第8話 シュレーシヴィヒ家の秘密






(ー 姉さんが亡くなってから、そういえば来てなかったな。)

ヨアは思い出していた。




「やぁ、これはアレクサンダーさん」

ヨアは手を差し出した。

「私は馴れ合いをしに来たのではない、ヨア」



ヨアは困った顔をして出した手を戻した。

実際のところ、この人にはどんな表情をしたとしても

無駄なように思えた。



ヨアはアレクサンダーにソファを勧め、自分は蒸留酒をグラスに注いだ。


「ーでは、今日はどのような御用件で?」




琥珀色の蒸留酒は深く短い音を立ててもう一つ

グラスに注がれていく。

「ークリスタルかな」

アレクサンダーはグラスを見ている。

美しく光を反射するグラスに蒸留酒が揺蕩う。


「えぇ」

二つのグラスを手にしたヨアは

一つ手渡すとアレクサンダーは受け取った。






「国葬は、明日大聖教で執り行われる。」

手に持つグラスは動かない。

アレクサンダーの静かな声が部屋に落ちていく。



ヨアはグラスの琥珀に目を落とす。


頷いた、ほんの小さく。

わかってる、ほっといてくれ、と言うようだ。









アレクサンダーはグラスを飲み干した。


「すまなかった」


いきなりの謝罪に、ヨアは目を上げた。

「大事な義妹を、私は守ることができなかった」



ヨアは驚いたが、特段怒りも湧かない。

(そんなの、当たり前じゃないかー)





妹は王妃だった。女帝になった。

彼女は守られるためにそこへ行ったのではない。

むしろ ー。

「生贄のような日々だっただろう」



アレクサンダーは言いながら、苦虫を噛み潰したような顔をした。




なぜかアレクサンダーの言う”生贄”という言葉にヨアは

妙な回答を得たように、腑に落ちた。




アレクサンダーの目には怒りがいた。

(この人は、こんな顔をするのか)

ヨアは可笑しくなった。笑い出しそうな可笑しさではなかった。

初めて義兄と義弟として対峙したアレクサンダーという男を見て

表情豊かだと気付けたことが

この現実離れした状況にさらに色を付けた。


そういう可笑しさに、ヨアはまた下を向き

グラスの中につぶやいた。



「みすみす手渡した馬鹿は、こっちだ」





泣けるわけがない。

女帝になり、君臨する妹の姿を見て喜ぶ家の人間はいなかった。


そこには幸せだというカケラもないほほえみをする妹がいた。


婚約したその日だって、家の中は葬式みたいな暗さだった。

明日はそれが本当になるだけだ。



会いに行っても会えない妹に

もう、家族と呼べない立場になった妹に

今更泣くことを許されるはずもない。



今頃、父は領地を出てこちらに向かっているだろう。

後悔しているのは自分だけではない。



家を出る娘を見送る背中は

怒りと不安、そして母への謝罪が伺えた。



同情を向けられる眼差しに


王族への椅子欲しさと嘲りを浴びるその立場に


父はただ、悔しかったはずだ。










部屋に静寂が訪れる。




アレクサンダーはヨアを見た。

妻に似た眼差しは優しさに溢れている。


先代とそっくりな茶金の髪色は顔の造形を際立たせ

その俯く顔すら、憂いを帯びた花の様だった。


筋肉質な肩から伸びる長い腕、均整の取れた肉体。

姿勢に狂いのない筋と、気配の律し方。


剣を持つその手は戦闘を考えてのことだ。

両利きにするためだろう、両手は剣だこのできた堅い手。




ー努力家。




この家の人間は皆、 ーそういう性質(タチ)なのだろう。



「ここに来た理由は ー 君の家に伝わる話だ」

ヨアは顔を上げる。ただ、漠然と声が出た。

「 どうしてそれを ー 」


当主になったその日、告げられた話。

それは嘘か真か、信じがたい話。

ただ、公にすることはない一族の、そんな話。


そこにいるのは軍師、フィオドア伯爵だった。

ヨアの知る、アレクサンダーはもう居なかった。

「 ー 私も端くれ者だ」






軍師の顔で微笑う。


「”できるがやらないという言葉に、できないことを言い訳にするのが嫌だ”と

 ー 我が主は仰るのだから、こうしてここへ馳せ参じたのだよ」




その言葉は ー。



ヨアはようやくー


そんな姿は見せまいと、グラスを天に仰いだ。

飲み干したグラスを置き、軍師を見た。




『還る魂の儀』





魔法を使う者は、もういない。


唯一、シュレーシヴィヒ国の王族直系が許された術。



それだって、国が無い今

方法も、内容も

定かではない。




軍師はヨアにいう。


「転生させ、呼び戻す」


「まさか、ヘレナをー?」

頷く軍師にヨアはなお、言葉を投げる。

「無理だ、第一に方法が ー」



この家のは家系図だけ。

「家系図...」

ヨアは立ち上がって後ろの机に出されている本を手に取った。

何度か手にしているが、普通の家系図だ。


軍師は本に手を出してヨアから受け取り、眺め、本を一周させつつ

そして口元を綻ばせた。


「勝機が巡ってきたようだ」



何のことだかヨアはわからなかった。


「なに、昔いた国でね

 とある魔女がそんなことをしたという記述をみたのだよ。」



魔女と聞いてヨアの胸が跳ね上がる。


シュレーシヴィヒ国は唯一、その術を許された。

魔女の系譜。



軍師は胸内側から小さな短剣を取り出し

その先で本の背表紙をめくり上げた。


薄い羊皮紙が幾重にも折り畳まれて

丁寧に本に密着されていた。



「こんなものがー」


ヨアは見つめたまま動けなかった。

軍師はさらに丁寧に羊皮紙を剥がしとり

テーブルに置いた。




「祖父の言う通りだな。


 棺おけに片足突っ込んでても


 勝負はまだ、わからぬ」


軍師は言いながら羊皮紙を胸ポケットにしまい込んで立ち上がった。




「そ、それをどうやって」

ヨアも立ち上がる。


「 ー 長いこと 詰まらぬ役をやってると たまに忘れるのだが


 駒自体が、変化することがある。


 それを東の最果てでは”成駒”と言うらしい、が。


 そのために必要なのが ー 」








言いかけて、軍師はアレクサンダーの顔になる。


「 ”愛”と、ー 教えてくれた 」


穏やかにほほ笑みを浮かべた男は

胸ポケットをポンポンと軽く叩きつつ、ヨアに言った。




「わしはどうやら 君の家系の女にこき使われる運命らしい」





フィオドア伯爵は部屋から去った。


ヨアは不思議な気分だ。





なぜかわからないが、希望に似たものが溢れている。

明日は女帝の国葬だというのに


少しも先ほどまで感じていた悲壮感はなかった。















ヨアはテーブルの上の家系図を見た。


剥がされた羊皮紙の下に、書かれた文字は


『この愛に誓う』


だった。


ヨアは目頭を軽く抑えて、本を持ち上げた。

書かれた文字は誰のものか、わからない。



(その名にバツを書くのはまた今度だ ー


 なに、いつでも書けるものさ。そんなもの。)




このあと、父上はここに来るだろう。

久しぶりに、チェスでもするか。ー。


クリスタルのグラスは、光を放っている。
















夜中、なぜ呼び出されたのかわからないユージーンは

フィオドア伯爵に手渡された羊皮紙を持たされ、告げられる。



「将軍殿、貴殿の想い、とくと拝見させて頂こう。」



「 ? フィオドア伯爵、これは一体何を ー」




ユージーンは森の中で半裸だ。


時節柄、冬だ。冬の森で、こんな時間に

なぜオッサンと二人きりで自分が服を脱がされているのかわからない。


(は、伯爵は同性愛(ソッチ)の人間か ー?)


ユージーンは思わずケツ筋に力を入れた。





軍師はため息混じりに、呆れた口調で言った。


「何やら思い違いをしているようだが


 わしは妻しか愛せぬ男だ、許せよ。



 ー わしが知りたいのはお主の ”心” だ」






ユージーンは震えた。


心底、自分の貞操(ケツ)を軍師から守れるか不安だったからだ。



ケツ筋に力は入ったままだが、ユージーンは軍師の狙いを見定めた。

( 俺になにをさせたい? ー)


手の中の羊皮紙にはなにやら幾何学の丸い形のような

見たことのない文字が書かれている。


(これで、なにをするつもりだと言うのか)


まだ、わからない。




軍師はユージーンから少し離れたところで

何か探し始めた。



暗い森の中で、将軍と軍師。



その狙いが、ユージーンには

わからない。

奇人ではない人だ。何か考えがあってすることだ。

それはわかっている。


だが、ユージーンに知りたいと求められたのは”心”と言った。


( ー 心? 軍師もとうとう焼きが回ったか?)


馬鹿にしているのではなく、将軍として心配になった。

言葉足らずの軍師に、より一層の質問を投げるより

ユージーンは意味もなく空を見上げた。



真っ暗な中に、自分だけがポツンといるみたいだ。




女帝の死んだ日の夜は

空が真っ暗で、月もいない。

森の中はより暗い。


今、大聖教の教会では女帝の亡骸が棺に静かに横たわり

彼女の歩んできた道を、誰もが振り返り

そのたゆまぬ努力と功績を讃え

涙した。


そこに息子アーサーの姿はなく

訪れる人々は憶測を噂する。


あらゆる女帝の品位も品格もその行いも

ただ、王と王子を守ったと

そう噂する者もいれば

いい様にやりすぎた結果だと嘲笑う者もいる。



知らない者は口すがないものだ。

例え、それを知っていたとして

今や後の祭りだ。


彼女がどういう人間で、どういう思いで

この国の王妃であったかということはもう、憶測でしかない。



王妃としての彼女は完璧で

誰もが認める王妃たる王妃。


それなのに、王妃の素顔を知っている者はいない。


その悲しさを誰が弔うのだろう。

その侘しさに、誰が花を手向けるのだろう。


誰も、いない。




それなのに森にいる

彼らを囲うそのあたりには次第に

ほの明かりで照らされて

これからをまるで暗示しているようだった。





ただし、将軍ユージーンその男。


彼にとって軍師とのこの森でのやりとりが

まこと、苦行であるのか

誰にも黙することになるのか

それは神の味噌汁、いや、神のみぞ知ることになるのだった。





かき混ぜられた運命はまるで大海の渦潮のよう。


そこにただ一筋の光として

シュレーシヴィヒ家の秘密が差してきた。





抗うことのできないその潮流に

今、男は立ち向かおうとしている。










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