第9話「閑話1・美術室の怪①」

 これは私と坂口夜娃華――坂口さんが出会ってから、一ヶ月と少ししたくらいの頃の話だ。

「はぁ……憂鬱だなぁ」

「こんなに良い天気だっていうのに、随分と物憂げね。夕花」

「きゃっ!? さ、坂口さん、いつからいたの!?」

 放課後の教室で窓の外の景色を眺めながら物思いに耽っていると、クラスも違うのに私を迎えに来てくれた坂口さんに背後から声を掛けられ、私は飛び上がるように驚く。

 振り向くと、心臓がドキドキと早鐘のように鳴っている私とは対照的に、常と変わらない落ち着き払った表情で坂口さんが私を見つめていた。

「今さっき来たばかりよ。夕花が何か考え事しているみたいだから、少しばかり観察していたの」

「うぅ、直ぐに声を掛けてくれればいいのに……変な顔してなかった?」

「いいじゃない、減る物ではないのだし。それに、私は夕花の横顔好きよ」

「うっ……」

 好きと言われて私は自分の顔が紅くなるのを感じる。

 坂口さんはとてもストレートにこういう事を言うものだから、引っ込み思案なところがある私は言葉に詰まって困る。

 坂口さんは綺麗だから、そんな彼女にそう言われると照れてしまうのだ。いったい、どういう意図があってそう言っているのか考えてしまい、その度に私はその考えを振り払う。

 私は彼女に対してどういう気持ちを持っているのか、分からなくなる。

「ところで、何に対して憂いていたのか訊いてもいいかしら?」

「え? あ、あぁ、うん。ちょっと、明日の美術の授業がね」

 そんな私の様子に構わず坂口さんは話を続ける。このままでは私も頭が混乱してしまいそうだったから、ありがたくその流れに乗る事にした。

「そういえば夕花は芸術の科目、美術を選択していたわね」

「うん。音楽は私、楽器出来ないし、書道は字にあまり自信が無いから美術にしたんだけど……」

「したんだけど?」

「人物画を描く事になって、先生が隣に座っている人とパートナーを組むか、もしパートナーの子が欠席したら友達や家族の写真を持参して作業してって言うの」

「まぁ、ありがちな内容ね」

「そうなんだけど、実は私とパートナーを組んでる子と、一回も話をした事が無いの」

「ああ、そういう事。夕花、少し人見知りだものね」

「うっ……あの、あまりストレートに言わないでもらえたらと」

 自分でも気にしている事だけに、出会ってから間もない坂口さんに指摘されるとダメージを負ってしまう。

 やっぱり私、傍目からも人見知りするタイプって分かっちゃうんだ……。

「だって、その子っていつも一人で机に向かってて、他の人と話したりしないから……」

「へぇ。それなら、一概に夕花の人見知りが原因とは言えないわね」

「だ、だよねっ!」

 坂口さんの同意の言葉に、思わず声が大きくなってしまう。

「どうして急に勢いが強くなったのか分からないけれど、それでも授業でペアを組むというのであれば、多少のコミュニケーションは必要じゃないかしら」

「それは分かってるんだけど……頑張るしかない、よねぇ」

 やっぱり気が重いなぁ……仲が良い相手じゃなかったとしても、せめて向こうが積極的に話し掛けてくれるタイプだったらもう少し気が楽だったのに。

「せめて坂口さんが美術を選択してくれていたら良かったのに」

「あら。中々嬉しい事を言ってくれるじゃない」

「それは――だって、少なくとも私は坂口さんのこと、一番の友達だと思っているし」

「そ、そう……」

「坂口さん?」

 ふと坂口さんの顔を見ると、珍しくこっちの方を真っ直ぐ見ないで、目を逸らしながら頬を少し紅くしている。チラチラとこっちを見ている瞳が揺れていて、いつもの全てを見透かすような感覚は無く、この感じはもしかして――

「照れてる?」

「っ!? そ、そんな事は無いけれども……慣れていないだけよ」

 言いながら、坂口さんは窓の外を見て、空を――いや、もっと遠くを見るように目を細めた。

「今まで、私のことを友人と呼んでくれる人はあまりいなかったから」

「坂口さん?」

「別に、それが寂しいと思った事は無いのだけれどね。そう言ってもらえるのは嬉しいものがあるわ」

 坂口さんがどんな人生を歩んできたのか私は知らないけれど、彼女がそれについて口にしないのなら私は何も言わない方がいいんだろうけど。

「けど、何にせよ夕花の明日の授業が無くなる訳ではないし、諦めるしかないわね」

「そうだよねぇ……」

 机に突っ伏し、深い息を吐く。そうだよね……気持ちを切り替えないと。

「よしっ。坂口さん、今日って時間ある?」

「急ね。まぁ、今日は特に予定も無いし、空いてるわ」

「じゃあさ、駅前のパン屋さん行こう。なんだか若い子達の間でそこのチョココロネが流行っているらしいの」

「若い子達って、一応私達も若いの内に入ると思うのだけど」

 それはそうなんだけど、クラスの人達って言ったら自分の友達の居なさを強調してるみたいだから……。

「いいのっ。行こう行こう」

「あっ! もう、押さないで。夕花は時々強引なんだから……ふふっ」

 坂口さんの背中を押すと、ヤレヤレとでも言いたげに彼女は苦笑して歩き出す。

 明日の美術は気が重いけれど、今はこの時間を楽しんで、気分を変えようと思えた。

 

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