【短編】TS猫娘は静かに暮らせない!
赤城其
TS猫娘は静かに暮らせない!
この世の中には3種類の人間がいると思う。
「────この
「ひゃわっ!? い、いきなりつまむんじゃにゃいわ!!」
「あだっ!?」
誰彼構わず交流してないと気が済まない人間と、自分を取り繕ってまで他人とあわせて疲れるくらいならと隅っこで大人しくしている人間。そして、どちらも気分によって使い分けられる器用なやつ。
もちろん俺は2番目だ。だから不躾な手つきで人様のふさふさお耳をもてあそぼうとする輩にはこうやって爪を立ててやる。
「ねぇねぇさっきから膨らみっぱなしの
「ど、どうせならゆっくりと優しーく────にぎゃあ!?」
これ以上平穏な日々が脅かされないまま卒業を迎えられるなら、身の丈以上の高望みはしない。
であるからして、女子にどれだけ尻尾をニギニギされようとも波を立てないようにされるがままなのだ。
「こらこら、お前ら程々にしとけよー。いくらクラスメイトだからってそれは立派なセクハラだと事前に教えたばかりじゃないか」
このままそれなりに良い大学へ進んで、社会の波に揉まれつつも気ままに生きていければ────今でもそう思っているから、たとえ教卓に肘をついた担任教師が助け舟を出してくれなくたって非難の目を向けたりしない。
だというのに、神様は無難に生きようともがく俺のことが大層お嫌いなようで、静かな暮らしがしたい俺の気持ちとは裏腹に周りはどんどん混沌になっていく。
────いや、マジで放っておいてくれませんか? 俺、これでも猫なんで。
────
俺、
軽い発熱と筋肉痛。もしかしたらインフルエンザかもしれないと身を案じた母さんと共にいざ病院へ。車へ乗り込もうという時に突然目の前が真っ暗になった。
なぜか猫の井戸端会議にてボス猫から紹介されているという変な夢を経て、俺が目が覚めたのはベッドの上。
泣きそうになりながら手を握っていた両親とお医者さんが言うには一時心肺停止。なんと1週間も生死をさまよっていたらしい。その過程で元々170cmあった身長は150cmまで縮み、こうして目が覚めた時にはすっかり女らしく……いや文字通り女へと変貌を遂げていたのだった。
────先天転換性。またの名をTS性。
「落ち着いて聞いてください」と、医療ドラマまんまの深刻な表情を浮かべる先生に告げられたのは、別に病気にかかったわけでもなんでもなく、そもそも俺の性別が間違っていただけという両親にとって驚きの診察結果だった。
俺が生まれた時分はもう上から下までてんやわんやの大騒ぎ。しっかりとした検査方法も確立されていなくて、結果結構な取りこぼしが出たことはそれとなく聞かされていた。
だから当時の両親や現場の苦労を思えば理解できたし、とくにこれといって自分の性別にこだわりがない俺にとって、そんなことよりも国から月いくらもらえるんだろうか?
なんて、今後の華やかなるニート生活に思いをはせて母さんから叩かれてしまうのも仕方のないことだった。
ちなみにTS性には第3性徴というものがあって、その日を境に急激に体が異性の物に……あー後は説明が面倒だから専門書でも読んでくれ。
保健で必ず習うことだし、最近はテレビでも『TSアイドル』や『TSプロスポーツ選手』みたいな感じで毎日取り上げられる、もはや一般常識の1つなんだからな。
それにぶっちゃけ
事実周りをよく探せば
ゆえに新しい社会問題も出たりしてるんだが、それは別の話。
若い世代になればなるほど憧れを抱く割合が増えるらしいこのTS性には、もれなく美男美女になれるというメリットに隠れてしまったとてつもなく大きなデメリットがある。
それも、国に養ってもらう気満々な俺ですらその手厚い保障を思わず突き返したくなるほど驚きの、それこそビックリ人間万国博覧会にでも出られそうなオマケが、だ。
まさか自分がそうなるなんて、懲りずに平然としていた当時の俺には知る由もなかった。
────
自分がTS性だと発覚してから早いものでもう2ヶ月。
季節はすっかり6月を迎え、晴れているのにどこかジメジメとした嫌な空気がクセの目立つ茶色い
「うにゃあ……」
八重歯がのぞく小さな口から突起が目立つ舌をチロっと出して、これまた小さな欠伸を一つ。
ベッドの上にて四つん這いで伸びをしてクシクシと手の甲で顔を洗った俺は今、絶賛自主休学中である……ニートとも言うが。
自称出不精で自堕落な俺でも今まで学校にだけはきっちりと出席していた。だというのに、こうしてサボっているのにはれっきとした
実は女子になってから1週間目のある朝。普段通り目が覚めた俺はどういうわけか猫になっていたのだ。
そう。あの一日中のんびりと日向ぼっこに勤しんだり、どんなに狭いすき間にも液状化して忍び込めてしまうあの猫だ。
正確には半獣化したといえばいいんだろうか。元々あった耳は退化し、その代わりとばかりに頭の上にもっさり白い綿毛の詰まった猫耳が生え、尾てい骨あたりからはしましま模様が目を引く尻尾が生えてしまった。
黒かった髪色も今ではすっかり茶トラ柄。首元には真っ白な毛が、まるでご婦人が巻く毛皮製のファーのごとく生えそろっている。
まさしくその容姿は異世界物のラノベでおなじみの猫獣人そのもの。
終始気だるげな雰囲気のダウナー系美少女という、俺本来の性質を体現したような要素も相まってそれなりに可愛くなった……と思うが、こればかりは毎日顔をあわせるのが猫可愛がりしてくる両親しかいないから自分の評価にイマイチ自信はない。
これが
学校で教わった通り、美少女になるだけならまだ人社会に溶け込めるがこの姿ではどうしても浮いてしまうだろう。
それでも、今の生活だってこれはこれで悪いものじゃなかった。
だって両親は俺がどんな姿だろうが変わらない愛情を約束してくれたわけで、こうして日長一日のんびりしているだけでも口座には国から一月暮らせるだけのお金が振り込まれる。なんといっても必要最低限の物は専用ダイヤル1本でなんでも揃うのだ。
ビバ。国公認ニート。
だから受け入れ準備ができたと担任から連絡されても2ヶ月もの日々を無駄に消費……いや、楽しんでいたというのに。
「────え?」
日常が終わりを迎えるのはいつも突然というわけで。やむを得ないニート生活を満喫していた俺は、生まれ変わって初めて外の人間に目撃されてしまった。
相手は幼馴染みの
恵まれたプロポーションで周囲を湧かせている彼女は、中学の頃からなにかにつけて俺を矯正しようと構ってくるのだ。今日も今日とて俺を真っ当な学生に戻そうと、平日だというのにわざわざ家まで乗り込んできたようだ。
まったく油断したな。飲み物でも飲もうと部屋を出た瞬間にインターホンが鳴ったもんだから、つい気になって顔を出したのが運の尽き。
俺よりもずっと猫らしい吊り目の那月に見られてしまい、神速を発揮した母さんに首根っこを掴まれてしまえばもう逃げ出す暇もなかった。
それに今の俺はライムグリーンのフリフリ付きパジャマ姿だ。それも尻尾穴を設えられた特注品。
これは最近残業続きでめっきり姿を見なくなった父さんが押し付けてきたもので、男物を母さんが全部捨てられてしまったから仕方なく着ているものだが……正直こんな姿、幼馴染みにだけは見られたくなかったな。
「猫?」
「そうです。猫ですがなにか」
よし、ここは桜田家に飼われている家猫のフリだ。我ながら無理がある気はするが、少なくとも伊織だとは那月だって気づかないはず。
「なにバカ言ってるのよ……。那月ちゃん、この子が我が息子。いえ、娘よ」
「にゃ!?」
なんと一瞬にして母さんがバラしてしまった。
これには耳も尻尾もへにょりとせざるを得ない。
「この珍生物、ううん。猫っ娘が伊織? おば様、伊織は女の子になっただけだって」
「そ、そうだぞご主人。い、いおりにゃら部屋に────」
「伊織ちゃん。あんまりお母さんを困らせると私、うっかり今日の晩御飯に
「ま、マタタビっ!?」
わざとらしい声でなにさらっと恐ろしいことを言ってるんだこの人は!?
那月も那月で…………って、こっちは健全な反応。そりゃ驚くのも無理はないか。
くそーこっちから手が出せないのをいいことにそんな非道を働こうなんて────鬼畜! この人でなしっ!
「ふしゃーーーっ!!」
「そんな可愛らしい威嚇をしたってダメよ。ほら、早く観念しなさいな。それとも、本当にもう1回味わってみる?」
「伊織が猫っ娘でマタタビ。伊織が猫っ娘でマタタビ」
───ゾワワワッ
呆然とうわ言を呟く那月はさておくとして、俺は母さんのサドっ気満載な声に思わずその時の記憶がフラッシュバックして全身の毛が逆立ってしまった。
実は今ほど現実を受け止めきれていなかった頃に1度だけ、わざわざペットショップから仕入れてきたマタタビを、『癒し』という名目で知らずの内に食べさせられたことがあった。
猫にとって特別なご褒美らしいんだが、どうやら猫化した俺も例外ではなかったというわけで……無理矢理へべれけにされてしまった俺がその後どうなったのかは────ああ、口に出すのも恐ろしい。
それ以来、俺にとってマタタビは禁断の物質になっていた。
「じゃ、那月ちゃん。この子を着替えさせるから居間に上がって待っててね」
「は、はい………」
「にゃーーーーっ! はーなーせーー!!」
平に容赦をと縋り付いた俺は、般若面と最終兵器を携えた母さんに再び首根っこを掴まれて新設された隣のクローゼットルームに強制連行。
一瞬のうちに下着姿にひん剥かれてしまった。
「うう……もうお嫁にいけにゃい」
耳をへにゃりと伏せて尻尾を内股に巻きめそめそ泣いてみせると、俺の脱ぎたてパジャマを腕にかけた母さんはやれやれと肩をすくめて苦笑した。
「ほら、下手なお芝居やってないでさっさと着替えちゃいなさい。あと、お父さんの前でお嫁さんなんてワード。絶対に言っちゃダメよ」
「あ、うん。それは分かってる」
「あんた……さっきまであんなに嫌がってたくせに意外と余裕があるわね。もしかしなくても桜田家の血筋かしら」
そりゃまあ、いつでもポジティブ全開な父さんと母さんの子ですし。
それに、姿見に映った上から下まで見事にフラットなブラトップ姿を見ているとこう、スンとさざ波だった心が落ち着くというか────こんなんで騒いでも仕方がないという一種の諦めにも似た心境になるのだ…………ぐすん。
冗談はともかくとして。那月と顔を合わせづらいのは事実なんだよなあ────なんて思っていたら、顔に出ていたのか頭に手を乗せられてしまう。
「那月ちゃん、あなたの事が心配なんだって」
「知ってる」
それはもう。しつこいくらい連絡を寄越してきたからな。
「もちろん伊織ちゃんの気持ちが第一よ。だって、あなたがとっても辛い経験をしたのは私達が一番知ってるもの」
「じゃあ」
「でもダメよ。人間いつかは起き上がって歩き出さないといけないの。きっと今がその時なのよ」
さっきと打って変わりウインク1つ。表情を緩めてトラ耳の付け根から頭頂部にかけて優しく撫でてくれる母さん。しっかり俺の手懐け方をマスターしたその手つきは相変わらずの一級品で、思わず喉を控えめに鳴らしてしまった。
くぅ、そんなことを言われたら華麗なるニート生活を続けたいなんて言えないじゃないか。
「し、仕方ないにゃ。早く着替えないと風邪引くかもしれないし? それに面倒事は手っ取り早く済ませるに限るし?」
「私しかいないんだから誤魔化さなくてもいいのに……もう、ツンデレ猫ちゃんなんだからっ」
「あーもう! これみよがしに抱きつくんじゃにゃいっ!!」
……せっかく見直してあげたのにすぐこれだもんなあ。
残念な母さんを引き剥がした俺は、すぐ壁際まで飛び退いて思いっきり尻尾をへの字に曲げるのだった。
──リビング。
「────これぞ人類の神秘というかなんというか……おば様。大方の事情は理解しました。それでお願いなんですけど…………彼女を堪能させてもらっても?」
「え、いいわけな」「ええいいわよ。撫でる時はゆっくりと……そうそう。優しく顎先から撫でてあげると喜ぶわ」
「ちょ!? か、母さんっ!?」
おい普通そこは止めるどころだろうが! そ、尊厳の壊れる音がするうううっ!!
「リアル獣娘というのも一興だな」
「涼太も変な性癖に目覚めてないでたすっ、たすけ…………えへ、えへへへ」
──ごろごろごろ。
「あっ、本当に鳴った!」
「うふふ、可愛いでしょう?」
「にゃうう…………もういっそのこと殺してくれえ」
俺狂いは母さんだけで腹いっぱいなのに那月達まで……もう最悪だ。
日頃母さんにイジメ抜かれて鍛えられた俺でも、同い年の、それも元異性の親友にモフモフされるのはかなりくるものがある。
そのせいでさっきから心臓は鳴り止まないし顔はビックリするほど熱々。せっかく他に着るものがないからと着替えた肉球付きワンピースも滅茶苦茶だ。
洗いざらい体験した事を話して変わり果てた姿を見せれば、かわいそうな俺に同情して放っておいてくれるだろ……なんて目論見は見事にご破算。
那月が呼び寄せたというもう1人の親友、憎んでも憎みきれない黒髪碧眼のイケメン。
……なんだよこの状況、恥ずかしすぎるだろ。
「那月、良かったら後で感想を聞かせてくれ」
「むふっーそれはもちろん! この至福体験は皆で共有しないとね! なんなら写真付き感想文で提出してあげようか?」
「それは願ってもない提案だ。是非ともよろしく頼む」
「那月なにを勝ってに撮っ─────ぎにゃ!? し、尻尾はダメだってぇ…………」
それにしたってコイツら。付き合いがそれなりにあるからっていくらなんでも俺に馴染みすぎである。
こうなる前から俺に危ない目を向けていた、実は可愛い物に目がないという那月は百歩譲って置いておくとしても……涼太、お前はそんなキャラじゃなかっただろうが。
あーあー。せっかくクラス1、2を争うクールなイケメンとして持て囃されてるってのに、整った顔をこれでもかと崩してもったいないったらありゃしない。
あ、そういや顔に似合わず重度の動物好きだったんだっけか? それで動物には何故か好かれないんだからかわいそうな話だよな。
俺? 俺は別になんとも……は!? だからって触らせてやろうなんてこれっぽっちも思ってないんだからな!
くう……こんなことなら初めから打ち明けて猫との適切な距離感だけでも教えといた方が良かったのかもしれない。
──数分後。
「────もういいだろ。ええい離せっ」
「あ……」
すっかり満足した。もといさせられてしまった俺は、スッと落ち着いた気持ちのままイケナイ部分に腕を伸ばしかけていた那月を振り払いひょいと起き上がった。
「もうちょっとだけ……ダメ? なんなら抱っこだけでも」
「ダメ」
「即答!? なによー、さっきまであんなに嬉しそうだったのに急に冷静になっちゃってさー。本当に猫になっちゃったみたいじゃん」
実際猫なの。だから未練がましく手を出してくるんじゃない。
「いい加減引っ込めないとその手、噛むぞ?」
「じょ、冗談だって。全然怖くはないけどそんな顔しないで」
「そうだぞ那月。猫はあまりしつこくされるの嫌いなんだからな」
腕を組んで何かを悟ったかのように神妙な顔をして彼女を諌める涼太。
なんだかんだ言っても今のところ手を出してないのは涼太だけだ。流石紳士、心の友。ちゃんと動物の気持ちが分かってる! ……なんか複雑だが、視姦の件は水に流してやろう。
「ありがと────え、涼太?! お前、鼻、血!!」
「ああ。気にしないでくれ」
「気にするわっ。ほれ、ティッシュ」
「すまない。伊織の笑顔を見たら、ついな」
「ええ……」
やっぱり涼太も真性だったか……。
おいこら、外野の2人も『分かるー』、なんて頷くんじゃない!
とりあえず誰からも離れた位置に腰を下ろした俺は、お茶を一口含んで落ち着いてから口を開いた。
「いい加減話を戻そうぜ。俺は見ての通りこんなになっちゃったから家から出るつもりも学校に戻るつもりも毛頭にゃい。だからせっかく来てくれた2人には悪いけど諦めて帰ってくれ」
「ニートしてるくせにどうしてそんなに偉そうなんだか……」
「そもそも授業中なんだろ?」
「残念でした。アタシ達、伊織と違ってパパにちゃんと許可貰ってるから」
「なんだって!? ……パパって。まさか理事長先生もグルなのかよ」
「そうだ。お前と仲のいい俺も一緒に説得を頼まれてな。もう引きこもり生活は飽きただろ?
気分転換だと思って学校に顔を出してみないか?」
やれやれと肩をすくめた那月の父親は俺が通う学校のトップだ。
なるほど、娘と無二の親友を使って本格的に脱ニートさせようと動き出したわけか。それなら普通、担任が家庭訪問なりして少しずつ距離を詰めていくもんじゃないのか? ちょっとばかし行動が直接的すぎる気がするんだが。
「伊織ちゃん。涼太君だってこう言ってくれてるんだし、1度でいいから学校に行ってみない?」
「母さんはさっき俺の気持ちが第一って……一体どっちの味方なんだよ」
「あら、私はいつだって伊織ちゃんの味方よ?」
「なら────」
「────でもこうも言ったわよね。『人間いつかは起き上がって歩き出さないといけない』って」
母さんがわざとらしくそういった瞬間、3人の瞳から光が消えた。
「おばさん、俺は外で待ってます」
「それがいいわ。那月ちゃん」
「分かってますおば様」
「にゃ、にゃつき!? 何を!?」
母さんと涼太がテキパキとリビングから姿を消すのを待って、目配せされた菜月は俺を背後から羽交い締めにしてきた。以前ならともかく、彼女より体格の劣る今の俺では抗うことはできない。
「くっ……おい、離せっー!」
「そんなに暴れたらワンピースめくれちゃうよ?」
「はっ!?」
「お待たせ那月ちゃん。悪いんだけどもう少しそのままでね」
戻ってきた母さんの手にはなぜか衣類カバーがかけられたスーツらしきものが……なんと、その正体は未だ袖を通したことがない紺の女子制服だった。
「にゃ、にゃにをする気だ母さんっ!」
「ほーらジタバタしないの。着せられないじゃない」
「着せるってまさか」
「そのまさかよ、那月ちゃん」
「待ってましたっ」
「─────っ!? ぎにゃあああああっ!!」
合図とともに今度は那月の手によって下着姿に剥かれてしまった俺は、そのまま着せ替え人形のごとくきゃあきゃあ騒がれながら制服を着せられるのだった。
────
「うう……皆揃いも揃って酷すぎる」
「はいはい、その話はもういいから。元気だしてもっと堂々と歩こうね」
「どの口が言うんだどの口が」
「ほら伊織、見えてきたぞ」
俺の左を歩く涼太が指さしたのは、見慣れた校門だった。前より随分大きく感じるのは気のせいだろうか。
時刻は午後1時。昼飯を全員で済ませた俺は今、真新しい制服を身にまとい2人の裏切り者に囲まれながら通学路を歩いている。
あれは全て既定路線。つまり俺がニートになったことを憂いた両親が、那月達と学校を交えて用意した茶番だったのだ。
そりゃいつまでも親のスネをかじっていられるなんて思わないけどさ。そもそもお金には困ってないんだからあんなやり方しなくたって……なんてぶつくさ文句を垂れてみたら『甘ったれてるんじゃないの。本当にダメ人間になりたいの?』と喝を入れる那月に萎れていたヒゲを思いっきり引っ張られてしまった。
────まったく、相変わらず猫の扱いがなってない。
「もう疲れた。暑いし、すごい見られたし……」
「よしよし。よく頑張ったねー」
「うおい、気安く頭を撫でるんじゃにゃいわ」
そうなのだ。やはりこの姿は相当目立つようで、道行く人から視線を浴びること浴びること。
女子は他人の視線に敏感だと言うが、それをこんな形で実感することになるなんて思いもしなかったな。
特に猫耳と尻尾は目線が集まりすぎて終始ペタンコで、たまりかねて2人の威を借りてふしゃーっと威嚇してみてもまるで効果なし。むしろ微笑ましいといった目を向けられただけだった。
……あれ、意外と悪意は無かったような?
「伊織、首元モフモフだもんな。それもチャームポイントの1つなんだが……ほらカバンを持ってやろう。なんなら飲み物でも買って教室へ行く前にどこかで休むか?」
「ありがと涼太ー。ナイス提案に感謝をっ」
「良い笑顔だ。オッドアイも相まって素敵だぞ」
ピコンと立ち上がる猫耳。
やっぱり持つべきものは心優しき親友だな! ……一言多いしそこまで手を出したんならもう撫でろよっ。まあいいや……それに比べて那月は。
「ほらそうやってすぐに甘やかさないの。あんまりモタモタしてると遅れちゃうでしょ」
「……この薄情者め、あれだけセクハラしたくせに。もっと思いやりの心はないのか?」
「ぐっ……言い返せないのがなんか悔しい。でも、嫌なことはさっさと済ませるのが伊織の信条なんでしょ」
「え─────ひぃ!?」
ほら、そう逃げるように校舎を指さした那月。
その細い指先を追うと────昼休みはとっくに終わっているはずなのに、窓という窓にビッシリと学生が集まっていた。その光景に思わず尻尾が爆発する。
遠目から見るだけでもその騒がしさが手に取るように分かるが……まさか俺が復学するって噂がもう広まったとか?
主犯格の1人に疑いの目を向けると、『理事長の娘権限で』と非常に様になる格好でテヘペロされてしまった。
そんな顔したってダメだぞ。
「いやー、あそこまで大騒ぎになるなんてねぇ。でも良かったね伊織、復帰初日から人気者だよ!」
「まーーったく別の意味でな!」
個人情報の取り扱いは? おい受け入れ準備云々の話はどこいった? あれじゃあ客寄せパンダになること必至じゃないか!
「やっぱ帰るっ」
「あっ──────涼太」
「任せろ。本当は嫌がることはしたくないんだが……これも伊織のためだ。あまり恨んでくれるなよっと」
「ひゃ!?」
猫らしい動きで脱兎のごとく踵を返した俺だが、運動神経抜群の涼太によってあっさりと回り込まれ────あろう事かそのままカバンと一緒に抱き上げられてしまった……猫のしなやかさはどこへ。
それもお姫様抱っこ。これはあまりにも恥ずかしい。これじゃあ学校を目前にして再び不登校を決意してしまいそうだ。
「やっぱり軽いな」
「そ、そんな感想求めてにゃいから! にゃうううう、はーなーせー! こ、こんなデビューなんてまっぴらゴメンだー!」
「じゃあ大人しく着いてきてくれる?」
「ぐっ………………行く」
「じゃあ良し。涼太、降ろしてあげて」
このまま素直に解放……なんていくわけもなく、今度は両手を繋がれてしまった俺。
傍から見れば某エイリアンそのものだが、これ以上何を言っても2人とも聞く耳を持ってくれないのでこのまま引きずられていくしかなかった。
──
あれだけ騒がしそうだった校舎内。しかし今は靴箱から廊下に至るまで不思議と身の危険を感じるような事は無かった……まあ舐めまわすように観察はされたがな。
「ね、皆意外と弁えてるでしょ?」
そう言ってくれる那月。
「安心しろ。どんな目に遭ったって俺達がいるぞ」
頼もしい言葉を投げかけてくれる涼太。
それでもやはり怖い。
甘い汁が吸えるとか悠々自適な暮らしが……とか呑気な事を言っておきながら、結局のところ本音はそれに尽きた。
今まで何の気なしに眺めていたクラスメイト達が、見ず知らずの先輩後輩が、果たして様変わりした俺を見て何を思うのか……そして何を言い放つのか。それを知るのがただただ怖かったのだ。
それに人の道を1歩も2歩も外れているこの姿じゃ……なんて、ズブズブと沼にはまって鼻がツンとしてしまうのも無理はなかった。
だが、そんな俺の気持ちを知ってか知らずか2人は平然と俺を引き連れ階段を登り、ついに2ーA。TS性だと判明して以来1度だって足を踏み入れたことのない教室に着いてしまった。
しかも心の準備すらさせてもらえず那月の手によって扉が開けられてしまう。
「「「「……」」」」
見なくたって分かってしまうほどに向けられた視線。視線。そして押しつぶすように包んでくる圧倒的な沈黙。
今更逃げ出そうとしても後ろには涼太がいるからどう足掻いたって逃げられそうもない。
ああ、やっぱりダメか。
思わず尻尾を握りしめてしまう。
クラスメイトですらこの反応だ。きっと他だって……。
どうせなら皆がどんな顔をして俺を見ているのか確かめてから〇んでやろう。そう思って恐る恐る顔を上げると────
「稲穂ー? 連れてくるの早すぎだってばーー!!」
「皆落ち着いて。彼女はちゃんと時間通りに来たみたいだよ」
「はぁ!? じゃあ俺達が間に合わなかったのか……なんてこったい」
コスプレ……なのか? クラスメイトは色とりどり、個性豊かな獣耳のカチューシャっぽいものを手に持って固まっていた。
予想の斜め上を行くシュールな光景に、さっきまで抱いていた恐怖心はどこへやら。脱力して握りしめていた尻尾を取り落とした。
「あちゃー、やっぱり急に予定を変更したのは不味かったか。これは抜かったわぁ」
「だから俺は1度どこかに寄り道しようって言ったんだ」
「そうは言うけど涼太だって────」
「────桜田君、桜田君。ちょっとこっち来て」
「にゃ!?」
訳知り顔の2人がぎゃあぎゃあ言い合いを始めてしまったもんだからオロオロしていると、見知ったクラスメイトの1人に腕を引かれてあっという間に教室へ。それも教壇の上に立たされてしまった。
「はーい皆。稲穂に変わって私田端が進行しまーすっ」
「あっ!? 待ってそれは私の役目────」
「──はいはい、ダメダメ稲穂は黙ってようね。皆もほら……日傘も! ボケっとしてないで早く集まる!」
「仕方ないな」
「せっかくだから猫耳着けちゃうね? お、お揃いだし……」
「そ、それなら俺だって!」 「僕も着けるよっ」
「え? え?」
わけが分からない展開が目まぐるしくやってくるせいで頭の処理が追いつかない。
「いいわね? ……せーのっ」
「「「「
完全にキャパオーバーで全身の毛を逆立てていた俺を迎えたのは、猫耳をつんざかんばかりに広がった挨拶だった。
「『木を隠すなら森の中』作戦────そう言ってドヤ顔してやるつもりだったのになぁ」
「でも良いじゃないか。伊織を守りたいのはなにも俺達だけじゃなかった……それが知れただけでも思いつきを試す価値はあっただろ?」
「まあ、上手くいかなかったけどね」
「那月……それに涼太まで」
クラスメイトの輪から抜け出した2人は、後ろに立つと俺の肩に優しく手を置いた。
あれ? おかしいな。目の前が歪んで────
「にうううう……」
「ちょっとどうしたの伊織!? 可愛……じゃなくて! もしかしてビックリさせすぎちゃったとか?」
「あー稲穂が泣かせた」
「う、うるさいっ! それを言うなら皆同罪だからっ」
まるで子供みたいにケンカする那月とクラスメイトを他所に、必死に手の甲で涙を拭っても次から次へと溢れだしてきてキリがない。
「うっ。あんな姿を見ちゃうと罪悪感が」
「耳までへちゃりとさせちゃってまあ。本当に猫みたい」
「それよりも口調が可愛…………いぃ」
「た、田中が失神したぞ!?」
「み、みんにゃあ。うるさいい……」
俺はニャーンと人目もはばからず大号泣した。
──────
────
──
結局俺を復帰させるためだけに組まれた茶番は、那月達が猫化した俺を見たことで考えた思いつきによりクラスの枠組みを超えて一種のお祭り騒ぎにまで発展してしまった。
こうも皆が好意的な行動を起こしてくれた背景には、俺が休んでいるうちに理事長先生が開いてくれた『TS性』の再講座が関係しているらしい。
それを直に聞いたクラスメイトいわく、理事長先生は本題そっちのけでやたらと猫の素晴らしさについて熱心に語っていたみたいで、俺は子も子なら親も親と独り理事長先生とは会わないようにしようと心に誓っていた。
それからしばらく。
正確には俺が学校生活に再び馴染むまでこの騒動は続き、校内のありとあらゆる場所で見られる獣耳と尻尾を着けた生徒の姿を目ざとく見つけた新聞記者によってこの情報は外へ。
そして、ついに『〇〇高校 優しさ溢れる百鬼夜行』として地元新聞の一面を飾ったのだった。
こうして図らずも目立つ存在になってしまった俺。
だけど皆のおかげで安心して過ごせる空間を持つことができた今、どこで奇異の目を向けられようとも害さえ与えられなければ風聞なんて何処吹く風。というわけで今日も今日とてまったりと穏やかなスクールライフを────
「「「「
「な、なんだよ」
「折り入ってお願いがあるんだけど」
「お願い?」
「あのさ……その、モフモフしたいなーなんて」
「は? ダメだが。俺は今日向ぼっこで忙しいの」
「伊織。嫌がってないで触らせてあげなよ」
「あのな那月。俺の毛皮は安売り出来るようなもんじゃないの、高級品なの。もし触るんならそれなりの対価を────」
「うっさいわ元ニート猫が。しこたま心配かけたんだから借りた分はきっちり清算しろっ」
「んにゃ、お前らそこは─────にぎゃああああああっ!!」
「この流れならモフれるな!」
「りょ、涼太まで!? うにゃーん、せっかくの昼休みがーーっ!!」
────いや、マジで放っておいてくれませんか? 俺、これでも猫なんで。
【短編】TS猫娘は静かに暮らせない! 赤城其 @ruki_akagi8239
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