第5話 ナイトとクイーン



「兄さん、俺は結婚なんてする気はない」


ルイは腕を組んで不満そうに言った。

女性の身でありつつ、長い髪を一つに括り

出立ちはチュニックにサーコートをざっくり羽織っただけだが

凛として立つその姿は

入団したての線の細い若い騎士のようだ。






「あぁ、わかっているよ。

 いつものことじゃないか。 ーうまく断るさ」



クレイトンは縁談の申し込みと釣書をテーブルの箱に放った。



その申し込みは殆どが”令嬢”からだった。

ルイーズは女性から結婚の申し込みを受けていたことになる。



ルイーズは男性として育ってきたから

貴族社会の中の認識としては”男”として

さらに軍師の次男坊としての名前が勝手に社交を出歩いていた。



ルイーズは社交に出たことなどない。

興味もなかった。


兄がこの家を継ぐし、兄さえ社交に出ていれば

自分は幽霊のような存在で生きていればいい。



ー 昨日までは。



今日は違った。






大公、将軍 ユージーン・エルンハスト卿。



どこから情報が漏れたのか

ルイではなく、ルイーズに女性として婚約を申し込んできた。






ルイは心底、嫌悪した。

自分の立場に。

自分の性に。


結局、軍師にも騎士になれるわけでもなく

かと言って、今更令嬢になるわけでもない。




男だったら ー。




軍師として戦場を見渡したかった。

戦場の中で、自分を試してみたかった。

自分も戦場に出てみたかった。





女だから、軍師にはなれなかった。








小刻みな怒りが爆発した。


求められるのは軍師としての力量ではなかった。

ただ、女としての貴族の義務とやらを遂行し

日がなお茶をすすって、噂話をするだけの退屈な生き物になるのかー。




自分が女であることが将軍の知るところとなった今

もう、その事実から逃げられはしないだろう。

家格も、立場もある男が自分を望んだ。

断れるはずもない。

女の格好をして、ヘラヘラ笑う自分を想像できなかった。




いっそ、生まれ変わりたい。






ー 撤退か。特攻か。


逃げる、という言葉は使わない。

それは己の不利を認めた時だけだ。

幸いにして、兄はこの婚約の打診をまだ知らない。

自分(ルイーズ)宛の手紙だった。



今は ー

できるだけ遠くへ。


この辺の地理なら隣国までの土地勘はある。


隣国との国境近くには父上の機密部隊の隠れ家がある。

そこでしばらく身を潜めよう。



逃げる、のではない。

勇気ある撤退だ。

今は、分が悪い。ー 何か策を立てねば。



あるのか ー? 



考えが至る前に

ルイは走り出していた。

追いかけてくるアンに一言

「森へ行く」

と、だけ告げて。







馬蹄の駆けすぎる音が森に響いた。


馬を走らせすぎた。

いつもの倍、走らせていた。


(ー 馬を捨て置くか)



だが今は猶予はない。

今日届いた文ならば、明日には挨拶へ来るだろう。

その時までには峠を越えたい。


ルイはすでに軍師になっていた。


この、”彼”のきらびやかな欠点はそこにあった。


自分の持つ”武器”を、武器と思っていなかった。

誰もが振り返るその秘めた美しさに、彼は少しも気を回すことはなかった。

彼がその武器を自覚していれば、この物語は始まらなかった。




初手、ナイトは動き出す。ーが。




”ここからいなくなれるなら、俺は死んでも構わないー。”





その考えに達した瞬間に

ルイは落馬した。





普段の彼なら

決して誤ることのない、そんな場所だ。

家からそう遠く離れていないところで

彼は、



運命の渦に、飲まれた。













大きな見えない何かがその運命をかき混ぜるように

動き出していた。








........







王妃が死んで3年が経った。



女帝亡き今、この年月はユージーンの空いた心を

より拡げるだけの日々だった。






ヘレナは死んだんだ。



思うほどに後悔だけ、募った。


どうしようもなかった。




彼女はそれを望んだのだ。

望んだこと。

それを叶えたのは、本当に良かったことなのか。


ユージーンは思い返していた。


王妃が毒殺されるまでの日々。

それを知った日のことを。





「ー 毒?」

ユージーンは聞き返した。


城の一角、鍛錬場に向かうその奥に

中庭がある。

今では誰も訪れることはないが

恋人が逢引するにはちょうど良い大木の木陰がある。


今はむさ苦しい男二人。



フィリップは木陰から漏れる光を見ながら言った。

「始まったのはおよそ2週間前からだ。

 王妃は自分に盛られた毒をわかっている。


 当初は解毒もしていたが

 今はそのままだ。」


「何を呑気なー!今すぐ医者を」

「王妃が直々に仰っているのだ。

 

 ー 狙われているのは若獅子だ。


 体よく使われている傀儡(アホ)が王妃に毒を運んでいるらしい。

 あんなのでも使えるのだから

 騙されてやってる王妃はさぞかし複雑だろう。」



ユージーンはすでに怒りを隠さない。

「裏に誰がいる」


フィリップは続けた。

「あの戦いを手引きしたやつさ。


 王妃はそう睨んでいる。


 

 だから王妃は

 フィオドア伯爵にー

 ー この物語の幕引きを頼んだんだよ。」


ユージーンは握った拳の感覚がなくなっていくのを怒りで忘れた。


「 ー伯爵はどうするつもりだ?」


「さぁ? そこは軍師の手の内だ。」




フィリップはユージーンの思いを知っていた。

と、いうか

みんな知っていることだ。



ユージーンを見ていれば誰もみな

「あぁ、将軍は王妃めっちゃ好きやな」

と思っている。


「将軍、王妃に褒められたくて頑張っとるんやな」

と、ほのぼのしている。



ダダ漏れていることを知らないのは本人だけだ。




だから、フィリップは心苦しかった。

これを告げねばならないことを。



「ユージーン将軍。


 貴殿はその場に居合わせてもらう。」




ユージーンは何を言われたのかわからなかった。

フィリップは彼の顔を見ない。


「そして、仕留める。ー 傀儡(アホ)をな。」



(王妃が毒殺される場で王を刺せと言ったのか?)

ユージーンは空を一瞥し

溜息を漏らす。

こんな馬鹿げた話がどこにある。




「なぜだ」


思わず呟いていた。

フィリップは下を向いたまま自分に言い聞かせるように言う。

「 それが ー彼女の望みだ」



「死ぬことか」

言いたくない言葉を使うと自然に声が低くなった。



「王妃は、奴らを炙り出すために

 毒を飲んでいるんだ


 ー毎日」




ユージーンはフィリップの首元に掴み掛かった。

その勢いで背にした木にそのままぶつかった。揺れた木から葉が数枚落ちた。

「なぜだ! ーそんなことをせずとも!!!」


「止めなかったとでも?


 お前が。 ー お前が一番知っているだろう!

 王妃の、彼女自身の思いを。」


(あぁ、知ってるさ。

 王妃になってから、彼女は国だけの為に生きてきた。


 この国に巣食っていた闇に光をあてた。


 だからこそ、彼女は女帝なんかに祭り上げられたんだ。)






「それしか..ないのか ー」


「方法なら、軍師は提供した」

「ならー!」


フィリップこそ、下を向いたまま握り拳が震えていた。

吐き出すような言葉だ。


「選んだのは、王妃だ。


 ー 我々にできることは 王妃の思いをつつがなく遂行すること

 そして、アーサー殿下をお守りすることだ。」






城に秋の風が吹き抜けた。
















王妃が死んで、3年経った。



ここのところ、フィオドア伯爵は忙しい。

するべきことが多い。

だが、それより優先事項がある。



軍師は馬車から流れる景色を見ている。






『できるがやらないという言葉に、できないことを言い訳にするのが嫌だ』


若き王妃はそう言った。




13年前、王と王妃の即位式に際して挨拶後

フィオドア伯爵は呼び出された。



部屋には王妃1人が、自分を迎え入れた。

ほほえみを絶やさない王妃のそれは

所作こそ完璧だが、軍師は面白くは、ない。





テーブルにはチェス盤に駒が並べられていた。

(やれ、困った。こういう手合いか...)

フィオドア伯爵は茶でも飲んで早々に辞することを思案した。



若き王妃は、ほほえんだままフィオドア伯爵に告げた。

「私が勝ったら、お願いを聞いていただけますか?」



「このよき日に何を仰るかと思えば、酔狂な」

フィオドア伯爵は意に返さない。

王妃といえど、所詮、世間知らずの小娘だ。



王妃は表情を変えない。ほほえんだまま。

「いいえ、そうではありません。

 私がこの勝負に勝ったなら、フィオドア伯爵。



 ー あなたは私の家来になりなさい」





王妃は初めてフィオドア伯爵を、見た。

この言葉の意味を噛み締めながら

フィオドア伯爵は口元を歪ませて笑った。



「お祝いでございます。


 せめて初手はお譲りしましょう、王妃殿。」






チェスは思考を読み取れる絶好のゲームだ。



一 手を指せば、盤上のどこに気が向いているのかわかる。

駒を持てば、駒の扱いに心が覗く。










勝負は決した。














「これからどうぞ、よろしくね。


 フィオドアさま」



いたずらっ子のように笑った顔はうら若く

胸のすく美しさだった。





次の瞬間にはいつもの面白くもないほほえみを浮かべ

カーテシーを男に捧げ、場を辞した。















思い起こせばそこからだ。

13年かかった。



13年かけて、ここまで来た。




フィオドア伯爵の手には白のクイーンが握られていた。

軍師の手にこれほどの最強の駒はなかった。






「クレイトン様より急ぎの報せが届いております。」

側近のドニが耳打ちしてきた。

(それがどうしたー。)

という顔で、フィオドア伯爵はドニに耳をあずけた。

「もう一報届いております ー。」


「何だ」













握られた白のクイーンに目を落とし、いんぎんにほほえんだ。










「いよいよ ツイておる」




 


軍師の眠れる猛りが起きだした。







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