高校を卒業し、大学に通う為にこの安アパートに引っ越すことが決まったときには、まあ準備やら何やらで、それなりに大変だった。

 幼い頃、母を交通事故で亡くした事もあって、自分一人の面倒を見る程度の家事炊事なら、こなせないこともなかったのは、不幸中の幸いだったが。


 諸事情で世話になっていた、父方の祖父母の家から通う事も考えたのだが、電車で片道二時間半の距離は、流石にきついものがあったのだ。


『体には気をつけてなぁ……夏とか、冬の休みには帰って来てな』


 今の俺の、生活の面倒を見てくれている、父方の祖父母こと――爺さんと婆さん。


『オレら、就職決まったから、しばらくは連絡もあんまり取れなくなると思うけど……

 お互い落ち着いた時にでも、また遊ぼうぜ』


 一緒に馬鹿をやったバイト先の先輩達。


『もし、お前の手に余る事が起きたら……こっちに連絡をくれ。

 出来る限り、力になるから』


 俺の人生に転機をくれた……尊敬できる恩人とその他もろもろ。


 自分を立ち直らせてくれた、彼らと離れる事への、不安や寂しさもあったが、今生の別れというわけでもないし……

 何より、自分一人でも、これぐらいは出来るんだというところを、見せたかったという事もある。


 ただ……入学できた大学がかなり高めの偏差値だったこともあって、課題をこなし、ついていくだけでも一苦労だ。

 そもそも、祖父母に学費まで出してもらっているというのに、遊び惚けて留年しました、なんてことになったのなら、それこそ顔向けできない。


 大学での同期生には、要領よく、サークルの飲み会やらマッチングアプリやらで、

 要領よく、女あさりを楽しんでいる連中も目に付いたが……俺には遠い別世界の出来事にしか、思えなかった。

 新しい出会いとかに期待とかもないわけじゃなかったんだが……

 多忙な毎日のなかで、そんなものはどこかに吹っ飛んで消えていた。


 そうして気がつけば、あっという間に一年の歳月が過ぎ、そんな生活にもすっかり慣れた……ある日の事だった。

 貴重な休日の朝に、アパートの部屋で惰眠を貪っていた時、珍しく客人が訪れて来たのだ。

 入居したての頃は、新聞セールスやら宗教の勧誘やらもまばらに来ていたが、最近はそれもなくなった。

 ドアチャイムを何度も鳴らされて、一体どこのどいつだよ、とぼやきながら、寝ぼけ眼で玄関のドアを開けた先にいたのは……


「あの……すいません、変な事聞くみたいですけど。

 山城やましろ 聡也そうやさん、ですよね。

 山城やましろ 総一郎そういちろうさんと、山城やましろ 真奈まな……さんの、息子の」


 まだあどけなさを残した可愛らしい顔立ちをした、中学生か、高校生くらいの少女だった。

 年齢について断定しかねた理由は、背丈の低さに対して、白のセーラー服を押し上げているもののボリュームが凄まじかったからだが。


 父と、母さんと、俺の名前が出てきたが、目の前の彼女とは、初対面……

 いや何処か、既視感がある様な気もする。

 前に会った事が、あるような……? 


 彼女は、こちらの沈黙を肯定と受け取ったのか、ぺこり、と一礼してからの、自己紹介。


「わたし……山中……未菜って言います。

 その、覚えてます……?」


「……ごめん。

 見覚えはある様な気がするんだけど、何処かで会ったっけ……?」


 正直に答えた俺へ言葉を切って躊躇いがちに。

 それでも、精一杯絞り出したのであろう声音で彼女は告げる。


「……ええとですね、昔よく遊んでもらった――従妹の未菜です。

 ちょっと行きたかった、っていうか、受かった高校とこが家から遠くてですね。

 この春から一人暮らしすることになりまして」


「……はあ」


 そういえば母方の従妹にそんな娘が……いたような、いなかったような。

 いや、そうだ。段々と思い出してきた。

 確か――


「ええと……小奈こな伯母さんとこの……未菜ちゃんで合ってるかな?」


 そう。少しばかり昔の話だが、子供の頃お盆の母さんの実家への里帰りの際、よく懐いてくれていた従妹の娘がいたのだ。

 時たま、逆に実家うちの方に伯母さん家族と遊びに来たりしたこともあって、かなり親しくしていた記憶がある。

 母さんが亡くなった後も、大体、俺が高校に入学するあたりまでは付き合いは続いていた。

 

 あれから……四年ぶりだろうか?

 当時は色々あってごたついていて、あれから連絡をとる機会もなかったのだが。


 最後に会った頃は小学生だったか――随分と成長したものだ。

 よくよく見れば面影はあるが、言われるまでまったく気づけなかった。


「ああはい、そうですそうです!

 どうもお久しぶりです、ソウにぃ――聡也さん!」


 ぱん、と手を叩き、彼女――未菜ちゃんは笑顔で、俺の回答を肯定する。


「何ていうか……大分久しぶりだね。

 最後に顔合わせたの、何時だったかな……高校合格おめでとう。

 ……一人暮らしって言ってたけど、近くに越してきたのかい。

 何処でお世話になってるの?」


「ありゃ、ひょっとして何も聞いてなかったりします……?」


「……いや、何を?」


 かりかり、と細い指先で頬をかきながら、困惑したように未菜ちゃんは気まずそうに続ける。


「えーと、丁度高校の近くの物件とか探してるうちに……

 安くてお風呂とかキッチンとかついてるとこ、って事でここ・・が見つかってですね。

 で、少し前にうちの両親が総一郎叔父さんの実家の方と連絡を取った時に、偶々聡也さんが入居してるって話を聞きまして。

 まあ、話の流れでせっかくだからお世話になっちゃおうって方向で話が纏まったって聞いてたんですけど……」


 ――何だよそれ聞いてねえ。


 ぽかんと、固まっている俺へ追い打ちの如く、


「あ、流石に部屋は別なんですけどね。

 聡也さんのお隣です。

 ……えっと、その、よろしくお願いしますね?」


 あはは、と苦笑いしながら補足してくる、彼女の言葉に……


「え―――はあ、噓ぉ!?」


 我ながら――この時は、素っ頓狂な叫び声をあげてしまったものだと、思う。

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