第16話「“向こう側”の気配」

 身体を洗い、拭いて、着替えて、髪を乾かして、とやってる間に大分時間が経っていた。初めて来る場所だからスマホで地図を見ながらスーパーを探している間に、陽が傾き始めていた。

「やっぱり慣れない事をすると時間が経つのが早いような気がする」

「私もそう思うわ。さっそく筋肉が痛いし、疲れで身体が怠いわ」

「坂口さんは運動しなさ過ぎだと思うの。もっと普段から運動するべきじゃない?」

「自慢ではないけれど、私は体育の時間以外に運動した事が無いの」

「それは本当に自慢にならないからね?」

 そう言いながら、昼間見た夜娃華の水着姿を思い出す。

 贅肉の無い肢体に対して大きな胸部……運動もしてないのにいったい何が起こったらあんなバランスに……。

「坂口さん、その発言は場合によっては人を酷く傷つけるから、もう言わない方が良いと思う」

「? よく分からないけれど、夕花がそこまで言うのなら、そうしておくわ」

 自分のことに無頓着な夜娃華が誰かを傷つける可能性を事前に摘めた事に満足感を覚えつつ、夕食に使うお肉を買う。

「二人分の量でもこんなのに必要になるのね」

「一食分ではないから、これくらいは買わないとね」

「今日の夕食の分ではないの?」

「坂口さん、カレーはね、一日置いておいても美味しいのよ?」

「明日作るのではなく?」

「せっかく遊びに来たんだし、面倒な事は今日で済ませて、明日は楽がしたいじゃない。それに、うちのカレーは二日目が美味しいの」

「そんなものなのね」

 夜娃華が好きな肉を買っていいと言うので、家で使ってるのよりも少し高いお肉を買って、ついでにおやつも買う。会計を終えて外に出てみると、すっかり夕方になっていた。

「さっさと帰って夕食の用意をしよう」

「そうね。あまり遅くなると時間が勿体ないし」

「あっ、坂口さん、ちょっと待って」

 私は再び地図アプリを起動して、別荘までの道のりを確認する。

「道順を忘れてしまったの? 私が覚えてるから、一々そんな事をしなくても――」

「ううん。さっきは万が一にも迷わないように、大きな道から来たんだけど、実は少しだけ近道が出来そうな道があったの」

 スーパーに来るまでの道は、大通りからなるべく離れないようにして来たけれど、よく見ると、住宅地の間を通る川沿いに歩けば、数分早く帰れる筈なのだ。

「川沿い、ねぇ……」

「坂口さん、どうしたの?」

「……いいえ。むしろ都合がいいかもしれないし、そっちの道を通って行きましょう」

「? まぁ、問題無いなら良いよね。こっちから行くんだって」

「ええ。任せるわ」

 そうして、二人で並んで住宅街に入っていく。

 この時間だからか、民家からは美味しそうな夕食の匂いがしたり、慌ただしく家に入っていく小学生だったりと、如何にも日常的な風景が見られる。と、しばらく歩いていると、目印の川が見つかった。住宅地の真ん中を流れている割には、大分綺麗な川だ。

「結構大きい川だね」

「この川はこの街の中心部を通っている川で、昔は生活用水としても利用されてたみたいよ」

「まぁ、住宅地の近くに川があったらそうなるよね」

「この川はそのまま海に繋がっているわ。そうね、丁度、夕花が見たと言う洞窟の辺りから海に流れ込んでいる筈よ」

「へぇ。私はそんな事気づかなかったけど」

「遠目に見ただけであれば分からないのも不思議ではないわ、それに――」

 夜娃華が何かを言おうとする。その瞬間、

「きゃぁぁあああああ!?」

 近くから女の人の甲高い叫び声が聞こえた。

「な、何!?」

「来たわね。夕花、行きましょう」

「え、え? 何なのいったい!?」

 突然、夜娃華が走り出す。訳が分からないけれど、夜娃華を一人にしておく事も出来ず、私はその後を追って走りだした。

「坂口さんどこ!?」

「こっちよっ」

 曲がり角の多い住宅街で、夜娃華のいる場所を見失ったが、思いの外、離れてはいなかったらしく、直ぐ近くで夜娃華の声が聞こえた。少し先にある路地を曲がると、夜娃華と、腰を抜かしたのか、地面に尻餅を突いている女性がいた。

「何があったんですか!?」

 駆け寄ると、女性は目に涙を浮かべ、震える手で何かを指差す。その先を追って見てみると、近所の人たちが利用しているのであろうゴミ捨て場がある。明日が回収日なのか、そこそこのゴミが詰まれている。最初は詰まれているゴミが目に入ったが、何があったのかと視線を下に落としていくと、

「ひっ!?」

 影になっていて見え辛いが、赤黒い液体がそこらに飛び散っていて、更に地面を見るとゴミが邪魔して全体像は分からないが、確かに人の腕があった。

「死体ね。見たところ成人男性……日本人ではないようだから、観光客かしら? 腹部の辺りから血が出ているけれど、刺されたというよりは、何かに“噛みつかれた”と言った感じね」

 私は悲鳴をあげる事も出来なかったのに、夜娃華はそれに近づき、触れないようにしながら冷静にそう言っていた。

「祟りよ……」

 不意に、怯えている女性がそう呟いた。

「祟り?」

「これは祟りなのよ……土地を荒らしたから、水神様が祟を起こしているのよ……っ!」

 錯乱しているのか、女性はそんな事をブツブツと呟いている。訳が分からず夜娃華を見ると、

「さぁ、面白くなってきたわね」

 そう意味深に微笑うのだった。

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