第19話 キングとクイーン

風を切る音が重い。



朝靄の漂う鍛錬場で、剣を振り続ける男がいる。


鋼鉄のような肉体は、極限まで無駄な肉が削ぎ落とされ

彫刻のごとき雄々しい。

筋の伸縮すら、神が与えたもうた躍動を自在に操り

緊張の陰影を表現しているようだ。



体から立ち昇る汗の蒸気は、朝靄に混ざり

やがて

その瞬間、彼は大気と一つになる。

まるで自分がすべてに溶け込むのを待つように

ひたすら、剣を振る。



正確な一定の呼吸が剣を振る音に重なる。



静かな鍛錬場に響くその音だけが

男の精神を研ぎ澄ましていく。





カイン・ニルカ・アルデラハン ー。


現王であり、アルデラハン国の若き太陽でもある。

輝かしいばかりの彼の存在は

アルデラハンのみならず、世界をも照らすと言わしめる。



カインにとって、そうした世の中の評価は

さして問題ではない。




王の器とは、大局を見逃さないことだ。


王の器とは、あるべくしてあるよう、有無を言わさぬ実力と

揺るがない自信が必要なことだ。





「 ー 王」

鍛錬が終わる頃になると、必ず控えている側近から

タオルを受け取る。


「 申せ 」

カインは無駄なことは聞かないし、言わない。


「 は、ー かの国のクイーン、生存にござりますれば ー 」


カインの表情は一つも変化しない。

これは想定していたことなのか

それともカインのいうところの”さして問題ではない”のか

それはわからないが

頷きもせず体を拭いた。



剣を側近に手渡した後

シャツを羽織ったまま、鍛錬場を後にした。



慣れたものといえ、剣は全体が鋼でできていて

凄まじく重い。そしてこの剣の重さは

愚かさへの戒めでも、ある。


側近も剣を振るう者だが、この重さは毎朝

ちょっとした衝撃を彼に植え付ける。

( ー これが 王 の御覚悟...)





カインは執務室へ直行する。

朝の報せによっては、本日の動向を考え直さねばならない。


( ー、あの女帝、死んでいなかったか )

机上に用意されてある水を飲みながら思った。





静寂の中に朝日が差し込んでいる。

椅子に座り、用意されている書類に目を通し始めた。


不意に訪れた気配にも、カインは動じることなく

ただ一言

「 なんだ 」

それだけである。



この男に煩悩はない。

欲なる波すら、すべて支配している。

人間の、人間たらしめる”情”もないように思われる。


あるのは統率の取れた臣下と

それに並列する情報機関だ。


判断するのは”王”なのだ。

余計なおしゃべりも、無駄な感情も必要はない。


その必要性を、カインは考えない。





「 ー 確認いたしましたが、違い無いかと存じます」


書類から初めてほんの少しだけ目線を動かした。

”応”である。






気配は消えた。






カインは書類を読み進めている。

何枚か捲った後、元に戻して王印を押し横に放った。


そのまま椅子にもたれた。もたれた椅子が少しだけ軋む。



カインの思考はその思惑へ移行した。

にがい表情をしていた。


( そこにいたのか )





そんなことを思ったあと王は珍しく、小さく笑った後

側近を呼ぶ。



「 ー 文を ー 」












......場所は変わって。






「〜〜〜〜〜だぁ〜かぁ〜らぁ〜!

 十三年前の同盟ごときでアルデラハンが

 俺たちの国を侵略しても意味ねぇだろってんだよ!」


( ー モニーク、うるさい。)

ヘレナは聞いているが内心モニークにチョップしたい。


クレイトンお兄様は表情を変えずに

ユージーンを見て、何やら伺うような顔をした。

その顔に気付き


「エルンハストの鉄鉱石加工技術だ ー」


ユージーンはこの部屋にきて初めて発言した。

この男、ヘレナしか目に入ってないかと思いきや

ちゃんと話も聞いているし、必要なことも話せる。


たぬきち軍師も初めて頷いた。


合わせるようにしてトーマス副将軍は言う。

「 あぁ〜、将軍とこは鉄の細工がうまいもんな〜。

  鍛冶屋も最高だろ、確か。 」


モニークはそのトーマス副将軍の言葉に動きが止まった。

「 ー そうか。わかったぞ... アルデラハンになくて

 我が国にあるものが。 」

呟くように言った。

(そう、それでいいのよ、その声の大きさで十分よ。

 ずっとその調子で喋りなさい。)

ヘレナは心で喋っている。




フィリップは丸めてあった大きな紙を取り出し

円卓の大きなテーブルに広げた。

円卓には何種類かのチェス駒が乱雑に置かれている。



拡大された我が国の地図が広げられる。



我が国と隣国リゲルーグの下に

大国アルデラハンが控えている地図だ。



ようやく私の出番みたいね。

良いですか、お嬢様方。

女帝っぽくおしゃべりいたしますから

それっぽく聞くのですよ。

ー フリです、フリでいいから知ったかするのです。




「 エルンハスト領の鉄鋼技術は

  どの国も知るところであっても真似はできない。


  鉄鉱石、コークス、石灰石これらを

  高炉で熱し銑鉄(せんてつ)するだけでも

  大量の燃焼熱で現場の過酷さは想像を絶する。


  そして ー。最も我が国で新しい技術こそ

  この大量の燃焼熱を利用している点にありましょう。 」




軍師をチラリと目線を運ぶ。

居住まいは変わらない。



モニークとトーマスは分からなかったらしい。

フィリップ、ほら出番でございましてよ。


「 鉄を熱すると多量の燃焼熱が発生するだろう?

  我が国はそれを使って、農業用の小麦粉精製風車や

  高炉に再利用しているんだよ。


  君らも使ってるだろ、ゴミ焼却炉。あれだよ ー」



フィリップに合格あげちゃう〜。

さすがだわ〜、鬼畜だけどやるな。


お嬢様方、お分かりになって?

エコですわ〜。

我が国はエコにも取り組んでおりましてよ。





私、偉そうにはしませんけれども

死ぬ直前までまとめていたものこそ

この、新技術による我が国の農業と産業の

収益性でございます。


なぜならお勉強いたしましたからね。

今こそあの地獄の勉強での知識をご披露差し上げましてよ。






さぁ、お立ち会い。



「 アルデラハンの狙いは

  

  我が国に流れるサヌエリ川以東に

  

  緩衝地帯になる”傀儡政権”を据え、

  

  間接統治するつもりなのでしょうー 」




ユージーンは私を見上げてもう完全にうっとりモードだ。

たぬきち軍師は私を見て声を上げて笑った。


「王妃殿はそこまでお考えだったのだな。

 ー さすがだ。」




「 全土占領しないのか 」

モニークが尋ねてきた。

フィリップが言う。

「言ったろ、欲しいのは”水”と”技術”さ 」



お嬢様方?

なぜ全土占領しないのか、解りまして?

うふふ。

難しい話なんてどこにもないのです。

誰かが”難しく”、しているだけなのです。


お嬢様方の知能指数の爆上げを阻止したい人でもいるのかしら?


世の男性諸君、そろそろアキレス腱、ええやろ。

何、手首足首回しとんねん。

音速を超えて来い。




さて、解答編でございますわよ。


「 全土占領による併合は、アルデラハンには

  あまり興味がないでしょうね。


  仮に全土占領したとして

  新たな国境でどのみちリゲルーグ国と

  対峙しなければならなくなりますし...

 

  ー 統合すれば、その国民すら

  食べさせていかねばなりませんもの。 」



私は地図上のサヌエリ川の東にキングを置いた。



つまり。

我が国が全てアルデラハン国になると

経済流通、生活様式、文化、教育..諸々

アルデラハン国と同じ水準にするのは大変時間もお金もかかります。


下手すれば、戦争するよりお金がかかります。


だから、国の”頭”だけアルデラハンにすげ替えれば

欲しいものだけ横取りしつつ、国の運営はお前らでやれよと

堂々と言える訳です。



モニークはひとしきり黙った後、堰を切ったように言った。


「 ...アルデラハンと戦争なんて

  子供の喧嘩じゃないんだぞ。


  

  ー 技術だけ渡して ー!」


「モニーク。ー お前の実力はわかってる。

 いきなり戦争になるってんじゃない。」

トーマス副将軍が宥めるように言った。


「 ーお忘れのようだがね。

  なぜ、王妃が暗殺の憂き目にあったか、だよ。諸君 」



軍師は地図を見たまま口元に握り拳を作って言った。



アルフレートが俯いたまま震えている。

「 ...騙されたんだ ー」


アルフレートはポツリ、と言った。






場が静まり返る。




あらあら、これだから殿方は ー 仕方ありませんね。

また、私の出番でしてよ。


「 ー 私の指示により、アルフレートには

  アルデラハンに間諜してもらっていましたの。」



ユージーンはまだ私を見てニコニコしているわ。

何かよろしくないお薬でもキメちゃったのかしら...

心配になりますわね...



「 ー あちらも手練れですもの。ふふ。

 

 2回目の戦争で、我が国は

 地理的要因を大きく利用することになりました。


 敵軍(アルデラハン)を挟み撃ちで追い出す結果になったことは

 みなさまご記憶に新しいかと存じます。


 まぁ、歩兵隊の2名が崖から落ちましたけれども。


 あの戦争でアルデラハンの私兵部隊約1000名は

 一度我が国の捕虜となりました。


 その際アルデラハンと交渉してくれたのは ー

 アルフレートです。


 暗殺に関しましては

 情報の行き違いかと思いますわ。


 アルデラハンの王は、私がいなくなれさえすれば

 この国を傀儡政権にするなんて、朝飯前だと

 そう考えたに違いありませんことよ。 ー 軍師。」




さぁ、こんなものでいかがかしら?



フィリップは眉間に皺を寄せたままだ。

真実は違うということを知っているのだ。


そう、嘘を吐くときは

ほんの少しの真実を混ぜるのがいいのだとか。





これも女帝の仕事なのでございましてよ。


毒殺されたのか、心臓発作なのか

そんな理由はどうでも良いのです。



私(ヘレナ)個人の、話ではない。

大局を見て判断すべきなのだ。



軍師はそれまで見つめていた地図から目をあげ

言った。




「 ー ケンドリッジ侯爵は騙されたものの、その報せにより

  王妃の暗殺は免れたと言っていい。

 

  ケンドリッジ侯爵はなにぶん、生真面目なお方だ。

  爵位の返上と、修道僧の道を選んだがその能力、実力ともに

  国の宝だ。 ここで失うのは国の損失だ。



  騙された内容を突くは騎士の名折れだ。

  やり直しもひとつ、彼の修行になるだろう。 」






(マジ、こいつたぬきだな。)

ヘレナもびっくり、二枚舌。


たぬきとヘレナの化かし合いみたいな絵面だ。



トーマス副将軍は大きく頷いているもの。納得しちゃったわ。

モニークなんてすでに地図上に何やら描き込み始めてる。

軍師はヘレナを見て、アルフレートに目線を流した。



つまり ー。






女帝(ヘレナ)のご判断を、ってやつね。


  

「 ー よろしくてよ。 


  アルフレート・ケンドリッジ侯爵 」



名を呼ばれて立ち上がったアルフレートは騎士の所作になり

私に片膝をついて私の声に耳を傾けた。

 


「 私、ヘレナ・マルティネス・シュレーシヴィヒは


  汝の聖騎士の名において慈悲の深淵に


  内なる愛のしるべとともにあり。


  ゆえに汝の罪は赦されん。

  

  ー アルフレート。


  あなたにとりまくすべての問責を不問といたします。



  正しく、ありなさい。

  時に、間違えを畏れてはなりません。


  それがしるべとなるでしょう。 ー 」




さぁ、臣下の前でもアルフレートの

過去を女帝は問わないって宣言したわよ。


全くもう。

まさかこれだけのために呼び戻されたんじゃないでしょうね。


アルフレートったら

また泣いてる...。あぁ、でも良いことをしたのだと

そう、思うわ。


もう泣かないでほしい。


実際、泣きたいのは私の方でしてよ。





ここまで来て、女帝や〜めた!って

もうできないじゃない。

未練がましいようですけれども

私、町娘か葡萄踏み娘、やりたかったのです。


今ならお胸ブルンブルンさせて

葡萄だって踏み放題なのに...。




自由は 遠く 消えたのだわ。



ふとユージーンと目が合ってしまった。

しまった。

合わせないように気をつけていたのに。



ユージーンは笑っていなかった。

悲しそうな顔をして、私を見ている。


ユージーン、私はまたここへ戻ってきたの。

あなたはそれを望んだのではなかったの?



ー どんな顔をして笑えばいいのか、わからない。






そして、その三日後

軍師はヘレナの部屋を訪れた。


「ー 王妃殿。 これを ー」


手渡されたのは一通の手紙だ。




「 これ、...アルデラハンの印章...」

朱印がある。

そして、王直筆の名前入りだ。


(めっちゃ開けたくないわ...)


ヘレナはあからさまに嫌な顔をした。

その顔を見た軍師は吹き出した。


「ふっ、ハハハッ。王妃殿もそういう顔をなさるのだな。


 新鮮で良い。ー これからはそうするべきだな。」


ヘレナはしまった!と思ったが

軍師の前でこんな顔をするほど、嫌なのだ。


「えぇ、...善処します..」

言いつつ、封の中の手紙を開いた。



” 女帝 ヘレナ・マルティネス・シュレーシヴィヒ 殿



 先の死の報せが誤報であったことを祝する。


 貴国との輸出・輸入に関する新協定の締結と


 新たな和睦の連携・協力に際し


 我が国アルデラハンにて開催せんとす。


 

              カイン・ニルカ・アルデラハン ー”




このぶっきらぼうな文章よ。

仮にも王やで...。

時節の挨拶も、ご機嫌伺いもない要件だけの文章を

大国アルデラハンの王は送りつけてきやがった。




「 アルデラハンに ご招待されてしまったわ 」


ヘレナは王妃じゃなくなったのに

王妃の仕事をやらされているのだ。

ため息をつかないだけ偉いと思う。


軍師はそんなヘレナを見て言った。


「 王妃殿。 あなたはもう、囚われなくても良い頃だ。


  この国の人間であれば、あなたを誰もが信じている 」


「え...?」


「何より、我が国の将軍があなたを想っているのだ。


 それは間違いない。ー


 ほら、あなたを想う男が下で花を抱えて待っている 」

軍師はドアに目配せしてほほえんだ。



ヘレナは、軍師のそんな顔を初めて見た。


その顔は、娘を見る父の顔だった。

背中を軽く押されて部屋を後にした。



ヘレナの心はなんだか、むず痒い。







アレクサンダーはルイーズの部屋で

しばらく立ち尽くしていた。


部屋の机の上の刺繍は綺麗に縫われていた。

銀の狼の紋章はアレクサンダーのもの。

ヘレナがルイの刺繍を残しつつ、直したのだろう。


気付けば、その刺繍に手を触れていた。


ー 銀...


思わず自分がサリアーナに

銀色のリボンを付け、花を毎日持って行ったことを思い出した。


(我が国の将軍もそういえば毎日花を持って来ておるな,,,)




階段を降りた後だろうか。

ヘレナの喜ぶ声が小さく聞こえた。


頷きながら先ほどの手紙を手に取り、読む。

強い筆圧、必要最低限の言葉、

自分の名前を記すところだけ最後の文字が跳ねる癖。



ー 相変わらずなお方だ。








軍師の顔に戻る。

その顔には森の儀式を見出した時のように

猛りがあった。










  


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