第3話 その少女は過去を知る

 祖母が最後に一つ寄ってほしい場所があると言ったのはある程度自分がどこの下宿先にしようかと目星がついた時だった。

 この春からサッカーの推薦でプロのサッカープレイヤーを幾人も輩出している名門校に入学することが決まった。

 自宅から高校まで毎日通うということはほとんど不可能だったためそれなりに高校から近い下宿を探していた。

 元々祖母が同じ高校に通っていたこともあり、そのつてを辿っていくつか下宿先を紹介してもらった。

 どれも洗礼されていて、決して新しいわけではないが親元から離れて同じ年代の人間と一緒に過ごすということは彼女にとって新鮮であった。

 だから目星がついていたからといってここの下宿先にしようなどといった確固たる意志を持っているわけではなく、なんとなくその時の気分で決めれば良いかとその時までは感じていた。


「おばあちゃん、そこの下宿先ってどんな感じなの?」


 彼女の内心は少し心配だった。この祖母の行動は時に彼女の想像の範疇を優に超えていくときがある。


「そうねえ…とってもいいところさぁ」

「まあいってみればわかるからとにかくいってみることだなぁ」


 そうこうしているうちに祖母が案内しようとしていた所についた。


「多分私の記憶が正しければここで間違い無いんだけどねぇ」


 祖母の声は少し不安そうだった。祖母の無鉄砲さには心底呆れつつもその建物の外見を改めて見る。

 どっしりとした西洋建築的な建物で、とんでもないくらい趣を周囲に撒き散らしている。モダン的な風格は一切感じられない。

 少なくとも古さだけでは今日見てきた下宿先ではぶっちぎりで古いと思う。

 重要文化財的なもので保護されているのではというくらいに古い。

 けれどもそこには古さからくる寂れた感じの家という印象はあまり感じられず、素人目にしてみてもそれなりに丁寧に綺麗なままで維持されていることがわかった。


「お、おばあちゃん本当にここであってるの?ちゃんと確認した?もう一回調べたほうがいいんじゃ…」


「ごめんくださーい!」


 そんな彼女の心配をよそに祖母はいつの間にか玄関にいって扉をドカドカ叩いていた。


「ああん?セールスならお断りだぞ?」


 扉の中から出てきたのは上下灰色のスウェットで、髪もボサボサでだらしなく無精髭が生えていた、明らかに下宿の関係者ではない見た目の悪い若い男性だった。間違えたと思いさっさとここから離れようと思ったが、祖母はまだ玄関にいた。


「あの…ここは学生寮の『子西荘』で間違い無いですか?」


「ああ、子西荘だ。何の用だ?」


 その若い男は嘘をついているのではないかと思うくらい彼が自称する職業と見た目が乖離している。


「本当ですか?嗚呼、本当にまたお会いできて嬉しいです。まさか本当にまた会えることができるとは…ここに清一きよかずさんはまだいますか?会えるのであれば少しお話ししたいのですが…」


 祖母はいつの間にか大粒の涙を流していた。その涙は長く再開を果たせなかったが再び会うことのできた喜びを噛み締めるように。


「うーんと、俺の爺さんのことかい?清一っていうのは」


「そうです!子西清一です!まだいらっしゃるのですか?」


「悪いな。婆さん、もう俺の爺ちゃんはいないんだ。もうあんたが会いたいと願ってた人間はいない。」


「そうですか…できれば最後にもう一度お話ししておきたかったです…」


 祖母はさっきの喜びとは裏腹にとっても残念そうに肩を落としてしまっていた。


「ところで、あんたがここにきたのは俺の爺さんと再会するためだけじゃないんだろ?」

「後ろのガキの下宿先を探してんだろ?今は俺がここを経営してるんだから、記念がてら少し寄ってけよ」


 いつの間にか隠れたのがバレたのか彼女は仕方なく、その男の元に現れた。


「俺の名前は小西成坂だ。ここの寮の経営をしている。最近はここの寮の再開に大忙しだ」


「えーっと、名前は伊東司いとうつかさっス。来春から秋葉坂高校に進学するためっス。ここにはサッカーのスポーツ推薦として来たっス」


「私の名前は利周子です。今から約60年くらい前にここに入寮していました」


 と、なんとなくの軽い自己紹介をしたのち、この成坂という男は祖母と私2人をこの寮の中を案内した。

 ざっくりと色々この家の設備を紹介されて最後に応接間とも言えないような居間に案内された。


「まあ、あんたが知らないうちにこっちも家族の問題として色々あったのさ。それで、一時は本当にここの寮をやめちまったがまた俺が再開するってわけさ」


 コーヒーを作りながら彼はざっくりとここの寮を再開するまでの経緯を話した。


「ここの寮は誰が食事を作るんですか?」


 ふと祖母はひょんなことを聞いた。


「うーん、まだ別に決まったわけではないが多分俺じゃないか?多分俺の母はこういうふうになってもらうために子供の時から家事とかの基本的なことは学ばさせられたし」


 できたコーヒーと軽いお菓子を私と祖母の前に置きながら答える。

 男は机の向かい側の椅子に座ってここの寮のいくつかの資料を見せる。


「これがここの家賃とか基本的なことが書かれてある。一応家賃は月々全て込みで7万5千円だ」


「食費とか光熱費とかも全て込みでですか?」


 祖母は驚いた表情で成坂に聞く。


「ああ、別にそのつもりでやっていくが何か問題だったか?」


 成坂はなんの変哲もないといった顔で言う。


「ところで、失礼を承知で聞くんですけども、成坂さんの祖父は誰とご結婚なさったのですか?」


 徐に何かを聞くと思ったら意味不明なことを聞き出した。


「うちの婆さんのことか?晴子っていう人と結婚したぞ?旧姓は確か…野田だったかな?」


「ああ、本当に?ハルちゃんが?ああ、本当によかった…彼女はついに勝ち取ったのね…」

「その…ハルちゃんには会えることはできるのでしょうか?」

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