第22話 王妃、初体験する
エルンハストの領民はみな、この時を待っていた。
”王妃と、将軍のツーショット。”
エスコートされた王妃ヘレナは
銀色の髪を美しく結い上げている。
その白いうなじに、輝く銀の後毛が光をまとって
神々しい。
洗練されたその所作も
王妃なのにどこか幼さの残る華奢な体も
王妃なのに、葡萄踏み体験をしたいとか
すでに葡萄踏み娘の格好をしているところとか
王妃なのにウズウズしているところとか
ー 何だか夢のようだ。
ここはエルンハスト領だ。
王都からわずか1時間足らずの場所にある。
もう、ほぼ王都のようなものだ。
ユージーンの急な申し出にもかかわらず
葡萄踏みの準備はまるでだいぶ前から用意していたかのように
全てくまなく揃えられていて
エルンハストの領民の謎の連絡網で瞬く間に
全領民の知れ渡るところとなった。
そして、この人だかりである。お祭り騒ぎだ。
「ヘレナ様!!!!」
「ユージーン様、ようこそいらっしゃってくださった」
いつものようにヘレナはほほえんだ。
だがヘレナはドキドキしている。
嫁いでからは死ぬまで城の中で生きてきたし
転生後はフィオドア伯爵の家だ。
初めてのお出かけと、葡萄踏み体験に
ヘレナの胸は興奮でいっぱいだ。
「あぁ、急な願いですまなかったな。」
ユージーンはこの用意をしてくれた老人を労う。
「何を仰いますか。ユージーン様の願いならば
我ら領民、何を置いても率先いたしますぞ!!」
「そうですとも。ー しかも」
もう一人の恰幅の良い老人はニンマリとして
ヘレナを見、ユージーンに向かってせりあがったお腹を突き出し言う。
「やりましたな!ユージーン様!!」
鼻息がこちらまで飛んできそうだ。
ユージーンは苦笑いだ。
「あ、あぁ」
なんだかぎこちない。
エルンハストの領民は皆、当然ヘレナのことも大好きだ。
王妃は少しも偉ぶったりしないし
美しいし、なんと言っても将軍にお似合いだ。
王妃は定期的に製鉄所の様子を伺いに使いを寄越した。
問題があれば半日でどう対応するかを決め
1週間ほどで問題は解決してきた。
鉄溶高炉にかかる莫大なお金も、王妃の計らいで国が全額出してくれた。
そのおかげで、作ることのできる鉄鋼品は倍以上に増え
製鉄所に勤めるエルンハストの領民も
2倍に増えたし、給料だってもっと増えた。
今じゃ、エルンハストに住みたくて他領からも
人が来る。もちろん、オッケーだ。
生活が潤った。
昼休憩も2時間あるし、充実していた。
遠くでしか見たことのない王妃が
今、葡萄踏み娘の格好をして目の前にいることを
領民は不思議な気持ちと興奮を覚えた。
(び、美人だぁ〜)
と9割の領民は思い
(可愛い..)
とその内7割強は同時に思い
(ユージーン様、頑張れ!)
と全領民が思った。
残りの領民は不埒なことしか思っていないので
ユージーンに処されたくないので割愛する。
この葡萄踏みが、ユージーンにとって
王妃と距離を縮めるきっかけになってくれたら
それだけで領民は万歳するだろう。
それぐらい、この葡萄踏みに意気込みと意義を見出している。
ユージーンになんかしてあげたいのだ。
この葡萄踏み自体、北部に位置するこの国では
季節柄ちょっとまだ早いのだが
この領民たちは、ユージーンのためならばと
その一心で
エルンハストの一番南下の村から徹夜して運んできた。
その村の村長だって、やってきた。
実は村の人間の6割は一緒になって葡萄を運んできた。
そんなに人数要らなかったが、村長は許した。
みんな、”ユージーンと王妃”が見たかった。
大きな木の樽に積まれた葡萄。
そして桶にはすでに葡萄が入れられている。
今日の葡萄踏みには、王妃以外にも
エルンハストの中で
選りすぐりの年若い生娘たちもいた。生娘オンリーだ。
みな、若くあどけなさの残る娘たちで
葡萄のようにはちきれそうな瑞々しさがある。
王妃もそりゃ見たいが
エルンハストの若い娘もみたい。
ー 多分こっちが本音だ。
葡萄踏みの桶の周りには
ユージーン以外にも、若い男性がたむろしている。
この知らせを聞いた時、エルンハストの若者男性らは
いつも以上にユージーンに感謝しまくった。
こんな良いイベント言い出してくれて
めちゃくちゃ感謝した。
みんな、若い娘の素足が見たい。
これを機会に仲良くなりたい。
お話するきっかけが欲しい。
揺れ動くお胸も見たいのだ。
中には葡萄ではなく、自分こそが踏まれたいと思う輩もいるが
大層コアな欲望なので表立って言うには憚られる。
なので、こっそりユージーンに熱烈感謝している。
エルンハストには娯楽がないわけではないが
いつの時代だって、娘っ子がキャッキャ言いつつ
楽しげに無防備に足を出して
ピョンピョン飛びつつ、あちこちプルンプルンする姿は
なんというか、男性にとってみたら
眼福に値するものなのだろう。
お嬢様方には眉を顰めず、何卒ご理解いただきたい。
葡萄踏み娘がなぜ生娘である必要があるのか。
それには諸説あるのだが
ひとつには、ワインの醸造に豊穣と発酵の女神を迎えるため
清き身の若い娘が”美味しくなぁれ”、と祈りを込めつつ踏むという。
そしてもうひとつには
単に、若い娘は体重が軽いので
葡萄を踏むにはちょうど良い重さであるという事だ。
葡萄の粒は踏み潰し過ぎると、潰れた皮から苦味が出るのだ。
よって、その体重の加減を思えば若い娘が丁度良くまた
若いので生娘だっただけ、という理由だ。
そのほかにも単なるイベント的祭りなど
色々な理由があるが
今日の葡萄踏みはちょっと違う。
なぜなら、
そんなワイン、今までなかった。
そもそも生娘かどうか聞くこと自体
恐れ多くも不敬に不敬を重ねている。
さらに王妃という立場の人間が、葡萄踏みなんて
前代未聞だ。
だが、エルンハスト領の中でまことしやかに噂されるのは
王妃ヘレナは”白い結婚”だったというものだ。
確かに阿呆王アンソニーの髪は金髪で
ヘレナは銀髪。なのに
その息子アーサーの髪色は濃い茶色で
エルンハスト領民だけじゃなく
国民は口にこそしないが
『 !? 』
(これもう、確定やろな:意訳)
と、思っていた。
だから、王妃だからという理由じゃなく
多分...だよね?という、みんながぼんやり納得している理由で
葡萄踏みには誰も反対しなかった。
何より、ご本人がそれを望んでいるのだ。
高貴なお方の考えることは、庶民にはよくわからない。
そんなことを思われていたなんて、ヘレナは知らない。
目の前には葡萄。
周りには自分より遥かに年下のキャピキャピな女の子たち。
ヘレナはキャピキャピはしていないが
その気持ちはすごくわかる。
お揃いの葡萄踏みの服は
生成りのパフスリーブの半袖チュニックに
スクエアカットの襟ぐりを紐で調節するタイプだ。
胸からウエストラインに向かってギャザーが入って
お胸を強調する仕様。
同色のスカートはフレアロングで今は素足こそ見えないが
その時が来れば、娘らが自分でめくりあげるのだ。
なんというご褒美か。
上にかけたエプロンは、エルンハストの色である
赤と薄い青のモザイク模様が散りばめられた柄だ。
ヘレナは自分のこんな姿を想像していなかった。
(なかなか...似合っているのではなくて?)
事実、その姿は葡萄など踏みそうにもないようにも思うが
似合っている。
ユージーンはここへ着いてからというもの
領民に取り囲まれて、談話している。
困った表情からすると領内のことだろう。
ーと、ヘレナは思っていたが
実際はこうだ。
「ユージーン様!感謝します!
俺、葡萄踏みなんてものがあるなんて知らなかったです。」
と、やんわり言う者もいれば
「生足見れる機会をありがとうございます。
今日は興奮して眠れないです」
と、実直に伝えに来る者もいた。
さらには
「毎年、やりましょう。
これをすることによって、エルンハストは
今以上に栄えます。」
と、謎の運営をお願いしてくる者もいた。
ユージーンの心境としては複雑だろう。
葡萄を踏むヘレナは見たいが
領民でもタダで見せるのは嫌だ。
金を取れば良いのか、といえばそうではない。
見せたくない、の一言に尽きる。
ヘレナの葡萄踏みの場所だけ弾幕を張るとか
ヘレナだけ特別仕様の箱に入れて葡萄踏みさせるとか
色々方法はあるだろう、と考えもしたが
領民たちの用意をしてくれた手間を思えば
そんなせせこましいことは言いたくないし
その心には感謝している。
チラリとヘレナを見れば
ヘレナは領民の少女と何やら話をしていた。
ヘレナのことをじ〜っと見る幼い少女が
口を開いた。
「ヘレナ様、とってもステキね!
ステキなお姫様ね。」
ヘレナは思わずはにかんだ。
「うふふ、ありがとう」
その顔を見てしまったエルンハストの男性は
凍てつく何かを背中に感じる。
けど、いい。
ここで死んでもいいぐらい、ヘレナのはにかんだ顔は
なんだか不思議なくらいの精神破壊力と一緒なぐらいの
心を洗うようなものだった。
そう、ー まるで、女神さまのような...
「ヘレナ、そろそろ始まるそうだぞ」
ユージーンがヘレナの前にきた。
「ーえぇ、そうね」
ヘレナは裸足になった。
アンが裸足に水をそろそろと掛けながら洗い流す。
その白さに、ユージーンは生唾をのんだ。
だが、ヘレナを裸足で歩かせるわけにはいかない。
ユージーンはヘレナを横抱きにする。
周囲から冷やかしの歓声が上がった。
口笛まで聞こえる。
「ちょっと、ユージーン、約束は!」
ヘレナはちょっと慌てたように言った。
「”今”は特例」
言いながら、葡萄桶の中にそっとヘレナを入れた。
葡萄の上にヘレナは立つ。
ひんやりとした葡萄の粒が足の下で
何粒か潰れるのを感じた。
(わ〜、これ、新感覚。
葡萄を踏むなんて、滑稽だわ。)
すると、恰幅のいい先ほどの男の大きな声が聞こえた。
「 美しき豊穣と発酵の女神に感謝を!!!
今日のこの良き日に!〜
さぁ、娘たちよ、踊り跳ねるのじゃ!」
ー 野郎どもの歓喜の雄叫びが聞こえた。空気が震える。
どこからか、楽しい音楽まで聞こえてきた。
ギターと、横笛と、鈴、そして太鼓の音。
民謡調のリズムで、スキップしたくなるような音楽だ。
ヘレナはスカートの両橋を持ち、足をそっと上げた。
その瞬間にどよめく声が聞こえる。
( ー 何 ?)
足元の葡萄から目を上げると
目の前にユージーンが仁王立ちしている。
「...あなた、何をしているの?」
「 ー 見てる」
ユージーンは腕組みしたままヘレナの足元を見ている。
「それは、わかっているのだけれど
ー あなた、近いわ。」
「知ってる。ー だが、だめだ。」
これでは、飛び跳ねでもしようものなら
葡萄の果汁がユージーンについてしまう。
そして、邪魔邪魔ジャーマン。
ヘレナは呆れた顔になったが
ちょっと含み笑いをして言う。
「...ユージーン。ー そんなに心配なら
あなたも葡萄踏みすれば良いじゃない」
ヘレナはいたずらっ子の目だ。
(さぁ、どうする?)
という、意思表示でもある。
「 ー 水を持て」
(必死すぎる。)
ユージーンの従者、ロイドは思う。
だが、ロイドはこうなることをすでに予測していた。
即刻足を洗い、ジャケットを持ちシャツとズボンだけにして
足の裾を捲った。(その間2分48秒。従者としては最速レベルである)
エルンハスト領民も
そうなるだろう、と思っていたから
今更、生娘でもなく、ややおっさんが葡萄踏もうが
何しようが驚きもしなかったし
むしろその方が皆の精神衛生上、いいと思っていた。
理解のある領民だ。
ヘレナは手を差し出している。
片方の手はスカートの裾を持ち上げたまま。
ユージーンの胸の昂りの元は
ヘレナの素足ではなかった。
その手を差し出されたとき、その笑顔
そのまばゆさに、ユージーンは誘われるまま
桶に入った。
「うわ」
ユージーンも驚いている。
「うふふ、そうでしょう?
ーちょっと不思議な感覚ね」
二人はしばし葡萄の上でジンマリ動かない。
その周りでは、すでに音楽にノリノリで娘たちが
太ももあらわに、葡萄を踏みまくっているし
周りの若者男性らはもう、狂喜乱舞だ。
娘たちの膝上まで葡萄の果汁で赤く染まっているが
誰も眉を顰めないで、手を叩きその娘たちを囃し立てる。
ヘレナはチラと、その情景を見て
嬉しそうにユージーンを見上げた。
「連れてきてくれて、ありがとう。」
ユージーンは泣きそうな顔をした。
「ヘレナ、聞いてくれ。ー 俺は」
「”今日”は、私、葡萄踏み娘なの。
ー 葡萄を踏むのに忙しいし
私は葡萄踏み娘だから、難しい話は無理よ」
そう言って、スカートの裾をもう5センチほど上げて
その場でそろそろと行進し始めた。
ヘレナの動きのぎこちなさに、ユージーンはほほえんだ。
「それじゃ、葡萄を踏めないだろう」
そう言って、ユージーンはヘレナを抱き上げた。
「わ!」
ヘレナはびっくりして思わずユージーンに抱きついた。
またしても冷やかしの歓声が上がる。
恥ずかしかった歓声も、領民たちの和やかで
楽しげな声でヘレナの心は解れている。
ふと、思い立つ。
(今、私は葡萄踏み娘でしてよ。ー 違う。
私は葡萄踏み娘なの〜。と、いう設定よ。
そして、この領地の大公さまは
王子さまみたいな人よ!きっと転生したら
そう、葡萄踏み娘は思うはずだわ。
そんな大公さまに抱きかかえられているなんて
まさしく 転生冥利に尽きるのでは!?
そして、二人は...恋に落ちるーのかしら。)
ヘレナはわざと、ユージーンに言ってみた。
「いい領民ね、大公さま」
「そうだろう? ー
「!」
(まさかこの設定に乗ってくるとは。さらに超速カウンター攻撃!)
ヘレナは葡萄を踏みに来たはずなのに
自分の恋愛耐性のなさを踏み抜かれた。
(ずるい、ずるいわ、ユージーン。)
ユージーンは葡萄を踏みならしながら
ヘレナを見上げる。
顔を赤くして顔を両手で覆ったヘレナに
ユージーンは言う。
「ヘレナ。ー ”あのこと”はちゃんと説明するから
待っててくれ」
両手の指の隙間からヘレナはユージーンの顔を覗く。
その目は真っ直ぐで、嘘を吐いたものじゃないことを
ヘレナはわかっていた。
「ー わかったわ」
頷いて、笑ったユージーンは
ヘレナを抱きかかえたままそのまま回り出した。
「もっと音楽をかき鳴らせ!!」
周りの娘たちはすでに葡萄の果汁まみれで
もはや服の白い部分を探すことは不可能だ。
だが、娘たちの表情は無邪気で流れる音楽に調和して
周りの人たちも笑い合って、歌っている。
ヘレナも笑った。
楽しいと思う気持ちが、何をしなくても
こぼれてくる。心が光で満たされるみたいだ。
その姿を、誰よりもユージーンは眩しく見ている。
自分が抱きかかえた葡萄踏み娘を
このまま自分のものにできたら
どんなに幸せだろう。ー
葡萄の香りが辺りに充満している。
次々葡萄を入れられては踏みならされて
そのたびに葡萄の香りが立ち広がる。
芳醇で、奥行きのある甘い香り。
それを遠くから見守るクレイトンも
軍師も、葡萄の香りに酔いそうだ。
彼らはヘレナのお付きだ。
自分達は葡萄踏みなどに興味はなかったが
ヘレナの希望だと聞けば
それは現地視察という名で付いてきた。
「 このワインはきっと旨くなるだろうな。」
軍師が目を細めつつ呟く。
「えぇ、クイーン・ヘレナ特製ですからね。」
「 ふむ、そしてまたしても我が国の将軍は
男にして初めてであろう経験をしたのだな ー」
クレイトンは挑むような顔をして軍師に言った。
「父上。またそのようなことを ー。
”女もすなるものを男もすなる”のではなかったのですか 」
軍師は何かに気づいて、クレイトンと見合って笑う。
「その通りだ、息子よ」
音楽は鳴り止まない。
賑やかな場から離れて見守る二人は
その残響を楽しんでいるようだ。
心地良い風の吹く葡萄の香りの中
軍師はポツリ、クレイトンに投げかけた。
「 ー ルイは 戻ってきている。 」
クレイトンは何も言わず、静かに頷いた。
その代わりにヘレナとユージーンの方へ歩き出していた。
ヘレナは大して汚れていないが
ユージーンはもう、葡萄の果汁まみれだ。
(彼を絞れば、ワイン一杯分にはなるんじゃないかな)
そんなことを思いつつ。
クレイトンは、元ルイーズの現ヘレナを見た。
ユージーンに抱きかかえられグルグル回され、笑っている。
飛び跳ねる娘たちと同じような笑顔だ。
本当に美しい、人だと思う。
妹の体だが、転生前よりもその姿は輝いているみたいだ。
願わくば
ー ルイもそうでありますように。
クレイトンは二人に向かって言った。
「もうそろそろお昼にしないかい?
ヨナから差し入れが入ったんだ ー」
ー この年のワインは、最高の出来。
なんでって?
豊穣と発酵の女神さまが、王妃にほほえんだからさ。
お嬢さん。
ー あなたもいかが?
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