第30話 灰狐《はいぎつね》
ファイティングポーズを取った男は、小刻みにステップを踏んだ。どうやらボクシングみたいなスタイルらしい。
(先に攻撃されたら、とりあえず、受け。受けの技術は問題ない。ただし、最後は、攻撃して終えないと、間合いが切れないで、詰むぞ)
練気言祝、相手のパンチが飛んでくる。それを手のひらで受ける。受ける。足払い。外れたが、かまわず地面を転がり間合いを切った。
練気言祝。
脳しんとうを起こした仲間を助け起こし、正拳を喰らい地面に倒れている覆面の近くまで寄っていく。指を鳴らす。すると、男の周りから煙が湧き上がった。しまった、魔術師か。
(今の実力では、間違っても、魔術師とか、魔導具持ちとは、戦うな。逃げろ)
間合いを取ろうとしたが、煙がまるで意識を持っているかのように、俺を追ってきて、あっという間に包まれた。煙を吸い込むと、むせて、呼吸ができない、息苦しい。練気言祝が唱えられない。俺は、とっさに地面に這う。肺に残った空気を吐き出し叫んだ。
「ロラ、クラクションを鳴らして」
軽バンのクラクションが夜の町に警報のように鳴り響いた。
不意に腹に強烈な一撃をもらい、腹を抱えてのたうち回った。途中までうまくいっていたのに。さらに、顔面に強烈な蹴りを喰らう。目の前に火花が散った。
痛みと吐き気で、何も考えられなくなった。両腕で頭を抱え丸まることだけに集中する。
しばらく丸まったまま様子をうかがう。それ以上の追撃はなかった。顔の痛みがジンジンとしびれだした。煙はしばらくして消えた。覆面たちもいなかった。教会の明かりがつき、クラクションの音を聞きつけた人たちが何事かと駆けつけた。
「助かった」
俺は、鼻血を服の袖で拭き取り、残されたナップザックの中身を確認した。リースが、駆け寄ってきて、ナップザックをひったくった。
「何をしている」
「なにって、泥棒が、それを持って出来たから、どうしたんですか、と尋ねたら、襲われた」
多少、ウソが混じっているが、だれにもばれはしない。リースは、フンと鼻をならすと地面に転がっていた金銀宝石をかき集めはじめた。教会の入口には、司祭が鬼のような形相で立っていた。
大丈夫かの一言もないのか。
俺は、傷の手当てもそこそこに町の警備隊の詰め所に連行された。なんて長い夜だ。こんなことなら、人影なんてほっとけばよかった。誰からも感謝されないなら、くたびれ損だ。
夜中に起こされたとおぼしき警備隊員は不機嫌に質問をしてきた。
「犯人の顔は見たかね」
「一人だけ、覆面がとれて見れました」
「似顔絵を書くから、思い出せるところから話してくれ」
「今からですか。もう日付が変わりますよ」
「わかっている。けど、相手が悪い。あの司祭の懐に手を突っ込んだんだ」
相手が悪いのは、泥棒なのか司祭なのか。
「暗くてよくみえなかったのですが、顔に入れ墨をしていました」
「どんな」
俺は、警備隊員が一枚の紙を差し出した。ロラがインフォゴーグル越しに話しかけてきた。
「インフォゴーグルにヤツの顔を再生すっか」
「頼む」
警備隊員は、独り言を言っている俺を気味悪そうに見つめていた。インフォゴーグルを指さし「これ、魔導具なんです」といった。
インフォゴーグルゴーグルに、覆面を外したときの顔が再生された。こんな顔だったのかとしげしげと眺めた。興奮していたのだろう、自分の印象とは微妙に異なるようだ。
何度も書き直しして、やっと似顔絵を完成させ、隊長に手渡した。客観的に言って、下手だ。もし俺が、警備隊員の立場なら、書き直しを依頼するかもしれない。盗みみるようにして警備隊員の顔を窺った。警備隊員は、いつの間にか別の似顔絵を持っていた。二枚の似顔絵を見比べながら警備隊員が上唇をなめた。
「これは、厄介な相手かもしれない」
「どうしてですか」
「煙に巻かれたということと合わせると、こいつらは、
「どうして厄介なんでしょうか」
「奴らは狙った獲物はこれまで必ず盗んでいる。まあ、これ以上は、関わるな」
そういうと、警備隊員は、机の上に金貨を一枚置いた。
「今日見た袋の中身は、他言無用だ」
ちぇ、あんなにカネめのもの詰まった袋一つ救い出して金貨一枚か。ずいぶんとケチくさい。ロラがインフォゴーグル越しに話しかけてきた。
「感謝ポイントが貯まったっペ」
よっしゃ。俺は心の中でガッツポーズをした。良いことはやっておくべきなのだ。でも、誰の感謝がポイントになったのだろう。司祭とリースでないことだけは確かだ。
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