第5話 奇跡はあるよ

 金曜日の朝。俺は教室でスマホと睨めっこしていた。最近開かなかった小説の編集ページ。生きるならすぐに続きを書く必要はないと思っていたのだが、事情が変わったのだ。


 キーボードをタップして文章を綴っていく。頭の中でキャラクターが動き、それに合わせて文章を考え、消しての繰り返し。行動の隙間を縫うように心情を挟むと、次の動作に移させる。


 最後は互いに心情をぶつけ合い、結ばれてハッピーエンド。そんな小説を書こうとしているのだが……。


「いや、これじゃないな」


 どうにも指が止まってしまう。どこか都合が良すぎてスッキリしないというか、展開が早すぎる気がしなくもない。もっと二人の仲を深めるイベントを増やすべきか?


「……分からん」


 机に全体重を預けて項垂れる。もっと前からコツコツと書いておけばよかった。そうしたら今頃書き終わってるかもしれないのに。


 余命を貰っても後悔ばかりしてるな……なんて自嘲しても意味がない。そんな時間さえもったいない。


 上体を起こして思考を巡らす。どうすれば話が纏まるか。仲が深まるか。納得できるか。何度も連想し、答えを探り、ようやく一つの結論に至った。


和也かずや、ちょっといいか」


 やはり俺一人では無理である。ここは数少ない友人の力を頼るしかない。


「おう、どうした」

「どうすれば二人の仲は深まると思う?」

「すまん、じゅん。気持ちは嬉しいが俺はノーマルなんだ」

「ちげぇよ。俺もノーマルだ」


 わざわざネタを挟んでくるのが和也かずやらしいと思いつつ、言葉を訂正する。


「男女の仲を深める為にだよ」

「あー、嫁のことか」

「嫁じゃない」

「倦怠期か?」

「そもそも付き合ってない」

「ははは、悪かったよ。じゅんがついに動き出すと聞いて、あの子が報われると思ったら感慨深くなったんだ」


 目元を指で拭う和也かずやの演技はわざとらしい。そもそも海鈴みすずの話ではないのだが、小説を書いてることは和也かずやに内緒なのでそのまま話を続けた。


「それで、どうすればいいと思う?」

「そんなの男ならガツンと告白だろ!」

「だから、そこに行きつくまでの過程が必要なんだって」

「奥手なお前がそこまで考えていたなんて……」


 今度は目元にハンカチを当ててくる。コイツ絶対楽しんでるだろ。


 会話は楽しいが、話していても解決する気がしない。……どうやら俺は相談相手を間違えたようだ。このままじゃらちが明かない。


「もういい。他の奴に聞く」

「ちょいタンマ。悪かったって」


 立ち上がろうとする俺の肩を持たれ、腰を上げることすら許されない。俺が睨むと和也かずやはニヤリと笑みを浮かべてスマホの画面を見せてきた。


「忘れたのか? 明日にあるだろ。そういうのにピッタリな夏のイベントが」


 ***


 遂にやってきた土曜日。玄関に来たところで少し身嗜みを整える。


「ふふふ、気合い入れてるわね」


 そこで母さんがやってきた。口にはしてないが、どうせ今日のことは既に海鈴みすずの母親から聞かされているだろう。正直恥ずかしい。


 けど……こんな会話だってできなくなるんだ。


「母さん、いつもありがとう」

「いきなりどうしたの?」

「言いたくなっただけ。行ってきます」

「行ってらっしゃい。楽しんできなさいよ」


 一人で会場に向かう。空がほんのり暗くなってきた。普段こそ何もない道に人が溢れ、並んだ屋台から美味しそうな匂いが立ち込める。非日常感を楽しめる夏の風物詩。夏祭りに俺は来ていた。


「おまたせ……」

「いや、こっちも今来たところ」


 デートの定番のような言葉を投げかけ、海鈴みすずの方に体を向ける。しかし直視できず視線を逸らしてしまった。


 赤い帯に巻かれた紺色の布地に、色とりどりの花火がいくつも描かれた浴衣姿。祭りの空気にやられてか紅潮させた頬。あまりの美しさに緊張で手汗が滲んでくる。


「どう……かな?」

「に、似合ってるよ」


 「可愛いよ」と言うはずだった言葉も気付けば違う言葉に置き換わっていた。どうして俺はいつもこうなんだ。たまには男らしいところを見せなくてどうする。


「……手、でも繋ぐか?」

「え? いいの?」

「危ないからな。はぐれるわけにもいかないし」

「あ、ありがと」


 海鈴みすずから伸びてきた手を優しく握る。俺よりも一回り小さい手。柔らかくて、温かくて、俺なんかのごつごつとした手とは全然違う。手汗は大丈夫だろうか、力を込めすぎて痛くないだろうか。ドクドクと鼓動が耳にまで響き、変な汗が流れる。


「ねぇ、じゅん……」

「どうした」

「手を繋ぐのって、なんだか恥ずかしいね」

「やめるか?」

「嫌だ」


 ギュッと握る手の力が増す。それでもまだまだ弱くて女の子なんだって実感する。今日が、この時間がずっと続けばいいのになんて、ありきたりな表現が思い浮かんだ。


「あ、くじ引きだ」

「くじ?」


 海鈴みすずの視線の先には千本引きの屋台があった。当たりはゲーム機本体やゲームカセット、ぬいぐるみ辺りだろうか。A賞やB賞と書かれたボールが吊られている。その他にも外れとして安そうな遊び道具、キャラクターの鉛筆やノートなど様々な景品がぶら下がっている。


 子供の頃は三百円で当たりを取る為に引きに行ったっけ。しかし、いつからか当たりがないこと知って引かなくなった。無垢な子どもを騙して金稼ぎするような大人にはなりたくないものである。


「やってみようかな」

「奇跡でも起きない限り、外れくじ掴まされるぞ」

「こういうのはお金で夢を買うものだから」

「夢って……」

「それに、奇跡はあるよ」


 ぼそっと海鈴みすずが言葉をこぼして、屋台のおじさんに三百円を支払う。そして無数にある細い糸を物色し始めた。いい年をした少女がくじを引いているからか、何人かが足を止める。まるで生き恥を晒しているようでいたたまれない。


「よし、これだぁ!」


 一本の糸を海鈴みすずが思い切り引く。俺の視線は自然とA賞に吸い寄せられ……隣にぶら下がっていたB賞が上がっていった。


「お嬢ちゃんおめでと! B賞のテディベアだよ」

「やった!」


 海鈴がテディベアを受け取り、胸に押し付けて抱きしめる。


「ほら、奇跡は起きるでしょ?」


 自慢気にテディベアの顔を俺に向けてくる。明らかに三百円以上の価値がある景品。もしやここは当たりがあるくじ屋なのか?


「……A賞じゃないだろ」

「負け惜しみだぁ。じゃあじゅんもやってみなよ」

「やったろうじゃねぇか!」


 流されるまま三百円を払って、ない袖をめくる。B賞はあることが証明されたんだ。だったら十分やる価値はある。俺は一本の糸を直感的に選び、引っ張り下ろす。


「E賞のお菓子詰め合わせでーす」

「E賞……E賞だって……」


 おじさんから袋を貰い、隣の海鈴みすずが腹を抱えて下を向く。量はあるように見えるが、駄菓子屋で見かけるような物ばかり。下手したら半分も損しているかもしれない。


「……行くぞ」

「ちょ、ちょっと……待って。足に力入らない」


 背中を震わせる海鈴みすずには不思議と怒りは湧いてこない。逆にその姿が可愛らしく思えた。

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