第25話「迷子」

 公園のベンチで昼食を終え、しばらく休憩した後は当然の流れとして、この後はどうするのかという話になった。

「そもそも、わざわざ地元じゃなくてここの神社に来た理由は何なのよ」

「ああ。そういえば、まだ話していなかったわね」

 茅野さんの疑問に、夜娃華は言葉そのままの「完全に忘却していたわ」という表情をする。

「夜娃華……前々から思ってたけど、そういう自分だけ分かっていればいいっていうスタンスは、人と行動する時は止めた方がいいわよ」

「ごめんなさい。どうにも中々、こういうのは慣れなくて。次からは気をつけるわ」

「別に謝る必要は無いけれど。まぁ、次からはそうして」

「ええ」

 茅野さんに頭を下げる夜娃華に、私は思わず驚いた表情を浮かべてしまい、それを見た夜娃華が怪訝そうな表情をする。

「夕花、そんな珍しいモノを見たような表情をして、どうしたの」

「う、ううん。何だか、坂口さんがそうやって素直に人に謝るのを見るのが珍しくて」

「あなたの中での私は随分と失礼な人間のようね……何だかショックを受けてしまっている自分がいるわ……」

「別にそういう意味じゃっ――その、坂口さんって、いつも自分の好きなように生きている気がして、だから随分と素直に従うんだなって」

 茅野さんがいるから詳しくは言わないが、夜娃華はいつも私を引っ張って怪談や都市伝説といった、“向こう側”と関わる出来事へ巻き込まれに行く。当然のように、私に対しての事前説明は必要最低限で。中には偶然にそれらと遭遇してしまう事もあるのだが、大体そんな感じだ。

「夕花に対してそういう対応になっていたのは確かだけれど、別に私は誰に対しても同じ態度な訳ではないわ。ちゃんと時と場合や、対応は弁えているの」

「あたしはそういう夜娃華の対応は積極的に直そうとしているし。むしろあたしが許さないし」

「そうね」

 茅野さんが呆れたように、でも楽しそうに付け加え、夜娃華が笑顔で頷く。やはり、その笑顔も夜娃華が浮かべるには珍しい如何にも親し気なもので、二人の付き合いの長さを窺わせる。

 その様子に、心の奥で少しだけ羨ましいという気持ちと、僅かな痛みを感じる。そう思ってしまった事に内心動揺を覚える。私は本当に、夜娃華のことをどう思っているのだろう。

「でも――」

 と、夜娃華が小声で、私にだけ聞こえるくらいの声で呟く。

「夕花にだけそういう態度になってしまうのはもしかしたら、あなたに甘えてしまっているのかもしれないわね」

「え?」

 夜娃華の方を振り向くと、夜娃華はいつも通りの掴みどころの無い表情を浮かべていて、さっきのは空耳かと疑う。でも、確かに聞こえた筈……夜娃華が、私に甘えてしまっているのかもって。思い出し、頬が熱くなっていくのが分かる。

「あなた、顔が紅いけど大丈夫なの? さっきから様子もおかしいし、体調でも悪いんじゃ――」

「さっきから様子がおかしいって、何かあったのかしら?」

「うん? ああ、神社にある岩を人の形に見えるとか言ってたのよ。私にはまったくそうは見えなかったし、呆っとしているから、そう見えるんじゃないかと思って。今だって、急に顔が紅くなってるし」

「……霞、その話、詳しく訊いても――」

「そそそっ、そんな事無いよ!?」

 頬が紅くなっているのを茅野さんに指摘されて、私は元気さをアピールするために勢いよく立ち上がる。というか、今この場にいると何か拙い気がして、私は適当な言い訳を探す。

「私、喉が渇いたから、ちょっと飲み物買いに行くねっ」

「あっ。夕花、待って――」

 背後で夜娃華の声が聞こえるが、私は止まらずに歩き出す。確か公園の隅の方に先程、自動販売機があるのを確認していたから、そこまで。歩いている内に熱を冷まさなければいけない。

「うぅ……本当に、どうして私こんな……」

 夜娃華に対する想いのようなものの整理が出来ない。私は、彼女をどう思っているのか。どういう関係でいたいのか。

 そう考えながら歩いていた私は、自動販売機の隣にある木の下でソレを見つける。

「……そんな所でどうしたの?」

「!? お、お姉ちゃん、誰っ?」

 それは白いブカブカのダウンジャケットを着た小学校低学年くらいの女の子だった。目を紅く腫らし、ぐずぐずと鼻を啜っている様子から、何とか堪えているが今にも泣きだしそうというのが見て取れる。だから、人見知りの私だけど、無視する事は出来なかった。

「一人? もしかして迷子かな?」

「……お母さんが、知らない人の質問に応えたらダメって言ってた」

 見知らぬ他人である私に声を掛けられ、警戒するように身体を縮める様は、まるで小動物の様で愛らしい。しかし、今は和んでいる場合ではないだろう。

「うーん、どうしたら信用してもらえるかな……そうだ。寒いでしょう? お姉ちゃんが飲み物買ってあげる」

「知らない人から物を貰っちゃいけないって――」

「今ここで買うから大丈夫だよ。ほら」

 言いながら、私は自動販売機を指差す。

「好きなものでいいよ。お金の心配はしなくていいから」

「………………お茶」

 大分長い間があったが、喉が渇いているのか、それとも寒いのか、女の子は口を開いた。

「じゃあ、温かいお茶ね。はいっ」

 硬貨を入れ、お茶を買って蓋を開けてから女の子にそれを差し出すと、警戒するように手を伸ばし、女の子はお茶を手に取った。温かさに一瞬ビクリと震え、しかし次にはゴクゴクとお茶を飲みだす女の子。

「美味しい?」

「うんっ!」

 少しだけ元気になったのか、女の子は良い返事を返す。これで少しは話をしてくれるかもしれない。

「それで、何でこんなところにいたの?」

「……お母さんがいなくなったの」

 つまり迷子と。

「お母さんの電話番号、分かるかな?」

「……分からない」

「電話とかは」

「……持ってない」

 流石に電話を持つには小さ過ぎるか。それとも家の事情なのか。とりあえず親と連絡が取れないのなら、公園の近くを探して、見つからなかったら警察に連絡するしかないか。

方針を決めて、私はまだ女の子に名前を訊いていなかった事を思い出す。

「お嬢ちゃん、名前は?」

「……知らない人に――」

「じゃあ仕方ないね。今からこの近くでお母さんを一緒に探そうか。いなかったら近くの交番に電話するね」

「……うん」

 まだ警戒はされているけれど、それよりもお母さんに早く会いたいという気持ちが強いのかもしれない。となれば早くお母さんを見つけないといけないけれど、夜娃華と茅野さんにも知らせて、手分けした方がいいかな。

 そういえば、四月にも迷子の子の相手をした事があったなと思い出す。あの時は夜娃華も一緒で、彼女と出会った翌日の出来事だった。

「先ずはあっちの方から探そうか」

 言って女の子に手を差し出すと、女の子は恐る恐るとだが握って来た。笑顔を浮かべ、私は立ち上がる。その瞬間、突然視界が揺れる。

「あれ?」

 女の子の顔がぐにゃりと歪んで、けれど次の瞬間には元に戻っていた。眩暈とかがする訳でも、熱があるような感じもしなくて、私は気を取り直して口を開く。

「行こうか」

「……うん」

 さり気なく夜娃華達の方に移動して協力を仰ごう。そう思っていた私は、二人がいるベンチまで戻って茫然とする。

「え……居ない?」

 そこに二人の姿は無かった。影も形も無く、スマホを見てみても、連絡の一つも無い。私が離れていた時間はそんなに長くはないから、探しに行ったという事は無いと思うけれど……。

「ちょっと待っててね?」

 女の子に言って、私は夜娃華に電話する。スマホの画面では発信中という文字が表示されるが、

「掛からない……」

 呼び出し音が鳴る前にそれは途切れてしまった。ただ単に電波が悪いという可能性もあるのだが、今までの経験から確信に近い予感がし、私は頭の中で警鐘が鳴るのを感じた。

「ちょっと、公園の外の方も探そうか」

「うん」

 本当は近くに女の子の両親の姿が見えなければ直ぐに交番に連絡しようかと思っていたけど、場合によっては、それどころではないかもしれないから。

 女の子の手を引き、公園の外に出る。そこで目にした光景は、私の予感を的中させるものだった。

「誰も、居ない……」

 公園の中も、手前の道路も、少しした場所にあるコンビニにも、人の姿が無い。そこらに停まっている車の中をさり気なく覗いてみるが、どれも無人。勿論、動いてる車なんて存在せず、耳を澄ませてみれば、町中独特の音も聞こえない。

 結論から言えば、私と女の子以外の人間が、世界から消えてしまっていた。いや、

「私たちだけが、連れていかれた?」

 人が消えたのではなく、何かが私たちをこの場所――“向こう側”へ連れ去ったのではないか。夜娃華と経験したこれまでの“向こう側”との遭遇から、直感的にそう思った。あちらの理屈は超常的で、こちらの想像もつかない現象を起こしてくるから。

 それらを今までは乗り越えてきたけれど、決定的に違う事が一つ。

 坂口夜娃華が側にいない。それだけで私は無力だった。

 夜娃華は知識と感で“向こう側”の理屈を、原理を解読し、理解して対応していた。それが私には出来ない。

「お姉ちゃん……」

 けれど、

「何だか変だよ……誰もいなくて……怖い」

「――大丈夫。私が、何とかするから」

 小さい子がいるのに、私が諦める訳にはいかないだろう。

「とりあえず、もっと別の場所も探してみようか」

「うん」

 女の子の手を引きながら考える。

 この数ヶ月の間に経験したいくつかの怪異を思い出せば、それらには何かしらの切っ掛けがあったと分かる。

 例えば噂が本当になった旧校舎。例えば祀られる事で神になった河童。夜娃華が言うには“向こう側”が私たちに影響を与えるにはそういう取っ掛かりが必要だと。

 なら私が今置かれているこの状況にも何か起点がある筈で、パッと思いついたそれは――

「あの岩、かも」

 神社で見かけた、何かを抱える人のような形をしている、意味あり気な祠に置かれた岩。茅野さんの目にはただの岩に見えたみたいだけど、もしかしたら“向こう側”と何度か関わった事のある私にはそういう風に見えるような、曰くのある岩なのかもしれない。

 思い立ったら即行動。次に何が起こるか分からない以上、そうするべきだというのは夜娃華を見ていて学んだ。私は女の子に声を掛ける。

「ちょっと確認したい場所があるんだけど――」

 大丈夫かな? そう言おうとした私はソレを見てしまった。

「え――何?」

 目前の道路。その奥から迫る黒い人影たちを。

 ソレは二メートル程の背丈をしていて、その割に手足は細く、まるで木の棒のようだ。顔のような部分には目、鼻、口の位置に五つの穴が開いた仮面を被っていて、その奥には暗闇が覗いているにも関わらず、目に当たる部分からはまるで、こちらを窺っているかのような視線を感じる。人数は十名以上は確実にいる。

「近付いてくる?」

 黒い人影たちは、明らかにこちらへと迫って来ていた。歩くのと同じくらいのペースでゆらゆら揺れながら、おそらく数分もしない内に私たちの目の前まで来るだろう。

「……」

 アレが何かは分からないけれど拙い気がした。

「お姉ちゃん、何、アレ……」

「っ!」

 ギュっ、と私の手を握る女の子に、私は我に返る。そうだ。今は私がしっかりしないと。

「……少し走るよ。しっかり掴まってて」

「うんっ」

 まだ迫って来る黒い人影を一瞥して、私たちは走り出した。

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