第13話 善悪と賢愚の間

転生前の王妃ヘレナは朝3時半には起床して

5時には執務を開始するのが日課だ。


4時半には

決まりきったように教会へ祈りを捧げに行くのだが

その時必ず出会うのがアルフレート・ケンドリッジ侯爵だった。


ケンドリッジ侯爵の父方は元々教会の教皇筋だ。

本人自体が、信仰深いと言っていい。





「おはようございます、ヘレナ王妃」


この挨拶も、毎朝の習慣だ。

「おはよう、ケンドリッジ侯爵」




ヘレナはほほえみを浮かべつつ、教会の中の椅子に腰掛ける。



祈りの時間はヘレナにとって

頭の中で今日の段取りを組む時間だ。

大して祈っちゃいない。


(この後は隣国へ出す納品別輸入書の書き直しと

 農業資産の形成保有率を各領地への通達しなければー)

とか

(あ〜、眠いんじゃ〜、ナンシー)

とか

(今日の昼ごはんに絶対あの不味い変な豆のペースト出てくるわ〜。

 超絶食べたくね〜)


ぐらいしか考えていない。





しかしアルフレートにとって見たら

それは違う。


(なんと敬虔な祈りであろうか ー)


彼女の清廉無垢なその姿と

真摯な祈りは、アルフレートに

王妃という立場以上に触れ難い。





アルフレート・ケンドリッジ。

彼は王妃ヘレナより一つ年上だ。


にも、かかわらず

アルフレートも、ヘレナもお互いを全く知らなかった。

知らなくて当然だ。


二人とも、社交なんて出たことがない。


ことアルフレートは

幼少の頃から戒律の厳しい家の中で

自由になることなどほとんどなかったが

彼の世界はいつでも神がいた。


その神は清く、美しく、ただ、正しかった。


それ以外はアルフレートにとって

単なる”生活”の手段であって

他人との会話も、王政すらも

神のためにしか存在しないものだった。



アンソニーの阿呆が王子の頃、ヘレナを婚約者として紹介されたときも

アルフレートはさして彼女を気にしていなかった。

( ー 我が国の王族の求むる人間は見目しか見ていないのか ー)


そんな印象だった。


王政だって、このままなら王子が王に即位する頃には

破綻しどこかの国へ吸収、合併がいいところだろう。


それでもいいとアルフレートは思っていた。

この国に忠義などないし、どの国になろうと

彼の信仰心が変わることなどない。



しかし、違った。


婚約者であるという

ヘレナ・マルティネス・シュレーシヴィヒは

300年前に亡国となった、かの国の姫君だと知った。


教会の古い史料に載っていたのを見た。


そしてその彼女は

毎朝4時半に教会へ祈りを捧げにくるというではないか。


その婚約者がどのような人物であるかという関心と

亡国の姫君と聞いただけで、今までにない興味を抱いた。


アルフレートはそれまで朝5時に教会へ行っていたのを

繰り上げて、4時に教会へ行くことにした。

4時半までは教会内を清めあげ、自分が祈りを捧げるためだ。



”祈りの時間こそ心の所作であり、神を思うひとときだ。”


彼女を確認できたら

5時半までまた祈るのだ。ー 心のままに。



どこまでも信仰深い男である。


だが、彼の心には信仰とは別の ー

そうした感情の芽生えを

アルフレートに自覚できる器用さはない。


他人の心の機微を窺うのは苦手だ。

自分の心には神がいるのだから、それで十分だった。




当時、ヘレナは16歳、アルフレートは17歳

アルフレートは4時に教会へ来た。もちろん、ヘレナを見るためだ。

朝の早起きはたいてい辛いものだが、彼にとってはなんでもない。


早く、どんな少女か見たかった。


一通りアルフレートが祈りを捧げた後

アルフレートは教会の窓からこちらへ向かってくる人影を見た。


現れた少女はお供を外に待たせて

静かに教会へ入ってきた。アルフレートは思わず柱の裏へ身を寄せた。


少女はアルフレートに気付かず

真っ直ぐ前を見据え、そのまま音もなく祭壇の前に跪いた。


朝靄の中の静かな空気が彼女を包む。



華奢な肩、真っ白な手を組み

何事か小さくつぶやき、見上げる瞳はかすみ色。

そして静かに目を閉じた。

閉じた瞼から落ちる影、蝋燭の灯がその影を揺らしている。



アルフレートは

そのどこまでも厳かな空気感をまとった美しい少女に

自分の中の神を見た。



その少女は彼の知る”女性”というものではなかった。

アルフレートの知っている女性は

派手な装飾品を身につけていて

傲慢な自信を見せつけ、肉感をあらわにした服を着て

男を惑わすようなものだった。


アルフレート自身はそうした欲すら

神の名の下に、自分を厳しく律していた。




だから思春期の男子特有の腰を屈めるような真似はしない。

アルフレートはそんなものに屈しない。

屈めてどうする。貫け、俺の意志。

威風堂々。

騎士団内でそれを見た者は皆、敬意を込めて口を揃えて言った。



『 アグレッシブ ジェントルメン 』

(すっごい男前:意訳)




不定期に訪れる下半身の猛りだって、彼は自粛などしない。

なぜならアグレッシブ ジェントルメンだからだ。

むしろ、彼はこう思っていた。

(単なる生理現象を何故恥ずかしがらねばならないのだ)


見せつけまではしていないが

見せられたら思わずこっちが目線を外すだろう。


チラッとは、見るだろう。見ちゃうだろう。



そんな

自分に似た厳格さを少女にも感じる。

親近感に近いものだった。








それから、毎日。


彼女を観察という名のストーキングをした。


ちょっと気持ち悪い男である。

人によってはちょっとどころではないだろうが

彼にやましい気持ちはない。



将来王妃となるこの少女に仕えるだけの

それだけの資質があるのか確かめねばならない、

という彼なりの言い訳もまた一理ある。


本人にストーキングの自覚はない。

ただ、知りたいだけだ。




彼女の周りの人間は

婚約者として全く、ひとつとして

彼女を悪く言う人間はいなかった。


城にいる人間は愚かな者が多いがその者をおいても

彼女が無欲で献身的であるように言った。


勤勉で、努力家。

不平不満を漏らさずただ沈黙し、ほほえむだけ。


誰もが彼女を慈悲深く

何事にもほほえみを絶やさない人間だと評した。


そんな話ばかりを聞くうちに

彼自身の妄想も、期待もどんどん膨らむ。


アルフレートのヘレナ観察日誌の記述が大変なことになる。

”すごい”という言葉が乱立する小学生の日記みたいになった。




アルフレートは非常に頭脳明晰だし

観察力も鋭く、その上女性には大変好ましい容姿を持つ男性だ。

男性にしては美しい顔を持ち、金色の長い髪は編まれ

肩に乗せられ動かない。

その瞳は髪の色より濃いトパーズを思わせる。

どこを切り取っても、美しい。


ただ、すごく残念なイケメンなだけだ。


彼こそ静かに佇むその姿は聖人で

中身もそこそこ聖人ぽいが、ヘレナが絡むと凡人だ。


彼の目に映るヘレナはもはや、”人”ではない。




毎朝通う教会で、その少女はアルフレートに気付く。

ヘレナは本当は最初から気付いていた。

眠気を瞬時に吹っ飛ばす存在に、若干、引いていた。

(朝、4時半なんですけど、ナンシー)




その日の朝、アルフレートは

祭壇の燭台が大きくずれていたのを直している所だった。



「おはようございます、ケンドリッジ様」

ヘレナは静かにほほえむ。

その時の胸の高鳴りを、アルフレートは忘れない。


( ー 神はここにいる)


彼に偶像崇拝などと言う愚考はないが

彼女がそうであればいいのに、と思う分には

十分なほど彼女はすでに彼の中では勝手に出来上がっていた。


アルフレートの思う、”人”かどうかは別だ。


ヘレナはその大きくずれた燭台の手伝いをして片付けまで手伝った。

「ヘレナ嬢がお手伝いすることでは ー」


「いいえ、一緒に直した方が早く終わりますでしょう?」


ヘレナはほんの親切心だ。

と、いうかそこにいたら祈れない。

早く頭の中で予習・復習したいんじゃ〜。




アルフレートはこの日の日誌にこう、記す。

『 彼女は、私が求めていた人間だ。


  彼女こそこの国でその存在を崇められ


  みなを導く人に違いない。


  ー 彼女を 支えねば 』




それからは、彼女の行動も言動も

アルフレートはすべからく信じたし

ほぼ傾いて崩れかけた財政の立て直しには相当苦慮したが

彼女に報いたい一心でやり遂げた。


一人ではなかった。

彼女も一緒になって仕事に従事した。


徹夜もした。


彼女の佇まいが崩れることは一度もなかった。


王妃自ら、財務・外務に関するすべてを洗い出し

対応と協議に参加した。



また、王妃となったとき

アルフレートは王妃ヘレナに騎士の誓いを立てる。


彼は騎士でもあったのだ。

自分を聖騎士と名乗っていた。

驚きだよね、気持ち悪いよね、うん、わかる。



アルフレートの家系は、教皇筋であるにもかかわらず

代々騎士団に属する聖騎士でもあったので

ギリ気持ち悪くない、気色悪いだけだ。


その行いは常に正しくあるべきで、正しきものの為に剣を振るい

自分達が信ずるものこそが、正しいものだった。


だから、彼ら聖騎士は神に騎士の誓いを立てるのだが

アルフレートは違った。

彼にとっての神は ヘレナ王妃、ただ一人。



こわ〜い。



ヘレナ王妃が事前にその事実を知っていたら

全力で断っていただろう。

だが、ヘレナ王妃は静かにその誓いを受け取った。


彼女は国を、彼らを守ることができるなら

自分の命を差し出すことぐらい、なんでもないと思っていた。

自分は神では、ない。

その正しさとは、わからない。


その愚直な、純粋さが

アルフレートには眩しかった。



アルフレートのストーキング具合はこの度合いどころではない。

彼は知っていたのだ。

ヘレナの結婚が真っ白であることを。



この当時、婚儀後の初夜の後

必ず教会のチェックが入る。


 ー なんの?


無事”貫通工事”が済んだかどうかさ、お嬢さん。

HAHAHA、"未通娘"であったかどうか教会の人間が調べるんだよ〜。

結婚前の不貞がなかったことを証明してくれるのが教会。


恐ろしいことざます。


それが、王族に嫁ぐ、ということ。

だが、ヘレナにそれはなかった。


寝所にいた形跡すら、なかった。


その理由を、アルフレートは後に知る。



だからアルフレートはヘレナ王妃の純潔さ

まさしくヴァージン・クイーンであることを誇りに思い

その崇高さに心が引き締まった。


自分もチェリーな部分を持つからこその

仲間意識だったのかもしれない。


互いに王政に勤しみ、互いに清廉潔白だ。

益々、王妃ヘレナを崇めている。


もし、ヘレナがアンソニーと本当の意味で夫婦になっていたら

アルフレートはこんな国のために頑張ろうだなんて

ヘレナのためならと少しは思ったが

王妃をそこまで神格化してなかっただろう。



そんな彼が、王族たちの享楽に寛容であるはずがない。

アルフレートが最も嫌悪したのは王、アンソニーだ。

彼がアンソニーを見る目は汚物を見るようなもので

常々、それ自体(アンソニー)を消毒したいほど嫌悪した。


同じ”ア”から始まる名前ってだけで改名を本気で考えた。



(あんなのが王妃の横に立つだなんて、不敬にも程がある)



そしてある日、ふと思う。

(王妃も王妃だ。 ー 阿呆(あんなの)をそばに置いて何を考えているのだ)


アルフレートは王妃に尋ねることはない。

彼女に話をするときは、必要最低限。

それだけで、彼女は頷き、ほほえむ。

そして、アルフレートも大満足だ。



なのに、ヘレナが王族にその名を列しているということを

アルフレートは許せなくなってくる。

(彼女が汚れてしまう。)



そして、もうひとつ。

アルフレートには許せないことがあった。


大公 将軍 ユージーン・エルンハスト


彼がいつもいやらしい目で、王妃を見ているのを

アルフレートは蔑む目で見ている。

王妃を近く拝することですら尊いことなのに

エルンハスト公は、がっつりガン見している。不敬すぎるだろう。


自分など恐れ多くて目を合わすことすらできないのに...




(...邪魔だなぁ、あいつ)




同じ騎士団にいた頃から知っている。

あいつはみんなに慕われて、みんなを助けるやつだ。

少しも偉ぶったりしないし

少しも騎士道に反するようなことをしない。


理解はしている。

だが、男として自分がユージーンに劣っていると思わない。


自分の王妃を思う気持ちはそんな俗物ではない。

王妃をもし、自分のものにと思うことが不敬だと思う。




けれど王妃を一番理解できるのは、自分だけだ。




いつしかアルフレートは

彼の中に芽生えたその感情の処し方がわからないまま

こじれにこじれたヘレナへの思いを

彼女がどうすれば納得できるか、にまで

”本人不在”で勝手に昇華してくれた。



本人に聞けるようだったら、彼のことだ。

熱烈にヘレナを口説いたことだろう。

一般的な口説きではない。 ー 


それを聞かされるヘレナは

神に関するうんちくや、神の尊さを延々聞かされるのも

それも一種の苦行になっていたかもしれないが

だが、きっとアルフレートの思いを聞くだけ聞いたのだろう。


アルフレートの思いはヘレナの知らぬところで

一気に加速していった。









(ー 彼女を”神”にしよう)




ビショップはクイーンの後ろ斜めに隠れ並ぶ者たちに目を付けた。


(まずはあいつを何とかしようか ー)





その行いは常に正しくあるべきで、正しきものの為に剣を振るい


自分が信ずるものこそが、正しい。





だから、アルフレートは善くあろうとした。











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