第1話 追憶

 行こうと決めた日から行動に移すまでは驚くほど早かった。

 母が旅立ってからまだ傷も癒えぬ一週間であった。


 幸いにもまだUターンのピークではないのか、下りの新幹線の車内はそれほど混んでいるわけではなかった。

 朝のうちにコンビニで買ったおにぎりを貪り食いながら窓の外の景色を意味もなく眺める。

 つい2年前、初めてここにきた時、この景色は衝撃の何者でもなかった。

 今まで写真やテレビの液晶越しに見ていた景色とは違い、その無機質な美しさが脳を刺激させ、興奮させた。


 曇りがちの東京の空は窓に映る新幹線の白い色をより一層引き立てた。


 基本的に長期休みに実家に戻るということはほとんどなかったので、小西成坂こにしなるさかにとっては異例の決断ではあった。

 小西家を継ぐものはたった1人しかいない成坂にとってこの寮を継ぐという行為は重荷でしかなかった。

 まず、寮というものを十分に知らない。

 それに別に大学で経営を学んでいるわけでもない。


 何もかもをうやむやにされたまま先に旅立ってしまった愛しい母、そしていつも自分の味方だった祖父母。

 たった1人で切り抜いて行かなければならない。

 その見えない闇の中を、手探りで。


 景色はいつの間にか川を超えて神奈川に入っていたようだった。


(どうなろうが、とにかく行けるとこまで行けばいいさ)

 成坂は新幹線の座席に思い切り身を委ねて瞑目する。


 いつまで寝ていたのだろうか、目的地の駅に到着するというアナウンスとともに目が覚めた。

 リュックを背負って1人で改札を降りて北口通路から出る。

 地方都市ながら、駅周辺は高架化しており、そのガード下に沿って歩き始める。

 たった2年しかこの土地を離れていないのに、見慣れないものが一気に増えた。


 駅から歩いて15分くらいのところに祖父母の家、もとい小西荘がある。

 祖父母がまだ若い時に建てたいわゆる立派な日本家屋だった。

 母が元々住んでいた家はとっくに売り払っていたし、彼女の遺品整理は生前に行われた。まあ元々そこまでものが多い性分ではなかったので、苦労はしなかった。


 小西荘の玄関の鍵をポケットから取り出す。

 その鍵は普通の家の鍵以上に綺麗に磨かれており美しい光を放っていた。

 ガシャガシャと立て付けの悪い引き戸と格闘すること10分、ようやく玄関の扉を開けることに成功した。

 いかにも、日本家屋らしいでかい土間がたった1人の成坂を冷たく迎え入れる。

 そこには二つの紙とここの家らしき鍵が二つ置かれていた。

 とりあえず、その手紙は後にして、この小西荘をまず綺麗にするところから始める。

 寮生が住む部屋は10部屋、とりあえず5人、1人2部屋使わせようと考えている。

 そっちの方が広々住めるだろうし、周囲の環境に気を使う必要もそこまでない。


 結局、寮生の部屋と、居間の掃除だけで1日が終わってしまった。

 この家にあった掃除機がなかなかの代物で、音がとんでもなくうるさいくせに、ほとんど大したゴミすらも吸わない。さらに吸えないだけならまだしも、スイッチの接触が悪いのか、今にも生き絶えそうな老人のような呼吸で電源がついたり消えたりしていた。

 なんとか、その掃除機をぶっ叩いてなんとか最低限の仕事を全うさせた。


 そんなこんなで1日目はおわった。成坂は居間で寝た。

 布団すら見つからないこの家で唯一まともに寝れそうな場所だったのは居間にあったソファだったからだ。


 成坂はソファーに横になりながら今日一日何をやっていたのかを振り返る。


(布団が見つからねえなら新しく買わねえとな…)

(まあ、そこまで汚くなかったからな—おふくろは最後まで綺麗に保とうとしていたんだな)


 疲れもあってか、いつの間にか眠りこけしまっていた。


 目を覚ますともうすでに日が登っていた。


(今日は風呂の掃除と俺の部屋となる場所の掃除か)

 2階の隅にある部屋はもともと祖父母が使っていた。

 成坂が小さいころはここの部屋に遊びに行っていた。

 いつも祖父は机の上でそろばんを使いながら帳簿と睨めっこをしていた。

 祖母は暇な時は机で料理本を読んでいた。


 けれどもそんな祖父母の思い出の詰まった部屋は開かなかった。

 立て付けが悪いのかと思って思いっきり引いたり、押したりしたがうんともすんとも言わなかった。

 ドアノブをよく見ると鍵穴があった。どうやらこの部屋だけは鍵がかかっているようだった。

 自分の注意力の壊滅的な低さに呆れながらあっと思い出して昨日の鍵の存在を思い出す。

 急いで居間に鍵をとりに行ったが鍵の隣にある紙の存在を思い出す。

 その文字は母の文字であった。

 ドアを開けるより先にこちらを読んだ方が良いのでというなんとなくの感覚で先にこの手紙を見ることに決める。

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