第37話「彼女の好きなもの」
「話って、いったい何だろう……」
昼休みになり、私はお弁当を持ちながら屋上に向かう道中、坂口さんがいったい私と何を話そうとしているのか考えた。
自分で言うのも何だが、私はこれと言って面白い人間ではなく、趣味も読書くらいしかない。例え坂口さんが本好きだとしても、だからと言って話が合うとは限らない。所謂、何でも読む人だとしても、やはり人によって好き嫌いはある訳で、大体の人は意識的にか無意識的にそれらを避けているものだ。世界中の皆がどんな本でも面白いと思えるのなら、戦争は起きないだろう。それくらいに、本が好きな人間同士だからって話が合う訳ではないのだ。
「そういえば、屋上って立入禁止じゃ」
そんな事を考えながら、一年生の教室から一番近い屋上の入り口手前にある階段の踊り場まで差し掛かった私は、ふとその事を思い出す。安全の為に屋上を立入禁止にしているのはよくある事で、この学校もそうだった筈。
けれど、何となく坂口さんが言うのなら大丈夫な気がして、ドアノブに手を掛け、回す。そのまま押すと、あっさりとドアは開いた。
「わあ……っ」
そこには青空が広がっていた。
比較的高台にある校舎からは、空を遮る物が無いのだ。
フェンスの方に近付くと、敷地内にある旧校舎から、校庭、周辺の住宅、繁華街、奥にある森と山まで、街中のあらゆる物が見えた。歩いている人や、走る車が小さく見えて、世界の広さのようなものを感じる。
「気に入ってくれたようで良かったわ」
「!?」
不意に後ろから声を掛けられ、ビクッと肩が跳ねる。振り返ると、坂口さんが微笑ましそうな表情で私を見ていた。
「い、いつからっ」
「最初から、かしら。私、給水塔の方に居たから」
そう言いながら坂口さんが指差した給水塔は、私が入ってきた入り口の直ぐ上にあった。子供のように屋上からの景色に見入っている姿を見られていたと知り、顔から火が出そうになる。
「別に恥ずかしがる必要は無いと思うわ。景色に目を向けるのも、ある意味では才能なんだから」
フォローをするように坂口さんに言われ、益々恥ずかしくなる。何か話を変えてしまわないと。
「そ、それより、話って何? ちゃんとお昼も持ってきたし」
「ああ、そうね。とりあえず、食べながらお話といきましょうか」
言いながら坂口さんが手招きする。誘われるまま向かったのは、さっき坂口さんが居たという給水塔の側。上ると、街の景色がより高い位置から眺められる。
「私もここが気に入っているのよ」
私に聞かせるように坂口さんは呟く。さり気無い気遣いに、私も少し緊張が解れる。
「それじゃあ、何から話しましょうか」
が、その言葉で直ぐに私はアワアワと慌ててしまう。
「は、話って言われても私、何を話したらいいのか……っ!」
「まぁ、そうよね。なら、交互に質疑応答としましょうか」
「質疑応答?」
「ええ。話の取っ掛かりにもなるし、それに、お互い相手に訊きたい事もあるんじゃないかしら?」
訊きたい事は確かにある。何故いきなり友達になろうだなんて言い出したのかとか、何故、線路に飛び降りたのかとか……しかし、それを訊いていいものかと迷う。
「先ずは夕花からでいいわよ」
「ええ!? 坂口さんからでいいのにっ」
「私はほら、誘った側だから。応えてくれた夕花の番で」
そんなご無体な! と心の中で思ったものの、笑顔を浮かべながら待ちの体勢になった坂口さんを前に、いつまでも黙っている訳にはいかず、緊張しながら質問を絞り出す。
「ご……ご趣味は?」
先ずは無難なところから、と思ってそう口にしたら、坂口さんは一瞬ポカンとした表情をして、
「くすっ。ご趣味はって、まるでお見合いか何かみたいね」
可笑しそうに笑い出す。
「お見合っ……違っ、私、そんな意味で訊いた訳じゃっ」
私は私で何故か顔が熱くなり、ワタワタと否定してしまう。坂口さんは美人だから、そういう風に言われるとまるで私が本当にその気があるみたい……だなんて一瞬思ったけど、そもそも私はそういう人じゃないし、普通に流せば良かったと後悔した。
一人で慌てる私の様子に、一頻り笑った坂口さんは息を整え、口を開く。
「そうね。趣味と言えるかは分からないけれど、読書は好きよ。何でも読む、とは言っても、自分が面白そうと思った作品なら何でもって感じだから、書痴というのとは違うんでしょうけど」
坂口さんが読書好きと聞いて、好きな本は何? とより深く訊きたいところだったが、まだ坂口さんが言う事がありそうだったので、我慢する。
「それ以外だと、“怪談”とかは好きね」
「怪談」
「ええ。夕花はそういうの、興味あるかしら?」
流れるように坂口さんの質問が始まる。その時の彼女の表情は、先程までより幾分か活き活きとしているように見えた。
「私は普通……かな。まぁ、本とかで読んだりする分には」
「私もホラー小説は好きよ。映画や、マンガだって読むわ。でも、それ以上に好きなのは、実際に怪異と遭遇する事ね」
「遭、遇?」
「そう。例えば都市伝説発祥の場に赴いたり、日常に潜む怪奇を追ったりするの」
言葉の意味が分からず一瞬困惑するも、何とか自分の中で話をまとめる。
「……あ、あぁ。つまり、心霊スポットに実際に行ってみた、みたいな番組を見るのが好きって意味で」
「違うわ」
そう言った坂口さんの表情は、いやに魅力的で、こちらを惹き込む引力のようなものを感じた。
「違うって、何が?」
「つまり、私自身がその場に赴いて、怪異を目にしたいという意味よ。フィールドワーク、みたいなものかしら」
「実際に目にしたいって、坂口さんはその、“怪異”っていうものが、現実に存在していると思っているの?」
「思っているんじゃないわ。ソレらはいるのよ。そこらの街角に、或いは人の心の中に、時にはネット上にだってね」
確信を持った表情で断言する坂口さんに、私は頭の中で「ヤバい人と関わってしまったのでは」と考えながら、何故か坂口さんの言葉を否定出来なかった。それは彼女が持つ雰囲気の所為なのか、それとも別の理由……例えば、本能みたいなものがソレらの存在を認識しているのか。とにかく、坂口さんの細い声で紡がれる言葉には、私を納得させるような圧があった。
だからと言って、「そうなんですか」と受け入れるには突拍子もない話であるのは確かだ。
「……坂口さんは、遭った事があるの?」
「ええ、あるわ。何度もね」
空を見上げながら言う坂口さんの瞳は、ここではない何処かを見るような目をしていた。
「昨日、私は線路に飛び降りたでしょう? あそこにはね、“向こう側”への入り口があったのよ」
「向こう側って、何なの?」
自然と、私は彼女の話を聞いていた。これはもしかして、坂口さんの言葉に誘導されているのだろうか。
「“向こう側”というのは、要するに怪異が存在する世界みたいなものなの。と言っても、どう言えばいいか分からないから、私が勝手にそう呼んでいるだけではあるけど」
一瞬口を閉じ、坂口さんは考えるような素振りを見せる。それは気の所為でなければ、どこまで話そうかと考えているようだった。
「向こう側は常にこちらを見ているの。あちらから、こちらへ、侵食する機会を窺うように。些細な切っ掛けで、それは私達の隣に現れる」
坂口さんの話は、物語の中ならよくありそうなもので、彼女はやはりそういう類のものに嵌り過ぎた人なのではという疑念が晴れないが、その言葉には実感が籠もっているように感じ、私に安易な否定をさせない。だから私は、彼女の話をもっと訊いてみる事にした。
「隣に現れるって言うけれど、私はそんな経験した事が無いし、実感が湧かないんだけど、坂口さんは経験をした事がある、って事でいいの?」
「そういう解釈で問題は無いけれど、夕花の言葉には一つ間違いがあるわ」
「え?」
間違いって、どういう意味? と訊こうとした私に先んじて、坂口さんが言葉を続ける。
「あなたもーーいいえ、あなただけではなく、他の人達も皆、何かしらの怪異に触れている筈よ」
「触れているって、私はそういう経験に覚えは無いけれど」
「気づいてないだけなのよ。誰もが触れられるくらい近くに“向こう側”はあるけれど、それと気づける人は極一部。そうね、百聞は一見に敷かず、かしら」
言いながら、坂口さんが私の方を見る。サラサラした髪が肌に触れるくらい近くに彼女を感じ、吸い込まれるような瞳と向かい合う。私は視線を外せないまま、彼女の言葉を待つ。
「放課後、少し付き合ってもらえるかしら?」
私は言葉も無く、頷いていた。
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