若菜と紗里 私のせい 15

 私のせいだ――そう思って、全てを投げ出せば楽になるだろうか。その答えは考えるまでも無い、楽になるはずなんて無いのだ。


「…………聞いて、若菜わかな


 一つ、トーンが落ちた紗里さりの声に、若菜は居住まいを正す。


 若菜に解ってもらうためには、もっと深く話さなければならない。嫌な記憶を思い出してでも。


「私ね、小学生の頃から、友達がいなかったの――」


 それは好きな人若菜に知ってほしい、もう一つのこと。


「私って昔からモテていたのよ。小学生の時から。でもね、やっぱりみんな子供でしょう? 女の子はみんな嫉妬してくるし、男の子は好きな子――私にちょっかいをかける子が多かったわ。ねえ待って、なんでそんな冷たい目で見るの」


 これからだという空気をぶち壊すような若菜の冷たい目。


「なんで私の周りの見た目が良いヤツらって顔の良さ自覚してるの? いや答えは言わなくて大丈夫! その答えは知ってるから‼」


 突然、いつものテンションに戻った若菜。なにがきっかけで戻ったのか分からないが、戻ってくれてなによりだ。


「そ、そうなの? えっと……続き話してもいい?」


 若菜は、はいどーぞ、と言いたげに深く座り直す。


「それでね、そんな日々が続いていたのだけれど、その時の私は力の調整とかできなくて、外で遊ぶにしても全力だったの。走れば誰よりも早くて、嫌がらせでドッジボールの的にされたら返り討ちに、私の投げたボールが当たった男の子が泣いてしまったり、教育実習生も悶絶させたり……そのせいで人間じゃない、ゴリラ、化け物――とか、極めつけはこの傷跡になる怪我ね。それから、私の周りには誰もいなくなったし、心無い言葉をかけられるようになったの。だから私は塞ぎ込んで、体をづくりと並行して、ずっと本を読んでいたし、勉強をしていたわ。体を壊す心配がないし、独りで完結できることだから。そして中学校へ進学しても、小学校のメンバーがほぼそのまま中学に上がるわけだから、私は中学でも一人だったわ。それでも近寄ってくる男の子は下心が丸見えだし、女の子には恋愛絡みで色々と恨まれ、私に声をかけようとしてくれた子も被害を受けたわ。そしてそれ以外子たちは、私のことを恐れていたわ。触られると殺される――とか、そっちの子の方が多かった気がするわね」


 一息に語られた紗里の過去、若菜には現実離れ過ぎて共感できる部分は無いが、紗里の辛さは理解できる。


 若菜なら、そんな小学生、中学生時代を過ごしたのなら、もっと荒れていただろうし、場合によってはもうこの世にいなかったかもしれない。


 このような過去を背負っているのに、なぜ紗里はここまで優しく、穏やかな人間なのか。


 それにそこまで聞いて、なぜ紗里が若菜の通う、特段偏差値も高くないただの女子校へ進学したのか、その理由も分かった気がした。


「だから……高校は、うちの?」

「そうよ。男の子がいなければ、女の子から恋愛絡みの恨みを買うことは無いでしょうし、自分の学力よりもかなり下の学校なら、成績さえトップを取ればある程度のことは適当でも問題は無い。見た目も学力も並ぶ者がいなければ、として平和に過ごすことができる」


 それを聞いて、若菜は自分の考えの甘さを痛感する。紗里が優しく、穏やかな人間というのは間違っていないだろう。ただ、紗里自身も限界だったのだ。逃げるために進学先を決め、誰も手が届かない場所に立ち、自分を守る。


 暗い目をした紗里の手に、若菜は自分の手を重ねる。


 手を触れられた紗里は、若菜の顔を見ると、まるで太陽を見上げるかのように目を細める。


「でも、そういう存在は各学年に一人いたのだけれどね」


 若菜は自分の学年にいる、の姿を頭に浮かべる。


「たしかに」

「でも、平和には変わりなかったわ。……そして、二年生になって、後輩ができて、私は変わったわ」


 紗里は自分の手に添えられた若菜の手を握る。


「あなたのおかげで、私は笑って日常を送っているわ」

「私のおかげって……大袈裟だと思うよ? 私なにもしてないし」

「若菜は憶えていなくても、私にとっては特別なことなのよ」


 若菜にとっては、ただの流れゆく日常でも、紗里にとっては、いつまでも大切にしていたい日常の一幕なのだ。


「だから、若菜に責任は無いのよ。私は無理をしていないし、無理をする気も無いものだから――」

「でもね」


 紗里の言葉を遮って、若菜が話す。


「紗里ちゃんの過去は分かった。それで、紗里ちゃんが無理をしていないってことも分かった、なんとなくだけど」


 若菜が思うに、紗里が若菜と遊んだり、涼香のフォローをしてくれるのは、塞ぎ込んでいた紗里が、再び自らの意志で外に飛び出した結果なのだ。


「でも、心配はするよ?」


 それでも、紗里の体が無理をすれば壊れてしまう事実は消えない。


「もし体を壊しても、紗里ちゃん一人の責任にはならないからね」

「……若菜」


 なにを思って、若菜はその言葉を紡ぐのだろう。


 誰かに心配をされる、家族でもない他人から。それは、今まで紗里がされたことの無かったことだ。それに、他人といっても、相手は自分の好きな人だ。


 緊張とはまた違う、心地の良い温かいものが、紗里の胸に広がる。


「ありがとう、あなたと出逢えて本当に良かったわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る