第30話 誰がため

「そ、そうなんスか?」


 司は言葉を紡ぐだけで精一杯だった。


「嗚呼、いろいろ聞かせてもらった。お前のこと」


 成坂は切った野菜を鍋に入れながら背中で応える。


 司はその背中からはまるで怒りにも、悲しみにも、哀れみにも感じられるような複雑な感情が入り混じっているように見えた。


「さっきから何してるんだ?ここで」

「疲れてるんだったら自分の部屋でゆっくりしな」


 帰ってきてからずっと居間にいたので不思議がってたらしい。


「わ、わかったっス。ごめんなさい…なんか—」


 成坂は無言で調理を続ける。

 司はその背中を無言で見るしかなかった。


「待て、司」


「な、なンスか?」


「お前——逢いたいか?あんたの親に」


 久しぶりに成坂の顔を正面から見た気がする。その顔はいつになく真剣な顔だった。

 鋭い目、やる気のなさそうな口元、無精髭、後ろで束ねられている髪の毛…

 その顔にすらどこか司は懐かしさと愛おしささえ感じた。


「わかんないっス…自分でもどうしたらいいのかわからない…」


「まあいい」

「ゆっくり自分で考えるんだな」


「はい…」


 司はそう言い残して逃げるように自分の部屋に戻って行った。


 ○


 最悪だ。

 一番知られたくなかった人にいち早く知られてしまった。

 これからどうすればいい?

 過去を偽っている人間がどうしてこんなところにいる資格がある?

 もしあの時自分の事実を成坂さんに、連雀ちゃんに、法梅ちゃんに、千歳ちゃんに打ち明けてけてたらどうだったんだろう?

 いや、多分彼女たちに話したところでなんの得もなかっただろう。

 だってみんなにはれっきとしたがいるのだから——

 どうしよう?どうしよう?どうしよう?

 誰がこんな嘘を塗り固めた女を欲しがる?


 無意味な思考が頭の中を巡りに巡る。


(だめだ…)

(ちょっと外出て考えよ…)


 今までの思考を断ち切るように司は立ち上がって玄関に向かう。


 ○


 春の黄昏時は幾分か心地が良い。

 冬のようにもすぐに終わるっていうわけじゃないし、夏のようにいつまでも長く続くわけでもない。かといって秋のように冬に向かっていく孤独さが感じられるわけでもない。

 春というのは夏に向かっていく高揚感と、かと言って夏のような虫や熱気などのカオスがなく冬らしい落ち着きをちょうど良いバランスで保たれており、司が一番好きな季節でもある。

 近くの小道を歩いていると向かいから家族がやってきた。

 司よりずっと小さい子と両親である。

 子供の手にはおもちゃを持っている。人気のキャラクターが描かれている。

 子供はその愛情を落として粉々にしてしまわないように大事に胸の前でぎゅっと抱きしめていた。おもちゃを買ってもらえて大満足なのだろう。


(家族って不思議よね…)

(一種の契約だもの、自分という存在を引き換えに愛情を分け与える)

(しかもほぼ全世界の隅々までほぼ同じことが行われているって…どうしてみんな愛情をあげることができるんだろ…)


 幸せな家族を尻目に見て司はそんなことを考える。


 そんなことを考えていたらいつの間にか小さな広場に出た。

 小さな遊具とベンチしかないものさびしげな広場である。


(私これからどうすればいいんだろ…)

(またあの頃にやり直せるんだったら…また違う人生を辿っていたのかな?)


 そんなタラレバの話を考えながらベンチに座る。


 ふと目を閉じてみる。

 優しいけども冷たい春の夜風、まだ私の肌を攻撃しない柔らかい春の夕暮れ。


(また、会えるのなら…まだ私に会える資格があるのなら、私は————)


 だめだ


(もう考えてもしょうがない…すでにどれだけの時が経過しているんろう…必然を顧みても意味がない)



「何してんのよ?」


 ふと声がした。

 その声は少し棘のある。けどもそのうちには優しさを秘めているというのを司は知っている。


 恐る恐る目を開けると司の前には腰に手を当てて怒っているという表現をしようとしているであろう連雀がいた。

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