金沢にて .5

衛はベッドに近づき、横たわる阿久津を見下ろした。高齢ということもあり、顔には深い皺が刻まれているが、意外にも顔色は良かった。


「死んでませんよね?」衛は身をかがめて、阿久津の身体からだを注意深く観察する。穏やかな寝息の声が聞こえた。どうやら呼吸はしているようだ。


「縁起でもないこと、言わないで下さい」加納は、部屋の隅に設置されている計器類を指さす。よく病院で見るような、心電図などのモニター類が複数設置されている。「ほら、バイタルは正常です」加納の言った通り、心拍などは規則正しく、正常に行われていることが見て取れる。


「最初に異常に気付いたのは、施設の従業員、ということでしたね?」衛は車中での会話を思い出しなら、言う。


「そうです。身体が不自由ではない入居者は、食堂で朝食をとることになっているんですが、今日に限って、阿久津さんが来ないので、不審に思ったようです。呼びかけても、応答がないので、私のところに連絡が来た、ということなります」


「確か、阿久津氏は身寄りがなかったんでしたっけ?」


「そうです。だから、私が任意後見人になっています」不動産屋というのは、地元のネットワークの核でもあるようで、加納は、阿久津だけでなく、地域の独居老人たちの世話もしていた。


「で、この施設には、委員会から人が派遣されているんでしょう?彼らに事態を悟られてはいない、ということで間違いありませんね」衛は念押しする


「おそらく」加納はあいまいな言い方をした。「委員会から派遣されているのは、二人。いずれも、阿久津さんの監視役です。しかし、彼女が嫌がるので、二人ともべったりと阿久津さんにまとわりついている訳ではありません。表向きは普通の職員なので、周囲の人間が不審に思いますしね」


「それで、どう言って、委員会の連中を欺いたんですか?」


「別に大したことはしてませんよ。阿久津さんは今までも、2、3か月に一回程度、部屋に引きこもることがあったんです。その状態では、何を呼び掛けても反応しなくなるんです。かと思うと、突然、魔力に過敏に反応したりもする。だから、安全のため、監視役の二人は、部屋に近づきません。万が一、システムが暴走すれば、大問題になりますから」


「年のせいで、耄碌もうろくした、という訳ですか?」


「というより、最近では自我の重心が回路にのかもしれません。卑弥呼のホルダーになってから、もうすでに半世紀以上たってますから」


衛は改めて、阿久津の寝顔を見つめる。その穏やかな表情の裏には、夥しい情報が蓄積されている。衛は阿久津に哀れみを感じざるを得ない。人生の大半を、委員会の監視の下で過ごし、大きく自由を制限される。衛が同じ立場であれば、とっくに発狂しているところだ。


「哀れですね...」衛はぽつりとつぶやく。「個人の記憶も、個性も、人格も消失して、いずれは『卑弥呼』に取り込まれる」

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