第9話 聖なる男になるために
(そんな呪いのわら人形より不確かなことを
俺がするのか ー?)
ユージーンの頭はその事実を受け入れようとはしている。
努力中だ。
軍師はあらかた説明はしてくれたがそんなもの絵空事だ。
現実味がちっともない。
「 シュレーシヴィヒ家に伝わる術だ。
嘘の類ではない、が
男でこれをするのは将軍、お主が初めてだろうよ」
”還る魂の儀式”と、言った。
「これで、ヘレナが?」
何度聞いたかわからないが、脳が理解を拒んでいる。
(こんなことを? 俺が? なぜ?)
羊皮紙に書かれていることはまったく意味不明だが
それをすることに、自分がここにいる理由を求めている。
喉を鳴らして笑いだしたのは軍師だ。
「ん? あぁ、これは失礼。
お主を”おかしい”と思ったわけではない。
”藁にもすがる思い”とは言うが
”羊皮紙にすがる自分”におかしくなったのだ。」
軍師は言いながら、その辺で先ほど拾った木の棒で
羊皮紙に描かれた絵のような丸い形を移すように大小書き連ねている。
ユージーンはもうわからないことに理由を求めたところで
終わるまでは帰れないことを悟る。
(何かをさせようとはしている。それが何か ー)
それならば、事の終わりまでやるまでだ。
軍師の狙いを知りたくもあり
軍師の言う通り
これでヘレナが戻るなら、羊皮紙にだってすがってやる。
「何をされているのだ?」
ユージーンは自分を囲む丸い形の真ん中に立たされている。
「準備だよ、将軍殿」
「見たことのない文字、だが」
ユージーンはその丸い形をかたどるように書かれた文字を見てつぶやいた。
「妻は読んだ」
軍師は言った。
背中越しに聞く声は珍しく優しげだ。
聖女がするものだ、と聞いた。
それこそ眉唾だ。
聖女なんてユージーンは見たことがない。
この世界、どこを見渡そうとそういう存在など皆無だった。
軍師は書いてはその場を離れ、羊皮紙と照らし合わせつつ
ユージーンに語る。
「女がこれをする理由は簡単な話だ。生娘に限るのだろうが
雑念が少ない、意志の想いが強く出やすい。
性的干渉の欲の波が低い。....さて、こんなものか」
軍師は連なる円の淵に何やら粉のようなものを振りかけている。
「女と違ってオスはどうしても雑念が...」
言いながら軍師は頭の辺りをクルクル回して同意を促した。
(あぁ、確かに。)
ユージーンも概ね同意だ。
「だが、ものは言いようだ。
真実の愛があるならば、どちらであろうと起こせるそうなのだ」
軍師は自分の描いた円の文字を見つめている。
少し大きく息を吐きつつ言った。
「生きてそれを見るとは思っていない。
そんなものでどうにか成る様なことがあってはならん。
こと、戦争は ー。
ふ、だがどうだ。
わしは軍師でありながら
生娘でも今時信じないような
御伽話の魔法使いにでもなったようなものだ。」
描いた後棒を杖の様にして、深呼吸をした。
「さて ユージーン・エルンハスト卿。
見せてくれ。 その奇跡とやらを」
キングはようやく動き出す。
「なにをすれば...」
ユージーンは半裸である。
「うむ。 祈れ 」
半裸で祈ることに何の意味があるのかユージーンにはわからない。
今まで教会だって行った事もあるし、祈りというものは知っている。
王妃が亡くなったときを見たしその時だって悲しかったし
生き返るなら生き返って欲しかった。
今だってすごく悲しい。ちなみに語彙がアレなのは
本人が本当にそう思っているからである。
悟ったというものの
なんでこんなところにいるのかわからない。
半裸なのも結構キツイ。
そう。だから思い返しても
フィオドア伯爵のいう”奇跡”なんてものは起きなかった。
フィオドア伯爵は羊皮紙に書かれている文字を読み始めた。
『 とんだおそらに かさをさし
ゆらゆらゆれる ゆりかごに そぉーっと おててをのばしてごらん
あなたをのぞく おめめに おいでおいで こっちだよ
おねむのじかんは まだまだ むこう
はなのなかに おひさま あたる おほしさまに ひかりをあげる
やーっとみつけた こっちだよ 』
真顔で抑揚のない声で読むフィオドア伯爵に
ユージーンは震えた。
今日は震えっぱなしだ。明日は風邪でも引くのだろうか。
「そ、そのようなことが書いてあるのか...」
もっと大層な呪文のような難しいものかと思った。
フィオドア伯爵は真顔のままだ。
むしろ、真剣な顔をしている。
軍師はおもむろに服を脱ぎ出した。
(おい待て、オッサン。お前も脱ぐというのか。
やっぱりソッチの人間なんじゃ...)
フィオドア伯爵は脱いだ上着とシャツを放り投げた。
やだ、かっこいい。とは思ったが
”抱いて!”とまでは思わない。
「 オスはもとより生物の本能としての雑念がある。..邪念とも言うべきか...
これはかなりの苦行だな 」
苦笑いをした。
集中力の話じゃないことはユージーンもわかっていた。
フィオドア伯爵は齢60を越えているというのに
その肉体には衰えが見えない。
幾戦の死線を超えてきたその体には無数の傷跡が残っている。
正面には右肩から左脇腹にかけて大きな剣による傷があった。
ユージーンは軍師の古傷に息をのむ。
話には聞いていた。
彼が軍師でありながら、前線で将軍として剣を振るっていたことを。
だが、その正面の傷跡こそは
彼が大国アルデラハンで受けたものだ。
その後に、ここにきた。
なぜこの国にいるのか、ユージーンは詳細を知らない。
ただ、旅に飽きた、と本人は言っていた。
もちろん真に受けてはいない。
ただわかっているのは
軍師は自分の補佐として王妃に任命されたこと。
親しくはないが、時々チェスをすること。
酒がめっぽう強いこと。
何の因果か、軍師自ら服を脱ぎ二人で半裸、森にいること。
軍師はユージーンと向き合って言った。
「わしの雑念はとうの昔に解き放たれたが
卿は盛りの頃であろう。
うまくいくかは、お主次第、というところだ。」
真正のおっさんとややオッサンが二人、向き合っている。
「ひざまずけ」
軍師はくすりともしない。
この言葉だけを切り取られたら
それはもう獄門に立つ鬼か何かに処せられる罪人だ。
ユージーンは混乱こそしてはいないが
この状況が飲み込めずに、ただ軍師を見て跪いた。
膝立ちで二人は向き合った。
「手をー」
軍師は両手の平をユージーンへ向けた。
(まさか手を合わせろとー?)
軍師は目配せして促す。
ユージーンは真夜中にこの森で
誰にもこの半裸の男二人の姿を見られないことを祈り
手を合わせた。
”あったかかった。” ー のちにユージーンは語った。
「あの言葉を二人合わせて言う。
一言一句、間違えずに。
それが始まれば、わかるという」
軍師は至って大真面目だ。
(これがうまくいくかは、この男にかかっている、
王妃への想いが本物かどうか、見せてもらおう
若き将軍よ。)
「良いか、 ー、内なる想いは清き水が湧く如く澄み
灼熱の炎の如き燃え盛る。
お主の心に消えぬ”運命”を 引き戻すのだ」
その言葉に ー 意識せず
「 ヘレナ 」
ユージーンはその人の名を呼んでいた。
還ってこい、ヘレナ
俺の元に
還って こい。
この、ユージーンと軍師の願いは
王妃の亡くなってその夜から白々と、夜がほんのり明けるまで行われたが
何も起こらなかった。
半裸のいい年した男二人は、ものすごく気まずい気分になってはいたが
やり切った感は近年稀に見るものだった。
最終的に合わせていた手はいつのまにかしっかり恋人握りし、握られ
オッサン二人は目に涙を称えつつ、高揚するまま見つめあって
抱きしめ合った。 ー 美しい絵面ではない。
二人の間に何だか別の感情が芽生えそうだ。
しばし見つめあった後
お互い口を開くことはないまま
シャツに体を包み、まだ暗闇の残る空を仰いだ。
( 俺の雑念が不味かったか...?)
ユージーンは思う。
たしかに、たしかに彼女を強く念じたし
彼女を想うたびに、その手を強く握った感覚に陥った。
と、同時に勝手に脳内再生される
ヘレナのあらわになった皮膚の白さや
芳しい首筋の艶かしさに、勝手に気持ちも盛り上がった。
(仕方ないだろう、あんな姿 ー)
今ですら盛り上がりそうだ。
これが雑念ー。
そして残念。
だがー。
運命の渦潮の潮流に、男はその心を呈した。
運命はシュレーシヴィヒ家の秘密に宿命を手渡した。
なぜなら
その絵の円の中に浮かび上がる文字に
軍師は
”運命”の神に、二度目の感謝を告げることになる。
”審議中に付き 待機”
現れた文字の不思議さといい
この術自体の怪しさが漂うものの、どうやら伝わってはいるようだ。
”待機”という意味が一番良くわからない。
審議とは何を審議するつもりなのか...。
うまくいったのかどうかはわからなかった。
それだけでもなぜだろう。
オッサン二人は握手どころか無意識に
強く抱き合って、互いの頬にキスしていた。
(わしはこの男に惚れ込みそうだ)
軍師は愉快になる。
「 あとは ”いつ” 。 ー さて、次に行くとするか」
軍師は森の帰り道、鼻歌を歌っていた。
こう見えて、軍師はまだまだやることがいっぱいだ。
今日はもう、女帝の国葬だというのに、だ。
なのに、希望に似た何かが
目の前を切り開いたような気がした。
駒はもう、揃ってる。
“人間ってほんと欠陥生物。
大部分の人間が人を憎むのに努力はいらないのに
愛するには多大な努力を必要とするの”
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