第29話 キングの願い
ヘレナもアンも朝から忙しい。
アルデラハンの侍女がお手伝いもしてくれてはいる。
なんと言っても、アンのスキルが高すぎだ。
なんでもできてしまうので、お世話することが
まぁまぁないと言っていい。この段取り上手!!
アルデラハンの侍女は皆、想像していたのとは
まったく違った。
礼儀正しく、優しく、朗らかな人が多い。
ヘレナは少しおかしいとは思ったけれど
彼女の転生スキル”人の顔色を見る”を発動しても
それは嘘でもなく、嫌々ではなかった。
直感的にも、なんらおかしいところはない。
少しくらい意地悪されるかと思ってた。
そんな風に思ったのは、昼を過ぎたところだった。
朝から忙しかったのには、ワケがある。
ヘレナにとってこの夜会は、ほぼ社交デビューと言って差し支えない。
ダンスは初めてだ。
多分、エスコートしてくれるクレイトンとダンスするのだろうが
なにぶん、そのダンスのやり方さえ
少々宇宙を彷徨って木星あたりまで記憶が宇宙飛行してる。
朝早くに救難信号を出したので
そろそろ記憶が戻ってくるはずだ。
それ以外にもやることがある。
ヘレナはそこまでやらなくてもいいと言ったが
アンは絶対引かない。
「ヘレナ様。ー 準備は私にお任せください。
そしてヘレナ様は、アルデラハンの侍女に任せて
湯浴みし、マッサージを受け、あ、化粧と髪結は私がやります。
それまではお茶でも飲んでください。」
アンもさっくりである。
アンにだって自国を背負った侍女としての意地がある。
フィオドア伯爵直々に、言われたのだ。
「ー この夜会が成功するかはお前が鍵だ。
存分に王妃殿を仕立て上げるのだぞ。」
そんなこと言われたら、侍女魂に火が着くだろう。
ルイの時は決して、着飾ったりはしなかった。
磨けば誰より光る素材を前に
アンはいつもちょっとだけ工夫をしていた。
髪に香油を付けたり、化粧水を良いものに変えたり
見えないところに小さなリボンをつけてみたり。
ルイは気づいてないだろう。
けれど、アンは満足だった。
だが今はどうだ。
ルイの原型を残したヘレナ王妃を堂々と着飾れる名誉だ。
ハッスルするなという方が馬鹿げている。
心が感激とやる気で満ち満ちている。
アンは眠れずに朝を迎えていた。
そして、目の前に積まれたこの贈り物。
こうなることは予期していたのだ。
使わないわけにはいかない。
だが、こっちにだって意地があるのだ。
浴室ではすでに1時間以上経過しているが
まだ、ヘレナは体を洗われている。
指がふやけている。
「ヘレナ様のお肌のきめ細かさと申しましたら
私、初めてこのようにお美しいお肌を拝見致しました」
アルデラハンの侍女が泡まみれのヘレナに言う。
(またまた媚びちゃって...)
ヘレナはほほえむ。
「ありがとう」
「大変ふくよかで形のよろしいお胸ですね」
その侍女が言いつつため息をついた。
ヘレナはやぶさかではない。
「そ、そうかしら」
お胸事情に敏感なヘレナだ。
その手の話題には食いついた。
「し、失礼いたしました。ー
ヘレナ様の身体的特徴ばかりに目が行く始末をお許しください。
同じ女性としまして、非常に...あさましくも憧れます」
(じ、侍女さん...?ひょ、ひょっとしてユリユリしてるのかしら)
ヘレナは揉まれないか不安になった。
いや、多少は揉まれたっていいのだけれど
同性だし。
女帝は寛大である。
けど、その、ユリユリはちょっとご勘弁願いたい。
ヘレナはそうなる前に”ネタ”をご提供した。
「この国の王には、まだお妃様はいらっしゃらないのかしら」
(さぁ、どうよ。こういう話、好きやろ。)
カインはヘレナの記憶が正しければ
今年30歳のはずだ。
まだ未婚であることはこの国にとって一大事に違いない。
侍女はヘレナの背中を優しく擦りながら、話し始めた。
「えぇ、まだいらっしゃいません。
ーご婚約は20年前にされましたが、破棄となりまして
それ以降は臣下さま方のご令嬢が何名か候補に上がっては
消滅し、を繰り返しておりまして...
ヘレナ様に申し上げるには、我が国の恥となってしまうのですが
王は自分一代で後継を別に迎えるようです。」
(わお、割とベラベラ喋ってくれるのね...)
ヘレナはほほえんだままだ。
「でも、勿体無いわね、あれだけ素晴らしい方ですのに」
女帝ムーブ、思ってないけど言うお世辞。
侍女の顔が明るくなる。
「えぇ!そうなのです。大変真面目な方です。
ー 民を思う心はお優しく、慈悲深く
何より剣も体術もとてもお強い方です。
我が国の王は、まこと太陽の如きです。」
(ふーん。アレがね...)
ヘレナは手元の泡を集め出した。この石鹸は
この国で咲くマグノリアの香りだろうか。
濃く、たおやかで優雅な香りだ。
「ーあの、ヘレナ様 」
侍女の動きが止まった。
ヘレナは目線を上げる。
「わ、我が国の王を、どう思われますか?」
(うわ〜、ぶっ込んでくるわね。)
ヘレナはめちゃんこほほえんだ。
「素晴らしく輝くばかりの方と、お見受けしております」
女帝ムーブ、ほんの少しも思わないけど褒めちぎる。
侍女は泣き出しそうな顔をする。
(え?ー そんなに感動した?)
「王は、その。ー 冷たい印象の方ですから。
よかったです。...
他国にはよく思われていないと国民も思っています」
ヘレナは、侍女のそんな姿を見て
この国の王がまんざら悪い奴にも思えなくなっていた。
(表と裏が違うだけなのかしら。)
支度は思った以上にスムーズに進んだ。
ヘレナとアンが非常なる戦いの装いに邁進しているころ
クレイトンとアルフレートは、ルイとサスケに落ち合っていた。
自分達も夜会の用意はあるが、女性に比べれば30分もあれば終わる。
おっと。そういう比較はよろしくない。
男性諸君、よく聞きたまへ。
どうせ君らのことだ。
気にするのは髪型くらいに思うのだろうが
違うぞ。
どうだ、当然、顔も洗ってあるのだろうな?
髭は剃ったか?シェービングクリームかジェルは使え。
使わないと肌が荒れる。
眉毛は切り揃えたか?
鼻毛は出てないか?
歯を磨き、青のりチェックだ。
ブレスケアはしたのかい?
(淑女と接吻するかもしれないぞ。
息が臭ければ、淑女はそっと離れていくのだ)
あぁ、大事なことを忘れていた。
爪は切れ。そして爪やすりを使いたまへ。
理由はわかっているだろうな。
淑女を傷つけては、ならんのだよ。
その意味がわからないなどとのたまうなら、それは君が坊やだからさ。
さて、そんな殿方たちの会話を聞いてみようか。
できれば難しい話などしていないといいのだが。
「 ほんとっすよ〜。めっちゃでかいフナなんすよ!」
サスケは興奮していた。
...フナ。
そういえばそんなのもいたな。
存外、頭の柔らかい話で助かった。
「マリエルはすでにいる。先ほど報せが入った」
クレイトンはテーブル上のチョコレートを摘んだ。
「では、後ほど俺が届けておきます」
ルイは手元の袋を自分の脇に置いた。
アルフレートは先ほどから資料を見ている。
次の協議で語られることであろう内容を見直しているのだ。
問題のない内容であっても、質問はされるだろう。
不備は減らしておきたい。
こうしてみると、ここにいる殿方たちは
自国の正装に身を固めているせいもあってか、
全員(一名除く)王子のようだ。
ルイもまた騎士の正装だ。
機密部隊の隠れ家から、借りてきたクレイトンの服だ。
よく似合っている。
ルイはこの騎士の服を憧れの一つとしていたから
感慨もまた強い。
「...サスケは、..そ、そうだね。
に、似合って、る、よ」
ルイはお世辞が言えない。
アルフレートは不意に目をあげてサスケを見た。
「ー、お前のような騎士を見たことはない」
そうだろう。
暗殺業をするような男が騎士の服を着て似合うはずがない。
そんなことはサスケが一番わかっている。
しかし正装をしないと、ヘレナの護衛ができない。
おかしい。
忍者は、何かに変装だって上手にできるはずだ。
「俺は、こういうのが似合わないんです〜。」
不貞腐れている。
顔だって小さいし、手足も長く
スタイルだっていい。筋肉だってアルフレートに引けを取らない。
着こなせては、いる。
だが。如何せん顔がもう...騎士の顔じゃ、ない。
「サスケからは、騎士っぽさがないんだよね」
ルイはサラリと言うが、みんな思ってることだ。
そして、ルイからすると貶しているわけでもない。
サスケを見ながら、ルイは付け加える。
「でも、サスケはかっこいいんだよ。
ー身軽で、強いし、動きが速いんだ!」
サスケは耳が赤くなっている。
クレイトンはそんな二人を見て微笑ましかった。
「さて、今夜の夜会にはすでに二十数名は招待客に
紛れてきているはずだ。ークイーン・ヘレナに忠誠を。」
「ー忠誠を」
サスケが口を開いた。
「あのさ。俺、ここに来るまでに色々見て回ったんだけど
ー。」
ーーーー。
ー?
ーーーーーーー、ーーーー。
ー!!
ーーーー、ーーーーーーーーー。
夕刻。
城の至る所には
かがり火と松明が昼間のように辺りを照らし
国中からこの夜会のために
貴族や、大商人、大富豪、たくさんの人々が予定されている時間より
大幅に早く訪れている。
今日の夜会は単なる夜会ではない。
王妃を招いての大円舞踏会だ。
皆、あの噂の王妃が見たいとやって来る。
ヘレナは生前、夜会には結婚後のパーティと
同時に開催された
アンソニーの阿呆王の誕生日の一度っきりだけしか
夜会には出ていない。
国内でひっそり行われたという理由もあってか
ヘレナのその姿を見た者はいないに等しく
社交はもちろん、国を跨いでの噂の種だ。
彼女は一切、社交には顔を出すことはなかった。
酷い醜女だと言う者もいたし
絶世の美女だと言う者もいた。
その真偽が今日、わかるのだ。
女帝と呼ばれるその人の姿拝見する栄光を
皆心待ちにしている。
クレイトンは正装の詰襟に人差し指を入れ、深呼吸を一つ。
姿勢を正す。
「クイーン・ヘレナ。
お時間です。」
他の皆はすでに会場となる、城の大広間へ行っている。
アンが扉を開けた。
ゆっくり開かれる扉の先に、ヘレナは立っていた。
クレイトンは自分が既婚者であることを感謝した。
この姿のヘレナを横に歩けば
会場の男たちに刺されるか
自分のアラを探され、有る事無い事囃し立てられるのがオチだ。
目の前に立つ女性は
その美しさだけではなく、威厳を放ち
絵画に描かれている女神のように華やかである。
彼女に近付くほどにその美しさは
淡い香りを纏いながら美への羨望を余韻に残す。
ルイの頃に日焼けしたような肌の色は
すでに白く染まり、ただ白いだけではなく
甘やかな薄桃色に肌を染め上げているのだ。
彼女の瞳の色はかすみ色。
その瞳に魅入られてしまったら
虜になってしまうのだろう。
クレイトンはヘレナをあまり見ないようにした。
(それがいい)
魔性、と言うものがあるが
それとは違うものだ。
だが、彼女はそう勘違いさせてしまうような魅力があるのだ。
エスコートのためにクレイトンはスマートに腕を出す。
彼女が動くたびに良い香りがする。
(これは危険な香り、と言うものだ)
頭の中で、妻マリエルのことを思う。
自分の煩悩を、妻に変換中である。
「クイーン・ヘレナ。」
「何かしら?クレイトンお兄様。」
(誰もいなければお兄様呼びオッケーしてもらったのよ。うふふ)
ヘレナはクレイトンを見上げる。
さしていつもとやってることも、言ってることも変わってない。
だが。
「良いですか。ー夜会では、むやみに微笑んではなりませんよ。
ー 私が将軍に殺されます」
「 ? 」
殺されるとはまこと、穏やかではない。
「ふふ、クレイトンお兄様ったら。
ー緊張させまいと、ご冗談を。」
クレイトンは眉一つ動かさずに真正面を向いたまま真顔だ。
「真実です。ー 将軍はこの日に備えて
すでにどこの誰が会場にいるのか全員把握しております。
怪しき人物に関しては機密部隊が動きを封じるよう
達しが伝えられています。
その誰かがクイーン・ヘレナに近付こうものならば
我々の首は明日には無くなるでしょう。 」
(んな、馬鹿な。)
「そして私に与えられた使命は、クイーン・ヘレナ。
ー あなたのその笑顔を何人たりとも見せないことです」
そう言って、クレイトンはヘレナの手を取り
片膝をついて見上げる。
「クイーン・ヘレナ、これをー 」
クレイトンから手渡されたのは、一輪の赤い薔薇。
「大公 ユージーン・エルンハスト様より
たった一つの願いでございます。」
ヘレナはその薔薇を受け取りながら、クレイトンに目線を落とす。
「何かしら...」
ヘレナはクレイトンに尋ねるように聞く。
「 ーあなたに忠誠を誓うことをお許しください」
それは、男女の甘いささやきではなかった。
女帝と臣下の誓いである。
クレイトンはヘレナに首を垂れた。
「 ー わかりました。」
ヘレナの口許に微かな嬉しさが綻んだ。
(ユージーンたら。根が真面目なのね)
その薔薇を、ヘレナは結い上げられた髪に差す。
銀色の光の中に浮かぶ、赤い薔薇は
ヘレナの心を押し上げた。
ー 大広間の扉が、いざ開かれた。
ごった返す人の多さ。
瞬間の周囲のどよめき。
歓声か、驚嘆か、その声の輪の中へヘレナは進む。
その姿は漆黒に浮かぶ銀の月。
万の星を従えて、口元にほほ笑みを讃えつつ
夜の中に咲く月下美人。
身に纏ったドレスは
黒と銀と金。
黒いドレスには金と銀のビーズが
星のように散らばり、足元に行くにつれ
飛沫となって水の中へ落ちていくようだ。
ヘレナがあたかもその水から生まれた女神のようなのだ。
金と銀の星に祝福された、夜の女王。
そう。
このドレスは、アンが徹夜でやり遂げた超大作である。
元々のドレスを使わせてもらった。
そのデザインも、その素材も。
だが、元のままではこちらの立つ瀬がない。
そしてアンは秘策として
ビーズをあらかじめ用意しておいたのだ。
縫い合わせればすぐにできるよう、ナンシーと
出発のその日まで毎日徹夜した。
皆、息を飲んだきり、場が静まり返った。
『黒と銀と金 ーこれは...』
黒と銀はヘレナの国の国旗の色だ。
時同じくして重なるように、王が大広間を見下ろすバルコニーに立つ。
皆、首を垂れて王の言葉を待った。
「 今宵は王妃ヘレナ・マルティネス・シュレーシヴィヒを招き
舞踏会を行う。
ー 王妃ヘレナ。」
静かな低いその声は、ヘレナを呼んだ。
名を呼ばれ、ヘレナは目線を下にしたまま少しだけ姿勢を直す。
「ー これへ」
ヘレナは顔を上げ、姿勢を正し、王を見た。
カインは静かに階段を降りてきていた。
ヘレナの前、1メートルほどでピタリと止まった。
(本当に嫌なやつだ)
そう、思った瞬間、王はヘレナに片膝を付き
手を差し出していた。
「ー 私と踊っていただけますか 」
まさかの
ウィル ユー ダンス・ウィズ・ミー。
(断るという選択肢はオメーにねーから:意訳)
え?
シャル ウィー?
(やんなきゃダメっすか:意訳)
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