第27話 見る
森の朝はひどく早かった。
ヘレナはアンに支度をしてもらい
早朝の小屋を出た。
今日のヘレナは若草色のお出かけ用ドレスだ。
ハイカラーの首周りには美しい金色の刺繍がある。
まだ肌寒いのでエドワーディアンマントを被っている。
足元へドレスが伸びるに連れて、その色は濃い緑になる。
森の中で見れば、若葉のように鮮やかで
背中に羽でも生えていたら、妖精さんのようだ。
静々と歩いて周りを見渡す。
焚き火の火はすでに落ちていたが
まだ燻っていたのか、白い煙をあげている。
その焚き火を取り囲むように、点々バラバラと眠った男たち。
ヘレナは横目でそれを確認しながら、目的地の散歩コース、
川辺へと向かった。
鳥の囀りはまだ聞こえないが
朝の静かな森の中は、マイナスイオンの宝庫だ。
ヘレナの心も癒されている。
川のせせらぎが大きくなってきた。ー
川の中で布巾で体を拭いている男がいた。
アルフレートだ。
その姿といったら、巷で噂のイケメン神様アポロンみたいだ。
神話では結構やらかしているイケメン神様だが
目の前のイケメン神アポロンは清い身だ。
無駄のない筋肉質な体は
日々の鍛錬によって維持されている。
短く切られている髪のうなじから伸びる首筋の連続が
妙に艶かしくもあり、色々想像を掻き立てられる。
しかし、ヘレナにそんな前知識はない。
朝靄の川の中の男を
見た。
ヘレナは凝固した。
アルフレートはヘレナに気付いて、パッと表情を明るくしたが
次の瞬間すぐに凝固した。布巾から水滴がダバダバ落ちている。
下はしっかり履いているとはいえ、上半身は裸だ。
半裸の男を、"王妃"は目を皿のようにして見てしまった。
結果見つめあってしまっているのは、互いにどうしていいのかわからないからだ。
ヘレナは殿方の裸を見たことはない。
アルフレートだって、他人に自分の肌を曝け出したことなどない。
互いにこの状況からどうにか打破するきっかけがなくて
目を逸らせないのだ。
川のせせらぎだけが、二人の間に流れ続ける。
ポチャンと魚が跳ねるような音がした。ー フナだろうね。
「はざ〜っす」
サスケがヘレナの後ろから声をかけてきた。
ヘレナはようやく動けた。
「お、おはよう、サスケ」
小さく言いつつ一度、アルフレートをチラッと気にしたが
見てはいけないと思って、下を向いたまま小屋へ戻っていった。
アルフレートはまだ、凝固している
布巾の水滴はダバダバからポタポタになった。
サスケはそのまま川の水で顔を洗い始めた。
腰に付けていた布巾を抜き取り、立ち上がりつつ顔を拭く。
まだ、凝固している。
「おはようございます。」
サスケは声をかける。
返事がない、ただのイケメン銅像のようだ。
サスケはほっといて、小屋の方へ戻っていった。
ヘレナは衝撃を受けていた。
森の中を小走り程度には急いで小屋へ向かう。
ー 殿方の裸を、見て、しまった。
アルフレートの、は、は、裸を...!!
あれは事故。事故だったのよ。
ラッキースケベとかそういうものではなくってよ。
仕方がなくてよ。
あぁ、でも、ーでも。
でもー、 ー 。
殿方の割には
お胸、でかくなかった?
(真顔で絶望案件よ)
ヘレナは転生前の自分のお胸よりも大きいお胸のアルフレートが
いくばくか憎くなった。
あれはー、筋肉だと、思うのだけれども...。
ヘレナには同じことだ。
だから、裸を見てしまったことの重大さは
少々やっちまった感は否めないが
事故だから仕方ない、ぐらいに思っている。
女の割り切りは非常に竹を割ったようなものだ。
ムキムキマッチョメンの
トーマス・ボイドも服を着ていてもあれ以上あるのだから
裸になんてなってしまったら、それはもう...不戦勝だわ。
女性は何を以て戦いに挑めと仰るのか、神よ。ー 理不尽だわ。
逆にトーマスほどのお胸であれば、負けても晴れ晴れとするのだろうか。
奥方に聞いてみたい。
戻る頃、皆起きて火を起こしていた。
ヘレナは笑顔で近づき、挨拶をする。
「おはよう、みなさん」
「おはようございます」
皆、笑顔で応える。
だが、ルイはまだ自分(ヘレナ)を見慣れないらしい。
チラッと見ては顔が赤くなる。
ヘレナはルイに近付いて、声をかけた。
「ルイ、おはよう」
目線が合う。
「お、おはようございます。ヘレナ様」
ヘレナはルイをじっと見た。
(ー、男性の姿であっても... 色気があるわ。
アルフレートのように美しい、男性ね)
「ねぇ、ルイ。ー 今日は砦の向こうへ行くのだけれど
あなたは私の護衛よね。」
「はい!」
ルイはキリッとなる。
ヘレナはその顔が好ましい。
「では、一緒にアルデラハン国へ来てちょうだいね」
「アルデラハン...」
ルイは少し考えている。
ヘレナはその顔を見て、ニコニコしていた。
しばらくして、ルイは顔をあげてヘレナを見た。
「...ヘレナ様」
「はい、何かしら」
小首を傾げて見せる。ルイはその所作にギョッとしたが
口元を軽く緩めてほほえんだ。
「ふ。...ヘレナ様。 ー それ、わざとでしょう」
「あら、令嬢ですもの。これぐらいは当たり前でしてよ」
「はは。ー 自分で言うのも何ですが...その、..それは
自然な感じで不思議です。しっくりきてますね。」
「ふふ。そう、あなたはこんな顔も、できてよ。」
転生者が2名、お互いの話をしていた。
「ルイには、私、感謝していますの」
「 ? 」
ルイこそ感謝しているのだ。
だって、将軍と婚約...あ。
ヘレナはこの件を知っているのだろうか。
自分が逃げた理由の元。
大公 将軍 ユージーン・エルンハスト
どのタイミングで言えばいいのか。
それとも。
「私、ルイの...ルイのおかげで ー」
ヘレナはモジモジしている。
何だろう、少女のようだ。
「どうしましたか、ヘレナ様」
ヘレナはルイを手先だけで手招きする。
耳打ちするような格好になった。
今はルイの方がだいぶ身長が高いので
かがんでヘレナに耳を向けた。
「ルイのお胸がそこそこ豊満で、私、感謝します」
ルイの顔はめちゃくちゃ沸騰するほど赤くなる。
何を言い出すのかと思ったら、胸!!
「っな!!!!!」
勢い込んで、横を向いてヘレナを見ると
思わずヘレナの顔が目の前に現れた。
見る。
( ー、あ、瞳が)
ルイはヘレナのすみれ色の瞳に吸い込まれそうだった。
朝日が差したその瞳はキラキラ輝いて、ルイの見たものの中で一等で
宝石より美しいと思った。
「 ?、どうかされまして?」
ヘレナは柔らかい、いたずらな笑顔だ。
頬が薄紅に染まっている。
ルイの心臓が、初めての鼓動をもたらした。
(あれ。...何だこれ)
ルイはヘレナの瞳を見たまま、胸を抑えた。
心臓がおかしな動きをした。
「ルイ? 先ほどの、私の..こ、告白は、二人だけの秘密でしてよ!!」
「あ、あぁ。」
返事を自分はできたのだろうか。
確かではないが、何となくしたような気もする。
ヘレナはそのままクレイトンの方へ行ってしまった。
ルイの心臓はまだ、ドキドキしている。
この心臓のおかしな動きは何だろう。
ヘレナの瞳を思い出したら、ちょっと早くドキドキした。
あの、薄紅の頬は自分の体の一部だったと思うのだけれど
何だかまったく別のもののようで、触れてしまいたか...?
(?は? ー 触れたいと思ったか?)
ルイは一瞬、混乱した。そんなルイを見ていたサスケがルイに言う。
「ー お前もガチ勢なわけ?」
「 ? 何が」
言いながら、小屋を出る準備をしている。
「あ〜ぁ、俺の周りはこんなのばっかだよ」
ルイはその言葉を受け流しつつ、思い出した。
「あ、兄さんに言わないと」
ルイもクレイトンの方へ向かった。
サスケは焚き火に腰を下ろして、ヘレナを見た。
ヘレナはクレイトンと話をしている。
ルイもそこに加わって、3人で何か頷いたり身振りをしていた。
アンがやってきて、朝食の用意をしてくれたと言ってくれた。
釣った魚と、森のキノコだけで何ができたのか
サスケは気になっていた。
アンはコーヒーをサスケに手渡しながら、言った。
「昨夜は、よくお休みになれましたか?」
サスケはコーヒーを啜りながら、アンを見る。
( ーこの子、地味だけどなかなか...)
「うん、寝たよ。」
アンは茶色の長い髪を一つにまとめてお団子にしている。
頬と鼻にそばかすがあるが、目は緑色。ぱっちりしているし
口元のほくろは何だかエロい。
「アンちゃんは?」
「はい。ヘレナ様がお話してくださった忍者のお話が
とっても楽しかったです。」
「え?忍者の話?」
サスケは嫌な予感がした。
「えぇ、壁になったり、水に長い時間潜ったり
ふふふ、そんなお話です。」
アンは愉快そうに笑う。
サスケはぶっ込んでみた。
「アンちゃんは、忍者、好きになった?」
アンはちょっと考えて、サスケに答えた。
「忍者が、と言うより
その人間性が私にとっては、大事ですね」
(この国の人間は、恋愛優等生になる洗脳でも受けてんの?)
「そ、そうだよネ〜。」
(そして俺にその人間性は、ない。)
いつもよりコーヒーが苦い気がした。
ふらふらとアルフレートが現れた。
珍しくシャツがはだけたままだ。
クレイトンがアルフレートに寄って行って、ボタンをかけてやっている。
「どうしたんだ。」
アルフレートはうわ言のように呟く。
「 ー 妖精を見た」
「え、何だって?」
クレイトンは聞き返す。
「朝の光の中に、いた」
クレイトンは大概苦笑いだ。
「そうかそうか、それで、その妖精はどうしたんだ」
「目が合ったんだが、ヘレナ様のようであった様な...
ー 何だか、夢を見ているみたいだ」
アルフレートはヘレナを見た。
ヘレナはアンから紅茶をもらって、木の椅子に腰掛けている。
「妖精もさぞかし驚いたろうな。」
呟くようにクレイトンは言いながら、ボタンを全てかけた。
「クレイトン。ー 俺は、ヘレナ様がー 好き、なのか?」
クレイトンはアルフレートの首を後ろから両手で抱えながら言う。
「いいか、アルフレート。よく聞け。
クイーン・ヘレナのことは
みんなが大好きだ。ー お前だけじゃない。安心しろ 」
アルフレートは目を見開いた。
「みんなって、みんな、か?」
「あぁ。みんな、だ。」
クレイトンは大真面目に答える。
「だが、突出して好きだって言うのはすごいことだ。
誇っていい。ーだが、やりすぎは何でも良くない。
うちの将軍をみろ。
あれは世間一般では、”重い”部類だ。」
「...重い...」
クレイトンは頷く。
「そういうのが好きな婦女子もそこそこいるが
クイーン・ヘレナは”みんな”のものだ。
公共性を、大事にしよう」
道徳の授業をしている気分になってきた。
「弁えろ、と」
アルフレートは段々戻ってきた。
「あぁ、将軍は少々、突っ走りすぎている。
相手あってこそ、の思いだ。
あまりに強い思いをぶつけると、相手はどうなる?」
「迷惑になる」
(クレイトンはいいやつだな..)
アルフレートは笑顔になった。
「大丈夫か」
クレイトンは首の手を強くしてアルフレートの目を見た。
「あぁ。大丈夫だ」
「よし、飯にしよう」
クレイトンは首から手を離して、アルフレートと一緒に朝食に向かった。
そんな姿を、ヘレナは心の中で
激しくシャッターを切っていた。
この絵を何か思い出帖に乗せて置けたら良いのだけれど。
アンに促され、自分も朝食に向かった。
アルデラハンの国境では
女帝であっても、身体検査のチェックも全て行う。
それがこの国のルールだ。
その代わり、チェックは割と緩かった。
なぜなら、国境兵は皆
フィオドア伯爵の仲間だったからだ。
表向きは仏頂面の国境兵たちは皆
ヘレナたちを歓迎してくれた。
「よお、クレイトン。久しぶりだな」
「お前、最近顔見せなかったな〜」
「また、カードしようぜ」
次々に集まってきて、挨拶していく。
ヘレナもまた笑顔で接する。
アルデラハンの民もまた、ヘレナに好意的だ。
むしろ同情されていたらしい。
直接言われてはいないが、聞き耳を立てれば
そんな感じなことを言われていた。
そして、意味ありげにこんなことを言うのだ。
「 王妃様。この国境線を越えたらば
皆が、あなたを見に来ます。
我が国の王は、あなたを歓迎するでしょう。 」
ルイとサスケはこの国境をすでに越えていて、もう別行動だ。
後ほど落ち合う約束はしているが
ヘレナは何となく心許なかった。
(しっかりしなきゃ。
ー 喧嘩売られてんのよ、私)
深呼吸をして、前を見据える。
自分の体の三倍もありそうな大きな扉が開かれた。
扉から少しずつ漏れる光に、目を凝らした。
開かれた大きな扉の向こうには街道というには広すぎる道。
馬車が横一列に10台は並べる程だ。
その道はすべて石畳で整備されている。
(うちの国とは規模が違いすぎる...)
それより...
この人の波はどこからやってきたというのだ。
歓声でこの場が反響している。
皆、両脇からヘレナたちに手を振る。
老若男女、皆だ。
自国の旗と、アルデラハンの旗を交互に振っている。
ヘレナはにこやかに手を振りかえす。
歓声が一際大きくなる。
目線の先には
黒馬6頭引きの絢爛豪華な金と黒の馬車。
アルデラハンの国旗の色である。
(うっわ〜ぁ。えぐい。まさか、だけど...)
ヘレナはゲンナリだ。
まさかが当たった。
その馬車から降りて来たるは、アルデラハン国王。
カイン・ニルカ・エルデラハン。
歓声がより一層、大きくなった。
王が馬車から降りてきた。
(わざわざ迎えに来るとか。
ー プレッシャー与えにきてるわね)
ヘレナはアルデラハンの城まではゆったり過ごそうと考えていただけに
この、わざとらしい出迎えはテンションだだ下がりイベントだ。
王は大きな男だった。
歩幅が大きい。
だが、その体の大きさに似合わず所作は洗練されていた。
ヘレナから1メートル手前でピッタリ止まった。
測ったわけではないが、多分王のことだからピッタリだろう。
嫌なやつだ。
ヘレナはほほえんでいる。
王はヘレナを少し見つめてから、一言。
「ようこそ、我がアルデラハンへ。」
クスリとも笑わないで言う。
ヘレナはそんなの慣れっこだ。
ヘレナは、完璧なほほえみをこぼれ落としてみせる。
「お招きいただき、ありがとうございます。
アルデラハン国王。ー 」
ヘレナは姿勢を崩さず、優雅に、丁寧に美しい礼を執る。
王はその姿を見ている。
誰もが、ヘレナの完璧な所作に見惚れていた。
アルフレートとクレイトンはその王妃の横に
微動だにせず前を向いている。
王はその両脇の二人をちらと見たが
ものの数秒だった。
戦いのゴングは鳴った。
( ー さぁ、お嬢様方、戦いは始まりましてよ。
用意はいいかしら。
コテンパンに のして差し上げてよ。 )
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