第17話「這い寄る祟り」

「あれは何だったんだろう」

「それは私も分からないわ。それこそ、あの女性が言っていたように“祟り”かもね」

 キッチンに立って夕食の用意をしながら、私は先程の出来事を思い出していた。

 あの後、警察に通報したのだが、やって来た警官は死体を見るなり私達にいくつかの質問をした。ついさっきまでどこに居たのか? とか、観光客なのか? とか、怪しいモノを目撃しなかったか? とかだ。てっきり事情聴取等で連れて行かれるのかと思ったが、連絡先だけを訊かれて、そのまま帰る事になった。第一発見者の女性は酷く混乱しているようだったから、警官が自宅まで送り届けたようだ。気になるのは、遺体を見た警官の様子だ。

「何だか、遺体を見た時の様子が、“慣れている”みたいな感じだったけれど」

「警官なのだから、別にそこまで珍しい事では無かった、とかもあるんじゃない?」

「うーん……そういうんじゃなくて、何と言うか――」

 そう。あれはまるで、

「“またか”、って感じだった。慣れているというよりは、疲れている、みたいな」

「へえ」

「何? 坂口さん」

「ううん。やっぱり夕花は眼が良いのね、と思っただけよ」

 そう言って、やはり夜娃華は意味深に微笑う。何となく、夜娃華の機嫌が良いような気がして、嫌な予感がした。

「それにしても、夕花も遠目にとはいえ、死体を見たのに大分落ち着いてるわね」

「まぁ、自分でもあまり認めたくないけど、多少は慣れてきたし。こういうの」

 確かに気分は優れないけれど、夜娃華と出会ってからの約三ヶ月の間、何度か非現実的な体験をしている内に、感覚が麻痺してしまっている自分がいた。それに、今回よりも酷い事はあったし……。

「そう。それじゃあ、慣れてきたついでに、この町で噂になっている話でも如何?」

「……それって、聞かないと駄目なもの?」

「私は聞いてほしいのだけど、どうする?」

 悪戯をする子供のような瞳で夜娃華が見つめてきて、一瞬緊張するものの、何とか冷静さを装い、口を開く。

「……お願いします」

 表情はあまり変わらないけれど、夜娃華の雰囲気が少し明るくなった気がする。何故こんな話題で明るくなるのか、大概おかしな人だと思うけれど、夜娃華が嬉しそうという、それだけでこちらも嬉しくなるのだから、私も何かおかしいのかもしれない。

 料理をしながら、夜娃華が話し出す。

「これはタクシーの運転手から聞いた話なのだけど、ここ数年の観光客の増加で街の経済は潤っているのだけれど、ここで問題が発生したらしいわ。簡潔に言えば、マナーの悪い観光客の増加ね。あちらこちらの観光施設や、周辺の自然環境に影響が出てきている、と」

「例えばどんな影響があったの?」

「そうね。例えばゴミを川や海に捨てたり、立ち入り禁止の場所への不法侵入、そして――神聖な存在への冒涜、とか」

「冒涜?」

「ええ。さっき調べていたのだけど、ここら辺の地域では水神信仰があるみたいね」

「えっと、水神信仰って?」

「分かり易く言えば、水神と呼ばれるものを祀り、今年の豊作や、水難事故の回避を祈願する信仰の事ね。農耕民族でよく見られる信仰で、基本的には淡水を利用する場で行われる事が多いのだけれど、海辺の町であるここでは元々、大漁祈願等の為に水神を祀っていたみたいね」

「……元々って事は、何かあったって事だよね?」

「ご明察。このような信仰は文明の発展と共に薄れるもので、何十年か前、この町でも水神信仰が一般的なものではなくなった。第一産業の従事者は減っていってるし、当然と言えば当然よね。自分の生活に関係無いのであれば、それらは廃れていくものよ」

 一旦、夜娃華が口を閉じる。こちらの反応を窺うように見て、口を開く。

「そうして皆が信仰を忘れ始めた頃、“祟り”が起きた」

「祟りって、さっきの人が言っていた……」

「調べてみると、三十年くらい前に、この町では連続殺人事件が起きているわ。死亡者数は六名。今、ここの目の前にある海の近所に住む住人が、何か獣のようなものに“腹を食い破られて”亡くなったそうよ」

 夜娃華の言葉に、私はついさっきの風景を思い出す。あの遺体を見た時、夜娃華は「何かに噛みつかれた」と言っていた。

「これを受けて、昔の周辺住民は、信仰を忘れた自分たちへ水神様が祟りを招いているのだと解釈し、再び水神信仰が盛んになり、結果連続殺人事件は収束し、現代に至る。そして現在、再びこの町で連続殺人が起きているらしいわ。被害者は全員この土地の住人ではないらしいけれど、そこで観光客による周辺地域への被害が、今回の“祟り”の原因ではないかと、住人は考えているみたいよ」

 そして夜娃華が私の方を見る。

「昼間、夕花が見た祠というのは、おそらく水神を祀ってある祠でしょうね。それが壊されていたという事は」

「それに怒った水神が祟りとして人を襲っている?」

「そういう事」

 夜娃華の話だけを聞くとオカルトもいいところだけれど、これまでの経験から、それが決して在り得ない事ではないと分かる。分かるのだけれど。

「でも、神様が人を襲うなんてあるの?」

「別に珍しい事ではないんじゃないかしら? 人身御供の文化なんて世界中にあるのだし、それに、祀られてる水神が“神様とは限らない”のだし」

「神様とは限らない?」

 言ってる意味が分からず、夜娃華に説明を求める。

「夕花も知っていると思うけれど、この世界には“向こう側”があって、“向こう側”の住人はこちらに潜み、こちらを見ている。そして、何かの切っ掛けで形を持って顕現する。それには法則性があって、一つの縛りとして、こちらが想像した、或いは望んだ存在として現れる」

「望んだ存在という事は、神として祀られれば、神でなくとも神になるの?」

「正解。つまり、この町で祀られた何かは、神として住民に安寧をもたらした。けれど信仰が薄れて神として存在出来なくなり、まったく別の存在として連続殺人を起こす。そして連続殺人を神の祟りと信じた住人によって、信仰が廃れば神として罰を与える大義名分を得た。そして現在、彼らは神として、土地を汚す観光客たちを殺して回っているのよ。神の“祟り”として」

 夜娃華の言葉に、町に潜む神の姿を借りた怪物を想像して、背筋が寒くなるのを感じた。寒気を振り払う為に、話を逸らす。

「じゃ、じゃあカレーも出来たし、ご飯にしようか」

「そうね。腹が減っては戦は出来ないとも言うし」

 丁度出来上がったカレーを皿に盛り、テーブルに持っていく。残りは冷ましてから冷蔵庫に入れ、明日のご飯になる。

 二人で作ったカレーを食べつつ、さっきの夜娃華の話を思い出す。

 町で起こる連続殺人事件、神として祀られてる何か、祟り……何か忘れてるような気が……。

「あっ」

「夕花?」

「あの、気づいてしまったんだけれど……」

「気づいてしまったって、何にかしら?」

「狙われてるのが観光客、つまり余所者だと言うんだった、私達も狙われてしまうんじゃ?」

 そう言って夜娃華を見ると、夜娃華はニコリと微笑い、当たり前のように言い放った。

「ええ、勿論」

「だったらこんな事をしている場合ではないのでは!?」

 叫んだ瞬間、私は何かの音を聞いた。

「え、何の音?」

 ドンドン、と、何か硬い物を叩く音がする。それは最初小さかったけど、次第に大きく――いや、増えていった。

「な、何か色んな所から音がっ!」

「囲まれてるみたいね」

「か、囲まれてるって、まさか――」

「ええ。怖い怖い、神として崇められた者たちよ」

 夜娃華が言い終わった瞬間、何処からか窓の割れる音がした。次いで、湿ったようなビチャ、ビチャ、という音がいくつも聞こえる。それらは最初、迷うように蟠って聞こえたが、こちらの存在を感じたのか、少しずつ近寄って来る。

「さ、坂口さん……っ!」

「しっ。静かにして」

 音はキッチンと廊下を区切る扉の方から聞こえてくる。確かに、扉の向こうから何かの息遣いを感じた。

「夕花、聞いて」

「な、何」

「今、やつらは侵入経路を確保して、他の場所を空けてから侵入した窓の方に群がっているわ。さっきまで聞こえていた、入り口を探している音がしない」

「あっ、本当だ」

「知能はあまり高くないようだから、隙を見て裏口から逃げるわよ」

「今直ぐじゃダメなの!?」

「ダメね。明らかに私達よりも頭数が多いのだから、少しでも減らしてからじゃないと、囲まれたらそれこそ終わりよ。だからギリギリまで引きつけないと」

「そんなっ」

 ドンッ、とドアが強い力で叩かれる。それは何重にも重なり、やがて、ドアに穴が開いた。

「ひっ!?」

 そこから覗いたのは、毛に覆われた、猿のような腕だった。しかし大きさはまるで人間の腕のようで、それがいくつも穴から突き出してくる。

「さ、坂口さんっ!」

「さぁ。水神様のお目見えよ」

 とうとうドアが破壊され、“ソレ”が姿を現す。

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