第3話 運命論
「ちょっと出かけてくる」
「気を付けてね」
母親に外出の旨を伝えて外に出る。夜になっても外はまだ暑い。昼間に比べたら涼しいが、どうしても室温と比べてしまう。ただ、蒸し暑くないのは救いだ。これくらいだと思考に集中できる。
それに夜は人通りが少ないから周りを気にする必要もない。ポケットに入った冷たいものを握りしめて口を開く。
「フェイ、いるか?」
『わざわざ呼び出してどうしたんじゃ?』
俺の呼びかけに、どこからともなくフェイが現れた。朝から姿を見ないと思っていたが、実はずっと近くにいたのかもしれない。
「奇跡について聞きたいことがあるんだ」
『ほぉ、言ってみよ』
「自殺するはずだった人を助けて、殺したらどうなる?」
ずっと誰を殺すか考えていた。
ウザいと思ったことのある学校の教師や生徒、殺しても影響がないような一般人。殺されて当然だと思える犯罪者。できれば犯罪者がいいけど、簡単に会えるようなものではないし返り討ちに遭う可能性の方が高い。通り魔的犯行で一般人を殺そうとしても、相手によっては殺せずこっちの人生が詰んでしまう。
今日は久々の学校で殺したい奴を探してみたが……交友関係が狭すぎるせいか、見つからなかった。
ただ、もし見つけても殺せなかったと思う。身近な人物ではあるので、消えられると何かしらの不都合が生まれるかもしれない。それに……学校へ来るたびに思い出すのはごめんだ。罪悪感で死にそうになる。
そこで思いついたのが自殺志願者の存在だ。殺しても向こうが望んだことを成しただけ。お互いに利益のある関係になれる。
『変なことを考えてるようじゃから言っておくが……死は初めから運命によって決まっておる。仮に一時間後に死ぬ者はお主がどう足掻いても必ず一時間後に死ぬ』
「つまり、意味ないってことでいいか?」
『理解が早くて助かるの』
ぷかぷかと浮かびながらフェイが欠伸をこぼす。運命論みたいなものか。名案だと思っていたのだが、フェイからしたら面白味の欠片もない発言だったらしい。
だったら少しリスクを背負うことになるが、俺の人生に関りがないような誰かを殺すしかない。フェイから余命を貰ったのは確か土曜日の夜。それから退院するまで二日間経過し、退院日に家でまったりしていたら三日間も経ってしまった。
俺に残された時間は今日も含めてあと四日。もうほとんど時間がない。
特に行き先を決めていたわけではないが、気付けば昔よく遊んでいた公園に入っていた。ブランコとベンチしかない公園。地面には長く伸びた雑草が生えており、きちんと管理されていないのが分かる。
周囲を見渡すと隅に設置されたベンチに誰かが寝転がっていた。
『……酔っ払いじゃな』
「あぁ」
紺色のスーツを身に纏っている肥満体型の男性。年齢は四十代だろうか。結んでいるネクタイは変に緩められている。頬が赤く、息が酒臭い。
普段ならそれで終わる会話。あまりこういう類いの人間とは関わりたくないし、無視して公園を後にしていただろう。しかし、今の俺は状況が違っていた。
「こいつを殺せば何年分の余命が貰える?」
『気になるか?』
「早く」
『……サービスじゃ。五十二年ぐらいじゃよ』
五十二年。思ってたより長生きらしい。酒に溺れてる見た目からは、良くて三十年ほどに見えた。もし、こいつを殺せば俺は六十九歳まで生きられるんだ。
人生百年時代でも若く死ぬ奴は死ぬし、生きる奴は百年以上生きる。そこの違いはきっと、運以外の何物でもないだろう。
運が悪かったな。ここはどこまでも運が付きまとう理不尽な世界なんだ。
俺はポケットに入れていた多機能サバイバルナイフを取り出す。月夜に黒い刃が光り輝く。中学生の頃に衝動買いして机の中に眠っていたが、数年越しに使う機会が訪れた。
「こいつが死んだらどうなるんだ?」
『粒子となって消える。それ以上もそれ以下もない』
「そっか」
刃を男の首元に当てる。それでも男は起きない。すやすやと幸せそうに寝ている。命の危機だというのに呑気な奴だ。あとは躊躇せず深く切るだけで頸動脈が切れる。そこさえ切れば数分のうちに出血多量で死に至るだろう。
ナイフを持つ手に力を込める。目を大きく開け、刃を当てる位置を間違えないように集中する。
案外、簡単に事が運んだな。あと少しで俺にも未来が……。
大きく息を吸い込む。同じくらい息を吐き出そうとしたところで、再び息を吸ってる自分がいた。
おかしい。呼吸が上手くできない。病気が悪化したのかと思ったが違う。これはまるで、マラソンで息が荒れているような……。
「――ッ」
鮮明にイメージされるのは少し先に起きるはずだった未来。首から流れる鮮血はナイフに付き、途端に男は苦痛に顔を顰めながら目を覚ます。しかしもう流血は止まらない。激しく地面をのたうち回った男の心臓に最後の一突き。暴れる男はやがて目を見開いたまま息絶えた。
「はぁ、はぁ……」
ナイフを握る手が震え、標準が定まらない。突如込み上げてくる吐き気と頭痛にふらついてしまう。頭の内側を直接殴られているような鈍痛が響き、呼吸すら吐き気を助長した。
これじゃあ話にならない。刃を収めて帰路に辿る。街路灯の光も、住宅から漏れ出る光も体調を悪化させてきた。目を細めて極限まで瞳に入る光を遮断する。
『
「うるさいな」
『これで猶予は残り三日しかないぞ』
「黙ってくれ」
『ふむ』
もったいないと言わんばかりのフェイの言葉が頭にくる。このどうしようもない怒りをどこにぶつければいいんだ。
……ぶつけられないから、今があるのか。
ふらふらと揺れる体でなんとか家に到着する。
「おかえり~って顔色悪くない?」
「あー、うん、なんでもない」
「ねぇ、本当に大丈夫? もしかして再発してたり……」
「今はただ……寝不足なだけだよ。今日はもう寝る」
「そう……おやすみなさい」
「おやすみ」
心配そうに声をかけてくれた母さんに背を向けて自室へ。まだ風呂に入っていないが……明日の朝でいいか。今はとにかく眠りたかった。
「くそ、なんで……」
何が『案外簡単に事が運んだ』だ。絶対いけると思った。俺の未来が決定すると思った。殺すことなんて楽勝だと思ってた。なのに、なんで、なんで……あの男の顔が頭から離れないんだ。
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