第26話「迫る影」
「ハァ、ハァ……っ」
「お姉ちゃ、んっ……どこまで……走る、のっ」
数分間ではあるが、それなりの速度で走っているのもあって、女の子は息をするのも苦しそうだ。
「ごめんねっ……でも――」
私は背後を振り返る。先程よりも高い場所に来たから町の様子が見渡せるようになったのだが、それは結果として、より私たちが追い詰められているのを確認するだけだった。
町の至る所、路上にあの黒い人影がいるのが見えるのだ。
それは蠢き、密集し、こちらへ迫って来る。そして――
「どうして……さっきよりも近くなってるのっ!?」
走りながら背後を振り返る度に、人影と私たちの距離が短くなっているのだ。
最初は百メートル近く離れていたのが、今では五十メートルを切っている。こちらが見ている時は同じ速度で進んでるようにしか見えないのに、前を向き、走っている間に距離を縮められている。あいつらは、私たちが目を離している間だけ移動速度が速くなるのだ。
だから適度に後ろを振り返りながら走るけれど、そうすると走る速度自体が遅くなる。けれど確実に逃げたいなら後ろを向きながら走ればいいと思うかもしれないけれど、それが出来ないのには理由があった。
「お姉ちゃんっ、横からも来てるっ」
「っ、またなのっ!?」
道の途中にある曲がり角や、時には家屋の屋根の上からあいつらが降って来る事もあって、とにかく速く走らないといけない瞬間がどうしてもある。そうすると新規は引き離せても、真後ろの人影との距離が縮まってしまう。
どこから現れるか分からないから神社までの最短距離を進む事が出来ず、こうしてずっと走っているのだ。
それでも何とか神社に辿り着き、私はあの奇妙な岩の前に立つ。祠の中の岩はやはり身体を丸めた人の形に見え、先程よりもずっと“イヤな感じ”がした。
この感覚を私は知っている。夜娃華と一緒に経験した数々の怪異、“向こう側”の存在と相対した時に感じる独特の寒気と、立っている地面が揺らぐような不安感。これは本来、触れてはいけないモノなんだという警鐘が頭の中で鳴り響く。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫だよ。私が何とかするからね」
不安そうに私の手を握る女の子の手を、安心させる為にギュッと握り返す。正直、私には夜娃華のような知恵も知見も無いけれど、それでも私は逃げるという選択肢を選ばない。
夜娃華がやってきた事のように、“向こう側”が私達に干渉してくる原因を考えるんだ。
此方と彼方の境界は曖昧で、ふとした瞬間に崩れ、溶け合ってしまうと夜娃華は常々言っている。それには何かしらの条件があって、例えば噂話を信じた者達の意思が在りもしない空間を生みだしたり、河童が信仰によって神と成ったり、人の意識というものは、“向こう側”にある超常の存在をこちらに顕現させるのだと。
ならば、この祠の中の岩は何かの象徴に違いない。
この岩が此処にある理由、伝承とかに基づいた在り方を見極めればこの怪異を退ける事が出来るかもしれない。
出来るかもしれない――だけど、
「どうしよう……どうすれば……」
考えても考えても、私には答えが見えてこない。
当たり前だ。私には夜娃華のような知恵が無いんだから。
足りない知恵は観察で補うしかないけれど、幾ら眼を凝らしても解決の糸口を見つけられない。
この岩の名前が分かれば或いは――何て想像していたのは甘い考えで、周囲にはそれらしい名称が記されている事は無かった。
だったらこの神社に伝わる言い伝えとか、何て考えるけれど、そもそもこの神社に行こうと言い出したのは夜娃華で、私はこの場所のことを何も知らない。
「お姉ちゃん! こっちに来てる!」
「っ!?」
女の子が握った手を引き、私が振り返ると、周囲を囲むように異形の影達が私と女の子を見つめているようだった。「――ようだった」というのは、そいつらには目らしき物が無く、本当に私達を見ているのか断定出来ないから。けれど、明らかに私達は彼等の中心にいた。
ダメなのか。私は一人では何も出来ない――この女の子を救う事なんて、不可能なのだろうか。
「夜娃華――助けてっ……!」
情けなくも私はそう口にしてしまっていた。あれだけ私が何とかしないとだなんて息巻いていたのに、結局は夜娃華に助けを求めてしまう。そんな頼りない自分が嫌になる、そう自虐的に思った瞬間、微かな振動がポケットから伝わってきた。
「これ、電話……っ」
女の子と繋いでいない方の手でスマートフォンを取り出し、私を呼び出す人物の名前を見る。
「夜娃華っ!」
画面に表示された坂口夜娃華の名前を確認した私は、急いで通話ボタンを押した。
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