第4話 妹が変だ。

ルイーズの兄、クレイトンが医者を呼ぶ事態になるまで

その混乱具合をちょっと覗いてみてみよう。そうしよう。






帰ってきたルイーズの中の人、王妃は優雅に紅茶を飲んでいる。

完璧な令嬢しぐさだ。だって王妃だもの。

どこにも突っ込むスキがない。

紅茶をひと口飲んでは、ほほえんでいる。



侍女アンは目の前の人に戦慄していた。

だが、今はすぐにでもこの現状を伝えるべき相手がいる。


「ルイ様、茶葉のお代わりをご用意して参ります。」


ルイーズっぽいけどそうじゃない

その気品に満ち溢れたルイーズぽい人はほほえんだ。



「あらそう? ー行ってらっしゃいな」



ルイーズ付き侍女アンは100メートル走を11秒を切る勢いで

クレイトンの部屋へ高速ダッシュで向かった。


平均的な100メートル走の速さは女性は大体15〜16秒程度なので

彼女がいかほどこの事態を緊急としているか

ご理解いただけたのではないだろうか。

アンは世界だって狙えるだろう。ー 有能だ。



「クレイトン様、ルイ様が森から戻られてからおかしいのです。」



ルイーズ付きの侍女アンが息も切らせず言う。



「おかしいのはいつもの事だ。

 どうせまた変なキノコでも食べたんじゃないのか?」



クレイトンは領地の産業に関する補正予算の見直しに忙しい。



アンは珍しく、クレイトンに一歩近付いた。


「いいえ、あれはキノコの類じゃありません。

 何というか、その。」


言ったきり、アンはエプロンの端っこを握りしめた。

クレイトンは書類から目を離して、アンを見た。


彼女がルイーズ付きの侍女になってから18年経つ。

ルイーズから2歳の頃から知っていることになる。



その彼女は半ばルイーズの母であり

姉であり、友人でもあった。誰より近くでルイーズを見てきた。




そんなアンが言うのだ。





クレイトンは姿勢を正してアンの言葉を待った。



「...ルイ様が森から戻られたのは、昼前です。

 いつもなら夕刻、日が落ちるまでお戻りになりません。


 どうしたのかと尋ねましたら『日差しが強くなってきたから』と

 仰ったのです。」



それだけでクレイトンは別人の話を聞いている気分になった。


「それで ー。今日お召しになっているドレスも

 当然文句を言いながらお脱ぎになられるかと思いましたら

 『落馬で汚れたので、新しいドレスを』、と。」




それはどこか別の令嬢の話じゃないのか?

クレイトンはまだ、信じられない。

落馬したから帰ってきた、ではなく日差しが強いから?





「お着替え用のドレスをお選びになりたいと仰るので

 支度部屋に向かいましたらば、15年間開けたことのないドレス用のドアを ー」


「ー 開けたのか? あいつが? なぜ!」



「はい。大層お喜びでいらっしゃいました。

 なぜかは存じ上げません。


 ...そ、それより」



「なんだ、どうしたというんだ」


「る、ルイ様の ー」



「ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ーーーーーー」

「ーーーーーーーーーーーーー?」

「ーーーーー!」

「ーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!??」




クレイトンはアンに問い詰めた。



アンは首を横に振る。

その目は未知の生物を見たかのような顔をしている。

今にも悲鳴をあげそうだ。





クレイトンは動悸がした。

そんなはずはない。



そんなはずがないことを

クレイトンはすでに思考を巡らせている。





ルイーズはクレイトンの4つ下の妹だ。

こう言っては何だが、妹は大変見目も良く

体付きも大変美しい。いやらしい目で見ているわけではない。

事実である。


兄贔屓と思われるだろうが、ルイは母上の美しさを外見に、さらに

全面的に引き継いでいる。父上の武骨さは確実に内面で引き継いでいる。


ルイは体を動かすのが好きだ。

試しに木剣を与えてみた。

すぐに良い筋を持っていることに気が付いた。

筋肉もしなやかで、怪我をしにくそうだ。

だから、いやらしい目で妹を見ているだなんてことはない。


普段はシャツにレギンスパンツだけなので

女性としては大変ラフな格好だが、本人は効率重視なので

こちらも見慣れたスタイルだった。



大体、いやらしい目で見るなどというから

見る側も見られる側も無駄に意識してしまうのだ。

美しいものはどんな風に見ようと美しいし

見られたからと言って、その美しさが半減するなどということは無い。


...。

ちょっとある。

男性ならわかっていただけるはずの

お胸の豊満さはちょっと目のやり場に困った。


だが、それとこれとは違う。

何が違うのか説明はできないが違う。


ひとえにルイは乗馬や剣術にも研鑽を重ねているから

引き締まった体なのだと言って過言では無いことを言いたかっただけだ。



それだけなのにクレイトンの大事な何かは半減はしないがちょっと失った。


失ったついでだ。

クレイトンの女性の好きな部位は胸だ。

王道だがしかし、納得の部位だ。

大きさに貴賎の別はない。

ちなみに妻のマリエルのお胸はちっぱいだ。


ここまで堂々たる告白を受ければ

なんとなく、こちらがもういい、もうやめとけ、と

クレイトンの肩を抱きたくなる。


まったくいらない情報ではある。

だが、男を理解し難い生き物だと思う方には

これは可能性への朗報だったのではないのだろうか。


色々あって、それでいい。



相当ズレた。


ルイの幼い頃だ。



物心つく頃にはもう、ルイは男だった。

木剣を振り回しては

結構な額の壺を割り

木剣を振り回しては

父上が大事にしていたクリスタルの置物を割る。


本人の犯行は家の誰にも気付かれることなく行われた。

すでに戦略的な行いだった。


クレイトンは自分がルイーズに木剣を与えたことを

誰にも言っていない。ー いまだに。多分墓まで持っていく。


家中の割れ物という割れ物は、ほぼその言葉通りに割られ

最後のクリスタルを割られた時

父上の背中は泣いていた。



通算、6回目にしてそれは止んだ。

なぜなら、父上が対策を講じたからだ。



チェスを教えたのだ。




軍師という肩書きを持つ父に受けた英才教育は

令嬢の嗜みのそれではなく、戦術の、チェスだった。

いかに敵を欺き、打ち砕くか。

そして軍師としての最高峰は

自軍を無傷で終わらせるか、をルイーズは学んだ。


そして彼女もスポンジが水を吸収するかのように

様々な知識と戦略を試し、学んだ。


彼女のそうなってしまった背景には

ルイーズの母が、ルイーズを産んですぐに亡くなったことも

大いに影響しているとは言え、持った気質によるところが多大だろう。



我が家には3名しか侍女がいなかった。

母付きの年長キャシー、その娘のアン、そして食事係のベネットだ。

この3名で、ルイーズを教育するには不十分であることは

父も理解していたのだろうが、何せ軍師だ。



面白い、ぐらいには思ったのだろう。




それからは、ルイーズは令嬢ではなく

まさしく騎士のような生活を送る。

仕草も、態度も、喋り方も。


性的嗜好が女性に向いていたか、は考える点ではない。

ルイーズは純粋に軍師だった。

花も好んだし、美しい絵画を見て喜んだ。


本人は令嬢の好むようなドレスや、宝飾品は欲しがらず

もっぱら本を好んだ。

軍人が読むような本だ。



いかがわしい絵が載っている方ではない。

そちらも確かに軍人はよく嗜んでいる。

いや、男性なら一冊は持っているだろう。

見つけたとしても、頼むから机の上に置かないでほしい。

そっと元にあった所に戻しておいてほしい。人情だ。



ルイが読むのは真面目な、兵法本だ。


そして閃いたことがあれば、すぐに馬を走らせて

何時間も森かどこかへ行ったきり帰ってこない。

食事はいつも現地調達しているようだった。

キノコもその部類だ。



帰ってきては、父上と仮想軍略会議だ。





そのうち父は言った。

「ルイーズは、男として育てる」


ルイーズが5歳のときに初めて木剣を持ってから

3年が経っていた。






それから幾年が過ぎたある時

そんな父の考えにクレイトンは意見した。


「父上。ルイーズを令嬢としてお育てになった方がいい。

 彼女は女性だ。本来のー」


「クレイトン。お前はまだそんな古臭いことを言っているから

 いつまで経っても、ワシに勝てんのだ。」


クレイトンはグッと奥歯を噛んだ。



「クレイトンよ、お前はあれをどう見る?」


あれとはルイーズのことだ。



「は、”優”です」


「それだけじゃない。天賦の才がある」





そうだ。

ルイーズは17歳の時

女帝ヘレナが開戦した戦争の戦術を父に提言し

上手な幕引きまで綿密に練っていたのだ。



そして、この戦争の最大にして最高の功績が

最後まで負傷者を出すことがなかったことだ。



たった2人の間抜けな歩兵以外。





「父上、しかしルイーズの将来は...」


「なあに、 家にずっと居ればいい」


クレイトンもやぶさかではなかった。

兄妹の仲は悪くないし、クレイトンの妻マリエルとも仲がいい。

クレイトンの妻は元々父の機密部隊の人間だった。

ルイーズの醜聞に関するようなことに耳を貸さないタイプだ。


(男として ー)



「本人はなんと?」

「今日からルイと呼べ、とさ」

軍師は愉快そうに笑った。




クレイトンはそれからルイーズを”妹”と思いつつ

扱いは”男”として接した。












その。













その妹が。


目の前で令嬢のようなほほえみをしている。

そればかりか、令嬢ムーブまで完璧なのはどうしたことか。




頭を打った、と言った。


きっと打ち所が激しく悪かったのだ、そうに違いない。

早く医者に見せて休ませなければならない。

寝るときは足を高くしたほうが良かったか?



動揺している。

天と地がひっくり返ったような気分だ。



クレイトンは、目の前で困った顔をして小首を傾げるその

令嬢ムーブ満載な我が妹を本気で心配した。




それより ー。




その天と地をひっくり返したかもしれない事象に

クレイトンは冷静に情報を集めている。




「吐き気はないか、ルイ」


「はい。たんこぶは痛いですけれど

 アンはしっかり冷やしてくれました。

 ー 思いやりに溢れた行為です。」


ニコニコとほほえむルイーズに

クレイトンは何度目かの衝撃を味わっている。


だが ー、まだわからない。



せめぎあう情報の交錯に、クレイトンはまだ恐怖している。



違う。

あいつはこんなこと言わないし、足だって閉じて座っているのを初めてみた。








何よりー。

このルイは、入れ替わったぐらい、違う。











父上を一刻も早く呼ばないと。




頭を早く医者に見せないと ー!!


気付けば立ち上がって家中に響くような大声を出していた。


「ルイがおかしくなった!」









クレイトンの焦りを横目で見つつ

元王妃の現ルイーズは、瞬間引きつったような顔をしたが

すぐ様、優雅に紅茶に手を伸ばした。






(あら、この茶葉美味しい。 ー あぁ何も気にせず

 こうして飲むお茶はなんて美味しいのかしら)


ルイーズの森での行動は

今のところ、ヘレナはよくわかっていない。

少しの疑念と、少しの不安はある。


だが。




(ま、なんとか なるでしょう。)


なんともならないようなことをしてきた王妃だ。

これぐらい、どうにでもなると

”たか”を括っている。





紅茶の湯気が、ルイーズの鼻を通して香った。

くぐもった熱の奥に、華やかに香りが咲いた。









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