓄積をいとも簡単に無視する。
「どうかしましたか?」
「信じられない。この血、揺らいでますよ」
「血が?」
「ええ、この血痕、簡易的な回路が組まれています」
「回路の形に見覚えは?」
「ありません。なんというか、すごく不思議な感じです」衛はうまく言葉にすることが出来ず、もどかしい気持ちに襲われる。「今っぽくない、というか、古風というか。現在の魔術はどちらかというと、システマティックで無駄がないでしょう?」
加納は頷く。特に前世紀の魔術はどんどん余剰を削ぎ落とす方向に進化してきた。
「これはそもそもの設計思想から違う。冗長性が高く、遊びが多い」
衛は考えを頭に巡らせる。今夜は様々なことがあった。阿久津への潜入。強力なセキュリティラインと最期の瞬間に頭を巡った幻視。沈黙する監視者。謎の血痕とそれに編み込まれた回路。全ての要素を一つのストーリーとして組み上げていくと、衛の中に一つの仮説が生まれる。
「ちょっと!瀬谷さん」加納は衛を静止しようとした。衛が玄関のドアノブに手を触れたからだ。
「大丈夫です」衛にはある種の確信があった。果たして、ドアノブはそのまま何の抵抗も見せずに回った。鍵が掛かっていなかったのだ。そのまま衛は部屋の中に入ろうとする。
加納が「まずいですよ」と止めにかかるが、衛は無視した。細かに説明するよりも、現場を見た方が早い。なにしろ時間がない。
玄関のドアを開くと、廊下の先にまたドアが見えた。すりガラスが入っており、ぼんやりと光が漏れ出ている。どうやら、その先はリビングのようで、そこの照明が付いている。外から見えた光はこれだろう。
衛は靴を脱いで廊下を進む。おっかなびっくり加納もついてきている。衛は、無言で歩き、奥の部屋のドアの前で突然、歩みを止めた。
「瀬谷さん?」加納が声を掛ける。
もし衛の予想が正しければ、今日という日は、今までの人生でもっとも運が悪い日になる。
衛はノブを回して、扉をゆっくりと開けた。
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