第19話「それぞれの在り方」
「……そうか、ここは繋がっているのね」
夜娃華は遠くを見るような目で祠の方を見ている。ここまで近づいて分かった事だが、崖下の洞窟の洞窟は思ったよりも大分狭く、奥まで数メートルしかない。祠はその中間くらいにあるのだが、夜娃華はその後ろ、洞窟の奥の方を見ていた。いや、それよりももっと遠い処を見ている、そんな目だ。
「痛っ!?」
と、夜娃華の方を見ていた私の右腕を河童が掴む。強い力で腕を捻られあまりの痛みに悲鳴をあげてしまう。その間にもう片方の腕も掴まれ、完全に自由を奪われてしまった。
「放してっ……ひっ!?」
私を拘束する河童とは別の河童が私をマジマジと見ている。顔、首筋、そして腹部。脳裏に、先程の遺体を思い出す。確かあの男性の遺体は腹部を噛み千切られていたという話だ。河童達の口から生える、鋭い牙に目がいく。
「坂口さんっ、助け――」
夜娃華に助けを求めようとする。けれど、
「今、ここからなら、私は……」
うわ言のように何かを呟いている夜娃華に、私の声は届かない。夜娃華はまるで、ここでないどこかに行こうとしているようだった。
そんな夜娃華の姿に私は、自身の身に迫る危険よりも、夜娃華がどこかに行ってしまうんじゃないかという予感に恐怖した。
だから私は叫ぶ。
「夜娃華っ、ダメ!」
「!?」
ビクリと、心ここに在らずだった夜娃華の肩が跳ねる。声が届いたんだと分かる。
こちらを振り返った夜娃華の瞳が、段々と焦点を結んでいき、そして、
「夕花、こっちへ!」
「あっ」
駆けだした夜娃華が私の手を引く。するとあっさり河童は腕を放し、私は夜娃華に引き摺られるように祠の前まで連れていかれる。
「夕花、祈って!」
「祈るって、何をっ?」
「何でもいい! 今はただ、恐怖を忘れるようにして!」
夜娃華が何故そんな事を言うのか、唐突過ぎて訳が分からなかった。しかし、そうしなければいけないのは分かった。既に恐怖は無い。だから私は目を瞑り、祈る。今、一番大切なモノのことを想って。
夜娃華のことを想って。
どれくらいそうしていただろう。数秒か、数分か、波の音と、隣から聞こえる夜娃華の息遣いだけしか感じ取る事が出来ない。そして、夜娃華の声が聞こえた。
「行ったみたいね」
夜娃華が立ち上がる音がして、私も目を開ける。
「あ、居なくなってる」
見回すと、さっきまでそこに居た河童達が消えていた。
「何が起こったの?」
「彼らの役割に従っただけよ」
「役割?」
「ええ。本来、彼らは神ではないかもしれない。けれど、この町で彼らは確かに神であり、神の役割は自らを祀るものを導く事。彼らに対して恐怖を覚えず、真摯な気持ちで祈る。そうすれば、彼らは応えてくれる。神として」
夜娃華の言う理屈は分かるような、分からないような、そんな感じだった。でも実際に彼は私たちを襲わずに消えたのだから、夜娃華の言っている事は正しいのだろう。神ではなくても、彼らは神としての役割を守っているのだ。
「……さて、帰りましょうか」
そう言って、夜娃華は来た道を引き返そうとする。しかし、私は夜娃華に訊きたい事があった。
「夜娃華、待って」
後ろから、夜娃華の手を取る。
「何?」
不思議そうに、夜娃華が私を見つめた。
「夜娃華はさっき、どこに行こうとしていたの?」
「……やっぱりあなたには全部お見通しなのね」
手を握ったまま、夜娃華は祠の方を見る。
「さっき、あの場所には“向こう側”への入り口があった。多分、彼らが出入りする為のもんだったのだと思うけれど、だから、私はあそこへ――」
「どこにも行かないでって言った!」
言葉の先を言わせず、私は声を被せる。
「夕花?」
「夜娃華が向こう側を求める気持ちは分かるよ? でも、私が居るから。私が、夜娃華の居場所になるから、どこにも行かないでっ……ううん、どこにも行かせないからっ!」
「……その言葉、まるで告白みたいね」
「告はっ!? ち、違っ……私はそういう意味ではっ……!?」
「分かっているわ」
夜娃華が私を抱き締めてくる。
「ごめんなさい。まだ、分からないの。自分のこと」
「夜娃華のこと?」
「自分が何をしたいのか、何を求めているのか。多分、私は人より好奇心が強いのかもしれない。“向こう側”に行けば、全部が分かるって、そう考えてしまうの」
夜娃華の瞳が私を見つめる。こんな時なのに、綺麗なその瞳に釘づけになってしまう私がいた。
「夕花はとても暖かい。だから、不安になる。夕花は全てを見ることが出来る筈だから。いつか、私のすべてを見透かしてしまうんじゃないかって……怖いの」
「怖いって、どうして」
「自分が分からない自分のことを知られるのが。こんな浅い私を見透かされて、あなたに嫌われてしまうんじゃなかって、だから私は、私を見つけたいの。私の居場所を、自分で」
私は、今度は何も言えなかった。それはきっと、夜娃華が自分で見つける必要があるから。
好奇心の強いこの子は、自分で見つけたものじゃないと納得しないだろうから。
「……帰ろうか」
「ええ。帰りましょう」
それだけ言って、今度は二人並んで戻る。手は握ったままで。
「ところで夕花」
「何、坂口さん?」
「………………」
唐突に声を掛けてきた夜娃華にそう返すと、何だかとても不満そうな顔をされた。
「あの、何が……」
「名前」
「え?」
「さっきまで夜娃華って言っていたわよね?」
「あっ……」
必死過ぎて自然とそう呼んでしまっていた。
「夕花、そろそろ名前で呼んでもいいのよ?」
「努力させて頂くという方向性で……」
「夕花」
「さ、帰ろうか坂口さん!」
呆れたような目を向ける夜娃華の手を引き、私は急ぎ足で別荘へと戻る。
夜娃華のことを名前で呼ぶのは、まだ恥ずかしい。夜娃華と同じように、私もまだ、自分の心に整理がつかない。何故、夜娃華に対してこんな気持ちになってしまうのか、私も分からないから。
夜娃華が自分を探しているように、私もその答えを探さないといけない。
「まったくもう。夕花はしょうがないのだから」
夜娃華が側にいる間に。
そんな夏の日の出来事だった。
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