7月7日 七夕編

七夕にて

 七夕の日の休み時間のこと。


 涼香りょうかは教室で一人悩んでいた。


 七月七日の一週間ほど前から、学校の中庭には笹が設置されており、生徒たちは短冊に願い事を書いて結び付けることができる。


 涼香は今年も短冊に願い事を書こうかと思っていたのだが、毎年――涼音すずねは可愛いけどあげないわ。だけどその可愛さは目に焼き付けなさい。と書いているので、今年は違うことを書こうかと思っていたのだ。


 そうやって悩んでいるうちに、日は過ぎて七月七日になってしまった。


 まだなにを書こうか決めていない。明日になれば撤去されるため、放課後まで、いや、昼休みまでには書きたいのだ。


「涼香ちゃん、まだ悩んでいるの?」


 隣の席のここねが、こてんと首を傾げる。


「そうねえ、書けと言われればいくらでも書けるのよ。でも、一つに絞った方がいいではないの」

「わたしはたくさん書いてもいいと思うんだけどなあ」


 そんなことを言っていると、後ろのドアから菜々美ななみが入ってきた。菜々美は涼香の机を見て、目を見開いたが、絶対にツッコまないという強い意志を持ってスルーする。


「ここね、ちょっと外へ行きましょう」

「菜々美ちゃん。涼香ちゃんがまだ願い事決まっていないんだって」

「うん、知ってるわよ。早く外へ行きましょう」


 座るここねの脇に手を滑りこまして、ここねを持ち上げた菜々美が教室から出ていくのだった。




 結局、なにも浮かばないまま昼休みを迎える。


「なんで板コンニャクなんですか?」


 正面に座る涼音のツッコみに、涼香はお弁当を食べる手を止めた。


「短冊が無かったのよ」

「湯葉の方が飛びそうですよ」

「確かに……⁉」


 なるほど新発見、湯葉の方が薄くて軽い。空高くまで上っていくはずだ。


「どっちもおかしいわよ‼」


 遂に我慢の限界に達した菜々美が勢い良く立ち上がる。


 夏は暑いため、校舎内で昼食を摂ることにした涼香と涼音。そして今日は家庭科室へお邪魔していたのだ。


「どうしてかしら? 短冊と似ているではないの、板コンニャク」

「コンニャクは食べ物だし、文字を書けないわよね? そ れ に! 短冊なんて作ればいいでしょう‼」


 画用紙を切れば短冊なんて作れるし、最悪折り紙や、片面印刷のプリントでも大丈夫なのだ。


 それなのに板コンニャクに書こうとする理由が分からない。そもそも、短冊の量はかなりあったはずで、無くなるなんてことはないはずだ。実際、昨日まではまだまだ残っていたし。


「あと湯葉も! 文字を書けないでしょうし、仮に書けたとしても薄すぎて破れてしまうわよ!」

「菜々美ちゃん。お茶飲む?」

「ありがとう」


 ここねに入れてもらったお茶を飲んで、落ち着いた菜々美が再び座る。


「せっかくコンニャクに文字を書ける道具を持ってきたのよ?」

「あるの⁉」

「でも使わないわ」


 そう言われると見てみたいものだが――。


「じゃあ湯葉も駄目ですね……持って来たのに」

「持ってきているの⁉」

「あっ、間違ってほうとう持ってきてました」


 涼音がこの調子だと、涼香のコンニャクに文字を書ける道具とは、デコレーション用のチョコペンのような気がする。


 もうなにも言うまいと、大人しくお弁当を食べる菜々美である。


「で、先輩はまだ決まっていないんですか?」

「いいものが浮かばないのよ。涼音はもう書いたの?」

「はい、先輩が無事に過ごせますように、と」

「いつも私の心配ばかりではないの。今年ぐらい自分の願い事を書いてもいいのではないの?」

「書いてますよ。恥ずかしいから言いませんけど」

「それならいいのかしら?」

「なんで疑問形なんですか?」


 などと、涼音と話し込んでいると、昼休みも終わってしまった。


「忘れていたわ‼」

「えぇ……」



 放課後、菜々美から短冊を一枚貰って、涼香はそれと睨めっこしていた。


「私部活行くから」

「ええ。熱中症には気をつけなさい」


 そう言って若菜わかなを見送った後――。


「やっほー涼音ちゃん」

「どうも」


 入れ違いでやって来た涼音が、涼香の前の席へ座る。


「なにか浮かびましたか?」

「涼音の可愛さを全世界へ」

「却下」

「涼音の可愛さを宇宙へ?」

「規模の問題じゃなくてですね」


 深々とため息をついた涼音が言う。


「いつも通りでいいんじゃないんですか?」


 ここまで浮かばなければいつも通りでいいと思うのだが、涼香は、浮かんでいるが、どれがいいか悩んでいるといった状況らしい。


「それだとアレなのよ。でももう放課後なのよね、無難でいいかしら」


 ――これからも涼音と仲良く過ごせますように。


「却下」

「どうしてよ」


 他にも残っている生徒がいるため、少し声のトーンを落した涼音が言う。


「願うまでも無いからですよ。そういう類の願いは一生願う必要ありませんね」


 その願いを消しゴムで消した涼音が書く。


 ――早起きできますように。


「却下よ、それは願っても意味が無いではないの」


 涼香が消しゴムで消し、続けて書く。


「なら、こういうのならいいではないのかしら」


 ――今年の夏は、そうめんをあまり食べたくないわ‼


「おっ、いいですね」

「何回かならいいのよ、でも続くと飽きてくるのね」

「それ分かります」


 去年の夏休みは半分以上、昼食はそうめんだった気がする。


 これにて終了。後は中庭にある笹に括り付けるだけだ。


 

「後はどこに括り付けるかね」


 中庭にやって来た二人、笹の葉よりも多い短冊を見て、どのスペースに括り付けようかと悩む。昨日の放課後には、既にこの状況だった。


 パッと見て括り付けられそうな場所は無い。


「どこにもなさそうですね」

「いえ、あるわよ」


 そう言って涼香は笹の上を指さす。


「てっぺんよ‼」


 てっぺん付近には短冊は一枚しか括り付けられていない。


「でも危なくないですか?」

「手伝ってもらえば簡単よ。ほらあそこにいるのは」


 涼香が見た方には、渡り廊下を歩く二人の女子生徒がいた。


 一人はトマトジュースを飲んでいる金髪の女子生徒、もう一人はクマの凄い、黒髪アシンメトリーの生徒だ。


凛空りく真奈まなではないの! 手伝いなさい!」


 涼香に声をかけられ、二人は一瞬立ち止まる。


「またあたしが怒られるからやーだー!」


 凛空が叫んで、真奈が憎しみを込めた目で見てくる。


「それなら仕方ないわね!」


 あっさりと見逃した涼香。


「どうしましょうか?」

「これの管理って誰なんですかね、生徒会?」


 もしそうなら、生徒会に頼んで、一度倒してもらうことができる。生徒会でなくても、人がいれば勝手に倒すことができるのだが、運動部は部活中だし助けは呼べない。


「菜々美とここねは……いるかしら?」


 とりあえず電話をかけてみると、家庭科室にいたということなので、事情を伝えて来てもらうことにした。


「なんなのよこの量⁉」

「うわー、凄いねえ」


 やって来た菜々美とここねは笹を見て少し引いていた。


「だから短冊が無かったのね……」


 菜々美は今日の昼間の出来事を思い出して納得していた。


「えっと、これを倒すの?」

「四人で大丈夫かしら?」


 菜々美とここねが、笹を持ち上げようと軽く触っている。


「この笹の管理って誰がやってるか知ってます?」

「生徒会」


 突如聞こえた、涼音の疑問に答える声に、菜々美と涼香が反応する。


「あなたは⁉」

綾瀬彩あやせあや⁉」

「うざ……」

「わっ、彩ちゃん」


 彩は眉間にしわを寄せながら四人のいる場所へ歩いて来た。


「その人数じゃ無理だろ。生徒会にも手伝ってもらった方がいいと思うんだけど?」

「でも二人しかいないわよ?」


 彩の言葉に菜々美が返す。夏休みが終わるまでは前期生徒会だ、涼香たちと同じ三年生が二人いる。


「七人いれば大丈夫だろうし、生徒会いたほうが怒られることは無い。それか、運動部を誰か呼んでくるとか」

「さっきいた凛空と真奈を呼び止められていれば良かったわね」


 あっさり見逃してしまったことを少し後悔。


「生徒会の二人を呼びましょうか」


 そう言って涼香は電話をかける。


「中庭の笹を倒してほしいの――帰ったの? それなら仕方が無いわ――ええ、ありがとう、ではまた明日」


 通話を切って一言。


「帰ったらしいわ‼」

「「「「えぇ……」」」」

「でも倒す許可は貰ったわ! 五人で頑張りましょう!」

「ちょっと待って。手伝いが来るから」


 菜々美がそれに待ったをかける。


「えへへ、最初からこうすればよかったんだね」

「あ、最初からそうしとけばよかったのか」


 ここねと彩は、そういえばと納得する。


 するとしばらくして、他の三年生達がやって来た。全員文化部や帰宅部だが、十人以上いるのだ、これなら倒すのも容易い。


「みんな、来てくれたのね」

「うわあ、凄い」


 どうしてこんなに三年生が来たのか、理由を知らないのは涼香と涼音だけ。


 そこからは速かった、笹を倒すのに涼香を参加させず、他の短冊を落とさず笹を倒す。そうして倒された笹のてっぺんに涼香が短冊を括り付け、それをすぐさま立たせる。


「みんな助かったわ、ありがとう」


 涼香が感謝を伝えると、助っ人たちは気にすんなと言いながら、各自部活動へと戻っていく。


「えっと、私達も戻っていい?」


 菜々美もここねも、もう終わったのだからこれ以上いる必要もない。


「ええ、ありがとう」

「ばいばい」

「じゃあ」


 手を振る菜々美とここねを見送った後、いつの間にか帰っていた彩に気付き、今この場では涼香と涼音しかいなかった。さっきまでが嘘のように、微かに聞こえる部活動の音のみが風に乗って聞こえる。


「すぐ終わりましたね」

「そうね、みんなに感謝ね」


 夕方とはいえ、もう七月。恐ろしいほど暑い。二人は教室へ戻ろうと歩き始める。


 額の汗を拭いながら歩く涼音の隣を歩きながら涼香が言う。


「涼音もてっぺん付近に括り付けていたのね」

「いやいや、あたしじゃあそこまで届きませんって」

「別に誤魔化さなくてもいいではないの」


 手で顔を扇ぎながら、口を尖らせた涼音が言う。


「先週、笹を立てる時、付けさせてもらいました」

「あらそうなの」

「まあ、先輩に見られたくなかったら、書いてませんけど」


 涼香なら、短冊の数に限らず、てっぺん付近に付けそうだから、涼音もそこに括り付けた。


「口で言うのは恥ずかしいので、書いたものを見てもらった方がいいと思いましてね」


 照れながら微笑む涼音に微笑み返した後、涼香が恐ろしいことを言う。


「でも、明日あの笹は回収されて、短冊も回収されるわよ。さすがに纏めてゴミ箱という訳ではないと思うし、見られるのではないの?」

「え……?」


 涼香にしか見られないようにと思い、てっぺん付近に括り付けたのだが、回収される際には見られてしまう。他の短冊がいっぱいついている場所ならまだしも、てっぺんなどという目立つ場所にあれば、当然書いたことは見られてしまうだろう。


「まさか、忘れていたの?」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」


 絶叫しながら、中庭へ駆けて行く涼音。


「全く、自分でそういう類の願いは願うまでも無いと言っていたのに、困った子ね」


 再び菜々美達に電話をして、中庭へ戻る涼香であった。

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