煤色キャンバス
結城綾
葡萄
錆びかけた鉄筋コンクリートで構築された廃ビルの中心に、私は
この廃ビルは幼少期のあの頃によく通っていた遊び場だった。
一階に駐車場で客を呼び寄せ、二階のゲームセンターで子供達の心を
田舎町の……池花という町の数少ない娯楽なだけあり、それなりに繁盛していたのだが。
ある日突然、もぬけのガラになった。
といっても、SFだとかそして誰もいなくなったわけではなくて。
ごく単純な原因は、地震によるものである。
幸い津波に苛まれることはなかったのだが、それでも町全体は壊滅状態となり客が入らなくなりそのまま会社がその土地を売却。
売却したはいいものの、誰も廃れた土地を買いたがる物好きも現れず結果放置されていった。
最初の一年間はほんのりした香りに近い話題にはなった。
なんで潰れたのかなとか愛されていたのになとか。
でも一年経てば建物と一緒に記憶も風化されていき、いつしかそこにある巨大な長方形の塊にしか見られなくなった。
バイクのエンジン音だけが響く中、駐車場に到着した後しばらくは一服していた。
排気ガスと一緒に副流煙の苦味だけが煙となり消えていく。
景色を見渡しても、たいして心情の変化のつけようがあるわけもない。
強いて言うなら、駐車場にはおそらく素行不良の若人がつけたであろうアートでない落書きや煙草の燃え滓、缶缶やヌード写真集などの雑誌がそこらじゅうに散らばっているだけだ。
ニーハンのバイクに揺られて迷い真宵にやって来たはいいものの、こうも荒らされていると目的を果たせないので軽く掃除をする。
燃えるごみと印刷されている袋とペットボトル用の袋に分別して入れる。
缶が爆発しても映えなさそうだなと勝手に決めつけながら潰しては回収して、おそらく腐った液体がドロドロと浮き出てくるのでそれもつまんでまた回収。
こうしたそこにある視点は普段乗っている黄昏色の電車の硝子窓からだと視認出来ない。
プログラムによる背景移動しか、二次元的視点でしか見れないのだ。
y=x −1をしても決まったレールからは降りてみないと現実を知れないのだ。
収集した袋の中身はパンパンに詰まって、それもまた球体として爆発しそうではあった。
コラージュとして画集として飾れそうな程であるので、いささかもったいない気分ではあったが……。
これに詰まっているのは
黒一色に包まれた空間に、懐中電灯の光が差し込む。
人工物で構成されているのか、苔や雑草は下から生えてはこない。
もう稼働していない自販機から冷凍炒飯の匂いがしてくる気だけはする。
風音と足音だけが反響して他の誰も返事をしてくれない。
ゲームセンター特有のBGMはもう返ってこない。
休憩スペースにある少し綿の見えるソファーに座ると、遊びくたびれた少年が家族と座っている気がした。
かつての自分が重なり合わさり一致して、自問自答が繰り返される。
「ねえ、君はここに何しに来たの?」
「ボウリングとぉ……カラオケと__ゲーム!」
「カラオケはビブラート派、それともこぶし派?」
「ビブラート!」
「自販機の炒飯は冷ましとけよ、やけどしちまう」
「もうしちゃったよ……」
「ハハハ!そうかそうか」
記憶の傷跡を探り唇をむにっと触る。
「ガーターは何回取った?」
「一回取ってガターだよ!」
この間違いも何回したのだろう、もう覚えていないのに懐かしい。
「ねえ、家族と居て楽しい?」
もう両親は去年に死んだ。
「うん!お兄ちゃんこそここは楽しい?」
停滞したこの場所と違って随分と歳をとってしまったが、それでもかつての記憶を
「イエス。ノーという選択肢は最初からないね」
MP3プレーヤーを物理ボタンを押して、少年に戻れる魔法の曲を聞きながらメモリーが消去されないのを待ちそう答えた。
懐古厨とは思われたくないが、懐かしきアーケードゲームを見ると思わず武者震いしてしまう。
スティックボタンと六つある丸ボタンを体に染みついた十本の指でコンボを繰り出す。
液晶画面は応答してくれないが、私の青春時代を支えてくれたキャラはこちらを向いてあのコンボを撃ってくれた。
……少し寂しかった。
他のゲームも一緒であった。
仮面を被ったヒーロー同士で戦うデータカードダスの三色のボタンを連打しても、激烈な展開を見せてくれたし。
ボーカロイドの音ゲーからは独特でクセになる声色がスピーカーから流れた。
パンチングマシーンを殴ったらコングの音ともうずっと会っていない友人の声が聞こえた。
ただ、どの筐体も応答をしてくれないだけで確かに聞こえたし見えたし五感で感じたのだ。
ここに不時着する……立ち至ると思い立つ数時間前、私は個人経営のスーパーに似たディスカウントショップにふらっと立ち寄った。
昔で例えると丸善に近いだろうか。
主婦の味方であり足を運ぶ者達の味方。
なんでもありそうでなんでもある訳ではない、そんな場所。
中に入ると、凍えるぐらいに過剰に冷やす冷凍コーナーや冷蔵コーナーに、駄菓子屋も妬む駄菓子の品揃えに雑貨まで揃えてあった。
いつもここで一週間の必須品を買い溜めして置くのだが、事前に買う品物は決まっているので無意識のうちにカゴに入れて会計を済ませてしまう。
しかし今日に限っては違った。
よく店に置いてある注目商品、そうPOPだ。
そこに少し誇張して大袈裟にも感じる紹介欄に
山梨産の葡萄、梨なのにそこにあったのは葡萄。
皮の張って白い粉が付着したみすぼらしくも愛らしい。
これに触れた瞬間、記憶から流れてきたのは梶井基次郎の『
学生の頃からこの作品には一目惚れしていて、私にこの作品を語らせるとどの人物も呆れ果てているのが目に見える程であった。
「これだ、これが私に取っての檸檬なのだ!」
心の中に詰まった果実が触発してしまい、ワクワク感の溢れたまま寂れ錆びれたキャンバスにどのように色を付けようかと道具を買いながら考えていた。
影は既にある。
なので光を際立たせるライト、ゴミ袋を数枚取り懐中電灯を買い揃える。
メインは言わずもがな、後は隠し味。
隠し味は何にしようかとブラブラと歩いていると、花まで売っているのを発見して一目散へと駆け寄る。
花の種類は専門店と違い数が限られていたので、一番捧げ物に似合い画幅に合う花を探していると……。
赤と白のアスターが端にポツンと置かれていたので、その花をそれぞれ一輪ずつ買い店から出て行った。
バイクに座る前に、丸く甘く濃縮された一粒を舌と唾液に上書きするように記録させた。
閑話休題終了。
さて今から寂れた娯楽に明るみをつけようと、事前に用意していた大量のLEDライトを設置する。
映画やドラマにあるカメラワークを思い出しながら、風景に色味をつけ塗りぬくもりを感じさせる。
シャッターチャンスを逃さずに、筐体を被写体に影と光を際立たせ。
黒色から夜色に変換されて、廃墟から星空になり星座早見盤を形作る。
味付けにカラースプレーを用意して、鉄骨を自然色に飾り付ける。
蒼色に茶色、若緑に
死化粧のように加工する景色と顔。
メインに葡萄を一粒一粒丁寧に、辺り一面に置いていく。
葡萄の爆発。
芸術の爆発。
檸檬の爆発。
私は梶井のように丸善という華のあり生きた世界に、クリーム色のキャンバスを彩ることはできないが……華のない煤のキャンバスを動かすことはできる。
死は停滞する。
享年〇〇歳がいい例だ。
人や物は突然死に、死霊という固体でも液体でも気体でもない不確定な存在となる。
その存在を動かしたければ、記録に残し記憶すればいいのだ。
だから私は爆発させる。
赤と白のアスターを添えて。
赤色の形をした、血の色。
白色の形をした、白血球と言いたくなる精子の色。
血の色は生の証。
設置することで完成する、バーンドシェンナ。
廃ビルの解体を終えた私は、三階に上がってビリヤード台へと向かった。
時が止まって見える程、キューや的球が詰まったラックがそのままの状態で放置されていた。
突然怪獣でもやってきたのだろうかと訝しみたくなる。
木の触感やスギの木の匂いがより充満するように感じる。
こういった匂いはまだ死んではいない、心肺蘇生が可能な範囲だ。
キューを持ち上げて槍のように振り下げては上げてを二、三回繰り返した後的球を射つ体制を整える練習をする。
ここで、私は唐突に自己満足のアイデアを思いついたのでご披露といこう。
まず正しい位置にラックを揃えて真ん中に置く。
十五個の果実が転がらないように最善の注意を払いながらそっと外す。
ここで転がりそうになったらさっと修正すればいい。
定位置に揃えたら、手球を置いて発射態勢に入る。
人差し指と親指で輪っかを作り、その中にキューを入れて……そっとそっと。
サッッ!
と十六個目の果実を発射する。
するとどうだろう、十五個の果実はインクとなり爆発してそれぞれ辺りに散らばったではないか。
廻るボール、動く針。
時計の針を動かすってのはこういうことさ。
私は死んだ廃ビルを修理し再生したのを確認した後に、階段を一歩ずつ降りて駐車場に向かいバイクに乗って山下りをした。
煤色キャンバス 結城綾 @yukiaya5249
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