第32話「閑話3・幽霊列車④」

「この女の子……坂口さん?」

 笑顔を浮かべながら長い黒髪を揺らす、白いワンピースを着た小学生くらいの女の子が、先程のように空間に映し出される。

 その顔に私は夜娃華の面影を見て、幼い頃の彼女の姿なのではなかと、確かめるように夜娃華の方を見る。

「……」

 夜娃華は肯定する素振りを見せなかったが、否定もせずに映像を見つめている。その態度から、私は自分の考えが正しいのではないかという確信に近いものを感じた。

 映像の中の夜娃華は、今の彼女からは想像出来ない無邪気そうな笑顔で、大人の男女と話している。見た事は無いが、夜娃華の様子から両親なのではないかと思う。

 最初は三人の姿だけだった映像は、次第に周囲の景色がハッキリと映し出され始め、其処が電車の車内というのが分かった。

 その時点で、私は嫌な予感を覚えてしまう。

 以前に聞いた、坂口さんが巻き込まれたという電車事故とその顛末から、これはその当時の出来事なのではないかと考えてしまい、私は知らず胸に当てた手をギュッと握り、映像を凝視していた。

 幼い夜娃華は両親と出かける事が嬉しいのか、楽し気な様子で椅子に膝立ちになって窓の外の景色を眺めている。その姿からはこの後に起こるであろう事故の事なんて全く考えられず、どうか彼女の笑顔を壊さないで欲しいと、そう思わずにはいられない――しかし、その時は訪れる。

 電車が大きくガタンと揺れ、乗客達が驚きで声をあげるのも束の間、凄まじい勢いで車内が回転して席から投げ出される。悲鳴と車体が地面に擦れる音、続いてガラスが割れ、何名かの客はそこから外に投げ出される。

「うぷっ、んっ……!?」

 車体と地面に人が挟まれる姿が見えて、私はその凄惨な光景に胃液が逆流しそうになって咄嗟に口元を抑える。

 喉を胃液が焼くような感覚に勝手に涙が零れる。ふと夜娃華の姿が目に入った。

「……」

 やはり彼女は無言のまま映像を見ていて、その表情から夜娃華が何を考えているのかは読み取れない。俯瞰するように、まるで自分とは関係無い出来事を見ているかのように、細められたその瞳は真っ直ぐに映像へ向けられている。

 だから私も、吐き気を抑えたまま映像を見続けた。

 映像内では地面の上を滑る車体が何かにぶつかって急停止し、その反動で車内の乗客達が吹っ飛んで壁に叩きつけられ、その上に更に別の乗客が叩きつけられる。荷物が飛んで人の頭を打ったり、割れたガラスの破片が人体に突き刺さる。

 そして電車が完全に止まり、全ての音が無くなる。車内の明かりが消え、割れた窓から差し込んだ光で照らされた車内は地獄のような様相を呈していた。

 あちらこちらで折り重なるように倒れた乗客達がいて、まったく動かない人もいれば、苦しそうに呻いている人もいる。辛うじて息がある人達の中には、全身にガラス片が刺さっていたり、手足があらぬ方向に曲がっていたりと、怪我をしたところから止め処なく血が溢れ出していた。

 子供の悲痛な鳴き声が聞こえた瞬間に目を閉じそうになったが、私は歯を食いしばってそれを耐え、夜娃華の姿を探す。

 目を瞑りたくなるような車内を隅から隅まで探して、そして見つけた。

「あっ……夜娃華……」

 夜娃華は頭から血を流しながら意識を失って、まるで死んでいるかのようにぐったりと倒れているが、それ以外に外傷は無いように見えた。

 その理由は、席から投げ出された彼女を両親が抱き締めて守っていたからだろう。

 夜娃華を両側から抱き締めている両親は、全身にガラス片が刺さっていて、見るのも痛ましい姿になっていた。お父さんの方は首の骨が折れたのか、頭がおかしな方向に向いている。お母さんはまだ息があるようだが、出血が止まる様子は無く、更に右足の骨が折れたのか立ち上がる事も出来ないようだった。

 すると、涙を流す夜娃華のお母さんの口が微かに動く。

 何を言っているのかは聞き取れなかったが、夜娃華を辛そうな瞳で見つめ、優しくその頬を撫でる姿から、彼女が娘がまだ生きている事に安堵しているのが分かった。

 しばらくして、夜娃華のお母さんは力尽きたかのように目を閉じ、映像はゆっくりと消えていった。

「……」

 暗闇に覆われた幽霊列車の車内で、映像が終わってもやはり夜娃華は無言のまま、今は彼女の表情も暗闇の所為で見えない。

「………………皆、泣いているわね」

「え?」

 不意に、夜娃華の声が聞こえた。

「皆?」

「ええ。聞こえるんじゃないかしら」

「聞こえるって……あ」

 言われて気づく。幽霊列車の車内で、すすり泣くような音が木霊しているのを。

「これって……霊達が泣いているの?」

「でしょうね。きっと、彼等も今の私達と同じような映像を見せられたんだと思うわ」

「今の映像が何だったのか、坂口さんには分かるの?」

「何となく予想はつくわ」

 少し黙って、夜娃華は喋りだす。

「この列車内で見せられた映像は、その人の最も心残りだった瞬間、ないし最も重要な瞬間なのだと思うわ」

「心残りか、最も重要な瞬間?」

「そう。夕花、あなたは人がどうにもならない瞬間、どうしても後悔が残る出来事に、けれどやり直しが効かない場面に当たってしまった時、どうやって前に進めると思うかしら?」

「それは……辛さを乗り越える、とか?」

「そうね。それが最も健全な解決策……でも、全員が乗り越えられる訳なんてなくて、やっぱり未練を引き摺る者はいくらでもいる。それならばどうすればいいのか――その答えは、諦める事よ」

「諦める……」

「ええ、どうにもならないから諦める。つまり全てを投げ出す……もしくは心の奥底に仕舞い込む。やり方は人それぞれだけど、そうすれば一時的に心は落ち着くわ」

 珍しく夜娃華の溜息が聞こえた。何か、彼女なりにやり切れない想いがあるんだろうと読み取れる。

「結局、人は弱くて、だから未練を残すの。そんな霊達の魂を救うには諦めさせるのが一番手っ取り早いという話。やり直し出来ない出来事をもう一度確かめて、やっぱりどうにも出来ないと悟れば諦めもつくでしょう? それがこの幽霊列車の正体よ」

 つまり、この幽霊列車は霊達の未練を断ち切る……ううん、無理矢理引き千切ると言った方が適切かもしれない。未練がある霊達を諦めさせて成仏させるのは、地上で彷徨っているのに比べたら幸せな事なのかもしれないけれど、でもそれじゃあ――

「夕花、泣いているの?」

「え?」

 ふと気づくと、車内の灯が戻っていた。

 夜娃華にそう言われて、頬を伝う涙を私は拭った。

「同情しているの? でも、きっと彼等にとっては、乗り越えられない苦しみを抱いているよりも――」

「ううん、違うの……」

「違う?」

 私は自分の心を整理しながら言葉を吐き出す。

「諦めるなんて、忘れるなんて……私は嫌だから。その出来事だって、きっとその人が生きていく為に必要な事の筈だから……私は、生きている間にした後悔も、未練も、全部持って行きたい。そして……次があるなら、絶対にそれよりも良い人生にしたいって、そう思うから」

 私は後悔の多い人生だから。あの時ああしておけば佳かったなんて日常茶飯事。

 でもだからこそ今がある。なら、それまでの後悔だって今を作る為の大切な出来事なんだ。

「嫌だよ、私は……私は夜娃華にだって、忘れて欲しくない」

「私? どうしていきなり――」

「さっきの映像に映ったのが、夜娃華の心にあるどうしようもない出来事なんでしょう?」

「……」

 私の言葉に、夜娃華は沈黙で返した。それは肯定しているのと同じだった。

「夜娃華のお父さんとお母さん、とても幸せそうだった。夜娃華も……夜娃華は苦しいのかもしれないけれど、私は忘れないで欲しい……だって、夜娃華が歩いてきたこれまでがあるから、私が夜娃華を想える今があるんだから」

 痛ましい事故だと思う。きっとあの事故が無かったら夜娃華はもっと幸せだっただろう。もしくはあそこで両親と共に亡くなっていたら悲しみを覚える事も無かったかもしれない……でも、だから私達は出逢ったんだと思うから。

「私は夜娃華のこと、大切な友達だと想ってるから……出逢えて佳かったって、だから諦めないで欲しい、否定して欲しくない……私は――」

「ふふっ」

 夜娃華と出逢えて、夜娃華を――その続きを言おうと言葉を発しようとしたが、私は言葉に詰まってしまった。

 その瞬間に被せるように、夜娃華が笑った。

「そんな事を考えていたのね。でも、心配は無いわよ」

「え?」

「さて、色々言いたい事はあるけれど、どうやら終点のようだから、降りましょうか」

「あっ。元の場所に戻ってきてる……」

 夜娃華に言われて外を見ると、列車はいつの間にか停まっていて、そこは私達が乗り込んだ場所だった。

「先に行くわよ」

「ま、待ってっ……私も降りるから!」

 彼女の後を追って列車を降りる。その時、ふと振り返ってみると、さっきまで車内を満たしていた霊達の気配が無くなっている事に気づいた。

 その事に一抹の悲しさを覚えるが、振り切って私は夜娃華の隣に並んだ。同時に、幽霊列車は音も無く走り出し、闇夜に消えていった。

「さて、先ず夕花は誤解をしているわ」

「誤解?」

 夜道を歩きながら、夜娃華が話始める。

「そもそも、私は過去を否定したい訳じゃないわ」

「そう、なの? でも、坂口さんのあの映像は――」

「あれはそもそも生者の為のものじゃなくて、死者の為のものなのよ。夕花だって、見た映像は別にそういう意味がある場面じゃなかったでしょう?」

「それはそうだけど……」

「おそらくは人生の中で最も印象的だった場面なのでしょうね。多分、人は本当に人生の終わる瞬間にしか本当の心残りに気づけないんでしょうね」

「なの、かな……そういうものかもね」

 記憶は劣化する。だから生きている内に忘れてしまう事なんていくらでもあるんだろう。

 まったく後悔が無い人生を歩める人なんて殆んどいないんだろうし。

「ちなみに私は、夕花が私と出逢ってくれた事を人生で一番印象的な出来事だったと想ってくれていて嬉しかったわ」

「うっ……!?」

「それと、夜娃華って呼んでくれたのも。今は坂口さんに戻っちゃったけど、これからは名前で呼んでもいいのよ?」

「うあっ、あ~~っ!?」

 夜娃華の言葉に、私は自分の顔が真っ赤になるのを感じた。

「ヤメてー! 恥ずかしい!」

「恥ずかしがる必要なんて無いのに。それに、私は夕花と出逢えた事――」

 言葉が切られ、私は夜娃華の方を見る。

 彼女は、とても優しい笑みを浮かべていた。

「幸せだったと想っているわよ」

「っ~~!?」

 私は恥ずかしくなって、もう限界だった。夜娃華を追い抜いて少し前を歩く。

「か、帰ろう! この話は終わり、解散!」

「くすくすっ。夕花は自分では恥ずかしい事を口にするのに、よく照れるわね」

 背後で夜娃華が笑っているのが聞こえたが、私は恥ずかし過ぎてそれどころではなく、そのままズンズンと歩く事しか出来なかった。

 だから、私はその後の彼女の小さく呟いた言葉を聞き取る事が出来なかった。

「忘れたい訳じゃないわ……けれど――」

 後から思えば、もっと夜娃華の話をちゃんと聞くべきだったのかもしれない。でも、時は止まらない。

 人の心はそう簡単じゃないって、分かっていた筈なのに。

 その時の私は、まだ知らない事が多過ぎたのだ。

 そんな冬の日の出来事だった。

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