第10話 ヤツが くる
私、転生先を間違えたのかしら?
それとも、フィオドア伯爵の頭がおかしくなったのかしら?
「今何と仰って?」
ほほえみを装う私に対して
フィオドア伯爵は見たことのない笑顔だ。
こわい。
この手の人の笑顔ほどこわいものはない。
気味もわるい。
顔はいい。渋い。そこがいい。
「 申し上げた通りですよ、”王妃殿”
お待ちしていました。」
クレイトンお兄様はフィオドア伯爵を目を見開いて見つめてる。
えぇ、わかります。
私も同じ気持ちでしてよ!!
ー なぜ? 何なの?
なんで 知っているの?
どうしてバレたの ー?
私は今、転生始まって以来
初めての試練に立たされている。
思わず令嬢ムーブも、令嬢ワードも鳴りを潜める。
どうしよう、はっちゃけて
「は〜ぁい!戻って来ちゃいました〜ぁ。」
と、言うべきか?
違うな。
「地獄の底から戻ってきたぜ、ベイベー」
親指立てとく?
これも違う。
「恥ずかしながら、帰ってまいりました!」
敬礼しとく?
なんか色々不敬だわ。
ええい、ままよ。
ほほえみつつ、しらばっくれる。ー これだ。
「 ほほ、どなたとお間違えかと思いますれば
恐れ多くも王妃様とだなんて、お父様ったら、うふふ」
言い逃げ切れるかー。
軍師は目を細めたが、まだ笑顔だ。
「 おや、王妃殿も人が悪い。
ようやくこうして”待機”が終わったというのに。
今は再び、相見えた事を喜ぶ瞬間かと ー。」
(待機? 何のことかしら)
私もかろうじてほほえみつつ受け流す。
(できたら相見えたくない人、ナンバーワンだわ)
ここでバレた後の方が面倒だと直感がいう。
囁くのよ、私の何かが。
しばらくルイーズでいさせてほしい。
いや、それだって結構な面倒になってはいるのだけれど。
何より面倒なのはフィオドア伯爵だ。
よりによって転生先の父親がこれだとは ー。
このたぬきちならぬ、たぬきじじ、コホン、失礼。
たぬきち軍師はほんっっっとうに扱いに困るお人なのだ。
女帝時代は、よく困らせられた。
徴光(しのび)あるきが趣味のような人で
お供は連れず、そのなりはとても貴族には見えない格好だ。
良くて、旅人。
平時、狩人のような黒革の鹿撃ち帽を目深にかぶり
年季の入った黒革のコートを羽織り
簡素な黒のパンツに脚絆(すねにまくぬの)を付ける。
スカーフは外出時、鼻まで覆っているものだから
盗賊か犯罪者に見えることこの上ないだろう。
事実、各所の門でその怪しさから毎度衛兵に捕まると聞いていた。
わざとやっているようにしか思えない。
そうして、”わざと”捕まったらちゃんと私に報告が来るのだ。
『異常 なし』
分かってるっちゅーねん。
お前だ、異常なのは。と、米粒ほど思いまして
その度にまた、ふっといなくなるのです。
聞きたいことは山のよう。
教えてくれはしないこと。
聞きたければ、こちらも頭を使うこと。
そう、ただで教えてくれることなど
ひとつとしてなかった。
お金で動く人でもない。
名声でも地位でもない。
その裏の意図を読み取れ、いつもそう仰るような
やり方です。
私がこの国へ嫁いでから王妃となったその日
フィオドア伯爵と面会の際、初めてその素顔を見た。
あぁ、そうそう。
フィオドア伯爵は私のお義兄様、と言うのが正しいのだけれど
本人はそう呼ぶと眉をしかめて嫌がるので
”叔父様”と呼ぶことにしているの。
嫌がらせに”お義兄様”とお呼びすることが増えそうよ。
過去の話でしたわね、
執務室ではなく、自分の部屋に呼んだのです。
言っておきますけれど、私は王妃ですからね、
やましいことをしようと私室に呼んだのではありませんよ。
私はこの国で、自分が馬鹿にされていることを知っていた、
王子の阿呆は元より、誰も王政になんぞ期待はしていなかった。
国は緩やかな自死を迎えるのをただ待っているようだった。
私は王妃となるにあたって
この国の腐敗を目の当たりにしていた。
それに甘んじる王族も、阿呆にも苛立った。
この国を根底からどうにかするなら
いつか来る困難に立ち向かうため
どうしても強い駒が必要になる。 そのために。
その為には、彼と二人きりで世辞抜きの
ガチンコ真剣勝負をするしかない。
じゃなければ、軍師はきっとその社交辞令とやらで
この国の滅亡をほくそ笑むのだろう。
”この国は、決して滅ばない。ー 私が守る。”
勝つ必要があった。彼の天才的頭脳と
その謀略的行動力は手に入れたい。
即位の儀の後、現れたその人は
あの胡散臭い格好の人とは思えないほどの
柔らかな態度と、優しいグレーの目。
貴族の姿は若々しく、凛々しくもあった。
このお人は昔から、年おさない若い娘に騒がれる質をお持ちのようだ。
わかっていたことよ、
軍師のほほえみ、それら全ては社交辞令だということをね。
メラメラと私の胸に火がついた。
”王妃なめんなよ”
何年、それを浴びてきたと思うとんねん。
小娘上等、それならば
どうぞ油断をしてくださって構いません。
こちらにも考えがあるのです。
ー そんな風に意気込んだときもありました。
だから、あの勝負の日を思い出すと転生したのに胃が痛む。
だからこそ、負けられない勝負が今、ここにある。
どこかで聞いたようなフレーズだがまぁいい。
私は賭けに出る。
「お父様までそのような世迷言を。ふふ、幽霊でも見たのかしら?
ー 降霊会の類でもいたしまして?」
軍師の目に、鋭い光がよぎった。
「 ふ、 降霊? 陳腐なものだ。そんなものではない。
ー 我々が呼び戻したのは、そう
あなたなのですよ、王妃”ヘレナ”殿。」
私の口元が引きつる。
クレイトンお兄様がソファから滑り落ちた。
横目でお兄様を捉えつつ、私は軍師を見た。
ほほえんでいるたぬきち軍師は”勝ち”を確定したような顔だ。
わざわざ名前出すあたりがほんっと、性悪。
はらたつ〜。
いや、まだだ。
勝負はついていない。私は認めてないもの。
「..私、森で落馬いたしまして
ー なんだか頭がぼうっとしていますのよ、お父様。
今日は一旦下がらせて..」
目覚めよ、令嬢ムーブ。
具合が悪くなったと言って引き下がるのは癪だけど
ここで私が王妃ヘレナであることを認めるよりはいい。
「ふむ。 そうでありましょうな、王妃殿。
ー 落馬してルイの体になったとしまっては多少の動揺もありましょう。
しかし、思い出すものですな、
初めての盤上での勝負は実に見事な手であった。ー あの手は」
”待った”
「お、お父様〜。の、喉が渇きませんこと?」
私はそれ以上、喋ってくれるなよオーラを発する。
やめて頂戴、それ以上私の過去をほじくらないでください。
お願いします。
軍師には痛いところばかり突かれる。
そればかりか、自分の踏む手が悪手であることを自覚する。
軍師にとってそれはもう答えのでているものだ。
赤子の手をひねるより簡単なことだろう。
私は身震いする。軍師の件ではない、直感的な身震いだ。
よくないことが起こりそうな、そんな。
( ー? 悪寒?)
遠くで何かバタバタと音がする。
何かあったのか、この家中が騒がしい。
近付いてくる足音は数名か、幾人か。
なんなの、ここの警備ガバガバなんじゃないの?
今はそれどころじゃー。
ドアが勢いよく開かれた。
私は ー その男を知っている。
「ヘレナ!!!」
息を切らせてる。
あら、あなたもなのね、動かなくなっちゃったわ。
私を見てみんな固まるのね。
大公 将軍 ユージーン・エルンハスト。
なぜ彼がここへ?
あぁ、そうだった。
今の私(ルイーズ)は彼に婚約を打診されていたのだった。
全然変わってない。
そりゃそうか、3年だものね。
でもあなた、帯剣してないわ。もしや忘れたんじゃないでしょうね。
将軍が何しに走ってここまで来てんのよ。
相変わらずの一生懸命な顔。
内心、そのまっすぐな瞳に笑ってしまう。
どんな時でも、彼はまっすぐ私の元へやってきた。
よく躾けられた犬のような人。
そうね、彼は私をいつも気遣ってくれていた。
それを私は素知らぬフリをした、いつも。 ー 最期まで。
何も考えられない頭で必死に言葉だけがスクロールしていく。
将軍ユージーンが私を見つめている。
私はまた、見ないふり。
転生したかと思いきや、即バレイベント発生中。
この先、生き地獄巡り(予定)に、男装の令嬢(やや懐疑的)、
そして降って沸いた婚約事情(もはや意味不明)。
「どうしてこう、私の人生っていうのは...。おかしなものね」
認めてはいないが、つい漏れたらしい。お言葉が。
聞こえたのか軍師は笑う。
「おや、おかしなことをおっしゃるのはあなたの方だ。王妃ヘレナ。
あなたを呼び戻すのは骨が折れましたね。
何せ条件が厳しいものだった。
一つ、真実の愛を持つ者が術を行うこと。
一つ、呼び戻す者は死する前まで”清き身”のこと。
一つ、月夜のない晩、隠れ森の奥深くで妖精の目覚まし粉で描いた呪文。
一つ。上記いずれかがシュレーシヴィヒの血を持つ者であること。
この条件で呼び出し得るのは、”クイーンヘレナ”、あなたです。
そして。ー」
軍師は言いかけて、私を見る。
私の脳内は言われたことを高速で処理している。
何をしたの? 呼び戻したんだって。
真実の愛? ー 誰が? そこは保留。
清き身って、私? え? 黙秘します。
妖精の目覚まし粉って は? 小麦粉か何か?
シュレーシヴィヒ...。私のことだわ。
チーン。処理完了。
軍師の目が私の意識を確認した後
首を傾げ、下を向いて息を吐き出す。
吐き出し切った息を吸いながら、また私を見た。
穏やかに、口元を綻ばせて。
「これはあなたの秘する所でありましょうが、もはや時効。
王太子アーサー殿下は、あなたの御子ではない。」
な!!
そんな。ー...。
王子(アーサー)のことまでバレているの?...
完膚なきまでに叩きのめされた気分だとはこれを言うのだろう。
アーサーは私の実子ではない。
結婚する前からアンソニーには愛人がいて
私と結婚したすぐ後、産ませていた。
結婚式当日に愛人の妊娠がバレるなんて、あの阿呆が阿呆たる所以ね。
だが、そんなのはどうでもいい。
超絶プライベートをここにきて暴露されるという公開処刑。
私のほほえみはもう、完全に貼り付けただけのものだ。
よくもまぁ、女性を前に
このたぬきちは、いけしゃあしゃあと人の秘密をおしゃべり申すな。
よりによってそんな。
そんな ー...
呼び戻す術の条件の内にあった”清き身”がウンタラカンタラで
結局私が白い結婚だったってバレたじゃない。
黙秘の意味!!
なんという辱め。
女帝、恥ずかしい。
カッコつけてるけど、あいつ、処女だぜ〜、という
ナンシーの嘲りが聞こえそうだ。
う、うるさい。清き身の何が悪い。
私のそれは、強固な鍵で閉められた頑丈な要塞だったのよ!!!
あんな阿呆に開けられるはずがない!踏み込まれたくもない!!!!
将軍ユージーンは体をこわばらせ、目を見開いた。
きっと金縛りにでもあっているんだろう。かわいそうに。
転生してなお、罰は続いているのかしら。
ナンシー、公開処刑だわ。見て、みなさま呆けてらっしゃるもの。
(ヘレナは突きつけられる事実に凹んでおります)
軍師は深呼吸して、部屋にいる人間を見渡す。
そこにいるのは
ユージーン、クレイトン、フィオドア伯爵
そして私ルイーズ(元王妃)だ。他には誰も、いない。
穏やかで、悲しげな顔をして
軍師は、こう言ったのだ。
「 ヘレナ・マルティネス・シュレーシヴィヒ。
あなたが約束を守れずして、この世を去る無念。
まこと、シュレーシヴィヒ国の姫君ともあろう方が
ー できるがやらないという言葉に」
詰みよ。
「わかりました」
その言葉を覚えているなんて、ずるい手だわ。
私の”よすが”を振るってくるなんて、このたぬきジジイ。
とは言っても、もう私の心も満身創痍でしたもの。
これ以上の口撃は控えていただきたく思います。
ー ちくしょう。
私は疲れたようにほほえみつつ、心で激しく
上記の言葉を大絶叫しておりました。
素知らぬふりは、もうおしまい。
これでは町娘にはなれないわ。
葡萄踏みもはるか彼方へ消えていったみたい。
私はため息をついてしまっていた。
だって、負けたのよ。
逃げきれなかった。
私は死して呼び戻され、あの地獄をまた巡るのか。
「 そう、...呼び戻したのですね。
フィオドア
いいのかしら。
...クレイトンお兄様、お怪我はありませんこと?」
にこやかにクレイトンお兄様に手を差し出す。
クレイトンお兄様は慌てて声を発する。
「く、クイーンヘレナ!こ、これは失礼を!!!」
「ふふ、変ですわ。クレイトンお兄様ったら。
私、今はルイーズですのよ。」
クレイトンお兄様の手を取り、立ち上がらせながら
私はフィオドア伯爵に視線を向けた。
「さて、お父様? ー ご説明いただけるのかしら。」
私は転生先を間違えたのではない。
すでに始めから選択肢などなかったのだ。
心で馬鹿デカため息連発中。
よく聞く転生ものじゃ、やり直しで
チートもあって、愛されまくって
幸せになれるっていうじゃない。
(ウハウハしたいんじゃ〜、ナンシー)
私の場合、周りがすでに転生したのを知ってる状態だったわけね。
転生した先は大してメンツが変わらぬ状況。
そして ー。
ユージーンがようやく動いた。目を何度か瞬かせた。
あ、生きてたのね、ユージーン。
私はもう死にたい気分だけれど。
「ヘレナ!! 俺はお前を待っていた!
今すぐ結婚しよう!!」
ユージーン。
やっぱりあなた、病気なんじゃないの?
私は救いを求めるような目を軍師に向けた。
「我が国の将軍が、あなたを呼び戻しました」
私は目だけ天を仰いだ。
ユージーン。
身震いしたのはこのことだったのね。
私はあと何回、毒を食べればいいのかしら。
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