第4話 忘れなければ

「私、じゅんのこと好きなんだ。だからさ、じゅんが背負ってるものを私にも背負わせてほしい」


 夕刻の住宅街だった。特段いつもと変わったところなどない。いつものように授業を受けて、部活では小説読んだり雑談したり、本当に何気ない一日。強いて言うなら俺の調子がいつもと違ったことぐらいか。


 ムードも何もない、二人で歩いてる住宅街の分かれ道。聞き間違いかと疑ってしまったほどだ。


 しかし、互いに足を止めていた。それが人生初の告白を受けたという事実に、より一層現実味を帯びさせる。


「それは、恋人としての好き……だよな?」

「改めて言わないでよ……恥ずかしい……」


 我ながら奥手だと思った。耳まで真っ赤にさせた相手へ聞くべき質問ではない。どうせ聞くなら経緯だったり、どこが好きだったかにするべきだ。


 正直、受け入れたかった。海鈴みすずとなら上手く付き合えるだろうし、何度も一人の女性として意識したことがある。気付けば海鈴みすずのことを考えていた。彼女に紹介された本を読み終えた時はどんな話をしようかとワクワクした。面白い小説を読み終えたらその時の気持ちを共有したくなったし、元々異世界ファンタジーが好きだった俺は海鈴みすずの好きなライト文芸に変わっていった。


 だからこそ受け入れたかった。海鈴みすずの勇気に感謝して、後出しでもいいから「俺も好きなんだ」って言いたかった。


 ……だけど。


「実は、短期留学しに行くんだ」


 口から出たのは嘘だった。既に病気が発覚していた俺は海鈴みすずを幸せにできない。どうせ付き合えても海鈴みすずに残るのは悲しみだけだ。だったら初めから告白の結末なんて知らないほうがいい。


「……いつ、行くの?」

「あと数日以内。だから、返事は帰ってきてからでもいいか?」

「今じゃ無理?」

「ごめん」


 ただ謝ることしかできない。これ以上の言葉が、思いつかない。


「……分かった。私待ってるから」

「じゃあな」

「またね」


 お互いに自分の家路に向かって別れる。その途中、俺の家の前に誰かが立っていた。あまり見かけない後ろ姿だった。ぽっちゃりとしている男性で、スーツを身に纏っている。


「あの、どうしましたか?」


 俺が声をかけると同時に男が振り返る。その面には怪しげに口角を上げている顔が張り付けられていた。


「え?」


 瞬間、首筋に痛みが生じる。手で触れるとぬめりと温かい何かがへばり付いた。絵の具のように鮮やかな赤。それが何か本能的に察して身震いが起きる。


「ぁぁ、ぁぁぁあああ……」


 腰が抜けて尻もちを付く。首から生じた熱が体内を駆け巡り、体の末端からどんどん冷えていった。滲んだ視界に男の手に収まった黒い物体が光り輝く。俺が持っているはずの多機能サバイバルナイフ。


 なんで、どうしてこいつが……。


 俺の戸惑いなど関係なく男がこちらに近寄ってくる。迫りくる恐怖に腰を引きずりながら逃げるが、男の方が早い。


 やめろ、来るな、来るな、来るな!!


 ニヤリと男が高くナイフを掲げる。黒光りする刃は思い切り俺の体に叩きつけられて……


 ――掛け布団を跳ねのけた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 部屋が視界に映り、夢だと理解する。過去最悪の目覚めだ。気分が悪い。懐かしい夢を見ていた気がするが、最後に全てが持っていかれた。


 これこそが奇跡の代償と言われても納得できる。


「……ったく」


 もう一度掛け布団を被って寝転がる。そこで腰辺りに何か硬いものが当たった。気になり、ポケットに入っているそれを取り出す。


 黒い光沢を放つ多機能サバイバルナイフ。


 昨日、こいつで殺していたらもっと強烈な悪夢を見ていたのだろうか。強い後悔を背負ったのだろうか。俺は心の底から、自分が生きられることを喜べるだろうか。


 重々しくベッドから降りてナイフを机の中に仕舞う。もう一度眠る気にもなれず、俺は浴室へ向かった。汗のかいた服が背中に張り付いて気持ち悪い。思わず首筋を手のひらで擦る。俺の手には何も付いていなかった。


 ***


 人生は予測不可能の連続である。今日も部室へ向かうと思っていた俺に、海鈴みすずが「今日は部活なしで寄り道してもいい?」と呼び止めた。まだ太陽が活発に頭上で輝く放課後。俺たちは花屋に寄ってから墓地に足を踏み入れる。


 真っ昼間だからか人気ひとけがない。セミの鳴き声で埋め尽くされた墓地の森を俺たちは突き進む。途中でバケツに水を汲みつつも海鈴みすずは迷いなく進んでいき、一つの墓地の前で立ち止まった。誰の墓だろうか。海鈴みすずの名字ではないし、親族ではないはずだ。


「それじゃあちょっと草むしり始めよっか」

「俺もやるのか?」

「その為に来てくれたんでしょ?」


 こちらに笑顔を浮かべられるが……なんだろう。笑顔の使い方を海鈴みすずは間違えてる気がする。俺には「やらないなんて言わせねぇぞ」という海鈴みすずの声が聞こえた気がした。どっちみち、墓地に来た時点でやるつもりではあったけど。


 腰を下ろして雑草を抜いていく。こまめに誰かが来ているのだろうか。雑草抜きと言っても玉砂利の間から少し顔を出している草しか見当たらない。対して隣の墓地は玉砂利が見えないほど、たくましい雑草が生えていた。ここまでくると意図的に放置されてるんじゃないかと思ってしまう。


「どれくらいの頻度で来てるんだ?」

「年に一回か二回かな。あんまり来るようなところでもないし」

「じゃあなんで今日は来たんだ?」

「……じゅんはさ、『和泉いずみ 朱里あかりちゃん』のこと覚えてる?」

「いずみ?」

「ほら、小三の時に亡くなった……」


 そういえば小学校の同級生に和泉いずみなんて奴がいた気がする。海鈴みすずと仲がよかったけど、不幸にも低学年の頃に事故に遭ってしまった女の子。翌日の授業は中止となり、葬式に参列した記憶がある。


「覚えてるけど、どうしたんだ?」

「それって私が言わなかったら思い出す機会あったかな」


 言われてみて少し考える。おそらく、なかっただろう。少なくとも中学から今にかけて思い出していなかった。今では和泉いずみという少女が事故で死んだという情報だけが残っていて、容姿や特徴はすっかり抜け落ちている。昔は覚えていたはずなのに。


「私もね、忘れてた。でも中学校に入った辺りで夢に出てきちゃって。起きた時には涙が流れてた。あの頃は朱里あかりちゃんが一番の親友で、死んじゃった時は凄く病んでたはずなのに、なんで忘れてたんだろうって」

「仕方ないよ。関りがなければいずれ忘れる」


 所詮、人間関係なんてそんなものだ。俺にも小学校時代仲良くしていた奴は何人もいたが、別々の中学校に進学してから疎遠になった。海鈴みすずと今日話したおかげでそいつらのことも思い出したが、もしこの会話がなければ高校時代は思い浮かべなかったかもしれない。


「私、朱里あかりちゃんとは仲直りできずに別れちゃったんだ。ほんとに些細なことで喧嘩しちゃって。明日仲直りすればいいやと思ってたら、もう仲直りできなくなっちゃって」


 草むしりをしていた海鈴みすずの手が止まる。


「ねぇ、じゅん。人っていつ死ぬか分かんないんだよね」

「そう……だな」


 死なんて目前に迫ってこない限り、自分とは関係ない話としか思えない。まさか俺も死ぬことになるなんて思ってもみなかった。それ以上に生きることになるとも思わなかったが。


朱里あかりちゃんのお母さんに言われたんだ。海鈴みすずちゃんが朱里あかりのことを忘れなかったら、朱里あかり海鈴みすずちゃんの中で生き続けるって。それを思い出してからここに来るようになったの」


 海鈴みすずが花立をキレイに洗い、枯れた花と交換する。


「色んな人から忘れ去られるのって、きっと死ぬより悲しいことだと思うんだ」


 海鈴みすずの言葉、一つ一つが俺の身に染みる。俺の奇跡の力は、きっと想像よりも多くの人生を狂わせる。今まで自分のことばかり考えていたが、事の重大さにようやく気付いて戦慄した。


「私、何があってもじゅんのこと忘れないから」


 海鈴みすずが振り返り、くしゃっとした笑顔を浮かべる。海鈴みすずは至って真面目だ。例え俺が死んでも和泉いずみのように俺を覚えようとしてくれるだろう。それが嬉しくて、でも現実はそう上手くいかないと知っているからこそ悲しくて。


「俺も海鈴みすずのことを忘れないよ」


 そう返すので精いっぱいだった。

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