第33話 時には昔話を

さて、作戦会議も終了したことだ。

少しばかり昔話でもしてみようか。



300年もの前の、昔話だ。






シュレーシヴィヒ国は北の雪の国である。




こんなに長い冬は初めてだ。

氷に閉ざされたその国はその年

大飢饉に見舞われた。






国民を避難させるために、その財務の多くを割いた。

残りの人間は、国を守るためだけに

日夜飢餓と戦いながら、雪の中で春を待った。



いつもなら訪れる、春を告げる鳥の声も

柔らかな春の日差しも

大地から芽生える草木の命も

自然の摂理から見放されたように、氷に閉ざされていた。



春は来ず

冬のままだった。

痩せ細った大地と残された者たちが、次々と雪の国で眠っていった。




シュレーシヴィヒ国の王は

最後まで残る王妃と息子、そして側近を残し

最後の祈りを捧げた。



王の祈りが通じたか、大公エルンハストがシュレーシヴィヒ国へやってきた。




「生きている者は前へ出ろ!!!

 ー この後、大きな吹雪がやってくる!」






最後の祈りを終えた後、

シュレーシヴィヒ国の歴史はいとも簡単に幕を閉じた。



王妃の胸に抱かれているのは息子シュレンダー、後の侯爵である。

側近はベイル。そして持ち物はたったひとつ。

家系図の本だ。




大公ヴィクター・エルンハストは

シュレーシヴィヒ国の王シュレーナンとは既知の中であり

友人でもあった。



ヴィクターは何度もこの危機に、国を出ることを勧めたが

シュレーナンは首をついぞ縦に振ることはなかった。



(頑固者めが、それで国を潰して何になる)

ヴィクターはシュレーシヴィヒ国の王妃と王子を見つめながら思う。






王妃はそれでも毅然としていた。

王を看取り、それでも涙ひとつ流していない。

体の線はすでに枝のように細く、以前のように光り輝くような笑顔はなく

その胸に抱かれた子をただ、見つめていた。




その女性こそヴィクターが愛した人、ともいう。

若かりし頃の思い出だ。彼女とは、ー 色々あったが

結局はシュレーシヴィヒに嫁いで行った。



「体は大丈夫か?」

ヴィクターは王妃に聞いた。

大丈夫なはずはない。

その美しさが影となる程、痩せてしまっている。


その代わり、胸に抱かれた息子シュレンダーは丸々とした珠のような赤子だ。


「ありがとうございます、エルンハスト公。」

礼を執る王妃にヴィクターは目を伏せた。



「礼など、いらぬ。 ー 我が国へ、と言いたいが

 私は大公だ。大きな看板ではなくてね、君らが行くなら

 国としての後ろ盾が必要だろう」



そのために、ヴィクターはそれはもう甲斐甲斐しく

侯爵となるための手筈やら、屋敷の準備やら

それらほとんどヴィクターが用意した。


だが、王妃はそれらを断ろうとしている。


それも、ヴィクターはわかっていた。





シュレーナンと、ヴィクターは恋敵、だった。



振った男から、施しは受けたくないのが本音だろう。

だから建前を用意した。


”王”を使った。



王妃はヴィクターの思いを知って、受け取った。


思惑があった。この、腕に抱かれた息子だけでも

生かさねばならなかった。

ー 母として、この国の王妃として、誇りある一族の末裔として

そして、その秘密を継ぐ者として。



身を裂かれるような辱めであっても

王妃は耐え忍ぶ覚悟を持って、城を後にしたのだ。



だが、目の前に現れたその人に

王妃は愕然とした。


今までの苦難を乗り越えてきた心が

全て瓦解するような音を聞いた。





 ー 本当に愛していたのは、ヴィクターだった。





王妃はそれを隠したかった。




自分が物乞いのような生活を強いられようとそれは構わなかった。

彼にどんな姿を見られようとも、耐えられると思っていた。

笑われて、足蹴にされることになるだろう。

むしろ、その方が気が楽だった。




この気持ちだけは死んでも

見せたくないものだった。






なのに手を伸ばされて、その手を取ったことを

王妃は恥じた。

以前と変わらぬその笑顔に、王妃は顔を上げることができないでいた。




彼に瞳を見つめられたら

それだけで、この心が見透かされてしまうような気持ちが

自分のあさましさに追い討ちをかけて

生き永らえることを躊躇させる。



王妃は自身の心を憎む。

あの日の決断を、シュレーシヴィヒ家に嫁いだことを

間違いだと思いたくない。


ー これが、最良だった。




一向に自分を見ない王妃に

ヴィクターは彼女の思いを知る。

知っていた。

互いに思い合っていることも、その一途な瞳すら。


自分の援助など、王妃は望んでいないのも。



だが、ヴィクターは見殺しにはできなかったし

それが例え王妃ではなくたって、彼は助けに行く男だった。

王妃が生きていてくれたことを

ヴィクターは心から喜んでいた。


生きて、会えたことを

神に感謝してしまった。



そんな王妃に、ヴィクターは言う。

「代わりと言っては何だが、約束をして欲しいんだ。」


「 ? 」



「いつか、君の家の人間を、俺の一族に嫁がせてやってほしい」




王妃の瞳から、一筋の涙が音もなく 流れ落ちた。











シュレーシヴィヒ家の秘密。

それはこの、王妃にある。


王妃の名を

”フィーリア”、といった。



魔女の系譜に 魂の名を列し


彼女だけが、それを操り

彼女だけが、それを知る。


その女を、シュレーシヴィヒの”聖女”と呼んだ。



シュレーシヴィヒは雪の国。

その雪深い山奥に、フィーリアは生きてきた。


雪のときは

小さな小屋で春を待ち

草木が芽吹く春が来れば

雪解けのシュレーシヴィヒの山を巡る。

葉が生い茂る夏がくれば

川へ行き

木枯らしの風が吹けば

次くる冬へ祈りを捧げていた。


彼女の祈りは、山々を駆け巡り

その”とき”を告げる役目を帯びて

唯一にして、知られざる彼女の本当の”力”を守ってきたのだ。






その姿がヴィクターにとらえられるまで。



若きヴィクター・エルンハストは鷹狩で夏のシュレーシヴィヒを訪れた。

山々に囲まれ、見下ろされるこの国は

自然に愛され、自然が豊富で、自然に畏怖がある。



その日は山で迷った。

鷹狩に連れて行った二匹の猟犬のうち、一匹が帰ってこない。


「もう少しだけ、探すから先に行っててくれ」



ヴィクターはシュレーシヴィヒ家の嫡男、シュレーナンに言った。

片手を上げて、合図するシュレーナンを見送ったあと

ヴィクターは声を上げて、犬を呼ぶ。


「ロー!!」

言いながら指笛を吹く。

山にこだまするように響いている。

その音が、ヴィクターには小気味良い。




獣道をかき分けしばらく行くと小屋があった。

小屋の前でローが少女と戯れていた。



犬と一緒になって駆け回る少女に

ヴィクターはその少女の姿に目を奪われた。



その少女はヴィクターと目が合うと、笑顔になった。

魂が震えるその笑顔に

ヴィクターは泣きそうになる。



「あなたはだあれ?」

少女はローを抱きしめながら聞いてきた。


ぼーっと見ていたヴィクターは、ハッとして

思わず

「ロー」と犬の名前を言ってしまった。


「ローっていうのね」

少女はにこやかだ。


「ち、違う!俺はヴィクターだ!」


「?」



そんな、出会いだった。


それから毎日、ヴィクターは花を持ち、彼女の小屋を訪ねた。

花は珍しいものをわざと選んだ。

会うとわかっていながら、わざとカードを添えた。

彼女もまた、犬を引き連れてやって来るヴィクターを心待ちにした。



小屋の前に犬を従えて、花を持つ男の子を

フィーリアは胸を躍らせて見守った。


『すぐに玄関の扉を開けるのは、ダメだってニーヒャが言ってた』


3秒、待った。

フィーリアにとって、その3秒は1日ぐらいの長さだった。


扉を開けると、犬はすぐにフィーリアに飛びついた。

顔を赤くして花を手渡すヴィクターは

ほんのちょっと犬が羨ましくなる。



ー 本当は犬を連れてここへきたくないぐらい嫉妬した。





「ーありがとう、ヴィクター。」

花に顔を埋めるフィーリアの可憐さや

その白い肌に、ヴィクターの心は沸き立つようだった。



「フィーリアお嬢様、もうそろそろお時間ですよ」


ニーヒャと名乗る侍女のような女性は

いつもヴィクターがやってくると

どこから仕入れているのか、お茶と茶菓子を用意してくれた。


「ニーヒャ、今日のお菓子はなあに?」


「さぁ、何でございましょうね。」


笑い声が山に響くようだった。



小屋の前にある小さな椅子と小さなテーブルで

二人はお茶をした。

お茶の時間は、色々な話をした。

ヴィクターの鷹狩の話、フィーリアのお気に入りの場所。


二人の心は急速に近づいているようだった。





風が涼やかに小屋の辺りを吹いて、夏が終わる頃

ヴィクターはフィーリアに聞いた。


「もうすぐ、冬が来る。ー君はここにずっといるの?」


「私は、この山から降りたことはないの。」


フィーリアはちょっと寂しそうだった。



「一緒に、...一緒に来ないか?」


ヴィクターはこの何日も、その言葉を繰り返し繰り返し

心で練習していた。




自分は国を出る。

それも、決まっていたことだったし

今なら彼女を一緒に連れて行っても問題はないだろう。


フィーリアの顔が、花のように開いて明るくなった。

だが

次には萎んだように静かになってしまった。



しばらくフィーリアは黙って、それから

ヴィクターを見た。


「ーここで生きるのが”さだめ”なんです」


「何を、..」

言いかけたとき、ニーヒャがフィーリアの後ろに立っていた。



「フィーリア様は、この山の聖女にございます。

 山を降りるということは、すなわち

 ー 聖女の役目を放棄することになるのです。」



(山の聖女?)


聞いたことがある。聖女は、その姿を金色に纏い

自然を、神を敬い、人々のために祈り暮らすものだと。



「でも、ーそれなら、」

後ろでガサガサと音がした。

振り返るとシュレーナンだ。シュレーナンは肩の葉を払いながら

草をかき分けて出てきた。


「なんだよ、最近早く行って帰ってこないと思ったら

 こんなとこでー...」





ヴィクターは、この日


人が 初めて恋に落ちる瞬間を 目にした。








それからは

あれよあれよと

半ば強引にフィーリアが山から下ることや

シュレーナンとの婚約までが

ヴィクターの思いとは裏腹に進んで行った。





夏が過ぎて、秋を迎えた頃

ヴィクターはフィーリアに言わずにいられなかった。


「ー 俺と、一緒に来ては くれないんだな」


フィーリアは震えていた。


「ー、この地を、離れるわけにはー...」

一瞬だけ顔を上げたが

フィーリアのかすみ色の瞳はすでに涙で揺れていた。



言い訳が聞きたかったわけじゃない。

自分の不甲斐なさに、歯噛みした。

もし、自分がシュレーナンと同等の立場で

一国の王として迎えられるようであったなら

こんなあやふやな物言いはしなかった。



それなのに、自分は

連れて行けない事実を

彼女のせいにした。



その彼女の震える肩を抱くことも

弁明すらも

言葉ひとつ、かけられないまま



ヴィクターはそのまま、小屋をあとにした。










昔話だ。

300年前の。




一筋の涙は、まるで白銀の雪の上を走る光のようだった。

姿が枝のようであっても、そのかすみ色の瞳は美しいままだった。


王妃は、約束した。





「ー 何年かかっても、かまいません。

 

 私を、また

 

 見つけてください。


 ー 私が、あなたの元へ 嫁ぎます。」




かすみ色の瞳は、真っ直ぐヴィクターを見た。

ヴィクターも約束した。





「あぁ、そうしてくれ。

 

 ー 約束しよう。


 フィーリア、あなたのことを必ず見つけるよ。


 その時は、花を持って行くとしよう」

















そしてここに、ヴィクター・エルンハストが

王と呼ばれながらも

その身を大公として、決して王とならなかった理由を述べておこう。


秘密には

善も悪もない。

等しく暴かれるとき、それは運命が大きく動く時なのだ。



アルデラハンの王には弟がいた。

ヴィクター・エルンハストだ。


彼は15でアルデラハンを出る。

それは最初から決まっていたことだった。


王を守るため

王を支えるため

そう、教育されてきたが

当のヴィクターにはその気がなかった。


だが、当時のアルデラハン国内の勢力は不安定で

権力の偏りを避ける必要もあったのだ。


アルデラハンはもうひとつ、国を作った。


なぜなら

エルンハストはアルデラハンの”スペア”、とされていたのだ。


アルデラハンが太陽なら

エルンハストはその影として役割を与えられた。


何、悪どいことを押し付けられたものではない。

あくまでも、スペアである。



その繁栄と存続はアルデラハンを支えるために在る。

だが、ヴィクター・エルンハストはその役割を

早々に放棄したような状態だった。


幾度か、スペアとしての役割を果たしたことがある。

しかしそれらは親戚として

分家としての域を抜けなかった。



『 ー 馬鹿らしい。滅ぶなら滅んでしまえ 』


元々、反骨精神の大きな男だった。

例え兄弟であろうとも、スペアなんてアホらしい。

そう考えていたのだ。


彼の王への欲望も

世を治めたいという出世欲もなかった。


エルンハストの民は、アルデラハンの民だった。

しかし、エルンハストの自由さや

その王のおおらかさと、安心感で

誰も、その王の席を取るように、とは言わなかった。




それから300年、経った。






エルンハストはアルデラハンのスペアとして

国でありながら、国の体を成さず

ユージーンの代までやってきた。








ー そこに、アレクサンダー・ヴォルフ・フィオドアが現れた。




彼がどこの国から来たのかわからない。

灰色の瞳を持ち、雄々しい力とその姿は

まるで狼のようだった。



彼の才能はアルデラハンの国内でも響き渡るほど

剣にも謀略にも冴え渡っていた。



アルデラハンの王はすぐに彼を召し抱え

以降、彼を軍師として信頼し、戦場を先陣切る将軍に冠し

いつでもそばに置いていた。




だが、アルデラハンはもう過去50年近く戦争を繰り返してきた。

ひとつ国がアルデラハンに増える度、侵略と侵攻も増えていく。



国も、街も、村も

当然人も疲弊しきって、戦争に駆り出される男手を欠いた場所は

どんどん廃れていく。

アルデラハンは大国でありながら、民は貧しくなるばかりだ。


そしてー。


とうとう無抵抗な人々を戦争に巻き込む事件が発生した。




みんな、疲れていた。

みんな、もう、こんな戦争をやめたかったのだ。



アレクサンダー・ヴォルフ・フィオドア将軍は

前王に直訴する。


「王、このままでは国は全てを失います。

 どうかご英断をー」


「ならぬ。全世界の覇権を手に入れるまではまかりならぬ 」



多分、王は、もう止められないと思ったのかもしれない。

過去の戦争で失ったものも

歴史の中で自分達が犯してきた罪も

それらに報う方法は、この世界を一つにすることだったのかもしれない。


「だが、アレクサンダー。」


「は」


王はしゃがれたか細い声を発した。

誰にも悟られぬよう、ひっそり、軍師に告げた。


「 ー 」








 ー 昔話が過ぎたようだ。










軍師は目を閉じて、耳を澄ましている。

思い出していた。

今までの長い長い絵巻物語のような

300年の時を超えた恋物語と、それにまつわる自分の歴史。


軍師はうっすら目を開けた。

(長い、旅をしたようだ。)



自分の部屋で、何だか王妃の騒いでいる声がする。


(ー まったく。)

心ではそう、思っているが

口元はほほえんでいる。

 



王妃ヘレナのその声が

懐かしさと、愛おしさで

軍師の胸を甘酸っぱく締め付けた。






フィーリア。君を初めて見た時から

私の心は君に奪われた。


あのとき交わした約束を、私は

生まれ変わって、必ず果たすと決めたんだ。





サリアーナ、君を見つけた時

私の心は二度目の恋に落ちたんだ。


君の瞳に、私は誓った。



ようやく、ここまできたよ。サリアーナ。






君との約束を、私は必ず果たして見せよう。



フィーリア。そして、サリアーナ。

君は私と約束を守り、生まれ変わってきてくれた。



君が命を賭してでも

守りたかった、君の系譜を



 ー 私は命をかけて、守って見せよう。



君の家系図の本に書いた通り




     この、愛に誓う。
















軍師は長く深呼吸して、口元に微笑みを絶やさず部屋に入る。

もちろんノックなどしない。

自室だからだ。



見れば、机の上にユージーン将軍が。

その将軍の膝の上に、真っ赤な顔をしつつ

両手で将軍を引き剥がそうと悪戦苦闘する王妃ヘレナが。




「おや、王妃殿。ー フィリップが随分探しておったが」


ヘレナはあからさまに”助かった!”という顔をして

部屋から走って去った。




「将軍。ー わかっておられるだろうが...」


「すまん。本人を前にすると、どうにもー」



軍師にはその気持ちがすごくわかった。

だから、だ。



「将軍、慌てずとも


 必ずその日は来るものだ。


 何せ、あなたは彼女の運命、なのだろう?」




将軍は黙って頷いた。











人は因縁とそれを呼ぶ。

良い縁もあれば、悪い縁もあるし

何だかよくわからない縁も、ある。


それらはひょっとすると

遺伝子に刻まれている”出会い”の因子が

その約束を果たしているのかもしれない。








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